稀勢の里、逆転Vへ照ノ富士と手負い決戦!「最後まで…」奇跡起こす

2017年3月26日6時0分  スポーツ報知
  • 鶴竜(右)に寄り切りで敗れた稀勢の里(カメラ・酒井 悠一)
  • 左肩をテーピングで保護して土俵入りする稀勢の里

 ◆大相撲春場所14日目 ○稀勢の里(寄り切り)鶴竜●(25日・エディオンアリーナ大阪)

 13日目に左肩付近を痛めた横綱・稀勢の里(30)=田子ノ浦=は、横綱・鶴竜(31)=井筒=に寄り切られて2敗となった。けがを押して出場したものの一方的な内容で敗れ、優勝争いから一歩後退。逆転で史上8人目の新横綱優勝を達成するには、1敗の大関・照ノ富士(25)=伊勢ケ浜=を本割、決定戦で破らなければならない苦境に追い込まれた。

 声援が悲鳴に変わった。結びの一番。稀勢の里は抵抗もできずに土俵を割った。我慢していた左肩の痛みで、顔をゆがめた。支度部屋では静かに息を吐いた。「やるからには最後までやりたい」。史上8人目の新横綱Vは極めて難しくなったが、千秋楽の出場を明言した。

 救急車で搬送されてから約22時間後、本場所の土俵に立った。横綱土俵入りは、肩から二の腕にかけてテーピングで固めた。「相手に弱みを見せることになる」と拒んできた流儀を曲げた。13日間、乾いた音を響かせてきたかしわ手は弱々しかった。

 新弟子の頃から磨いた、武器の左おっつけは使えない。立ち合いは右の張り差しを選んだ。「何とかね…」。勝機を探ったが、鶴竜にもろ差しを許し、2・5秒で寄り切られた。胸を合わせた相手が「当たった瞬間から力が抜けていた」と心配するほど。土俵下に落とせないと思ったのか、鶴竜は抱くように支えた。

 それでも休まない。11年九州場所の前に亡くなった先代師匠の故・鳴戸親方(元横綱・隆の里)は、糖尿病に苦しみながら入院先の病院から本場所に通い、番付最高位まで昇進した。先代師匠をよく知る協会関係者は「生きていたら出場させていたと思う」と言う。稀勢の里も入門から15年間で休場は、14年初場所千秋楽だけ。先代の教えを守り、弱音を吐かない。

 情報漏えいを防ぐため、部屋には“かん口令”が敷かれた。前夜から宿舎は閉門。横綱の帰宅時は若手力士が守った。部屋関係者も「大丈夫」と繰り返すばかり。14日目の朝、話し合った末に出場を許可した田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)は取組後、さすがに「自分の相撲を取れていなかった」と肩を落とした。

 2001年夏場所千秋楽。横綱・貴乃花は前日に右膝を大けがしたが、父で師匠の二子山親方(元大関・貴ノ花)の休場勧告を振り切った。横綱・武蔵丸に本割で敗れながら優勝決定戦を制し、日本中を感動させた。ただ代償は大きく、翌場所から7場所連続全休。復帰3場所目で引退へ追い込まれた。危険を伴う強行出場。田子ノ浦親方は「出場は正解か?」と問われ「自分(師匠)の責任だから。明日も取る」とかばった。

 稀勢の里は底知れないパワーを秘める照ノ富士に本割、決定戦で連勝しなければならない。八角理事長(元横綱・北勝海)が「2番はつらいだろう。いい相撲に期待したいけどね」と本音を漏らすほど分は悪い。とはいえ、相手も手負い。「まあ、明日。大丈夫です」。短い言葉はいつも通り。気力は萎えていない。(秦 雄太郎)

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