2017-03-27

死んでも代わりはいくらでもいるという現実

上司が死にました。

突然でした。

会社に来たら「昨晩亡くなりました」と。

隣のチームの上司だったけど、大して仲良くもなく、仕事で絡むこともなく、それまで会話という会話はしたことがないけれども、それでもやはり驚きました。

過労死ではないとは思うけども、そこそこ多忙仕事でした。

月に2回程度の国内出張に、3ヶ月に1度くらいの休日出勤代休なし)、残業時間は月60時間くらいでした。

いわゆる過労死判定される80時間には届いていないので、過労死と訴えられることはないと思う。

それだけ働いていた人だから、さぞいなくなったあとは大変だろうと思われるだろうけども、

確かに後任の人が来てその人が慣れるまでの一ヶ月くらいは同じチームの人たちは大変そうだったけども、

後任の人が慣れてからは「亡くなった」という事実すら忘れ去られるくらいに何事もなく仕事が回るようになった。

結局、どこかのアニメであったセリフ、「私が死んでも、代わりはいもの」は真理なのだ

余程名の売れている漫画家とかスポーツ選手とか芸能人でもなく、単なるサラリーマンである場合は、その人の仕事なんてその人が死んだら別の人がやるだけで、いくらでも代わりがいるのだ。

から仕事のために無理をしてプライベート健康犠牲にしたりするのは無駄以外の何者でもない。

「この仕事は俺にしかできないんだ!( ー`дー´)キリッ」などといって、気張って無理をするのもいいけれど、結局自己満足で、自分しかできない仕事なんてそうそうこの世の中にはない。

遊んだり、家族時間を過ごしたり、友達と笑ったり…そういう時間は、自分しか過ごすことのできないかけがえのない時間だ。

仕事プライベート、どちらが大事なの?」なんていう、使い古された命題は、

死んだあとも何事もなかったかのように回る職場を見て一定の答えを得た気がする。

本当に、上司は死んだんだろうか。

上司が死んだと思っているのはその上司家族だけなのではないだろうか。

同僚である私達にとっては、後任の人が普通にその上司がやっていた仕事をこなしてくれているので、

上司が死んだ」のではなく「上司が異動した」という感覚しかならない。

あんたが死んでも代わりはいもの

「私が死んでも代わりはいもの

人間なんて、そんなもんだよなー。

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