本棚にねこまんま

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ねこ と ごはん

書を捨てよ、ブログを書こう

雑記 雑記-ブログ

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本が捨てられない

私は元来、片付けられない種類の人間だった。
捨てるのも苦手。
特に本が捨てられなかった。

いつか必要になるかもしれない。

いつか捨てたことを後悔するかも知れない。

そう思うとなかなか捨てる決意ができず、実家では親を困らせていた。
今でも実家に帰るたびに必ず話に上がるのが「ジャンプ事件」である。
溜め込んだ過去2年分の週間少年ジャンプを母親に勝手に捨てられ、当時反抗期真っただ中の私はブチ切れた。
そして怒っただけではなく、ゴミ捨て場から持って帰ってこさせた。
「エキサイトして手がつけられなかった。」と当時を振り返って母は語る。
なぜあれほどまでにジャンプに執着していたのかは今では理解しがたい感情だ。
申し訳ないことをしたと思う。
反省もしている。
今なら親の気持ちも痛いほど分かる。

だから、彼氏に私の悪行の数々を語るのはやめて欲しい。

青ざめる娘の気持ちなど知らずに私がいかに態度の悪い少女時代を送ってきたか意気揚々と語る母。
私だったらそんなジャンプ女は願い下げだ。
断固返品だ。
ちなみに姉も同じ仕打ちを受けたらしい。
破局したらどうするつもりだ!と抗議したいところだが、母は空気が読めないだけで悪気はないのだ。
躊躇なく自分の娘の☆1評価を連投する母には悩まされたものの、姉妹そろってちゃんとその相手と結婚できた。
結婚前に自分が良い人間じゃないことを暴露されている分、取り繕うことのない夫婦生活はとても楽である。
おすすめはしないけれど。
悪い評価レビューだけを嫌というほど聞かせられても、結婚してくれた旦那には足を向けて寝られない。

かっこいい本の捨て方

このように本が捨てられなかった私も、今では定期的に本を捨てられるようになった。
実家を離れ、3度も引っ越しをするうちに、一人が所有できる荷物の量はそんなに多くないのだと思い知ったからである。
手放してもまた買えばいいという金銭的な余裕も大きい。
そして私の「捨てること」の価値観をがらりと変えたのは、ある本好きの友人の話である。

あるとき電車で読んだ本があまりにも気に入らなかった。
普段ならば売り払うものの、持っているのも嫌だった。
1秒でも早く手放したかった彼女は、降りた駅のゴミ箱に本をぶち込んで帰ったという。

なんという豪快さだろう。
そんな彼女はカラーボックス一つ分しか本は持っていないらしい。
読んだらすぐに売ってしまうのだそうだ。
でも大好きな本だけは何度も読み返し、気に入った表現に線を引き、書き込みをし、ボロボロになるまで愛している。

人を惹きつけるような内面の豊かな人物ほど、所有物に囚われない生き方をしている。
捨てることを恐れない彼女は、まるで映画の主人公のように沢山の魅力の持ち主だ。
対する中身がすっかすかな私は、所有物で自分の空虚な中身を埋めようとしていたのだと思い知った。
だから捨てることが怖かったのだろう。
自分の一部まで落っことしてしまいそうで。

本を捨てるためにブログを書くということ

彼女のように格好良く本を捨てられる人間になりたい。
そのために心がけていることは2つだ。

1・自分の中に丁寧に感想を抱くこと
面白かったなぁ、だけではなく、どこが面白かったのか。
結末後の物語はどう進むか、あの場面で違う行動をとっていたら、など本を閉じたらそれで終わり、にはしないようにする。

2・アウトプットすること
日記に書く、人に話す、絵として残すのも良いと思う。
情報を読み込んだだけでは長期的に記憶に残すことは難しい。
時間がたてば消えてしまう短期記憶から、時間がたっても消えない長期記憶に変化させるには、アウトプットが1番である。


この2つを心がけることで、本を手放してもちゃんと自分の中に残っていくはずだ。
そういった感想の吐き出し場所の一つとして、このブログを始めた。
本を捨てるために、また、新しい本に出会うために。
本の感想ブログというのがブログ開設時のテーマだったが、今ではブログを通した人との出会いが楽しみだ。

人間関係に疲れて会社を辞めてしまった私は、のんびりと家に引きこもって過ごす毎日に多少なりとも後ろめたさがある。
いつまで働かずにいるつもりなのか。
どうして上手くやれなかったんだろう。
何がしたいのか、どこに向かおうとしているのか。
答えのない自問自答を繰り返しながら、じっとパソコンの画面を見つめる。
小さな画面の向こうで、ネットの広大な海原を越えて、誰かの生活の息遣いが温かく感じる。
山と田んぼに囲まれた田舎育ちの私にとって、夜の高速バスから初めて見た東京の街の明かりは眩しかった。
その一つ一つが命の群生だと思うと身震いがした。
はてなブログという読み切れないほどのブログの渦にもまた、同じように命の灯が宿っている。
指先一つで誰かの生活の欠片が垣間見える。
嬉しいこと、悲しいこと、特別な日、何でもない日。
どこかで誰かが自分と同じ今日という日を過ごしている。
そう思うだけでなんとなく嬉しい。

悩みたいだけ悩む時間も、好きなだけ好きにやる時間も、きっと私の中に降り積もってゆく。
すっからかんだった私の中身が満ちるまでには多少時間がかかりそうだが、その時にはもうちょっとマシな文章が書けるようになっていたいものだ。

おわりに

本棚に収まりきらない本を捨てるぞ!って意志表明しようと思ったら、予想外に真面目な自分語りをしてしまってちょっと恥ずかしい・・・。

いつの間にか読者様が100人を超えておりまして、嬉しい限りです。
いつもありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。