僕は幾度もこのブログでケアワークの現状や問題点を書いてきた。僕が経験した範囲のことを書いているので内容に偏りがあるのも承知している。介護業界の惨憺たる実情を放置したままでいると、利用者である高齢者、利用者の家族そしてケアワーカーの当事者皆が不幸になる。
僕は今のところ介護保険の利用者ではないし母は元気であり利用者の家族という立場でもない。
現役の労働者の立場で発言をしてみたい。
ケアワークは「感情労働」という色合いが濃い仕事である。モノを相手にするのではなくヒトを相手とする仕事である。しかも相手とするヒトはひとりで生活することが難しい状態である。自力で日常生活を送ることができない人たちである。
食事やトイレ、入浴などの日常動作ができない高齢者を手助けする仕事である。認知症が悪化している人たちもいる。
自分のした行為(介助)の結果がダイレクトに返ってくる仕事であり、利用者やその家族から感謝されることが多く、その点に「やりがい」が見出せる仕事であるといえる。この「やりがい」があるからこそケアワーカーを続けているというケースが多い。
ケアワーカーは既婚女性のパートタイマーが多く占める。施設によっては集中的に「主婦のパート」を採用している。人件費が節約でき、かつ「労働者の権利」意識が希薄である人が多いから経営者にとっては好都合なのである。
一方、ケアワーカーの側もただの単純作業ではなく、社会貢献をしているという意識を持つことができる。仕事に「やりがい」があるのだから、低賃金でもよいと自分に言い聞かせている。中にはパートタイマーであるにも関わらず、正社員と同等かそれ以上の働きをする人もいる。多くの施設はそのようなよく働くパートタイマーの存在によってどうにか成り立っている。
つまり「やりがいの搾取」によって介護業界はどうにかこうにか成立しているのである。パートタイマーがまともな「労働者意識」に目覚め、待遇改善を要求するようになると即座に介護業界は崩壊に瀕することになる。
介護業界はこれまでも、そして今後もずっと綱渡りを続け、自転車操業を繰り返すことになる。
まともな待遇を労働者に保障しただけで、経営がおぼつかないなんて異常である。
また、僕が実際に見聞きした幾つかの施設では経営者がかなり高額な報酬を得ていた。ある施設では、売上が低迷しているのに経営者の高額報酬はそのままで社員のボーナスを全額カットするということさえやっていた。
介護保険の報酬体系が低水準であることと経営者の搾取が酷いことがケアワーカーが劣悪な待遇を強いられる要因となっている。
ケアワーカーに対する「やりがいの搾取」が続く限り、ケアワーカーの待遇は良くならない。介護業界に集う人材の質もますます下がる。それは利用者の不利益となる。大げさに言えば国家存立の危機を招く。
福祉・介護の領域に新自由主義的な政策を採り入れるのは過ちである。競争になじまない領域もある。
僕は過度な国家権力の介入はすべきではないと思っているが、時と場合よっては適度な介入も必要である。
ノーマライゼーションの理念を空念仏にしないためにもある程度の公権力の介入は必要である。
利用者の安心・安全の確保、ケアワーカーの待遇の改善、経営者の常識的な利益の確保、いずれかが欠けても制度は破綻する。
「やりがいの搾取」という言葉が死語にならなければならない。