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2017.03.28

第19回

ニートが熱海に別荘を買った話(前編)

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ニートが熱海に別荘を買った話(前編)

 「100万円で熱海に別荘が買えるので買おうぜ」とSが言った。
 僕とSとHは京都で大学生をやっていた頃によく集まっていた仲間だ。大学を出てからもときどき会っていて、その日は新宿あたりで3人で酒を飲んでいた。
 Sが言うには、こないだ熱海に遊びに行ったとき、駅前の不動産屋で売値が100万円と書いてある物件の貼り紙を見つけたらしいのだ。
「何それ、事故物件じゃないの」
「わからん」
「一戸建て?」
「いや、マンションの一室」
「日本は人口減って地方は過疎化してるからそんなものなのかもね」
「それにしても安すぎないか」
「しかも部屋で温泉が出るらしいぞ」
「おお」
「無限に温泉に入れる」
「これを買えば熱海に行ったときにもう旅館に泊まる必要はないわけだよ」
「すごい」
「いいね」
 ちょうどそのとき僕は会社を辞めたばかりのニート状態で、働いていたときの貯金を切り崩しながら、東京や京都のゲストハウスやシェアハウスや友人の家を転々としながら暮らすという生活をしていた。
 熱海は行ったことないけれど、そんな不安定な生活をしている者としては、いざというときに住める家があったら安心だ。気に入ったらそこにずっと住んでしまってもいい。これは結構いい話なのではないか。
 とりあえずみんなで一度物件の見学に行こうということになった。2007年のことだった。


 熱海に着くと、不動産屋のお姉さんが車で物件まで案内してくれた。
 熱海駅からは徒歩15分。距離はそんなにないのだけど、物件は山の上のほうにあって、結構キツい坂を登っていかないといけない。
 急斜面をぐねぐねと蛇行しながら登っていく坂を抜けると、そのマンションはあった。鉄筋コンクリート造りの4階建て。シンプルな感じの白い建物だ。建てられてからは40年ほど経っているらしい。
 売りに出ている部屋は1階にあった。間取りは1DKで、6畳くらいのDKと、6畳の和室がある。どうも元々は管理人室だったのだけど、管理人がいなくなったので売りに出されているということらしい。
 小さな部屋だけど、こざっぱりしていて悪い印象はなかった。おばあちゃんがひとりで暮らしている団地の部屋、みたいな感じだ。
 ひとりでのんびり滞在するにはこれくらいの広さがあれば十分だろう。ビジネスホテルなどに泊まるよりは格段に広い。
 この物件の売りは風呂の蛇口から温泉が出ることだ。つまり、外に出なくても家のお風呂で温泉に入れるのだ。
 さすが温泉の町熱海、この町では湧いてくる温泉がパイプで町中のいたるところに送られていて、個人の家でも温泉業者と契約すれば自宅に温泉が引けるのだ。これは素晴らしい。無限に温泉に入りまくれる。
「ここは山の上だから見晴らしがとてもいいんですよ~。夏は花火も見えますよ!」と不動産屋のお姉さんが言った。
 一階の部屋だけど、急斜面に建っているため隣の家が邪魔になることがなくて、眺めは確かに良かった。6畳の和室の窓からは熱海の町を見下ろすように一望できて、町の向こうには青い海が広がっている。こうして見るとよく分かるけれど、熱海というのは山と海に挟まれた狭い町なんだな。
 駅から坂を登ってくるのはちょっとだるいけれど、歩くのはまあ運動にもなるし、駅から離れている分だけ静かで緑も多く、眺望も素晴らしい。悪くないかもしれない。
 物件の見学が終わったあと、不動産屋のお姉さんに教えてもらったおすすめの温泉に入りながら、3人で相談をした。
「どうする?」
「んー、雰囲気は悪くないんじゃない?」
「建物はちょっと古いな」
「まあ僕はボロくても気にしないけどね」
 そもそも僕らが学生時代に溜まり場にしていた寮は築50年近い建物だったので、みんなボロい建物には耐性があった。
 僕はその学生時代の寮を出てからもずっと、寮のようになんとなく人が集まれる空間をまた作りたいと思っていた。都会は家賃が高いのでなかなか物件を確保するのが大変だけど、こういう地方ならできるかもしれない。
「別荘ってなんかワクワクするところがあるよね」
「買っちゃいますか」
「100万だと、一人あたり33万だな」
「それくらいなら出せる」
「まあ、もうちょっと考えてから決めようか」
「はい」
「しかし温泉はいいね」
 その後結局、3人とも「買ってみよう」という意見だったので、購入することになった。
 不動産屋に「もうちょっと安くなりませんかね」という話をすると100万を90万にしてもらえた。
 熱海の法務局で手続きを済ませ、一人あたり30万のお金で、僕らは自分たちの城を手に入れたのだった。


 物件を購入してから僕は一、二ヶ月に一度、熱海で何日かを過ごすようになった。各地を転々とする放浪生活を送っていた僕としては、一つ固定した拠点を持つことは安心感があるものだった。
 なんてことないシンプルな小さな部屋だけど、日当たりや眺望はよく、ひとりで静かに過ごすにはちょうどよかった。
 一日中部屋から海を眺められるのは精神にとても良い気がする。外が明るくなったら目を覚まし、本を読んだりパソコンでネットを見たりして、一日に一回は近所を散歩し、スーパーで食べ物を買ってきて、家に帰って調理して食べる。そして自宅の風呂で温泉に入って眠る。熱海にいるときはそんな静かな日々を過ごしていた。
 熱海は花火に力を入れているらしく、年に十数回も花火大会が開催される。夏は毎週のように花火が上がる感じだ。花火は海上で打ち上げられるのだけど、それを山の上から見下ろして見るのは、「特等席」という感じがあって最高だった。
 使用状況の共有や金銭管理はネット上で行っていたので、直接顔を合わせることはあまりなかったのだけど、SやHも友人を呼んだりしてちょくちょく遊びに来ているようだった。
 別荘というものはたまにしか使わないものだから、数人で共有するという形がちょうどいいな、と思った。


 別荘を買った翌年の2008年、僕は東京の町田市でシェアハウスを始めることになる。「ネットで知り合った人が集まるようなシェアハウスを作りたい」とブログに書いたら、「部屋が空いてるので貸してもいいよ」という人が現れたので借りることにしたのだった。
 そうして、普段は町田のシェアハウスで暮らして、たまに熱海の別荘に遊びに行くという暮らしになった。
 別荘を買った時点の僕の暮らしは、できる限り所有物を減らして、持ち物全てがザックに収まるような放浪生活だったのだけど、シェアハウスという固定した家を持つようになると少しずつ持ち物が増えてきた。あと前から飼ってみたかった猫を飼い始めたのもあって、だんだんと普通に家で過ごす時間が増えてきた。
 シェアハウスを始めると、そちらのほうが面白くなってきたというのもあって、少しずつ熱海に行く頻度は減っていった。
最初の一年くらいは熱海の別荘に一、二ヶ月に一度行っていたのだけど、だんだん3ヶ月に一度、そして半年に一度くらいの頻度になっていった。別荘に感じていた初期のワクワク感がだんだん薄れていったというせいもあっただろう。


 行く頻度が減ってくると気になるのが維持費用のことだ。(後編に続く)

 

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