音楽はわたしを守ってくれる。鋭敏な目と耳をつつみこむ。不可解で、予測不可能な事象を切り離す。ジャンルは問わない。ライヒもメシュガーも美しい。わたしにとっての調和がそこにあるか、それが全てである。
まだ暗い朝にはマット・コービーを、山の中ではリチャード・ボナを、眼鏡がくもるとニコラ・ヒッチコック、家路のけだるさにはアンナ・マリア・ヨペクを。そして感情を見失ったとき、シェリル・ベンティーンを聴く。
シェリルならアルバム『Sings Waltz For Debby』がいい。彼女が『Waltz For Debby』を歌い出すころ、わたしは正しい位置に帰って涙を流す。この期に及んでわたしは、人の声に惹かれている。
ピアノの音色も好きだ。ルービンシュタインが奏でる、ショパンのバラード第一番に震えた。しかし体育館で練習したのはシューマンだった。バンドマンに誘われて、歌い出したのもこのころだ。
バンドを放り出された後は、ストリートに放られた。拾ってくれた男たちの車で、染みついたトゥパック。やがてソロキャリアを歩みだす。愛器はメイプルネックのレスポール・デラックス。ファズにこだわる。以来、五枚のアルバムを作ったが、アルコールを断ったら「作る」ことしかできなくなった。
生死をさまよい思い知る。音楽はわたしなのに、ステージはこの身体には暴力であった。あの体育館でピアノを弾き始めてから、二十年の歳月が流れていた。
わたしの音楽欲はいまだ衰えない。新しい出会いに貪欲である。出会いは音楽の中にあって、音楽は人であった。そこに太い背骨があるのなら、それでいい。わたしは人に見守られて暮らし、わたしもまるで、誰かを求めている。
【歩き旅】日程を見直しました。ゴールは五月上旬になるかもしれません。砂浜や岩場、通れなくて逆戻りなど予想以上に体力を消耗しますね。
— 青那 実沙紀 (@Misaki_Blues) 2017年3月25日