Athlete Interview「一歩ずつステップアップしていきたい」 サッカー部 可児 壮隆選手

Athlete Interview「一歩ずつステップアップしていきたい」 サッカー部 可児 壮隆選手

「一歩ずつステップアップしていきたい」 サッカー部 可児 壮隆選手

――2013年6月19日、可児壮隆選手の来季からの川崎フロンターレへの加入が発表された。可児選手は川崎フロンターレU−18出身で、高校卒業時はトップへの昇格はならず、阪南大学に進学。川崎フロンターレでは初のユースから大学を経てトップチームにUターン加入を果たした選手となった。
 また、可児選手は、コンサドーレ札幌への来季加入が内定している工藤光輝選手に続き、2013年度2人目の阪南大学Jリーグ内定選手であり、阪南大学が輩出する35人目のJリーガーとなる。

川崎フロンターレ初の大学経由Uターン選手に

 プロになるのは小さい頃からの夢だったので、オファーを頂いたときは、すごく感動したというか、興奮しましたね。オファーはほかにもう1チームから頂いていて、両方魅力のあるチームだったのですが、やはり、僕はジュニアユース、ユースと6年間フロンターレで育ててもらったし、フロンターレのホームスタジアムである等々力陸上競技場にはトップチームの試合を観に通っていて、あのピッチに立つことにすごく憧れていました。それに何回かフロンターレの練習に参加させてもらった時も、すごく雰囲気もよかったですし、日本代表の選手もいるレベルの高い中でプレーできたら、自分も成長するかなと思ったのが、フロンターレに決めた大きな理由ですね。
 高校卒業時は技術面、フィジカル面、メンタル面全部がプロで通用するには足りないと感じていたし、特にメンタル面は不安定で波がありました。仮に自分が高校卒業時にトップに上がれる実力があったとしても、プロで活躍できるかといったら、厳しかったかなと思います。けど、大学でプレー面、フィジカル面、精神面全てが成長したと思います。

 大学では監督やコーチからも何から何まで言われるんじゃなくて、自分で考える面が多かった。そういうなかで、自主性もついたし、高校までは実家だったので、親元を離れてなんでもかんでも自主的にやらなきゃいけなくなって、そういう面でも精神面は成長したと思います。

 プレーに関しては、阪南大学のスタッフの方々に、練習から自分の特徴を伸ばせるようにいろんなことを教わりました。自分の特徴は、運動量と足元の技術だと思っているので、高校まではそこばかり気にしてたんですけど、大学に来て、「身体の使い方も上手くなれば、足元の技術ももっと上がる」ということも教えてもらって、そういうところも日々の練習から意識するようにしていたら技術の質も上がるようになりました。
 こうして大学で成長して、またフロンターレにプロとして戻ることができたのですが、フロンターレのユースから大学に行って、プロに戻ったのは僕が初めてなので、僕がプロで頑張って、後輩たちに「大学で4年間やってプロに戻るっていう道もいいかな」ということを示せたらいいかなと思います。
 フロンターレのサポーターの方々も、ユースの頃から見てくれている方もたくさんいて、大学に入ってからも気にかけてくださってる方もいたので、そういう方たちのためにも1年目から試合に絡んでいけるよう、頑張りたいですね!

「去年の総理大臣杯優勝は“自分の力が全国で通用するんだ”というのがわかって自信になった」

――神奈川県出身の可児選手は当初地元関東での大学進学を考えていたが、志望していた大学のセレクションに受かることができず、川崎フロンターレU−18のスタッフに勧められたこともあり、阪南大学進学を決めた。
 そうして加入した阪南大学で、昨年の3年時には可児選手は、泉澤仁選手、窪田良選手とともに、「中盤の3枚看板」と須佐徹太郎監督に評されるほど、チームの主軸として成長。昨年度、阪南大学は総理大臣杯で見事優勝を果たしたが、可児選手も5試合にフル出場。決勝戦では先制されたが、逆転弾となる2点目を決めるなど、優勝に大いに貢献した。その決勝戦で阪南大学が3−1で破った相手が、可児選手が高校時代にセレクションに受かることができなかった専修大学であった。

 大学進学にあたっては、最初、専修大学のセレクションを受けたんですけど、そのセレクションに落ちたので、そこからユースのスタッフの方に大学を探してもらって、阪南大学の練習に参加させてもらったら、「楽しいな」って感じたので、阪南大学を選びました。

 去年の総理大臣杯では、決勝戦で専修大学に勝って優勝したのですが、高校時代に専修大学のセレクションに落ちたのは自分の実力がなかったからだったので、「見返してやろう」という気持ちは全然なかったですね。ただ、専修大学にはフロンターレユースで一緒にプレーした仲間が何人かいたので、戦うのが楽しみだったし、その仲間たちにも自分が成長した姿を見せたかったし、それで試合に勝てたら楽しいなと思ってました。

 専修大学は僕が2回生の時に、インカレで優勝していて、その頃から勝ちたい相手だったので、その相手に勝てたし、あの試合はやっぱり今まで勝った試合で一番嬉しかった試合でした。優勝して1週間くらいは、「こんなに幸せなことってあるんだ」って感じで(笑)。総理大臣杯優勝はめちゃくちゃ嬉しかったですね!

 それに自分は1回生の時のインカレには少ししか出ていなくて、大学で全国大会でしっかり出場したのは、去年の総理大臣杯が初めてだったので、「自分の力が全国で十分通用するんだな」っていうのがわかって自信になりました。

リーグ連覇、インカレ初優勝を誓う今季。個性豊かで型にはまらない阪南大学のサッカーを見てほしい

――優れたテクニック、豊富な運動量、抜群のサッカーセンスを兼ね備え、精度の高いラストパスを駆使し、阪南大学の攻撃を司る可児選手。中盤ならどこでもこなすユーティリティさも大きな武器だ。昨年度、阪南大学は総理大臣杯優勝、関西学生リーグ優勝、インカレ3位と躍進を遂げたが、可児選手はリーグ戦で18アシストを挙げ、アシスト王に輝き、優秀選手賞も受賞。関西学生選抜にも選ばれ、デンソーカップチャレンジサッカー(地域別の大学選抜チームによる全国大会)での関西学生選抜の優勝にも大いに貢献した。昨年のインカレ時からは、現在ベガルタ仙台の梁勇基選手ら、歴代多くのエースが背負った阪南大学のエースナンバー14番を背負い、今年度もリーグ連覇、インカレ初優勝を目指すチームを攻撃面でけん引。今季は副キャプテンとしても、チームを支えている。

 去年のインカレの前に背番号が14番になったのですが、背番号14ということは、自分に期待してくれてるんだなっていう気持ちもあったので、気負いとかは一切なく、素直に嬉しかったですね。
 大学で印象に残っているのは、やっぱり去年の総理大臣杯優勝とインカレです。インカレは、準決勝で福岡大に負けて3位だったのですが、まだまだ力が足りないというのは実感したし、どんな相手でもどんな環境でも勝てるような力がないとダメだなと凄く感じました。
 今年は、総理大臣杯の予選となる関西学生サッカー選手権で負けてしまって総理大臣杯には出られないのですが、総理大臣杯に出られなかったことで、この夏、試合期間が空いた時期を充実した練習期間にして、リーグやインカレで結果を残せた時に、「総理大臣杯に出られなかったから、今があるんだな」と思えるように、リーグやインカレ優勝に向けて頑張っていけたらいいかなと思います。

 それに、この夏の期間に、僕もまたフロンターレの練習に参加する予定だし、工藤(光輝選手)はコンサドーレで特別指定選手として試合に出ていますし、ほかのチームメートの何人かもプロの練習に参加すると思うので、それぞれがプロで学んで感じたことをチームに還元できたら、さらにいいチームになれると思う。そういうところも楽しみに、まずはリーグ優勝に向かいたいですね。
 インカレでは、まずは優勝という結果をお見せしたいのですが、試合を観る方には、阪南大学は個性が強くて、「変わってるな」というところも見てほしいなと思います。
 「変わってる」というのは、たとえば、二見(宏志)とか(窪田)良とかのような、激しいプレーヤーがいたりとか、(泉澤)仁とか工藤とか河田(篤秀)のような1人で(ボールを)持っていける選手がいたり、型に完全にはまってないところですね。
 大学にも「つないでいくチーム」とか、「ロングボールを蹴るチーム」とかの特徴のあるチームはあると思うんですけど、阪南大学は状況に応じて、サッカーが変わる。個人で行けるところは行くし、カウンターを仕掛けたほうがいいときは仕掛けるんですけど、基本的にはパスをつなぐ。そういう完全に型にはまってないところは自分に合っていたし、そういうところを見てほしいなと思います。

「試合に出られなかった時期に、“1試合1試合を無駄にしたくない”と感じるようになったことも自分にとっては大きかった」

――とにかくサッカーが好きで、小学生の頃から「1人で何時間も壁に向かってボールを蹴っていた」という可児選手。現在の優れたテクニックは、そうしたひと一倍のトレーニングによって培われたものだ。
 阪南大学入学後は、1年時からレギュラーとして活躍し、新人賞も受賞したが、2年時には本来の力を出し切れず、試合に出られない時期もあった。その時期も全体練習が終ってから遅くまで自主練習を続けており、「おそらくオーバートレーニングだったのでは」と感じた須佐監督から、練習禁止令を出されるほど、練習熱心な選手だった。試合に出られない時期も、「試合に出られないなら出られないなりにやることがある」という思いでプレーしていたという可児選手は、その試合に出られなかった時期を乗り越え、3年時からは見事に中心選手として復活を果たし、プロへの扉も切り開いた。

 大学に入ってからは1年時は試合にほとんど出ていたんですけど、2年では試合に出られなくなった。あの1年は自分にとって結構つらかったんですけど、「“この1年があったから、大学卒業した時にプロになれた”って思えるようになれたらいいな」ってずっと思いながらプレーしていましたし、その1年間いろいろ感じられた部分も僕にとっては大きかった。たとえば、リーグ戦は同じ会場で2試合あるんですけど、試合に出られないときは、1試合目に他の大学同士の試合のボール拾いとかの補助員を試合に出られない自分たちがして、2試合目にスタンドで阪南大学の試合の応援をするということが多かった。そういうことを経験して、「試合を支えるのも大変なんだな」っていうのを感じたし、1試合目に補助員をした後、2試合目の応援をして、そこでチームに情けない試合をされたら、応援のしがいがないというのは感じることができたので、自分が試合に出た時に、試合に出られなくて悔しい思いをしているひととか、遠くから試合に観に来てくれるひともいるし、そのひとたちのためにも1試合1試合無駄にしたくないという気持ちを感じることができたのは凄く自分にとって大きかったなって思います。

 3年になって、また試合に出られるようになったんですが、「ちょっと自分が気を抜いたら、すぐあの試合に出られなかった頃に戻るんじゃないか」というのをずっと考えてるので、自分自身、気が引き締まるというか、それで今もうまくいってるんだと思います。自分はうまくいっているときも反省する点を自分の中に見つける考え方なんで、そういう考え方もよかったかなって思います。

「将来は日本を背負えるような選手に」

――目標にしているのは川崎フロンターレの中村憲剛選手やスペイン代表のイニエスタ選手。そのプレースタイルから、「憲剛2世」とも評され、自身の名前をもじって、「カニエスタ」とも呼ばれている。来季には、目標とする中村憲剛選手と同じピッチに立つことになる可児選手に今後の目標を聞いた。

 中村憲剛選手とイニエスタ選手はタイプが違うんですけど、憲剛さんは長い距離のパスを正確に通せるのでお手本になります。イニエスタ選手は狭いところでボールをもらったりする技術や、ボールを奪われない技術が参考になりますね。
 憲剛さんとは2年生の時にフロンターレのキャンプに参加させてもらった時に、同じ部屋になったんですけど、当時、僕はワイド(2列目のサイド)でプレーしていたので、憲剛さんが「お前のタイプだったら、外に張ってるだけじゃなくて、中に入ってボールに絡んでプレーしたらいいんじゃないか」とか話をしてくれたんです。3年になってアシスト王になったんですけど、憲剛さんに言われたことを意識して、外に張るだけじゃなくて、中に入って狭いところでボールを受けるタイミングだとか、受けたボールを奪われないことを意識したり、中でボールに絡むプレーを意識していたのが、アシストが多くなったひとつの要因だと思います。憲剛さんからはその時に聞いたこととか、練習に望む姿勢だとか学ぶべきことが多くて、それはその後も自分の中で生きてますね。
 今年は去年は得点が少なかったので、もっともっと点を取りたいというのもあって、アシストだけじゃなく得点も狙ったりしてますね。アシストもたとえ自分のアシストにならなくても、自分の一本のパスで局面が変われば、それはそれでいいかなと思います。
 「憲剛2世」と言ってもらえるのは、凄く嬉しいんですけど自分はまだそこまでの実力じゃないとは思ってるので、まだまだこれからだというふうに感じてます。でも、憲剛さんも大学までは無名で、そこから日本代表にもなられたので、僕も頑張ればそういうふうになれるんだなっていう希望は凄くありますね。

 プロに入ったら、まずは1年目から試合に出られるように頑張っていきたいし、将来的にはフロンターレでも軸になれるように中心選手になりたいです。まずは試合に出て、次にコンスタントに試合に出るようになって、その先に中心選手になって、海外移籍なり、日本代表なりというふうに一歩ずつステップアップできたらいいかなと思います。
 阪南大学の仲間もすでに加入の内定した工藤を初め、今年はまだほかにも何人もプロになる選手がいると思うので、そういう選手と来季からプロで対戦するのも楽しみですね!
まずは自分自身、1年目からしっかり試合に出て、プレー面でも、人間としても成長していって、将来は日本を背負えるような選手になりたいと思います!

阪南大学アスリートインタビュー

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