17日、出張から帰る飛行機の中で、詩人デレック・ウォルコット氏が87歳で死去したことを一足遅れで知った。ウォルコット氏は1992年にノーベル文学賞を受賞したセントルシアの詩人だ。「セントルイスでなくてセントルシア?」…ほとんどの人にとっては名前を聞くのも初めての、カリブ海の貧しい島国だろう。聞き慣れないという点ではウォルコット氏という詩人についても同じだが、英米圏の人々にとっては、オバマ前米大統領との縁が少し知られている。大統領選挙が終わり、当選が確定した時、オバマ氏はウォルコット氏の詩集を持ち歩いていた。ウォルコット氏の母親はアフリカから来た黒人奴隷の出身だった。
勝手な連想だが、ウォルコット氏の訃報(ふほう)で日本人作家・村上春樹氏の名前が思い浮かんだ。新しい本を出すたび韓国でも話題や議論を呼ぶ村上春樹氏は今、次の2つの点で騒がれている。1つは新作小説『騎士団長殺し』の韓国での契約金が20億ウォン(約2億円)に達するだろうという出版業界の予想で、もう1つは村上春樹氏のノーベル賞受賞「念願」だ。作者にとっては侮辱になるかもしれないが、この小説に登場する日本の南京大虐殺の告発に関連する内容は、そのための布石だというのだ。
文学は他人との競争ではなく自分との戦いだ。一定基準以上の芸術的成就のため優劣を判断するのは本質的に不可能に近い。しかし、受賞者を決定しなければならないのが賞の宿命だ。それならば、「政治的に見て、より適切な作家」が好まれるというのが、こうした主張の根拠だ。