文章を書く人の肩書に関して話題になっています。
はあちゅう「私はライターじゃない」に吉田豪が反論 肩書に対する考え方が議論に
確かにこのあたりは全てが「自称」なんですよね。
資格もないので。
肩書にこだわるな!!
という意見は少なからずあるんですけど、それも不毛で、
結局、絶対に、必要なんです。
僕もいかに肩書なしで生きようか試行錯誤したことがあったんですが、無理でした。
面と向かって話すときは、「ものかきで」とすんなりと会話に入っていけるんですが、
やはり、プロフィールなど文章に残すとなると必要になってくるわけです。
で、この肩書問題には、非常に悩んだことがあります。
まず私の場合、自称「ジャーナリスト」なんですが、
一般市民の方から「ジャーナリストのくせにばかかこいつは」とか、同じジャーナリストを名乗る人たちから「ジャーナリスト名乗るな」とか言われるわけです。
もう、そっこうでジャーナリストやめたくなりましたw
確かに、僕はまだまだ実績はありません。知識もわずかです。
けれど、一流のジャーナリストになりたくて、日々現場を踏んで、どうにかして情報を発信して、ジャーナルしていくように取り組んでいます。
ただ世論の空気がこうだと、私自身もそうだし、他の人たちだってジャーナリストになることを諦めるわけです。
フリージャーナリストが少ないのは、飯が食えないという理由だけじゃなくて、
知識だけたくさんもった偉そうなおっさんたちが、下の世代を育てず、自分は自分はと自分のことだけを考えて、下を潰しにくるわけですよ。
そりゃ、育たないですよ。そして権力と立ち向かう人たちがいなくなるから、
結局国民に正しい情報が届かなくなるわけですよ。
ネット上で、「安倍政権が〜」とかぎゃーぎゃー騒いで批判しまくっている人たち、
気づいてないでしょうが、あなたたちのせいで、正しい情報が届かないんです。
もうやめてほしい。
おっと、ヒートアップしてしまった。
で、もう1つ失礼を承知でいうと、
僕は「ライター」になりたくありません。言われたくもありません。
確かに、文章を書いて生きていきたいです。
けれど、例えば「企業のWEBメディアの運営を代行する」とか、
「企業に意向にそって文章を書く」とか全く興味が無いわけです。
僕は何か起こっている現場に足を運ぶことが大大大すきなんです。
そして、自分が感じている「事実」を発信することが楽しいんです。
ライターとジャーナリストの違いはそこです。
現場に足を運ぶか、ライターはどこにいても引きこもっていてもできますから。
さらにいえば、僕はライトな記事、例えば恋愛メディアとかキュレーションメディアにあるような、生活に役に立つ記事に全く興味が無いんです。
それは、自分にとって損をしている気もします。没頭できないですから。皆が興味あることに興味ないんですから。
皆が興味ないことをひたすら書き続けたって、見てくれないし、お金にもならないし、でも、社会問題のノンフィクションをずっと書き続けていて、それがやりたいんです。
それはもう自分の心がそういっているんですから、仕方ありません。
単なる嫉妬かもしれません。人気が出ているライターさんたちへの。
でも、僕は勇気をもって、いう。そういったライターさんたちとは違う。現場で感じた自分にしか感じられないものをこれからも頑張って地道にやっていきたい。
その活動が揶揄されたとしても、僕は社会に価値があると思っているし、自分自身が何よりやっていて楽しいので、QOL向上にはとっても役に立つ。
というお話でした。
けれど、「ジャーナリスト」への理解が少ない日本で、名乗るのが正直こわいんです。
いい肩書ないかなあ。
若手ジャーナリストと自分でいうのも変だし、作家ってほど実績ないし。
タレントでよくね????(笑)