そして、創業者である永野一男は殺害された事も書きました。
しかも、多くの報道陣の目の前でです。
その顛末はこんなふうでした。
豊田商事永野会長刺殺事件
その部分を引用します。
(引用はじめ)
6月15日、外為法違反で豊田商事の強制捜査があり、17日、永野は事情聴取された。
6月18日午後4時半ごろ、永野会長は大阪市北区にあるマンション「ストークマンション扇町」の5階の自室に1人でこもっていた。
ドア周辺には、約30人の報道陣やガードマンが張り込んでいる。
その人垣を押しのけて、2人の男が永野の部屋のドアの前に立った。
ゴマ塩頭でベージュのブレザー姿の工場経営者の飯田篤郎(当時56歳)とパンチパーマに黒ずくめ姿の建築作業員の矢野正計(当時30歳)であった。
ガードマンが誰何(すいか)すると、飯田が凄んだ。
「名前なんかどうでもええ。鉄工所を経営しとるもんや。永野に会いたいんや。開けんかい。お前ら、よう、こんなやつのガードしとるな」
驚いたガードマンは、電話で聞いてみる、と言って階段を降りていった。
報道陣の問いかけに飯田は声を荒げて怒鳴った。
「被害者6人から、もう金はいらんから、永野をぶっ殺せと頼まれてきたんや。ドアを開けんかい」
飯田は報道陣からパイプ椅子を取り上げ、それでドアを激しく叩き始めた。
応答はなかった。
矢野が玄関脇の窓のアルミ桟を数回、力まかせに蹴った。
2人は折れた桟をはぎ取ると、窓ガラスを蹴破り、呆然としている報道陣を尻目に、部屋に飛び込んだ。
報道陣のカメラがいっせいにその窓の中へと集中した。
矢野が持っていた鞄には銃剣が入っていた。
数分後、室内で格闘する声が聞こえてきたのち、飯田が窓から出てきた。
血まみれの銃剣を持ち、服にも返り血があった。
飯田は胸を張って、周りを見渡した。
「殺(や)ってきた。俺が犯人や。警察を呼べ」
そう言うと、再び、部屋に戻った。
2、3分して2人が出てきた。
飯田は勝ち誇ったように言った。
「これで死んどらんかったら、またやったる。87歳のボケ老人を騙しくさって、850万円も取ったやつやからな。当然の報いじゃ」
飯田とは対称的に報道陣はいたって冷静だったのが印象的だった。
写真週刊誌『FOCUS』(新潮社/現・休刊)に、自ら血しぶきを満面に浴び、砕けんばかりに歯をむき出しにした永野の断末魔の形相の写真が掲載され、人々を戦慄させた。
2人は駆けつけた天満署員に殺人の現行犯で逮捕された。
飯田は「法律は手ぬるい。わしがやらんかったら、他にやるもんはおらん」と言い放った。
永野は、全身13ヶ所斬られ、中でも左脇腹から深さ18センチも銃剣を刺しこまれていたのが致命傷だった。
そのポケットの黒皮の財布には711円入っているだけだった。
その後、病院に運ばれたが、出血多量で死亡した。
32歳だった。
飯田は高齢者、身障者を従業員にもつ町工場を経営していた。
自称右翼で、高齢者を食い物にする永野会長は生かしておけなかったに違いない。
(引用終わり)
橋本さん、こうならんように、もうええかげんにセミナー屋きっぱりと辞めたほうがええんとちゃいますか?
あんたも大勢の人から恨まれてるんやから。
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