序章
私にとって海外旅行は25年ぶりだ。
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27年前、病気入院を2回(2週間と3週間)した。
連日、40℃超の発熱と脱水症状によって朦朧となり(5kg減)、
あるいは痛みに悶え苦しみ(10kg減)、ああ、もう死ぬのだ。
はかない人生であった。
遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけん。
不十分、無念、と思った。
入院中に何冊かの本を読んだ。
その中のひとつに、D.カーネギーの「道は開ける」があった。
その一節、
に深く感銘。
そうだ、どうせ死ぬのだから、思い切って旅に出よう。
もしかしたら死中に活路を見出すかもしれぬし、死んで もともとだ。
美空ひばりが歌っているように『 捨てて、立つ瀬を越えもする 』のではないか。
その頁に書かれていた 無謀ともいえる船旅、そして「重篤な病状」からの快癒。
まさに、これだ!と思った。
同室の人(私より症状が重く、深刻に悩んでいた入院患者さん)にも、この一節を読んでもらった。
彼いわく 「いいけど、これは金が要るよね」。
現実だ。金がない。
船で世界一周など夢のまた夢。永遠に不可能、永遠のゼロ、だ。
しかし、そういった思い切った気分転換が必要、ということは思った。
悩むは愚か。やってみなはれ!
その1年後、私は(長期船旅ではなく)かねて念願の「海外スキー」に行くことにした。
かなりのスケールダウンだが、私にとっては超豪華版。 給料の4か月分を費やしての年末年始、スイス、フランスへの旅行だ。
ツェルマットではゴンドラ終点の標高3820mから標高差2200mをプルークボーゲンで滑り下りた。(初心者か)
シャモニでは一人でスキー場に行って、滑った。
ゲレンデの食堂に入ったらアジア人は私一人であった。
もう、これで良い。と思った。 天上天下 唯我独身。
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しかし、せっかくの大教訓も、その後、それを生かすことなく、体調も崩した。
仕事はあほらしさを増し、汲々と多忙さに埋没し、休日も職場に行くことが増えた。ヤミ出勤。
退職前の数年間は年末年始(大晦日、正月)も職場に一人いた。
給料は14年間、下がり続けた。
辞めたかった。
しかし、できなかった。
私は愚鈍で、しかも怠け者。
仕事ができない。できない仕事を片付けねば、辞めるに辞められない。
毎日毎日「辞めたい、辞められない」と自問する日々が何年も続いた。
最後は職場放棄のように仕事を辞めた。というか放逐。最悪の状態であった。
辞めたあとも毎日、仕事の悪夢を見た。 失敗したり、締め切りに追われたり、困難な出来事に深く悩んだりする夢だ。
もう、いいかげんにしてくれ!
私は自由だ。
あの薄給で、誰からも評価されることなく、虚しいだけの仕事は、もうしなくてもいいのだ。
職場を逃げ出したのだが、もう追いかけられることもない。
私は自由なのだ。
今は何をしよう。
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そうだ、27年前に「夢のまた夢」と思った船旅。
それが今なら可能ではないか。
時間はある。
金は十分ではないが、わずかばかりの貯金(ただし、当座の生活資金)がある。
豪華客船にはまったく足らないが、外国船の安いのを探せば何とかなるのかもしれない。(甘い考えだが)
しかし、外国語ができない。英語も全くできない。
日本語すら怪しいが、かろうじて話せる。
ならば、日本船。
比較的に安いピースボートというのがある。
外国船籍だが旅行主体は日本の団体、会社のようだ。
なに? 129万円から?
これなら私の蓄えでも行ける。(行ったあとは、時給770円で働こう)
そう考えて、説明会に行ったり、港で船を見たりした。
乗船者のブログや航海記も読んだ。
どうにも胡散臭い。
しかし、安い。
(WEB上には「安くない」との書き込みもある)
はたして、どうなのか。
思い切って、行ってみればいい。
しかし、105日、108日だ。長いぞ。
躊躇した。
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ん? ショートクルーズ?
これなら、数日間の辛抱だ。 人間、お辛抱。
辛抱の「しん」は「おしん」のしん。
25年ぶりに海外旅行に行こう!
(と、PB2015春ショートクルーズ9日間を申し込んだ)
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9日間の旅行ではあるが、外国は台湾1日だけだ。
(下に続きます。 スクロールしてください。)