村井秀夫刺殺事件の真相を追って

村井秀夫は何故殺されたのか?徐裕行とは何者なのか?
オウム真理教や在日闇社会の謎を追跡します。
当時のマスコミ・警察・司法の問題点も検証していきます。
(2016年12月、各ページを追記・加筆修正。工作員シンガンスの記事を掲載。)


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●裁判検証

オウム真理教の村井秀夫刺殺事件で、無罪判決が出た上峯憲司(後年恐喝事件で逮捕)。
懲役12年の刑が確定した徐裕行(旭川刑務所で服役)。

この二つの判決は、いずれも安広文夫裁判長が言い渡したものである。どうしてこんな結末を迎えてしまったのだろうか。



元最高検検事の土本武司・筑波大教授(刑法・刑事訴訟)はこう語る。
「純粋に法理論的にはあり得ること。しかし一般的には奇妙に映るでしょうね。私自身、司法に対する国民の信頼を失いかねないような問題のある事態だと思います



土本教授によれば、同じ村井幹部殺害を扱っていても、この二つの裁判は、それぞれ独立している。
徐裕行の裁判では「犯行は上峯の指示」という検察官の主張を弁護側も争わなかった。

だから「上峯から殺害を指示され、上峯との共謀の上」という起訴状通り、犯罪事実を認定した。

一方、上峯被告の裁判では、弁護側が徹底的に共謀、指示の有無を争い、検察側も徐受刑者の供述以外に有力な証拠を提出できなかった。

しかも肝心の徐受刑者の供述には疑問点が残り、「疑わしきは被告人の利益に」との大原則から無罪を言い渡した。過去にも贈収賄事件で贈賄、収賄双方の一方は無罪に、一方は有罪になったケースもあるという。

「だが裁判長の立場は随分苦しかったと思いますよ」(土本教授)。
どちらも裁判も裁判長と陪席裁判官の合議。意見が分かれた場合は多数決で決め、この場合、裁判長といえども「一票」しかなく、孤立すれば陪席の意見に従わざるを得ない。

■指示の判断疑問残る

「上峯裁判では、徐裁判とは陪席二人が代わっているから、おそらく侃々諤々(かんかんがくがく)議論の末、二対一で裁判長が負けたのでしょう。」こんな推測をした土本教授だが、徐裁判で共謀の実態や背後関係について「罪責にさほどの影響は及ぼさない」とした点は疑問が残る、という。



「村井幹部はオウム真理教関連の全事件の解明のカギを握る人物。彼が殺された時、いくら囚人環視の中での明白な殺人だからといって、こんな処理でいいのか。実行犯より、後ろで糸を引く者の方が悪質な場合が多い。仮に地下鉄サリン事件の実行犯の裁判で、サリン散布(殺人)が明白だからといって、共謀関係(麻原の指示)については「罪責にさほどの影響はない」として、あいまいなままで実行犯の刑を決めたら国民は納得しないでしょう

そして土本教授は、こうも言うのだ。
「これは捜査が不徹底だ、という裁判所の警告ともとれる。徐受刑者の供述はウソっぽい、事件の真相が明らかになっていないと、捜査関係に暗に注文を付けたようにも思えます。いずれにしろ事件の真相が闇(やみ)として残ってしまった判決です」

当の捜査機関のうち警視庁公安部の担当課長は「何もお話することはありません。針のムシロは、この辺で…」と触れられるのを避けた。

また別の捜査関係者は「裁判長は暴力団や右翼団体の特性を知らないため、こんな判決になった。そういう意味では世間知らずといえる」と怒っていた。

参考文献:東京新聞97年3月21日朝刊16面より


●徐裕行の懲役12年は妥当なのか


(豊田商事事件)

オウム真理教村井秀夫幹部を刺殺した徐裕行に対し、東京地裁は懲役12年の判決を言い渡した。
人を殺しても何年か我慢のお務めをすれば確実に娑婆に出て来られる。おかしな話である。

1995年当時、一人殺害だと検事の論告求刑は15年の場合も無期懲役の場合もあるが、大抵は12年が基準とされていた。求刑に対して裁判所の判決は、およそ七掛け程度と見積もられていた。求刑12年なら判決は8、9年となる。さらに懲役5年を経過した時点で仮釈放の資格が得られる。十分に反省したという態度で、刑務所内でもまじめに過ごせば、刑期は八掛けぐらいに減らせるのだ。

12年という判決に対し刑期はその八掛け。一人殺して10年にも満たない刑務所暮らし、あとは自由のみになれば、殺人ビジネスが成立する(ただし、徐は服役中問題行動を引き起こし、仮釈放はされてない)。

刑法第百九十九条に、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処する」とあるように、かなり大雑把な想定しかない。そこで戦後50年、平和を過ごすうちに法曹界に暗黙の了解、つまり横並びの”相場”が形成されてきた。つまり一人殺は既に述べたように数字、二人殺は無期懲役、三人殺で死刑、という線でなんとなく落着したのである。

そういう惰性の、安定した相場ができると、今度はその相場を読んで犯行に及ぶ、という殺しのプロフェッショナルが登場することになる。

実際、テレビカメラの放列の前で豊田商事の永野一男会長が斬り殺されたという大事件の犯人は、徐裕行より更に軽い刑罰で済んでいる。

実行犯の飯田篤郎に下された判決は懲役10年、矢野正計は懲役8年である。

判決文には「悪徳商法に対する義憤が動機の素地になっており、計画性も認められない」
とあるが、永野が殺されたおかげで、胸を撫で下ろした悪人が大勢いたのではないだろうか。


(飯田篤郎・矢野正計)

飯田篤郎は豊中市で鉄工所を経営していたが、刺殺事件の前年に倒産、まだ負債が4億円も残っていた。当時のリポート、溝口敦「永野一男の正体と影の”男”」(「月刊現代」85年8月号)によれば、刺殺事件後、負債は六千万円に減額していたとも伝えられる。


飯田と矢野はとうとう背後関係を語らず、「悪徳商法に対する義憤」で通した。
村井事件も同じことがいえる。徐裕行は、羽根組の上峯憲司の指示でやったと自供したが、では誰が上峯に依頼したかはということは上峯が全面否認を貫き通したため、結局わからずじまいとなってしまった。

”量刑の相場”という惰性が横行した結果、オウム事件の全貌は徐裕行の手でかき消されてしまったのである。

参考文献:(「週刊文集」95年11月30日号・ニュースの考古学 猪瀬直樹 徐裕行被告「懲役12年」で問われる「量刑の相場」)
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●羽根恒夫のその後


(2011年撮影)

オウムと暴力団の接点を検証せず、犯行側の共犯を解明できなかった村井秀夫刺殺事件。
もっとも、そんな事件の成行きを見守った人物がいた。

羽根組組長・羽根恒夫である。

週刊新潮(97年5月1日・8日号)によれば、次の証言が記載されている。

「上峯が無罪なら、これで羽根組も元の山口組直系に戻れる資格が出来たんじゃないかと思って、ある山口組の最上層幹部のところに電話を入れたんですよ。無罪のニュースが流れてから十五分もたってなかったでしょう。そうしたら”さっき羽根からも電話があった”というんです。無地判決の報告ということだったんでしょうね。その最上層幹部も”検事控訴があるやろしな”と少し慎重ながら”でも、無罪になれば(羽根組の再建復帰も)検討しなきゃならんやろな”と言ってましたよ」(裏の世界に詳しいある事情通氏)

羽根は村井事件後、経済難と事件の責任から95年5月12日をもって組を解散、引退している。
しかしこれは表面的な形に過ぎず、引退後も羽根は山口組の関係者を続けている。

更に、事件から2年後には羽根組構成員の事件が発生している。
いずれも在日朝鮮人が関与した犯罪である。


■毎日新聞1997.5.7朝刊
『東京・渋谷の競売マンションを不法占拠、暴力団組員ら5人を逮捕』
 競売対象の東京都渋谷区内の高級マンションを不法占拠していたとして、警視庁捜査4課と代々木署は6日までに、暴力団羽根組組員、竜日福容疑者(32)と金融業者ら4人の計5人を不動産侵奪容疑で逮捕、さらに関係者1人を同容疑で逮捕状を取り行方を追っている。
 調べでは、竜容疑者らは1994年11月ごろ、大田区の建築業者が所有する渋谷区代々木3の高級マンションの901号室のカギを壊して侵入、不法に同室を占拠した疑い。
 同室は92年8月に建設業者が購入したが、竜容疑者らは前の所有者に債権があったな
どとして占拠したらしい。
 同年4月に、同室は都内の抵当証券会社の申し立てで東京地裁が競売開始決定を出し、競売の対象となったが、竜容疑者らが占拠したため買い手がつかない状態だった。
 羽根組は95年4月に起きたオウム真理教の村井秀夫幹部刺殺事件で、幹部組員(49)が逮捕=1審無罪、東京高裁で公判中=されたため、同年5月に山口組に解散届を出しており、警視庁では単独組織として活動しているとみている。


■毎日新聞1997.5.8朝刊
『さらに1人を逮捕ーー東京・渋谷区のマンション不法占拠事件』
 東京都渋谷区のマンション不法占拠事件で、警視庁捜査4課は7日までに、暴力団羽根組組員、柳日福容疑者(32)らと共謀したとして江東区枝川1、職業不詳、石井悟容疑者(29)を不動産侵奪容疑で逮捕した。この事件での逮捕者は計6人となった。


●上峯憲司のその後



上峯は無罪放免で釈放後、月に2、3回銀座の高級クラブで豪遊していたという。
宮崎県宮崎市に移り住んだ上峯は、自分のアパートに若い衆10人程を集めて上峯組を発足。自ら組長となった。ただし、市内は別の山口組系のシマだったため、その組に配慮しながら活動していった。

1997年、上峯は行政問題調査会を結成。企業スキャンダルや談合疑惑などを掲載する機関誌「行政問題」の発行に関わり、官公庁や企業から高額の購読料を要求。「行政問題」は年間購読料が3万円。一企業に対して20~30部を売りつけることもあった。そのため自治体や建設会社から県警に苦情や相談が寄せられた。

暴力団やエセ右翼団体は豪華な装丁の本を出版し、高額で売りつけることが多い。購入を断ると「愛国心が足りない、もっと勉強しろ」と因縁をつけられた。

例▼
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Henkanundou/ESE/Ese.htm


●上峯憲司、再逮捕される

2000年11月14日、午後0時43分。
宮崎県警本部、宮崎北・宮崎南警察署の合同捜査本部により、6名の暴力団幹部が、
恐喝および恐喝未遂で逮捕された。

その主犯格が、上峯憲司だった。



上峯はそれぞれ2チームに分けて各企業を脅迫。

上峯は森本英利(当時52、宮崎市神宮1丁目)、会社員(当時29、老松1丁目)らを率いて
宮崎市内にある建設資材販売会社へ向かい、発行株約五千株の買い取りを口実に、六千万円の現金を脅し取ろうと企てた。

上峯らは、9月下旬から10月中旬にかけて「自分たちが株主になれば会社の信用は台無しになる」と脅し、更に同社関係者に一株数百円の株を「一株一万二千円で買い取れ、買い取らなければ暴力団を会社に入れるぞ」などと脅迫。株買い取りと代金数千万円の支払いを強引に約束させた。

一方、別働隊の東中園健二(当時52、宮崎市本郷南方)、前田好也(当時25、宮崎市丸山2丁目)は11月初旬から数回に渡って、宮崎市の別の会社関係者に対し、「車内のスキャンダルを知ってる」「新聞に書かれると信用はがた落ちになるぞ」と脅迫。

事件は脅された側の会社が県弁護士会に相談し、発覚するに至った。
ところが、捜査で次の事実が明らかとなった。

「上峯組のこの手口の事件は初めてじゃない。最初に組のナンバー2が会社などに出向き、『オウムの件で無罪になった上峯を知っているだろう』とまず脅す。それで金を巻き上げられないと、今度は本人が出て行って『オウムの件は知っているだろう』とまた脅す。常套手段です」(捜査関係者)

組事務所を兼ねていたアパートの近所の人はこう証言する。
「まったく知りませんでした。すれ違えば、『こんにちは』くらいの挨拶はするし、格好も一般的だし、普通のおじさんという印象。たしかに部屋にはちょっと怖い感じの若い人たちが出入りしていましたけど」

事務所には妻らしき女性と、高校生の娘も住んでいた。

「県警は同種の余罪がまだあるとみている。今は容疑の半分ほどは否認している状態だが、固めた末に再逮捕をしていく予定」(別の捜査関係者)

村井事件の関与を否定した上峯憲司。その本心は卑劣と欺瞞の塊であった。
この事件で、上峯の部下の会社員、高和義(当時40、宮崎市小松)が自宅で覚せい剤を使用し逮捕されている。
上峯はその後、大阪府大阪市の盛力会へ移り理事となった。


http://i.imgur.com/XlXY1xM.jpg

参考文献:週刊新潮(97年5月1日・8日号)週刊文春(2000年12月14日号:オウム村井刺殺 黒幕と名指された上峯憲司が恐喝で逮捕)
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●徐裕行の楽しい刑務所生活


(改装前の旭川刑務所。)

懲役12年。村井秀夫やその家族、村井に殺された犠牲者のために与えられた、償いの期間である。しかし、受刑者の徐には贖罪などどうでもよく、大した問題ではなかった。

徐裕行「だらだらと楽しく過ごしても12年。何かに打ち込んで過ごしても12年。同じ12年を過ごすなら、大学に入ったつもりで、一所懸命勉強してみよう」。

上記の回想からは贖罪の言葉はない。
それどころか刑務所と大学を履き違えた態度を見せており、罪の意識は皆無である。

また、徐は法廷で上峯に不都合な証言をしているため、再度出廷を拒んだ経緯があるが、報復に怯えた様子も無い。刑務所の中で、徐はのびのびと過ごしていたのだ。

徐裕行「外部から隔絶された世界である刑務所は、外の世界のように楽しみへの誘惑も存在しない環境にある。そうした環境の中では、内省し自分を高めていくことも比較的簡単にできるのではないか。そう考えると刑務所生活もまんざら悪いことばかりとはいえないかもしれないと思いました」


●徐裕行の読書生活

刑務所生活は単調だった。読書の習慣をつけていた徐は、刑務所に備え付けられていた「官本」を借りると、月20冊のベースで読み続けた。肉親が尋ねにくると、徐は読みたい本をリクエストし、毎月5冊差し入れしてもらった。

父母は3ヵ月ごとに交互で面会に訪れた。手紙も毎月1回は送ってくれた。

当時、旭川刑務所は運動日と入浴日が交互にあり、それぞれ1日おきに実施されていたという。
旭川は雪国ということもあり、1年の半分は体育館でバトミントンや卓球などをして遊んだ。冬場は「外役」がグラウンドに大きなスロープを造り、スキーやそりをするイベントもあった。夏場はソフトボールが行われた。

徐裕行「僕も子供みたいに、わいわい楽しんでましたよ」

刑務所生活で最も楽しめた日は大晦日の晩から1月3日までの間だった。ご馳走や甘いお菓子が受刑者に振る舞われ、徐にとっては一番の贅沢だった。


「刑務所は社会の縮図であり、学ぶべきことも多い施設」

当時、短期受刑者と長期受刑者は刑務作業が分けられていた。

短期受刑者の場合は、刑務所の修繕などを行う「営繕」や、雪かきや草刈り、資材の運搬を行う「外役」、刑務所からは慣れた農業で作業を行った。


(木工場)


(印刷工場)

長期受刑者は一般工場で作業することが決められ、金属工場、木工場、印刷工場、靴工場などで働いた。しかし、徐が服役してから5年後からは制度が改められ、短期受刑者も一般工場で作業するようになった。また、受刑者達は暴力団員が多く、統率力があり、皆作業態度はまじめだった。


(徐が働いた金属工場)

徐が割り当てられたのは金属工場だった。そこで金属加工や溶接の仕事を学んだ。

ある時、教官が北欧製の巻きストーブを持ち込み、これを参考に巻きストーブを作ろうと提案してきた。徐と受刑者たちはストーブを細かく採寸すると、製図を引いて制作した。
作品は刑務所製品のコンクールに出品され、賞をとるほど好評だったという。


(旭川刑務所で制作されたストーブ)

刑務作業が終わると、徐は受刑者たちと舎房に戻り、他愛のない雑談をして過ごした。受刑者たちから村井刺殺についてきかれたり、過去の武勇伝について語り合った。短期受刑者は覚醒剤事犯や窃盗犯が多かった。覚醒剤常習犯同士が、シャブ談話を始めたときはまったく話に入ることができなかった。

徐が特に魅了されたのは、50代半ばの窃盗常習犯の話だったという。男は窃盗をしながら日本中を旅しており、全国の道に精通していたという。あまりに詳し過ぎるため、”人間ナビゲーター”のようだった、という。

徐裕行「聞いていて飽きない、興味深い話が多かった」。


●徐裕行の所持金額

作業所で働くと、受刑者達には僅かながら「作業賞与金」と呼ばれる賃金が与えられた。

最初の8ヵ月間は月600円から1,000円程度しか与えられず、7,000円しか貯められなかった。しかし、それを過ぎると「作業賞与金」は上がり、最終的には月1万2,000円ほど手にすることができた。徐はこの賃金の一部と領置金を使い、本や生活用品などを買って過ごした。ただ、監獄法改正前は本の購入は月3冊までしか許されなかった。

懲役で稼いだ金は社会復帰の際に役立てるのが建前だったが、2、3年の短期刑ではせいぜい5~6万円しか貯められなかった。誰かの協力なしでは社会復帰や更生は不可能である。
12年収監されていた徐も、2300万円の負債が残されている。このまま出所しても、裕福に生きるのは大変困難な筈である。


●徐の独房拘禁



旭川刑務所の刑務官は皆親切で人情味があった、と徐は回想している。
しかし、慰問で訪問した人物によると、旭川刑務官は、受刑者たちの前では非常に恐ろしい表情をしていたという。

ある時、徐は問題行動を引き起こし、自身の不徳から独居房に収監される羽目となった。この時徐がどんなトラブルを犯したかは定かではない。本人が詳細を語りたがらないあたり、相当苦痛に感じたようだ。刑務官の怒りを買った徐は独居拘禁されることとなる。

独居拘禁には、「夜間独居房」と「昼夜間独居房」の二種類ある。
夜間独居房とは、昼間は工場に出役して他の受刑者とともに働き、夜間は一人で舎房に過ごす、特別待遇のようなものである。

「昼夜間独居」とは「厳正独居」とも呼び、受刑生活の中で問題行動を起こした者が、昼夜、独居に収監される処罰である。収容されるものは概ね次の者をさす。

①一般受刑者と共同生活することが困難なもの
②受刑者の処遇上、独居生活が好ましいと思われるもの
③取り調べ、または懲罰中のもの
④入居時新入教育、または出所前教育中のもの
⑤病棟に収容しきれないときの代用病棟として

徐は昼夜間独居に2年間、収監されることとなった。

徐が収容された独居房は三畳ほどの個室で、トイレの便器と流し台がむき出しに設置されていた。懲罰中は1日8時間そこに座ったまま過ごさなければならなかった。
一応、本や新聞、ラジオの利用はできたが、他の受刑者との接触は禁止されているため、雑談相手がいない状態で過ごさねばならない。1日おきに30分程、運動する機会が与えられたが、一人でしなければならず、孤独な日々が続いた。

監獄法が改正されると、徐は他の受刑者と一緒に運動することが認められた。声を掛けると、相手は30年以上も独居拘禁生活を続けていた。その男は嬉しそうな様子で、次のように語ってきたという。

受刑者「最近、北朝鮮からミサイルが発射され日本海に落ちたでしょう。あれはね、私が撃ち落としたんですよ」

徐によれば、男はまともな会話ができなくなっていたという。

受刑者の支離滅裂な話を聞いて、徐は長年の独房生活が祟り、精神異常になったのだと解釈した。

2年間の拘禁生活で徐は失語症、拘禁病になった、後遺症が残ったと主張している。また、この経験を引き合いに、麻原の精神異常も詐病ではなく、拘禁生活によるのものだとしている。

(当ブログは犯罪者の主張に同調するものではない。よって徐の主張について詳しい言及は避ける。)

参考文献(徐裕行のブログ2012-01-09 )(刑務所のタブー 別冊宝島社2013-03-19)
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