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民意を忘れたカナリヤか

 投稿者:感性  投稿日:2017年 3月26日(日)19時19分53秒
  >大阪府議会、百条委設置否決へ
http://jp.reuters.com/article/idJP2017032401001709

府議会自民党や府知事まで求めている百条委員会を頑なに反対し否決ですか。
見え透いた後付理由なら誰にでもできます。
不可解な行動は逆に物事をわかりやすくしてしまうことを御存じない
ようですね。

社会的正義や起用褒貶や利害のないことを信じ、誇りを持ち
手弁当で支援する名もなき大勢の人たちの存在を忘れた時点で民意を忘れたカナリヤ
になってしまいます。

根回しが入ったか?   投稿者:感性   投稿日:2017年 3月13日(月)17時04分8秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66088
 

データから見る新・人間革命を皆さんで構成してみては?

 投稿者:びんびん勃樹  投稿日:2017年 3月26日(日)19時09分11秒
  パンプキンも悩んでしまう展開の新・人間革命(笑)

昭和45年言論出版事件から創共協定、昭和48年正本堂建立から御供養返還訴訟、妙信講(現在の顕正会)問題、昭和51年月刊ペン事件から第一次宗門事件、昭和55年正信覚醒運動から宗門・学会の関係修復、そして昭和61年悪党の胎動による第二次宗門事件、平成8年信平問題から四月会、自民党の謝罪、自公連立時代、そして隠され続けてきた池田大作スキャンダルの系譜暴露。弟子がしっかりした社会事象と事件の沿革、結果と参考文献をまとめていかないと、どうでもよい無残な創価学会員の歴史となります。

断っておきますが、組織のためではなく、置き去りにされた第一、第二次の理由も分からず脱会・退転していった会員のためにです。

どうでしようか?
 

日蓮仏法2.0様

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2017年 3月26日(日)18時54分26秒
  ご趣旨了解しました。

管理人様、
失礼致しました。別スレ作成要望取り下げさせていただきます。
 

管理人様 投稿者:見込みない人びと

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 3月26日(日)18時38分6秒
編集済
  こちらでブログの設定の可能性をトライしましたが・・・。
それでこのままフェースブックのページで行きたいと思います。投稿者は新たに匿名・偽名・仮名でフェースブックに登録できるはずですので、その名前で投稿できると思います。トライしてみてください。よろしくお願いします。リンク先です。
https://www.facebook.com/%E6%97%A5%E8%93%AE%E4%BB%8F%E6%B3%9520-1859368314304141/
 

フール・オン・ザ・ヒル

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月26日(日)17時51分44秒
  一週間たったのでいいいかな……と、『週刊金曜日3・17号』氏家さんの寄稿です。キツイことを言われています。

「弾圧する側に回れば安全とでも考えるのは早計である。ナチスの全権委任法に消極的に賛同したカトリックの中央党はその後、すぐさま命脈を絶たれることになったからだ」

「民衆の側に立つのか、それとも国家の側に立つのか……。『目を覚ませ』と言いたい。アイヒマン宜しく巨悪翼賛を繕う『しかたがなかった』の弁明では、はじまらない」

映画『ダイ・ハード』で、優秀なビジネスマン気取りでテロリストと交渉して殺された愚か者を思い出します。

仏法は《法則》なのです。ただの思想ではありません。ある幹部が「宿命転換なんかないかもしれんけど、俺は前向きやで」と訳の分からんことを言っていましたが、「宿命転換」は確かにあります。《法則》ですから。前向きになるだけなら信心なんかしなくてもいい。『少年ジャンプ』を読めばいい。《法則》だから頼もしくもあり恐ろしくもあるのです。
(もし見ていたら、岡山座談会に来られていた闘病中の方にこの真理を再認識して欲しい。激励とはいうが、気休めや慰めで言うのではありません。ただ「真実」です。)
池田先生は「しかし法は正しい」と言われていました。ガリレオの「それでも地球は回っている」を思い出しました。
それをエリートと呼ばれた奴らはバカにしている。本当に愚かなのはどっちだろうか?

“先入観の無い眼が真実を見る”
“彼には地球が回っているのが分かる”
“頭は雲を越え 外から地球を見る”
“其処から発せられる声は 千の言葉で紡がれ 大きな声となり響き渡る”
“でも 誰も理解出来ない 或いは聞こうともしないのだ”
“地動説を唱える彼を嫌う人間は多い”
“彼が何を望むか知っているがそれをさせてやるつもりは無いようだ”
“真実を見る眼が外側から地球を見る”
“彼には地球が太陽を中心に回っているのが見える”
“彼はもう決して多くを語りはしないだろう”
“分かっているのだ 誰が本当に愚かなのかを”
『フール・オン・ザ・ヒル』ビートルズ
https://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月26日(日)16時43分37秒
  性格(キャラクター)というのは、ギリシャ語の彫刻とか印象という言葉から出ている。いわば刻みつけられたものです。たしかに、性格も体質も、医学的に見れば遺伝的に刻みつけられ、決定されている部分もあるかもしれない。しかし、それがわかったからといって、何になるものでもない。今、現実に生きている中で、どのように向上していくかが問題です。  

管理人様

 投稿者:見込みない人びと  投稿日:2017年 3月26日(日)14時24分32秒
  日蓮仏法2.0様が、その著書や内容に関する建設的な議論の場を求めていらっしゃいます。
facebookページが用意されているものの、実名でしか参加できないため、宿坊板にて「日蓮仏法2.0
3.0を語る」等と題した専用スレッドを作っていただけないでしょうか?メインスレでやると迷惑に
感じる方もいらっしゃると思われるので。
 

食法餓鬼_食票餓鬼

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 3月26日(日)12時25分40秒
  中国の戦国時代(475–221 B.C.)の頃のお話です。ジン・ホウ(Jing Hou)という高官が魏の国の王子を訪れました。

ジン・ホウは、この日のために、特別にしつらえた豪華な服を身に付け、腰には光輝く石が埋め込まれた刀剣を差し、

肩には宝石で飾られた首飾りをぶら下げていました。国宝級の装飾品を身に付けた彼は、

誇らしげに魏の宮殿に入っていきました。

続きは・・
http://www.epochtimes.jp/2017/03/26961.html
 

未来の経典には、「食票餓鬼魔」と記される!!

 投稿者:おおぐろ  投稿日:2017年 3月26日(日)11時31分58秒
  ツイッターで面白いつぶやきを発見した。

「公明党の議員は『食法餓鬼』ならぬ『食票餓鬼』
支持された人たちの思いを裏切り保身に走る人たち。
そのくせ『票』だけはほしがる。

「『食法餓鬼』ならぬ『食票餓鬼』とは、言い得て妙ですね!!
詐称“創価学会仏”の正体は、『食票餓鬼』だ!!!」

「食法餓鬼」とは、文字通り、「法を食らう餓鬼」。具体的には、
・出家であれ、在家であれ、言説巧みに「法」を利用し、「法のため」を装って自身のみの繁栄を図っていく者。
・地位や名誉のために「法」を勝手に悪用した者
・正法を説き、大義のために奔走していたように見えても、心は名聞名利で退転し、「民衆のため」「社会のため」という尊い精神を失っていった者
・正義を演じつつも、実は名声と富を貪らんがためにのみ行動する者
・政治や社会事業、学問や芸術、医学等に携わり、本来、社会の進歩や民衆の幸福に貢献すべき立場にありながら、善意の庶民を食いものとし、自己の営利栄達のみに腐心する者
のことを言う。

ここから考えると、「食票餓鬼」とは、「票を食らう餓鬼」。
・「票」を利用し、「票のため」を装って自身のみの繁栄を図っていく者。
・地位や名誉のために「票」を勝手に悪用した者
・本来、社会の進歩や民衆の幸福に貢献すべき立場にありながら、善意の庶民の票を食いものとし、自己の営利栄達のみに腐心する者
と定義されるであろう。

未来の経典には、きっと、「21世紀の日本に、『創価学会仏』と詐称する『食票餓鬼魔』が現れた」と記されるであろう!!

池田先生は、「食法餓鬼」について、次のようにスピーチしています。

……………………………

 さて、ここで「食法餓鬼(じきほうがき)」について、少々論じておきたい。これは、小乗教の阿含部にあたる「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」に説かれた36種の餓鬼の一つで、「法を食する餓鬼」の意である。同経には「不浄の法を以て人の為に宣説(せんぜつ)し、財を得て自供(じぐ)せるも布施を行わず、蔵を挙げて積聚(つ)み、是の人、此の嫉妬覆う心を以て、命終りて悪道の中に生まれ、食法餓鬼の身を受けたるなり」とある。
 つまり、衆生に不浄の法を説き、財を得ても人には施さない。富を積んで、嫉妬の心に覆(おお)われているゆえに悪道に堕した生命といってよい。

 日蓮大聖人は「四条金吾殿御返事」で次のように仰せである。

「食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人・我は法を説けば人尊敬(そんぎょう)するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり衆生をたすけず父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり」(1111頁)
 ――食法餓鬼という餓鬼は、出家となって仏法を弘める人の内、自分が法を説けば、人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって人よりもすぐれようと思って今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない人を食法餓鬼、つまり、法を食らう餓鬼というのである――と。

 更に、「当世の僧を見るに人に・かくして我一人ばかり供養をうくる人もあり是は狗犬の僧と涅槃経に見えたり、是は未来には牛頭(ごず)と云う鬼となるべし」(1111頁)
 ――当世の僧侶を見ると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は、狗犬の僧と涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭(頭が牛で、身体が人間)という鬼となる――。

「又人に知らせて供養をうくるとも欲心に住して人に施す事なき人もあり・是は未来には馬頭(めず)と云う鬼となり候」(1112頁)
 ――また人に(法を)知らせて供養を受けたとしても、欲心に住して人に施すことのない人もある。この者は未来世に馬頭(頭が馬で、身体が人間)という鬼となる――。

 ここまでは出家の僧侶についての御文と拝される。
 大聖人は続いて、在家の門下に対しても、こう御指南されている。

「又在家の人人も我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて苦患(くげん)をうくるをば・とぶらはずして我は衣服(えぶく)飲食(おんじき)にあきみち牛馬眷属・充満して我が心に任せて・たのしむ人をば・いかに父母のうらやましく恨み給うらん」(1112頁)
 ――また、在家の人々でも、父母が地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちて苦しみを受けているのを弔(とむら)わないで、自身は衣服、飲食に飽き満ち、牛馬、眷属は充満して、自分の心に任せて楽しむ人を、どれほど父母に羨み恨まれるであろうか――と。

 そして大聖人は、こうした餓鬼の本質を鋭く喝破され、「形は人にして畜生のごとし人頭鹿(にんずろく)とも申すべきなり」(1112頁)
――形は人間であっても畜生のようなものである。人頭鹿(表面は人間のようだが、心は醜い獣のようなもの)ともいうべきである――と仰せになっている。

 正法を説き、大義のために奔走していたように見えても、心は名聞名利で退転し、「民衆のため」「社会のため」という尊い精神を失っていった者がいた。
 また、正義を演じつつも、実は名声と富を貪らんがためにのみ行動する者もいた。それは、まさに「形は人でも、本質は畜生」という醜悪な「餓鬼」の姿に他ならない。出家であれ、在家であれ、言説巧みに「法」を利用し、「法のため」を装って自身のみの繁栄を図っていく者は、要するに「法」を食いものにする邪心の徒であり、「食法餓鬼」といわざるをえない。

 仏法は峻厳である。地位や名誉のために「法」を勝手に悪用した者が、厳罰を受け、やがて悪道の苦海に沈むことは必然であり、これほど恐ろしいことはない。

 また、敷衍(ふえん)していえば、社会にあって政治や社会事業、学問や芸術、医学等に携わり、本来、社会の進歩や民衆の幸福に貢献すべき立場にありながら、善意の庶民を食いものとし、自己の営利栄達のみに腐心するのも、広義の意味で「食法餓鬼」といえるかもしれない。

【第9回全国青年部幹部会 1988-10-29 創価文化会館

……………………………

「自身は衣服、飲食に飽き満ち」との一節から、グルメレポートばかりしている某衆院議員の顔が浮かぶのは、私だけか?(笑)

 

師匠軽視の商業主義

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 3月26日(日)11時30分2秒
  昔、人間革命で描かれていて、強い印象を私の中に残した、あるシーン。

池田先生と弟子達の、懇談のシーン。

聖教新聞の啓蒙に、マスコミを利用すべきではないか、という弟子の質問に対し、

先生は、明確に否定されていた。

故に現在のような、テレビ、ラジオを使っての啓蒙は、

厳密に言えば、師匠軽視。

商業主義に毒され、次第に信心を捨てていく機縁となった。

 

ドミサイル様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月26日(日)11時25分47秒
  ご指摘ありがとうございます。
そうです!間違えてました。表紙が和泉副会長の写真の「指導の泉」です。
訂正しました。

辻副会長*和泉覚副会長*柏原ヤス女史*総務会等の人達は、確かに草創期を支えた重鎮であり功績もあります。
けれど54年を境に、悲しいかな浅はかな人の生命(いのち)は変わってしまったんですね。

池田先生の お側に付く沢山の者達の中に、声を上げる人が何故いなかったのか?
お側に付けない大勢の会員達は、「池田先生」を求め続け声を上げたのに…

声を上げず宗門に迎合した者達が、今の執行部を牛耳ってる怖さを、会員達は目を覚まし感じ取らなければいけないと強く思います。

 

わが友に贈る 2017年3月26日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 3月26日(日)11時19分53秒
  「いつかやろう」では
永遠に「時」は来ない。
「よし今、やろう!」
決意即行動の人が
栄光への突破口を開く!
 

謝謝・・感謝です

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 3月26日(日)10時52分36秒
  「女性と教学について」 ゴメン  

指導の泉は和泉覚副会長@牧口門下

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月26日(日)10時07分46秒
  の作品ではないでしょうか?ところで、辻副会長、和泉覚副会長、柏原ヤス女史等の牧口門下生、4.24追放劇に積極的に加担はしないまでも、池田先生を護らずに傍観者でいたと云う証言があります。  

大山様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月26日(日)09時34分57秒
編集済
  おはようございます。
54年4月24日当時の私は、学生卒業→働き始めた時で、座談会以外の会合に余り参加できずにいたのですが、地区*支部の幹部達が不可思議な離れ方で去っていきました。
我が家を拠点としてた両親も『えッなんで!?』の突然だったらしく、それまで一言も「宗門崇拝」や「池田先生中傷」の言葉は無かったようです。

けれど今朝の大山様の投稿を読んで、54年以前の事を思い出すと、学生の私の目から見て「戸田先生」や「和泉副会長」の名前を良く耳にしてたと思います。
そして第二宗門の後に長期で入院した事があって、その時に初老の幹部が「指導の泉」和泉副会長の本を持ってきたんですょ。
私にしたら和泉会長?知らんし…って感じでした。

写真集や「復刻版*創価教育学体系」にしても、54年からは人事権も全て剥奪されていた池田先生ですので、総務会(執行部)が勝手にしたんでしょうね。
広宣流布に向かって進む組織で、何か異様なものが蠢いていた気持ち悪さを感じます。

そして大白4月号…第26章は未だ続くとありましたね。
初代*牧口先生・二代*戸田先生が居られたから、池田先生が誕生されたのは確かな事実ですが、初代*二代の夢を全て実現させ世界広宣流布を大きく推し進めたのは、池田先生お一人なんです。

「ノスタルジー」…過ぎ去った時代を過大に懐かしむ心は、必ず組織破壊の綻びに繋がり後退の道に外れます。
大山様が書かれてた様に「あの組織信仰への道程を突き進んだ時代」には、決して戻らぬ様に阻止しなくてはいけませんね!

 

【女性と教学について】5/5

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月26日(日)09時08分22秒
  男性と女性は体力も違うし、資質も違います。
その違いを認めたうえで、助け合っていくことが大事なのです。

わずかなことに気づく心遣いがあれば、強い弓によって放たれた矢のように、男性は力を発揮していきます。

女性は矢が戻ってきた時にしっかりケアをして、さらに力を蓄えさせればいいのです。

その方法は各家庭によって違うと思いますが、少なくとも
感情的な喧嘩などでエネルギーを使う事ではないと思います。

女性も大いに言葉に出して、確認していけばいいのです。

以心伝心なんてものは、すれ違いや勘違いの元です。
そうなるために教学を身につけていく必要があるのだと考えます。

女性が教学で立てば、何ものにも洗脳されなくなり、主体性を持った魅力的な女性になるのです。

妙法を持ち「信・行・学」の三つを実践する女性こそが、
男性をもしのぐ、偉大な女性になっていくのではないかと思います。

ただし「三従」の鉄鎖を断ち切るには、大聖人が女性の弟子(池上宗長の女房)に語った

「たとえ夫から殺害されるようなことがあっても後悔してはなりません。
婦人たちが力を合わせて夫の信心を諌めるならば、竜女の跡を継ぎ、

悪世末法の女人成仏の手本となられることでしょう(通解)」(一〇八八頁)

と厳命しているように、

強盛な信心を貫くことがもっとも大事であることはいうまでもありません。

最後に、池田先生の確信の言葉を記して終わります。

――聡明な女性の周囲には「平和」と「和楽」の勢力が、だんだんと、出来上がっていく。
日蓮大聖人は「女子は門をひらく」(一五六六頁)と仰せである。

広宣流布の永遠の前進にあって「福徳の門」を開き
「希望の門」を開き「常勝の門」を開くのは、女性である――。

(輝きの人間世紀へ・聖教新聞社刊)



― おわり ―
 

【女性と教学について】4/5

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月26日(日)09時07分24秒
編集済
  先ほども述べましたが、

女性の心は縁に紛動されやすく、環境や他人の心に、
自己の人生を左右される傾向が強いことを、象徴的に示したものが「三従」です。

だからこそ、教学に基づいて〝正確な判断〟が出来る力を持つことが、
もっとも大事な幸福への条件と言えるのではないでしょうか。

大聖人は

「女性というものは物に随って、物を随える身である(通解)」(御書一〇八八頁)
と語り、夫婦は互いに助け合っていくべきことを教えています。

また「男の所業は女の力による(通解)」(御書九七五頁)とも述べています。

考えてみれば、女性には〝男性を動かす力〟があることも事実です。

女性を自律した主体者として育て、
女性本来の使命に目覚めさせることによって真の幸福境涯に導いていこうと、

大聖人は考えていたのではないかと思います。


池田先生は

「女性には、生命というこの世でもっとも尊い存在を守り、
防衛していこうとする、本能的なものがある」(「人生抄」聖教新聞社刊)

と述べ

「女性は生命を産み出すがゆえに、その生命を男性よりもいとおしみ、
生命を破壊する闘争、戦争を、より嫌うという特質がそなわっているように考えられる」(同)

と、女性の特性を分析しています。さらに

「女性は虚栄心はあっても、野心はない。むしろ夫の社会的野心に対しては、
極度に憶病で嫌悪の念すらもっている。じつに、平和主義者はこうでなくてはならない」(同)

と珠玉の言葉を残しています。
 

【女性と教学について】3/5

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月26日(日)09時06分42秒
編集済
  また、三従とは「幼い時には親に従って思うようにならず、

成人となってからは夫に従って思うようにならず、
年老いたときには子に従って思うようにならない。

このように幼い時から老年に至るまで、この三人に従って思うようにならず、
思ったことも言えず、見たいことも見ることができず、聞きたいことも聞けない(通解)」(御書五五四頁)

ということです。これが外典の教える三従です。

経典から見る女性の地位(五障三従)を見ていくと、
内典・外典ともに女性がいかに嫌われているかが分かります。

中国の人物で孔子と問答した「栄啓期」という人は、
人生の三つの楽しみ(三楽の事)の中で、女性と生まれないことをもって、一つの楽しみとしています。

要するに、爾前経では「女性の成仏」は、絶対に不可能だということです。
その限界を打ち破り、女性の成仏を可能にしたのが「法華経(提婆達多品)」なのです。

その法華経に命を賭して身読した大聖人は、

女性門下に対して、女性が持つ「偉大な力用」を教え生涯をかけて説ききっていったのです。

もし世の中のすべての女性がこの日蓮教学を真剣に学び、真実を極めていく実践をすれば、
少なくとも法華経を除外した宗教(宗派)には、女性は居なくなるでしょう。

男性は女性に比べて、安逸さや名聞名利にとらわれる命の傾向性がありますから、
その事実を知っていても女性には言いません。

なぜなら、宗教界の指導者層は、そのほとんどが男性社会だからです。

しかし見方を変えて、女性が忌み嫌われる理由を考えていけば、様々な要因が思い浮かんできます。

一つは、古代社会から封建社会を通じて、男性中心の社会制度や
家庭制度が築かれていく背景の中で、いわれなき蔑視と差別を受けてきたことが考えられます。

女性はそうした蔑視と差別によって、自信を失い、人間としての誇りも失っていったのではないかと思います。

二つ目は、女性特有の三毒(貪・瞋・癡)に流されやすい性格も、
女性みずからが低い立場に押しやる結果になったとも考えられます。

たとえば、鬼子母神に象徴されるように、我が子のためには
他人の子を犠牲にしても仕方がないという利己主義は、時代を超えて共通するものがあります。

すべての生命に普遍的な慈悲を説く仏法から見れば、これらの利己的傾向はまったく相容れないものです。
 

【女性と教学について】2/5

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月26日(日)09時06分2秒
  池田先生は女子部に向けて

「流されやすく、弱い自分の境涯を決然と乗り越え、強く、生きがいのある自分になるのだ」
(池田大作全集一三七巻「女子部の躍進を喜ぶ」)

と語り

「自分自身の一生の土台を築きゆくことだ。
この青春の羅針盤こそ『教学』にほかならない」(同)と述べています。

そして

「『教学を学びぬいていくことである』と恩師は叫んだ。もしも、教学がなければ、
正邪善悪が見えない。最高の人生の大道、正義の師弟の道がわからない。

それでは何が幸福なのかわからない。結局、幸福になれない。
正しい仏法の眼を磨く修業が教学である。

だからこそ戸田先生は、慈父の如く『女子部は教学で立て!』と
繰り返し繰り返し指導していかれた」(同)

と訴えました。

では、仏教の経典に描かれている「女性の地位」というものはどうだったのでしょうか。

今度はそれを見ていきたいと思います。

大聖人は「法華経以外の経では、すべて(男女)成仏することはできないうえ、
とりわけ女人成仏については、法華経以外はまったく許されていない。

むしろ爾前教の諸経で女人は、はなはだしく嫌われている(趣意)」(御書四七二頁)

と述べています。たとえば、華厳経には

「女人は地獄の使いであり、仏になる種子を断つ。
外面は菩薩に似ているが、内心は夜叉のようである(趣意)」(同頁)。

また、銀色女経には

「三世の諸仏の眼は大地に落ちることがあっても、
諸々の女人は永久に成仏することはない(趣意)」(同頁)などです。

さらに大聖人は

「女人は五障三従の罪が深いといわれる。それについては
内典には五障を明かし、外典には三従を教えている」(同頁)と述べています。

この「五障三従の罪」を簡単に説明すると、五障とは五つの障害という意味で

「一には梵天王と作ることはできない。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身」

の五つです。

つまり、女性はどんなに努力し、頑張ったとしても五つにはなれないということです。

現代に置き換えれば、政治的、社会的な分野で指導的な立場やトップリーダーにはなれないということに通じます。

ちなみに「魔王」になれないというのは、魔といえども
大きな勢力を持つことから、そのような勢力を持てないという意味です。

これが内典(仏法)の「女人不成仏」の象徴とされてきました。
 

【女性と教学について】1/5

 投稿者:大仏のグリグリのとこ  投稿日:2017年 3月26日(日)09時05分20秒
  庶民の幸福を願い続けた日蓮大聖人は、男女の隔てなく、
実に多くの弟子たちに〝消息(手紙)〟を通して信仰の真髄を教えていきました。

その一つ一つを拾い上げて見ていくと、インド・中国・日本の歴史や、
仏教説話を自在に駆使し、生きる智慧が留められ、

眼前には壮大なる日蓮仏法そのものが広がっていることに気づきます。

学会指導には、戸田先生の「女子部は教学で立て!」という指針がありますが、
これは女性だけではなく、男性にも共通して言えることです。

とは言うものの、

戸田先生はなぜ女子部に対して「教学で立つ」ことを強調し、特に厳命したのでしょうか。

その意味から女性と教学について考えていきたいと思います。

数ある仏教説話の中には、
女性と男性の「思考の違い」がよく表れているものがあります。

それは、皆さんよくご存知の「雪山の寒苦鳥」です。

この説話は大変有名で、この中に登場する「寒苦鳥」は
俳句の季語(冬)に使われるほど、日本文化に定着しています。

その内容を簡単に説明すると、

インドの雪山という山に夫婦で暮らす「寒苦鳥」という鳥が住んでいました。
この鳥は人間の言葉で鳴くといいます。

厳しい夜の寒さに耐えかねて、夜通しオス鳥は

「殺我寒故(シガカンコ、※寒さに死んでしまう)」

と鳴き、メス鳥は

「夜明造巣(ヤメイゾウソウ、※夜が明けたら巣を作ろう)」と鳴くのです。

ところが夜が明けて日が指してくると、その暖かさに夜の寒さを忘れて、メス鳥は思います。

「ああ暖かくて気持ちがいい、何もしたくないわ」。

オス鳥も

「こんなに気持ち良いのだから、少しぐらい眠らせてよ」と。

そして夫婦は

「どうせ明日をも知らぬ無常の身、どうしてこの身を安穏にする巣など
作る必要があるのか。今日死ぬとも知らず、明日死ぬとも知らぬのに」と、

まるで経典の一節のような立派な言葉で鳴くのです。

この夫婦の鳴く言葉を聞くと、男女の生命の傾向性がよく表れていると思います。

オス鳥はただ現状を嘆くのみで「寒さで死ぬ」という当たり前の理屈をくり返すだけ。
メス鳥は「こうしよう、ああしよう」と言うばかりで、結局何もしない。

結果、夫婦は後悔のエンドレス――。

凡夫もこれと同じで、男性は理屈っぽくて安逸さや名聞名利にとらわれ、
女性は何かせっぱ詰まったことがあれば後悔と反省はしますが、

それでも現実を変えることをしないのは一緒です。

この傾向性と戦うことが、成長の第一歩なのだと思います。
 

あの時代(昭和54年問題)を彷彿とさせる言論展開

 投稿者:大山  投稿日:2017年 3月26日(日)07時02分37秒
  池田追放を標榜して、学会本部から追い出しに成功した牧口門下、戸田門下の面々。
「指導の泉」やら辻副会長が折伏・組織活性化に動いたものの、歓喜も感動もないノスタルジーの話で、脱会して末寺の檀徒になる学会員は急増しました。
池田先生の言説を利用して「先師牧口先生は~」「恩師戸田先生はぁ~」とやたら鼓舞し、写真集「牧口常三郎」「戸田城聖」(大判写真集もありましたね)「復刻版  創価教育学体系」と次々と発刊しても低調な雰囲気、益々学会離れが進み、組織信仰の壁が崩壊していきました。

さて、当月からの大白蓮華  第3部  第26章  創価三代の師弟(①牧口先生と戸田先生)を読んで、あの組織信仰への道程を突き進んだ時代を思い出しました。もう、先生は不在であるということも!!
 

宗教法人法反対の時には

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月26日(日)01時24分37秒
  立正佼成会法務部長や信濃町教会の関係者の寄稿が聖教新聞に掲載されました。今回の曹洞宗問題と似ていなくもない。  

結び

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月26日(日)00時17分51秒
編集済
  聖教新聞社は、学会員にとって権威ある出版社だ。その記事に「ごちゃまぜ」があれば、疑問を語り合っていくことが大切だと思う。

ちなみに、法華経の智慧は、普及版の上巻。
 

続き

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)23時52分21秒
  もし、

「なんで曹洞宗のインタビューが、青年部のページにあるんだ」

という疑問に、他の会員や幹部、聖教新聞社の人々が、

「大聖人は御書で、爾前権教の経文を引用なさっている。池田先生だってキングやガンジーをはじめ、世界中の言葉を引用なさったじゃないか」

などと答えたら、法華経の智慧を見せてもいいと思う。そして、

「何でもありでいいのかな?曹洞宗(禅宗)は、大聖人も三代の会長も、草創の先輩方も破折されてきた。このインタビューは先生がやってるわけじゃない。内容も表面的で、これじゃ馴れ合いだ。大白蓮華のこの連載をほっとくと、聖教新聞社は、筋が通らなくなるんじゃないの」

と言うと良いかもしれない。それが「正邪を判別すること」の実践ではないか。

なぜなら、ある人を「大白に載せる」ということは、創価学会員向けのお墨付きを与えることになりうるからだ。

 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 3月25日(土)23時46分18秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、皆様が
健康であります様に
おやすみなさい
 

今朝の投稿について

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)23時45分43秒
  今朝投稿した「天台宗のごちゃまぜ」について。

今月号の大白蓮華では、青年部のページでは、「一流の人」として曹洞宗の学院の学院長インタビューが載った。

一方で、37ページの御書講義では「開会」の法門が載った。

「開会」とは、爾前権教や仏教以外の教えでも、真実の一端を述べているのであれば、法華経の全体観の上から正しく用いることができるというものだ。

ただし、この「開会」の法門で肝心な「正邪を判別すること」を怠った結果、堕落したのが天台宗だったことを、創価学会員なら忘れてはならないのではないか。

そのいきさつは、『法華経の智慧』普及版p.202-206に詳しい。

「池田 人それぞれに良いと思っていれば、どんな教えも同じーこうした宗教者の驕りと怠慢が、今の日本の精神風土をつくってきたとは言えないだろうか。」

 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月25日(土)23時24分16秒
  すいません。出かけており、渋滞の為に帰宅が遅れました。
既に始めていると思いますが、私はこれから30分同盟題目をあげます。
 

新人間革命の執筆内容のスピード

 投稿者:調査員B  投稿日:2017年 3月25日(土)22時25分1秒
編集済
  新人間革命の掲載(執筆)は、第23巻(先生が本幹部会に出席しておられた)2010年5月までは、ほぼ2巻で1年間の内容が網羅されています。
その後はスピードダウンして3巻で1年ずつ、つまり
24,25,26巻ー昭和52年
27,28,29巻ー昭和53年
30巻ー昭和54年
となっております。

最も大事な54年が最終巻30巻に描かれるということでしょうか。それにしても、52年、53年は長いわりに、54年に至る経緯が描かれていたのか、記憶が曖昧で・・・
もう一度読み返してみます。
 

新・人間革命

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 3月25日(土)21時54分52秒
  「新・人間革命」から学ぶ事を考えてみました
ざっと考えると2つあるように思う

1.
内外の裏切り、圧迫、四面楚歌の中
「広宣流布」「会員の幸福」を全くブレる事なく戦い抜かれる先生の御姿

あらゆる圧迫は、「風の前の塵」のごとしの御姿


辞任から10年
先生は勝利宣言されます
「この10年で、誰人も想像しなかった勝利の春を勝ちとった
全部、広布の為、同志の為との一念であった」
一念さえ変わらなければ、10年後の大勝利が待っている事を師匠が自ら示して下さった
この師の心を範として、進んで行きたい

2.
執行部は、無謬なのか?
という問題提起をしていると思う

随筆、本幹での先生の発言と「新・人間革命」
での描写の違いは、どこから来ているのか?
「小説」という名前を隠れ蓑にして
「何が」「どう」
事実と違う描写になっているのか?
そこから炙りだされる事は、何か?

ネット記事に興味深いのがありました
「創価学会は「御本尊」を信じる団体
御本尊を信じる為に「組織」がある
なのに「組織信仰」させているのはおかしい」

執行部を無謬とするのは、いわゆる「盲信」にならないか?

 

蠢くもの

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月25日(土)21時27分57秒
編集済
  ……………【増上慢を打ち破るのが真の弟子】……………★



悪に対しては厳格であることだ。
自分の勢力をいかに増やすか、
自分の人気をいかに保つか、
そんなことしか考えない人間がリーダーに
なった組織はつぶれてしまう。

                            ★★★★

昭和54年、私は第3代会長を辞任せざるをえなくなった。
皆さんもご存じの通り、忘恩の輩が蠢いた結果であった。
学会を敵視していた者たちは喜んだ。
私は、牧口先生、戸田先生という師匠が言われた通りに、
そして師匠の勝利のために、闘ってきた。
この師弟の魂をおとしめたり、バカにしたりする存在に、
断じて負けてはならない。

                        ★★★★
万が一、学会の幹部が、学歴や経済状況など、仏法以外の権威によって人物を判断し、決めつけるようになれば、学会員があまりにもかわいそうだ。

最も功労のある人に対して、深く感謝し、
讃えていくのが“人間の世界”である。
この心を軽んじ、忘れたならば、
嫉妬が渦巻く、薄情な“提婆の世界”になってしまう。

そういう兆しに対して、
私と妻は人知れず闘ってきた。


…………………………2008/11/11最高協議会…………………………★

『悪』は『蠢く』もの。
先生と奥様は『人知れず』、この『蠢く敵』と
闘って来られたということですね。
 

倒閣の風そよぐ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 3月25日(土)19時37分26秒
  道徳の教科書で、パン屋を和菓子屋に変えさせる文科省。

調子に乗りすぎ。噴飯もの。こんな奴らに教育を任せられない。森友の教育と同じ。
しかも国家レベルで。

アメリカとて、軍事国家日本の復活を望む訳もなく、そのうち陰で圧力がかかるかも。

風を起こすという意味で、公明党の代表、本当に悪い奴と代わるべき。

現代表が本当に悪い奴とは、個人的には思わない。
批判をかわす防波堤として、利用されている。

まだ今なら間にあう。

 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)19時10分1秒
   見込みない人々さん、毎度、ありがとうございます。

 「嵐の城」→「桜の城」です。

 こんごも、よろしくお願いします。

 

嵐の城?

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2017年 3月25日(土)19時03分14秒
編集済
  書籍名称 桜の城
随筆タイトル 嵐の4.24

じゃないですか?
私の記憶違いならごめんなさい。
 

“嵐の城”と“人間革命”!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)15時28分44秒
   “三失心”と“万人の成仏”、“第六天の魔王”と“仏”。この相反する「存在」が厳然とあるというのが“不可思議”の「生命」の実像です――“嵐の城”と“(新)人間革命”の記述の相違も、これによくもの似たものがあるのではないでしょうか。

 信濃町の人びとさんの投稿をきっかけに、おぼろげだった事実認識に“光”がさしてまいりました。感謝いたします。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66533
(投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2017年 3月25日(土)01時06分44秒)

 かつて私は、グリグリさんに秋谷氏がいつから「未必の故意」に入ったかという趣旨のことを聞きました。グリグリさんは、私にもわかりません。わかる方が見えたら教えて下さい、との趣旨の誠実な投稿を寄せてくださいました。
 いま、私は、積極度の違いこそあれ、「ずっと三失心だった」と判ずるようになりました。上慢、我慢、無慚の「三失心」そのものだったと。「いつか見返してやる、いつかうお前を凌いでやる」――そんな畜生、修羅の命が、彼の中で「ずっと」渦巻いていたと見られます。だから、「男の嫉妬は真っ黒け」なんてことが克明にわかったのでしょう。

 法華経の中にも、また御書の中にも相反する説き方があります。冒頭にあげた“三失心”と“万人の成仏”、“第六天の魔王”と“仏”がその代表例です。

 “仏”と、その対極にある他化自在天の“第六天の魔王”とが基軸になっていることは明らかです。
 衆生が第六天の魔王の眷属であるという御文は、
 「此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり」(1081㌻)

 反対に「仏」であるという御文は、
 「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(1337㌻)
 「夫れ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり」(1307㌻)
 と明らかです。

 詳細は語りませんが、“嵐の城”と“(新)人間革命”の記述の差異も、そこにありはしませんでしょうか。間違いのないのは、私たちが「信の塔」、つまり「仏性」を失ってはならない、ということのように思えます。


 

(無題)

 投稿者:-  投稿日:2017年 3月25日(土)15時27分16秒
  >資料批判

史料批判
 

御書のテクストクリティーク

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月25日(土)14時30分20秒
  所謂文献学の云うところのテクストクリティーク、資料批判、具体的には用字等の校訂は身延派日蓮宗の学問的成果をベースにして創価学会も行っているところのものです。日常的に。御書が改竄をされてしまひます。何時の間にか。  

某副会長から

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 3月25日(土)13時35分17秒
編集済
  「学会本部の会長室は入る事が出来なかったので、
先生は管理人室や地下の警備員室で執務をされていました
ロビーの裏の広間に行かれて
「私の仕事場はここだ
何もなくても戦うよ
戦い続ければ開けるから」
神奈川文化でも一階の出版コーナーで、皆のいる所で、支部証を書いてくださいました」
と聞きました

全員の総意で「名誉会長」にして
何故「名誉会長室」を用意しなかったのか?
不思議に思いながら、某副会長の話を聞いていました

その後、宿板で先生のノーカット発言を読み、合点がいきました
「北条は私を棚上げしようとした」
だから「名誉会長」という役職だけで「執務室」を用意しなかったのではないですか?

学会本部の建物
どの部屋も机も電話も全て先生が働いて、働いて作って下さったもの
その先生を追い出し、部屋を取り上げたのは、誰か?
執行部ですよね?
それでも、執行部は無謬と言い続けますか?
この「事実」に対して、どんな弁解を用意するのか?
楽しみにしています

提婆達多は誰か?
それを呼び戻したのは、誰か?
しっかり見極めて行かないと、学会も会員も
とんでもない方向に行ってしまうと危惧します




 

「人間性の連帯」

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 3月25日(土)13時20分4秒
  mission様
気づき即感動
智慧の法門を開いて魔を責める。

正義・共戦の心が伝わってくるようです。
見事な展開ありがとうございます。
 

法門申さるべき様の事!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)12時56分9秒
  新たな“改竄(かいざん)”が発見されました。しかも「御書」にです。
 聖教新聞に載ったでしょうか。私の見落としでしょうか。

 「法門申さるべき様の事」の一節です。

 「此の国は釈迦如来の御所領・仏の左右臣下たる大梵天王・第六天の魔王にたはせ給いて大海の死骸をとどめざるがごとく・宝山の曲林をいとうがごとく・此の国の謗法をかへんとおぼすかと勘え申すなり……」(御書1267㌻)

 「大梵天王・魔王にたはせ給いて」は新しい表記では「大梵天王・魔王にたばせ給いて」になっています。「たはせ」の「は」が「ば」に変えられています。「給せ」から「束せ」に読み改める意味でしょうか。従来の表記には、「たはせ」の「補注」に「給」が付けられています。
 「給せ」と「束せ」では大きな意味の転換です。「給う」には敬意あるいは親しみの意味がありますが、本文の意味は変わりません。「束ね」は「まとめる」とか「支配」の意味が入ります。ちなみに「あかおに」さんは「賜せ」と従来のままで読んでいます。

 「補注」の範囲とも言えますが、わからないうちに「御書の文」そのものを変更していいんでしょうかね(笑い)。「は」を「ば」へのたった一字ですが、ことは御書の改変です。やるなら、「補注」で行うべきものでしょう。報恩抄の「但し事の心を案ずるに大荘厳仏の末・一切明王仏の末法のごとし」(311㌻)の「一切明王仏」はそのままになっています……。
 まだ、創価ネット確認の範囲ですが……。2009年2月10日第255版の御書本体までは変わっていないことを確認しました。「補注」も「給」です。

 「独立したんだから何をやってもいいんだ」という問題ではないですよね(笑い)。いやいや、御書も“改竄”ですかぁ。


 

公明はどこへ

 投稿者:ズブ  投稿日:2017年 3月25日(土)12時16分31秒
  9月4日の16時7分には、故冬柴鉄三元国土交通相の次男である冬柴大氏が経営するさ大阪市北区の海鮮料理店「かき鉄」で今井尚哉秘書官、冬柴大氏らと会食をした。

同日、国土交通省「平成27年度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)の採択プロジェクトの決定について」で、森友学園の瑞穂の國記念小學院(=安倍晋三記念小学校)」の校舎及び体育館が選出され、6200万円の補助金交付が決定された。

因みに冬柴大氏はりそな銀行高槻支店次長を務めたのち、冬柴パートナーズ株式会社を設立している。

冬柴パートナーズ株式会社は業務内容にコンサルティング、助成金申請援助を含んでいる。

http://www.fuyushiba.com/naiyou.htm

また、森友学園はりそな銀行と業務提携を行っている。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/201593-5-f5a8.html

 

【1992.5.5創価同窓の集い】

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月25日(土)11時46分16秒
  【狂信者】(抜粋)
(エリー・ヴィーゼル)博士は述べられている。
『狂信的とは、宗教においてはドグマティズム(教条主義・独断的主張)であり、政治においては全体主義である。
狂信者は、真実を歪め侵す。
彼は物事や人々を、あるがままに見ることができず、憎悪によって偶像やイメージをたいへん醜く作りだし、それらに憤慨する』と。

 狂信者とは、自分に都合の良いように事実をねじ曲げ、正しいものを正しいと見る事ができない。
意にそわないものは悪と決めつけ、憎しみによって相手の悪いイメージをふくらませ、勝手に怒りだすというのである。
じつに、“本質”をついている。
 対話拒否……これが狂信者の証であると。

 人間らしい話し合いを拒み、自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。
独りよがりで、一方通行の話しかできない。人の意見は耳に入らない。
また、学問を愛する「学びの心」「開かれた心」がない。
豊かな多様性をもつ「世界」や「文化」に対して、自分を閉ざしてしまっている。
他を理解しようという気持ちが少しもない。「民主」でも「人間性」でもない。
要するに「無知」と「臆病」これが狂信者の正体といって良い。

 また博士は『狂信者は、決して安心する事はなく、退くこともない。
多く征服すればするほど、ますます新たな征服するものを探す。
彼が自由を感じる為には、他の誰かを肉体的に、少なくとも精神的に投獄しなければならないのである。
しかしながら狂信者は、(他人を獄に繋ぐことによって)囚人としてではなく(囚人を見張る)番人として自分自身が牢に繋がれている事が解らないのである』と。

 狂信者は、自分の立場を保持する為に、ひたすら虚勢を張り続けなければならない。
どんな正論も彼を退く気にはさせられない。たとえ、一千六百万人の声であっても(爆笑、拍手)

 虚勢ゆえに、決して心が落ち着くことはない。
つねに焦っており、つねに気持ちが、目まぐるしく動いている。
そして、自分の“気まま”に従わない者に対しては、脅威を感じ力をもって抑圧し自由を奪う。

 その為には、手段を選ばない。なんだかんだと因縁をつけ無実の罪を着せる。
人を「切る」。いじめる。弾圧する。
私もそうした言われなき迫害の犠牲になってきた。
しかし人を抑えつけたつもりで、奪われているのは他でもない、自分自身の自由であり、尊厳なのである。

 二十一世紀を見すえつつ、ヴィーゼル博士は、こう宣言する。
『狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦うことが、われわれの責任である』
『なぜならば狂信的行為は、人間を否定し、下劣で感染しやすい憎悪へと引き落としていくからである。
憎悪は良いもの、価値あるもの、創造的なものを、何も生むことはない。
憎悪は憎悪を生む』と。

 まったく、そのとおりである。病根は根絶せねばならない。
 では、どうしたら狂信的行為に打ち勝てるのか。いかに戦いゆくか…。
 博士は言う。それは『全ての人間の自由を讃え、大切に育み守りゆく事だ』と。
「讃え」「育み」「守りゆく」…人間性が脈打つ行為である。

 反対に悪は、「蔑視」「嫉妬」「破壊」を促進する。
ゆえに悪に勝利するには、この「人間性の連帯」を築く以外にない。「善のスクラム」を広げる以外にない。
「狂信」という悪を見逃してはならない。
見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し、正義を蝕んでいく。
戦わなければ「人間の世界」が失われてしまう。

  ********************************
この御指導は、1992年5月5日にされている。
1979年【嵐の4.24】の後だからこそ、先生は『人を「切る」いじめる。弾圧する。私もそうした いわれなき迫害の犠牲になってきた』
と仰られています。

この時の先生は、「狂信者」の性質に当てはまる者達へにも、御指導されていたのでしょう。
そして、其の者達も側で聞いてたのであろう。
だが反省無き者達は、歴史を重ねても「狂信者」として悪行を続けているのが現実だ。

・「狂信」という悪を見逃してはならない。
・見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し正義を蝕んでいく。
・狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦う事が、我々の責任である。
・戦わなければ「人間の世界」が失われてしまう。

 

「民衆仏法の確立」について考えてみた

 投稿者:スーパー摧邪人  投稿日:2017年 3月25日(土)10時29分43秒
  2014年の会則改正について、翌年1月29・30日に聖教新聞4・5面に教学部によ
る解説が掲載された。その中で、それまで日蓮大聖人の出世の本懐は大御本尊であるとさ
れていたものを、「民衆仏法の確立」と「三大秘法の確立」として化法の改変を行った。こ
こで云われた「民衆仏法の確立」について考えたところを述べようと思う。

「民衆仏法の確立」とはなんと耳当りの良い命題であろうか。貴族仏法でもない、出家仏
法でもない、世間一般大衆のための仏法。大聖人は出世の本懐として民衆仏法を確立され
たとするものであるが、果たしてこの命題は真であろうか。創価は熱原の法難により大聖
人の仏法が民衆の間に定着したとしてこのように云う。

池田先生は会長就任の挨拶の際、「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表し
て、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」と叫ばれ
た。ここで注目したいのは、大聖人の門下が目指すのは「化儀の広宣流布」だということ。
それに対し法体(化法)の広宣流布は既に大聖人が遂げられているということだ。

この法体の広宣流布こそ、大聖人の出世の本体たり得るのである。大聖人以外、日蓮仏法
の化法を確立することは出来ない。御本尊を顕すことが大聖人以外出来ないのと同様であ
る。日興上人以下の弟子は、御本尊書写を許されるのみなのである。末法万年の一切衆生
を救済する仏法であるが故、大聖人は大慈大悲をもって法体の広宣流布を遂げられた。

このように考えて創価の云い分を見てみると、「民衆仏法の確立」は大聖人の出世の本懐た
りえないこととなる。大聖人の仏法が民衆仏法であるというのは、日蓮仏法の必然的帰結
の一側面であって教義ではない。それを耳当りの良い言葉で取り繕い、化儀と化法を混同
させ会員を誑かしたのである。「民衆仏法の確立」は大聖人の出世の本懐ではない。

日蓮仏法は一切衆生のためのものである。民衆仏法だから貴族や王族は受持出来ないかと
いうような、愚門を呈するものはいないであろう。そうであるならなおさら、大聖人の出
世の本懐を「民衆仏法の確立」などという狭められたカテゴリーに押し込めてよいはずが
ない。創価中枢は日蓮仏法を貶めていると云っても過言ではなかろう。

大聖人の出世の本懐は大御本尊御図顕ではないとしたいがための解説だったのであろうが、
その目論見は崩壊した。この解説を支持する座談会を開いた中枢幹部は、この瑕疵に気付
いているであろうか。いずれにしても日蓮仏法ではない教義を標榜する創価は、このまま
では邪教化が確定し、無間への道をひた走ることになろう。

それにしても解説が出てから、2年以上もこの瑕疵に気付けなかった訳だ。耳当りの良
い命題であったため見過ごしたのか、化法と化儀の違いを正しく認識できていなかった
のか、それともただ頭が悪かっただけなのか。情けなさに身も細る思いだが、今のところ
は気付けたことに感謝して、さらに思索を続けていくこととしよう。

http://macska2012.blog.fc2.com/

 

インタビュー連載について

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)10時23分21秒
  インタビューされる側に折伏・仏法対話をした結果、彼が「万人の成仏」という考え方に賛同しているのなら、大白蓮華に載せる意味はあると思う。池田先生がお元気だった頃、先生と識者との対談は、仏法対話があった。

しかし、この連載は「インタビュー」であって対話ではない。聞き手の質問内容も「本質」を避けている気がする。当然、当たり障りのない答えが返ってくる。
 

うる星やつら

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月25日(土)10時16分12秒
  疑問さんに同意します。
『佐藤優の「公明党」論』のオビにこうあります。
「公明党と創価学会の動きさえ見ていれば、日本政治の動向はわかる」
そう、「右傾化」ですね。平成の治安維持法も通して。佐藤優が公明党・創価学会を褒めるようになったのも「右傾化」しだしたからでしょう。タイミング的に2010年、池田先生が表に出られなくなってから。

「右傾化」危機がまた一つ露骨に。教科書問題の記事。
パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定 朝日新聞デジタル 3/24(金)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000130-asahi-soci
この「動向」。ますます日本が嫌いになっていく……「同行」する奴らも奴ら。「“売る正”奴ら」だ。
 

追加

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)10時02分53秒
  今月号の巻末の指導集は、牧口先生の話題を通して、共謀罪に反対しているように見える。

聖教新聞社には、もっと、はっきり言ってほしいと思う。
 

二伸

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)09時50分42秒
  大聖人も破折された曹洞宗の学院長にインタビューして、「本質は同じ」などと載せるのはどうかと思う。

なんだか、御書でたびたび記される、天台宗が密教化した時のような「ごちゃまぜ」が起こっていないか。これを放置すれば、やがて、臣民は天皇のために命を捨てよ、という「教育勅語の核の部分」を取り戻す勢力にさえ、抵抗できなくなりはしないか。抵抗する人が、減っていくのではないか。
 

「教条主義の弊に陥り」

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月25日(土)09時34分38秒
  コモンセンス氏は「再び違和感です(8)」でも今回の(9)でも、同じ文言を繰り返し投稿されている所に疑問を感じます。
「この点を間違えてしまうと、教条主義の弊に陥り、御書を正しく拝読したことにはならない。重大なあやまちをおかす場合が多いのです……と。会長はよく言われますね」

これは昭和51年6月5日の聖教紙面からの引用で、先生から聞いた話として“女子部の一幹部”の発言と書かれています。
女子部の一幹部→藤田栄→54年4月当時の女子部長。
→後に高橋英明欧州議長の妻となる。
2010年1月度本部幹部会の席上で、池田先生から厳しく叱責された夫婦。

「教条主義の弊に陥り」→「会長はよく言われますね」と藤田女子部長の発言。
色々探してみましたが、池田先生の御指導の中で「教条主義の弊に陥り」の言葉は見つからず、「教条主義」の言葉として【1992.5.5創価同窓の集い】に出ていましたが、コモンセンス氏の使われ方と少し意味が違います。
今から25年近く前の御指導ですが、驚くほど今の状態について指摘されており、(長くなるので)後ほど投稿させて頂きます。

“教条主義の弊に陥”↓
「状況や現実を無視して、ある特定の原理*原則に固執する応用のきかない考え方や態度」の様な「良く無いない習慣(害)」に「陥る」
って事でしょうか?

2015年9月19日の安保法制の採決の後に私は『池田先生はトインビー博士との対談で安全保障関連法案に反対と御指導されている』と意見したのですが、その時に居た幹部から「何十年も前に言われた事だ」の説明の中に「教条主義」と言う言葉を使ってました。

どんな時代や現状が変化したとしても、師匠の言葉を軽視する様な事があっては、絶対にいけない。
弟子である私達が「教条主義」と軽く言ってはいけないし、もっと師匠の心を理解すべきだと思います。
池田先生の言葉を「ただの指導」と受け取るかの違いじゃないでしょうか?

先生の指導って…「もぉ あかん」という時に、先生の言葉の奥深さが解る気がします。
上手く伝えられませんが、私は「教条主義」って言葉は好きになれません。

 

バトル・シンフォニー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月25日(土)09時30分58秒
  >『新・人間革命』の内容が昭和53年6月から54年の4月まで来るのになぜ3年もかかるのか?と言う素朴な疑問<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66540
明らかというか、露骨な時間稼ぎですね。本音は池田先生が早く亡くなって、「『嵐の4・24』は書かずに済んだ」を狙っていたのでしょう。
(もし、そうなら、我々の討幕も急がなければなりませんね)
当初の計画では第三代会長期約20年を連載約20年でしたから、1年あたり平均1年というペースからして、極端に時間を稼いでいました。野球ならボークですね。
特に酷かったのは「広宣譜」のあたりです。全学会歌の歌詞を載せたでしょうか。短い行で原稿枚数を稼いで時間を稼いで。書けなくなった小説家がよく使う手で有名です。
調べたら「広宣譜」は「あの2014年11月(18日)」から。そう、教義変更・会則変更ですね。あの時から、十何年なかった会則変更が毎年。11月になると、今年は何が起きるのか、ハラハラドキドキするようになりました。11月は学会にとって意義ある月であると同時に第二次宗門問題勃発などワヤにされた感じがあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/kosen.htm
あんなに沢山の学会歌を載せないといけなかったのでしょうか? 全国分載せないと不公平???

それにしても、魂の炎さん、仰る通りです。キツイですねぇ~(笑)
>未来部のメンバーに北条や秋谷を目指せ!って言うのかい??<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66541

大山さんの予想が当たりそうです(笑)宿坊に見つからなかったら残ったかも、ですが。元職員たちのいる神奈川ですからね。『実名告発 創価学会』の震源地ですから。「水没」ちゃいますか?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66544

安倍もよぉ、やるのぉ。笑わっしょるのぉ。近年のコメディでよくやるネタですね。松井がやろうと言った百条を公明が拒否? ヨッシーさんの新しいコメディのネタが増えそうでしょうか? 今度は現代劇で。三谷幸喜風に。あるいは映画『タイタニック』? 「我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶる」!?

疑問さん、鋭い!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66547

“行かなくちゃ、まだ長い道のりが待ってる”
“これまでも歩いてきた 答えを探すために でも答えはいつも手に届かないんだ”
“バトルのシンフォニーを聞く”
“対峙した世界 もし鎧が壊れても それでも戦うのさ”
“バトルのシンフォニー”
“諦めない そして目をさますのだ 俺のバトルのシンフォニーが”
“俺は同類じゃないらしい だから下がっておけって”
“俺のリズムが有るんだよ 降伏はしない、イリュージョンは無い”
“良いか悪いかのために 戦うのさ”
『バトル・シンフォニー』リンキン・パーク
https://www.youtube.com/watch?v=D7ab595h0AU

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

追伸

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)09時26分23秒
  池田先生も不惜身命など指導されたが、それは「法のため」「師のため」であり、大目的は広宣流布ではないか。そのために、非暴力の「言論戦」「折伏戦」をするのではないか。

仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり

読者を、なんとなく「そうだよね」と納得させるような記事を書いてどうするのか。
 

邪教化している執行部(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 3月25日(土)09時15分33秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

虹と創価家族様、mission様、のご投稿に賛同致します。m(._.)m

悪を放置してはいけない。また、自身も悪と戦う事を忘れてはいけないと深く感じます。

牧口先生も、戸田先生も、池田先生も 広宣流布の激闘を続け、法難にあい続けた人生を歩んで来られた。大聖人はその様な人を法華経の行者とも仏とも呼ばれている。

御書には『唯、人師の尺ばかりを頼みて仏説によらずば何と仏法と名を付くべきや言語道断の次第なり』と仰せであり、万歩も億歩も譲っても秋谷や原田は人師、論師である。

その様な輩の言葉を引用して仏法を語るとき、師匠の又は仏の金言とセットで引用しなければ信頼することは出来ない。

また、大聖人は『仏法は体のごとし世間は陰の如し体曲がりぬれば陰斜めなり』と言われ、世間を騒がしているニュースを見ても体である仏法が曲げられその陰である世の中の出来事の悲惨さや乱れていることが読み取れ、仏法のねじれた様が伺える。

大聖人の仏法は誰であっても仏性があり悪人であっても縁に触れれば仏の命が出てくると仰せだ!

池田先生のご指導のもと正しく御書を勉強し、実践してきた会員さんは紛れもなく法華経を行じて来た人達で、しかも顕正会や日顕宗の攻撃から会員さんを守ってきた人達は護法に尽くしてきた人達である。

その様な尊い人達を自分達の過去の過ちを隠ぺいするためや自分達の保身、そして利益の為だけに査問し、除名し処分してきた原田、秋谷、谷川、八尋、佐藤浩

等、畜生道の達人達が仏法を曲げている。

執行部よ!大聖人は末法の法華経の行者はどのような姿で有ったとしても国王、大臣よりも尊貴な存在だと言われているぞ!

正しい人々を迫害しているが故の世界中の混乱であるのでしょう。

お前達の罪は重いぞ!

籠池理事長の証人喚問や最近露になった保育園の事件や大手企業が行ってきた不祥事など社会の悪が次々と暴かれ出してきた。極悪の執行部の文字通り極悪ぶりが暴かれる時が来るだろう。

トップだけ押さえていればその傘下は?

『思い通りになる?』

と思っている時代遅れのバカ共よ(# ゜Д゜)

主権は国民、市民に有るのだ(# ゜Д゜)

そして国民も俺たち池田門下もお前達が考えてるほどバカじゃないぞ(# ゜Д゜)

結局執行部や公明党のトップ達の方が時代も読めない馬鹿なんじゃねーか?ヽ(^○^)ノ




 

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