投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(214)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(0)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


倒閣の風そよぐ

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 3月25日(土)19時37分26秒
  道徳の教科書で、パン屋を和菓子屋に変えさせる文科省。

調子に乗りすぎ。噴飯もの。こんな奴らに教育を任せられない。森友の教育と同じ。
しかも国家レベルで。

アメリカとて、軍事国家日本の復活を望む訳もなく、そのうち陰で圧力がかかるかも。

風を起こすという意味で、公明党の代表、本当に悪い奴と代わるべき。

現代表が本当に悪い奴とは、個人的には思わない。
批判をかわす防波堤として、利用されている。

まだ今なら間にあう。

 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)19時10分1秒
   見込みない人々さん、毎度、ありがとうございます。

 「嵐の城」→「桜の城」です。

 こんごも、よろしくお願いします。

 

嵐の城?

 投稿者:見込みない人々  投稿日:2017年 3月25日(土)19時03分14秒
編集済
  書籍名称 桜の城
随筆タイトル 嵐の4.24

じゃないですか?
私の記憶違いならごめんなさい。
 

“嵐の城”と“人間革命”!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)15時28分44秒
   “三失心”と“万人の成仏”、“第六天の魔王”と“仏”。この相反する「存在」が厳然とあるというのが“不可思議”の「生命」の実像です――“嵐の城”と“(新)人間革命”の記述の相違も、これによくもの似たものがあるのではないでしょうか。

 信濃町の人びとさんの投稿をきっかけに、おぼろげだった事実認識に“光”がさしてまいりました。感謝いたします。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66533
(投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2017年 3月25日(土)01時06分44秒)

 かつて私は、グリグリさんに秋谷氏がいつから「未必の故意」に入ったかという趣旨のことを聞きました。グリグリさんは、私にもわかりません。わかる方が見えたら教えて下さい、との趣旨の誠実な投稿を寄せてくださいました。
 いま、私は、積極度の違いこそあれ、「ずっと三失心だった」と判ずるようになりました。上慢、我慢、無慚の「三失心」そのものだったと。「いつか見返してやる、いつかうお前を凌いでやる」――そんな畜生、修羅の命が、彼の中で「ずっと」渦巻いていたと見られます。だから、「男の嫉妬は真っ黒け」なんてことが克明にわかったのでしょう。

 法華経の中にも、また御書の中にも相反する説き方があります。冒頭にあげた“三失心”と“万人の成仏”、“第六天の魔王”と“仏”がその代表例です。

 “仏”と、その対極にある他化自在天の“第六天の魔王”とが基軸になっていることは明らかです。
 衆生が第六天の魔王の眷属であるという御文は、
 「此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり」(1081㌻)

 反対に「仏」であるという御文は、
 「然れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(1337㌻)
 「夫れ法華経の意は一切衆生皆成仏道の御経なり」(1307㌻)
 と明らかです。

 詳細は語りませんが、“嵐の城”と“(新)人間革命”の記述の差異も、そこにありはしませんでしょうか。間違いのないのは、私たちが「信の塔」、つまり「仏性」を失ってはならない、ということのように思えます。


 

(無題)

 投稿者:-  投稿日:2017年 3月25日(土)15時27分16秒
  >資料批判

史料批判
 

御書のテクストクリティーク

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月25日(土)14時30分20秒
  所謂文献学の云うところのテクストクリティーク、資料批判、具体的には用字等の校訂は身延派日蓮宗の学問的成果をベースにして創価学会も行っているところのものです。日常的に。御書が改竄をされてしまひます。何時の間にか。  

某副会長から

 投稿者:愉快な仲間達  投稿日:2017年 3月25日(土)13時35分17秒
編集済
  「学会本部の会長室は入る事が出来なかったので、
先生は管理人室や地下の警備員室で執務をされていました
ロビーの裏の広間に行かれて
「私の仕事場はここだ
何もなくても戦うよ
戦い続ければ開けるから」
神奈川文化でも一階の出版コーナーで、皆のいる所で、支部証を書いてくださいました」
と聞きました

全員の総意で「名誉会長」にして
何故「名誉会長室」を用意しなかったのか?
不思議に思いながら、某副会長の話を聞いていました

その後、宿板で先生のノーカット発言を読み、合点がいきました
「北条は私を棚上げしようとした」
だから「名誉会長」という役職だけで「執務室」を用意しなかったのではないですか?

学会本部の建物
どの部屋も机も電話も全て先生が働いて、働いて作って下さったもの
その先生を追い出し、部屋を取り上げたのは、誰か?
執行部ですよね?
それでも、執行部は無謬と言い続けますか?
この「事実」に対して、どんな弁解を用意するのか?
楽しみにしています

提婆達多は誰か?
それを呼び戻したのは、誰か?
しっかり見極めて行かないと、学会も会員も
とんでもない方向に行ってしまうと危惧します




 

「人間性の連帯」

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 3月25日(土)13時20分4秒
  mission様
気づき即感動
智慧の法門を開いて魔を責める。

正義・共戦の心が伝わってくるようです。
見事な展開ありがとうございます。
 

法門申さるべき様の事!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月25日(土)12時56分9秒
  新たな“改竄(かいざん)”が発見されました。しかも「御書」にです。
 聖教新聞に載ったでしょうか。私の見落としでしょうか。

 「法門申さるべき様の事」の一節です。

 「此の国は釈迦如来の御所領・仏の左右臣下たる大梵天王・第六天の魔王にたはせ給いて大海の死骸をとどめざるがごとく・宝山の曲林をいとうがごとく・此の国の謗法をかへんとおぼすかと勘え申すなり……」(御書1267㌻)

 「大梵天王・魔王にたはせ給いて」は新しい表記では「大梵天王・魔王にたばせ給いて」になっています。「たはせ」の「は」が「ば」に変えられています。「給せ」から「束せ」に読み改める意味でしょうか。従来の表記には、「たはせ」の「補注」に「給」が付けられています。
 「給せ」と「束せ」では大きな意味の転換です。「給う」には敬意あるいは親しみの意味がありますが、本文の意味は変わりません。「束ね」は「まとめる」とか「支配」の意味が入ります。ちなみに「あかおに」さんは「賜せ」と従来のままで読んでいます。

 「補注」の範囲とも言えますが、わからないうちに「御書の文」そのものを変更していいんでしょうかね(笑い)。「は」を「ば」へのたった一字ですが、ことは御書の改変です。やるなら、「補注」で行うべきものでしょう。報恩抄の「但し事の心を案ずるに大荘厳仏の末・一切明王仏の末法のごとし」(311㌻)の「一切明王仏」はそのままになっています……。
 まだ、創価ネット確認の範囲ですが……。2009年2月10日第255版の御書本体までは変わっていないことを確認しました。「補注」も「給」です。

 「独立したんだから何をやってもいいんだ」という問題ではないですよね(笑い)。いやいや、御書も“改竄”ですかぁ。


 

公明はどこへ

 投稿者:ズブ  投稿日:2017年 3月25日(土)12時16分31秒
  9月4日の16時7分には、故冬柴鉄三元国土交通相の次男である冬柴大氏が経営するさ大阪市北区の海鮮料理店「かき鉄」で今井尚哉秘書官、冬柴大氏らと会食をした。

同日、国土交通省「平成27年度サステナブル建築物等先導事業(木造先導型)の採択プロジェクトの決定について」で、森友学園の瑞穂の國記念小學院(=安倍晋三記念小学校)」の校舎及び体育館が選出され、6200万円の補助金交付が決定された。

因みに冬柴大氏はりそな銀行高槻支店次長を務めたのち、冬柴パートナーズ株式会社を設立している。

冬柴パートナーズ株式会社は業務内容にコンサルティング、助成金申請援助を含んでいる。

http://www.fuyushiba.com/naiyou.htm

また、森友学園はりそな銀行と業務提携を行っている。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/201593-5-f5a8.html

 

【1992.5.5創価同窓の集い】

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月25日(土)11時46分16秒
  【狂信者】(抜粋)
(エリー・ヴィーゼル)博士は述べられている。
『狂信的とは、宗教においてはドグマティズム(教条主義・独断的主張)であり、政治においては全体主義である。
狂信者は、真実を歪め侵す。
彼は物事や人々を、あるがままに見ることができず、憎悪によって偶像やイメージをたいへん醜く作りだし、それらに憤慨する』と。

 狂信者とは、自分に都合の良いように事実をねじ曲げ、正しいものを正しいと見る事ができない。
意にそわないものは悪と決めつけ、憎しみによって相手の悪いイメージをふくらませ、勝手に怒りだすというのである。
じつに、“本質”をついている。
 対話拒否……これが狂信者の証であると。

 人間らしい話し合いを拒み、自分勝手な理屈や権威で相手を従わせようとする。
独りよがりで、一方通行の話しかできない。人の意見は耳に入らない。
また、学問を愛する「学びの心」「開かれた心」がない。
豊かな多様性をもつ「世界」や「文化」に対して、自分を閉ざしてしまっている。
他を理解しようという気持ちが少しもない。「民主」でも「人間性」でもない。
要するに「無知」と「臆病」これが狂信者の正体といって良い。

 また博士は『狂信者は、決して安心する事はなく、退くこともない。
多く征服すればするほど、ますます新たな征服するものを探す。
彼が自由を感じる為には、他の誰かを肉体的に、少なくとも精神的に投獄しなければならないのである。
しかしながら狂信者は、(他人を獄に繋ぐことによって)囚人としてではなく(囚人を見張る)番人として自分自身が牢に繋がれている事が解らないのである』と。

 狂信者は、自分の立場を保持する為に、ひたすら虚勢を張り続けなければならない。
どんな正論も彼を退く気にはさせられない。たとえ、一千六百万人の声であっても(爆笑、拍手)

 虚勢ゆえに、決して心が落ち着くことはない。
つねに焦っており、つねに気持ちが、目まぐるしく動いている。
そして、自分の“気まま”に従わない者に対しては、脅威を感じ力をもって抑圧し自由を奪う。

 その為には、手段を選ばない。なんだかんだと因縁をつけ無実の罪を着せる。
人を「切る」。いじめる。弾圧する。
私もそうした言われなき迫害の犠牲になってきた。
しかし人を抑えつけたつもりで、奪われているのは他でもない、自分自身の自由であり、尊厳なのである。

 二十一世紀を見すえつつ、ヴィーゼル博士は、こう宣言する。
『狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦うことが、われわれの責任である』
『なぜならば狂信的行為は、人間を否定し、下劣で感染しやすい憎悪へと引き落としていくからである。
憎悪は良いもの、価値あるもの、創造的なものを、何も生むことはない。
憎悪は憎悪を生む』と。

 まったく、そのとおりである。病根は根絶せねばならない。
 では、どうしたら狂信的行為に打ち勝てるのか。いかに戦いゆくか…。
 博士は言う。それは『全ての人間の自由を讃え、大切に育み守りゆく事だ』と。
「讃え」「育み」「守りゆく」…人間性が脈打つ行為である。

 反対に悪は、「蔑視」「嫉妬」「破壊」を促進する。
ゆえに悪に勝利するには、この「人間性の連帯」を築く以外にない。「善のスクラム」を広げる以外にない。
「狂信」という悪を見逃してはならない。
見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し、正義を蝕んでいく。
戦わなければ「人間の世界」が失われてしまう。

  ********************************
この御指導は、1992年5月5日にされている。
1979年【嵐の4.24】の後だからこそ、先生は『人を「切る」いじめる。弾圧する。私もそうした いわれなき迫害の犠牲になってきた』
と仰られています。

この時の先生は、「狂信者」の性質に当てはまる者達へにも、御指導されていたのでしょう。
そして、其の者達も側で聞いてたのであろう。
だが反省無き者達は、歴史を重ねても「狂信者」として悪行を続けているのが現実だ。

・「狂信」という悪を見逃してはならない。
・見逃してしまえば、ガン細胞のように、いよいよ増殖し正義を蝕んでいく。
・狂信的行為という、はびこりゆくガンと戦う事が、我々の責任である。
・戦わなければ「人間の世界」が失われてしまう。

 

「民衆仏法の確立」について考えてみた

 投稿者:スーパー摧邪人  投稿日:2017年 3月25日(土)10時29分43秒
  2014年の会則改正について、翌年1月29・30日に聖教新聞4・5面に教学部によ
る解説が掲載された。その中で、それまで日蓮大聖人の出世の本懐は大御本尊であるとさ
れていたものを、「民衆仏法の確立」と「三大秘法の確立」として化法の改変を行った。こ
こで云われた「民衆仏法の確立」について考えたところを述べようと思う。

「民衆仏法の確立」とはなんと耳当りの良い命題であろうか。貴族仏法でもない、出家仏
法でもない、世間一般大衆のための仏法。大聖人は出世の本懐として民衆仏法を確立され
たとするものであるが、果たしてこの命題は真であろうか。創価は熱原の法難により大聖
人の仏法が民衆の間に定着したとしてこのように云う。

池田先生は会長就任の挨拶の際、「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表し
て、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらさせていただきます!」と叫ばれ
た。ここで注目したいのは、大聖人の門下が目指すのは「化儀の広宣流布」だということ。
それに対し法体(化法)の広宣流布は既に大聖人が遂げられているということだ。

この法体の広宣流布こそ、大聖人の出世の本体たり得るのである。大聖人以外、日蓮仏法
の化法を確立することは出来ない。御本尊を顕すことが大聖人以外出来ないのと同様であ
る。日興上人以下の弟子は、御本尊書写を許されるのみなのである。末法万年の一切衆生
を救済する仏法であるが故、大聖人は大慈大悲をもって法体の広宣流布を遂げられた。

このように考えて創価の云い分を見てみると、「民衆仏法の確立」は大聖人の出世の本懐た
りえないこととなる。大聖人の仏法が民衆仏法であるというのは、日蓮仏法の必然的帰結
の一側面であって教義ではない。それを耳当りの良い言葉で取り繕い、化儀と化法を混同
させ会員を誑かしたのである。「民衆仏法の確立」は大聖人の出世の本懐ではない。

日蓮仏法は一切衆生のためのものである。民衆仏法だから貴族や王族は受持出来ないかと
いうような、愚門を呈するものはいないであろう。そうであるならなおさら、大聖人の出
世の本懐を「民衆仏法の確立」などという狭められたカテゴリーに押し込めてよいはずが
ない。創価中枢は日蓮仏法を貶めていると云っても過言ではなかろう。

大聖人の出世の本懐は大御本尊御図顕ではないとしたいがための解説だったのであろうが、
その目論見は崩壊した。この解説を支持する座談会を開いた中枢幹部は、この瑕疵に気付
いているであろうか。いずれにしても日蓮仏法ではない教義を標榜する創価は、このまま
では邪教化が確定し、無間への道をひた走ることになろう。

それにしても解説が出てから、2年以上もこの瑕疵に気付けなかった訳だ。耳当りの良
い命題であったため見過ごしたのか、化法と化儀の違いを正しく認識できていなかった
のか、それともただ頭が悪かっただけなのか。情けなさに身も細る思いだが、今のところ
は気付けたことに感謝して、さらに思索を続けていくこととしよう。

http://macska2012.blog.fc2.com/

 

インタビュー連載について

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)10時23分21秒
  インタビューされる側に折伏・仏法対話をした結果、彼が「万人の成仏」という考え方に賛同しているのなら、大白蓮華に載せる意味はあると思う。池田先生がお元気だった頃、先生と識者との対談は、仏法対話があった。

しかし、この連載は「インタビュー」であって対話ではない。聞き手の質問内容も「本質」を避けている気がする。当然、当たり障りのない答えが返ってくる。
 

うる星やつら

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月25日(土)10時16分12秒
  疑問さんに同意します。
『佐藤優の「公明党」論』のオビにこうあります。
「公明党と創価学会の動きさえ見ていれば、日本政治の動向はわかる」
そう、「右傾化」ですね。平成の治安維持法も通して。佐藤優が公明党・創価学会を褒めるようになったのも「右傾化」しだしたからでしょう。タイミング的に2010年、池田先生が表に出られなくなってから。

「右傾化」危機がまた一つ露骨に。教科書問題の記事。
パン屋「郷土愛不足」で和菓子屋に 道徳の教科書検定 朝日新聞デジタル 3/24(金)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170324-00000130-asahi-soci
この「動向」。ますます日本が嫌いになっていく……「同行」する奴らも奴ら。「“売る正”奴ら」だ。
 

追加

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)10時02分53秒
  今月号の巻末の指導集は、牧口先生の話題を通して、共謀罪に反対しているように見える。

聖教新聞社には、もっと、はっきり言ってほしいと思う。
 

二伸

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)09時50分42秒
  大聖人も破折された曹洞宗の学院長にインタビューして、「本質は同じ」などと載せるのはどうかと思う。

なんだか、御書でたびたび記される、天台宗が密教化した時のような「ごちゃまぜ」が起こっていないか。これを放置すれば、やがて、臣民は天皇のために命を捨てよ、という「教育勅語の核の部分」を取り戻す勢力にさえ、抵抗できなくなりはしないか。抵抗する人が、減っていくのではないか。
 

「教条主義の弊に陥り」

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月25日(土)09時34分38秒
  コモンセンス氏は「再び違和感です(8)」でも今回の(9)でも、同じ文言を繰り返し投稿されている所に疑問を感じます。
「この点を間違えてしまうと、教条主義の弊に陥り、御書を正しく拝読したことにはならない。重大なあやまちをおかす場合が多いのです……と。会長はよく言われますね」

これは昭和51年6月5日の聖教紙面からの引用で、先生から聞いた話として“女子部の一幹部”の発言と書かれています。
女子部の一幹部→藤田栄→54年4月当時の女子部長。
→後に高橋英明欧州議長の妻となる。
2010年1月度本部幹部会の席上で、池田先生から厳しく叱責された夫婦。

「教条主義の弊に陥り」→「会長はよく言われますね」と藤田女子部長の発言。
色々探してみましたが、池田先生の御指導の中で「教条主義の弊に陥り」の言葉は見つからず、「教条主義」の言葉として【1992.5.5創価同窓の集い】に出ていましたが、コモンセンス氏の使われ方と少し意味が違います。
今から25年近く前の御指導ですが、驚くほど今の状態について指摘されており、(長くなるので)後ほど投稿させて頂きます。

“教条主義の弊に陥”↓
「状況や現実を無視して、ある特定の原理*原則に固執する応用のきかない考え方や態度」の様な「良く無いない習慣(害)」に「陥る」
って事でしょうか?

2015年9月19日の安保法制の採決の後に私は『池田先生はトインビー博士との対談で安全保障関連法案に反対と御指導されている』と意見したのですが、その時に居た幹部から「何十年も前に言われた事だ」の説明の中に「教条主義」と言う言葉を使ってました。

どんな時代や現状が変化したとしても、師匠の言葉を軽視する様な事があっては、絶対にいけない。
弟子である私達が「教条主義」と軽く言ってはいけないし、もっと師匠の心を理解すべきだと思います。
池田先生の言葉を「ただの指導」と受け取るかの違いじゃないでしょうか?

先生の指導って…「もぉ あかん」という時に、先生の言葉の奥深さが解る気がします。
上手く伝えられませんが、私は「教条主義」って言葉は好きになれません。

 

バトル・シンフォニー

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 3月25日(土)09時30分58秒
  >『新・人間革命』の内容が昭和53年6月から54年の4月まで来るのになぜ3年もかかるのか?と言う素朴な疑問<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66540
明らかというか、露骨な時間稼ぎですね。本音は池田先生が早く亡くなって、「『嵐の4・24』は書かずに済んだ」を狙っていたのでしょう。
(もし、そうなら、我々の討幕も急がなければなりませんね)
当初の計画では第三代会長期約20年を連載約20年でしたから、1年あたり平均1年というペースからして、極端に時間を稼いでいました。野球ならボークですね。
特に酷かったのは「広宣譜」のあたりです。全学会歌の歌詞を載せたでしょうか。短い行で原稿枚数を稼いで時間を稼いで。書けなくなった小説家がよく使う手で有名です。
調べたら「広宣譜」は「あの2014年11月(18日)」から。そう、教義変更・会則変更ですね。あの時から、十何年なかった会則変更が毎年。11月になると、今年は何が起きるのか、ハラハラドキドキするようになりました。11月は学会にとって意義ある月であると同時に第二次宗門問題勃発などワヤにされた感じがあります。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Circle/2009/kosen.htm
あんなに沢山の学会歌を載せないといけなかったのでしょうか? 全国分載せないと不公平???

それにしても、魂の炎さん、仰る通りです。キツイですねぇ~(笑)
>未来部のメンバーに北条や秋谷を目指せ!って言うのかい??<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66541

大山さんの予想が当たりそうです(笑)宿坊に見つからなかったら残ったかも、ですが。元職員たちのいる神奈川ですからね。『実名告発 創価学会』の震源地ですから。「水没」ちゃいますか?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66544

安倍もよぉ、やるのぉ。笑わっしょるのぉ。近年のコメディでよくやるネタですね。松井がやろうと言った百条を公明が拒否? ヨッシーさんの新しいコメディのネタが増えそうでしょうか? 今度は現代劇で。三谷幸喜風に。あるいは映画『タイタニック』? 「我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶる」!?

疑問さん、鋭い!!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/66547

“行かなくちゃ、まだ長い道のりが待ってる”
“これまでも歩いてきた 答えを探すために でも答えはいつも手に届かないんだ”
“バトルのシンフォニーを聞く”
“対峙した世界 もし鎧が壊れても それでも戦うのさ”
“バトルのシンフォニー”
“諦めない そして目をさますのだ 俺のバトルのシンフォニーが”
“俺は同類じゃないらしい だから下がっておけって”
“俺のリズムが有るんだよ 降伏はしない、イリュージョンは無い”
“良いか悪いかのために 戦うのさ”
『バトル・シンフォニー』リンキン・パーク
https://www.youtube.com/watch?v=D7ab595h0AU

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

追伸

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)09時26分23秒
  池田先生も不惜身命など指導されたが、それは「法のため」「師のため」であり、大目的は広宣流布ではないか。そのために、非暴力の「言論戦」「折伏戦」をするのではないか。

仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり

読者を、なんとなく「そうだよね」と納得させるような記事を書いてどうするのか。
 

邪教化している執行部(# ゜Д゜)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年 3月25日(土)09時15分33秒
編集済
  栃木の久保田です。m(._.)mヽ(^○^)ノ

虹と創価家族様、mission様、のご投稿に賛同致します。m(._.)m

悪を放置してはいけない。また、自身も悪と戦う事を忘れてはいけないと深く感じます。

牧口先生も、戸田先生も、池田先生も 広宣流布の激闘を続け、法難にあい続けた人生を歩んで来られた。大聖人はその様な人を法華経の行者とも仏とも呼ばれている。

御書には『唯、人師の尺ばかりを頼みて仏説によらずば何と仏法と名を付くべきや言語道断の次第なり』と仰せであり、万歩も億歩も譲っても秋谷や原田は人師、論師である。

その様な輩の言葉を引用して仏法を語るとき、師匠の又は仏の金言とセットで引用しなければ信頼することは出来ない。

また、大聖人は『仏法は体のごとし世間は陰の如し体曲がりぬれば陰斜めなり』と言われ、世間を騒がしているニュースを見ても体である仏法が曲げられその陰である世の中の出来事の悲惨さや乱れていることが読み取れ、仏法のねじれた様が伺える。

大聖人の仏法は誰であっても仏性があり悪人であっても縁に触れれば仏の命が出てくると仰せだ!

池田先生のご指導のもと正しく御書を勉強し、実践してきた会員さんは紛れもなく法華経を行じて来た人達で、しかも顕正会や日顕宗の攻撃から会員さんを守ってきた人達は護法に尽くしてきた人達である。

その様な尊い人達を自分達の過去の過ちを隠ぺいするためや自分達の保身、そして利益の為だけに査問し、除名し処分してきた原田、秋谷、谷川、八尋、佐藤浩

等、畜生道の達人達が仏法を曲げている。

執行部よ!大聖人は末法の法華経の行者はどのような姿で有ったとしても国王、大臣よりも尊貴な存在だと言われているぞ!

正しい人々を迫害しているが故の世界中の混乱であるのでしょう。

お前達の罪は重いぞ!

籠池理事長の証人喚問や最近露になった保育園の事件や大手企業が行ってきた不祥事など社会の悪が次々と暴かれ出してきた。極悪の執行部の文字通り極悪ぶりが暴かれる時が来るだろう。

トップだけ押さえていればその傘下は?

『思い通りになる?』

と思っている時代遅れのバカ共よ(# ゜Д゜)

主権は国民、市民に有るのだ(# ゜Д゜)

そして国民も俺たち池田門下もお前達が考えてるほどバカじゃないぞ(# ゜Д゜)

結局執行部や公明党のトップ達の方が時代も読めない馬鹿なんじゃねーか?ヽ(^○^)ノ




 

大白蓮華2017年4月号

 投稿者:疑問  投稿日:2017年 3月25日(土)09時09分44秒
  p80ー
小出忠孝氏インタビュー
愛知学院 学院長 (曹洞宗の創設した学校)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
p84 要旨
同大学の「建学の精神」は「行学一体」「報恩感謝」だ。

一方、創価大学の「建学の精神」や、創立者の指導する「親孝行」は、私(小出氏)も同感だ。

宗教上の教義や、その表現方法は違っても、その意図する本質は同じであると思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これを読んで、稲田朋美大臣の「教育勅語の核の部分は取り戻すべき」という発言を思い出した。

確かに、教育勅語は、親孝行など一般に受け入れられそうな徳目が散りばめられている。

ただし、それらは、日本国民は天皇に仕える臣民だ、という前提の上にある。そして、「有事の際は、天皇のために命を捧げよ」という言葉も載っている。

これに対して、法華経は、万人に「仏性」が備わり、平等だという前提がある。その上で、日蓮大聖人や池田先生は「親孝行」などの実践を指導されてきたように思う。

このように、部分的に共通するからといって、意図する本質まで同じとは言えないのではないか。

少なくとも、大白蓮華がこれを載せる意図がわからない。教学試験特集で載せた「五重の相対」はどうしたのか。


 

さすが神奈川創価学会 、 見事!

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 3月25日(土)08時53分6秒
  方面、あるいは県単位丸ごと

自らの旗を掲げる時が近づいているようだ

日本全国、いたるところで

真実の三色旗が翻る光景が目に浮かぶ

神奈川創価学会 頑張れ!!
 

本日の政教珍聞で~す、付録

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月25日(土)08時39分29秒
  『獅子は、我が子を、千尋の谷に落とす』という逸話は、広く知られていま~す。小生の浅薄な理解ですが、

親である獅子(師匠)は、我が子(弟子)を千尋の谷に落とし(試練を与え)、這い上がってきた者(試練を克服した者)を

一人前と認め(師弟不二の者と認め)共に生きる(使命に生きる)と理解しておりま~す、


さて、そこで、本日の「新・人間革命」雌伏二、デスが・・・・

十条さまは、アッキーヤさまは、原田怪鳥さまは、試練を乗り越えたのでしょうかぁ~? 否でぇ~す(笑)

宗門の権力に屈し、従い、師匠と共に戦わず、逆に師匠を貶めて、師匠の行動を制限して、ヤマトモの脅迫に屈して、億の金を払い、

宗門の終わらぬ脱会運動、マスコミの攻撃、ヤマトモの恐喝と、にっちもさっちもいかなくなって、ナニも出来なかった首脳幹部。

これのどこが、「試練を乗り越えた」んでしょうかぁ~(笑)

結局、反転攻勢した師匠のケツにくっついて、後ろで騒いでいるだけの、情けない弟子等であることを証明しただけではないデスかねぇ~(笑)

その、情けない弟子等の筆頭が、いまだに学会本部で、「直弟子」などと名乗ってるワケで~す(笑)

ヤマトモの弟子の八〇大菩薩さま、いつまでも「先生」と呼べなかった、アッキーヤさま、原田怪鳥さま、アナタ方が、本部にのうのうとしている限り、

54年問題は総括されたとは、とてもじゃあないデスが、言えませんねぇ~(笑)
 

神奈川創価学会のホームページは!

 投稿者:大山  投稿日:2017年 3月25日(土)08時15分46秒
  即刻、削除されるのでは?

今展開されている新・人間革命の内容に合致しません。

都道府県別に立ち上げられているホームページも、査問・除名の対象ですね(雄伏)

神奈川創価学会のホームページが削除される前に皆さんでしっかりコピーを取っておきましょう(哀)
 

【公式】神奈川創価学会ホームページ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月25日(土)07時52分32秒
編集済
  ■「正義」と「共戦」の誓い(昭和54年)


「誓」「共戦」と。
「共戦」の揮毫には
「生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」との脇書を添えて。

また、5日には「正義」
――脇書には
「われ一人正義の旗持つ也」と。

「会合で指導してはいけない」「聖教新聞に出てはいけない」との宗門からの要求の中、名誉会長は、ただ一人、決然と正義の闘争に立ち上がった。

「しゃべるなと言われても、書くことができる。書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる」と。

手紙、記念撮影、ピアノ演奏などを通し、全国各地から集う同志を、抱きかかえるように励ました。

階段で。ロビーで。同志の姿があれば、走るように会館内を動きに動いた。名誉会長のいる場所が“本陣”だった。

新聞にも報道されない一対一の対話。この励ましの闘争が、世界広布へ飛翔する“新しい創価学会”を開いていく。


http://www.kanagawa-soka.jp/history/seigi-kyosen.html

 

【定期案内】「教学部レポート」「遠藤文書」を希望される方へ!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月25日(土)07時50分19秒
  ■独自性と独善性を勘違いしている現執行部の狂い。
その元を知る為におすすめしています。

■詳しくは下記をご覧ください。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64792
 

悔しい気持ち

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 3月25日(土)07時39分15秒
  今朝の新・人間革命
『山本伸一は、学会本部に行くことを、なるべく控えるようにしていた。
会長になった十条潔たちに、思う存分、指揮を執ってほしかったし、自分が本部にいることによって、ついつい皆が頼ってしまうようになることを避けたかったのである。』

違う!違う!
その当時の学会本部には池田先生の居場所がなかったわけでしょ!
池田先生が学会本部へ行きたくても行くことができなかったわけでしょ!

北条や秋谷たち執行部は、宗門がうるさいからと池田先生が学会本部に来ないように画策していたんでしょ!
「ぼくたちは、池田とは関係ありません。御宗門のおっしゃる通りに学会は運営していきます。」ってやっていたんでしょ!

原田さん、間違いは間違いとして認めなければ、同じ過ちを繰り返してしまいますね。

それにしても今朝の新・人間革命・・・
ヒドくないですか?
池田先生を裏切った北条や秋谷たちを「獅子の子」に例えるなんて・・・。
未来部のメンバーに北条や秋谷を目指せ!って言うのかい??
 

賢くなりたい婦人部様の疑問

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 3月25日(土)07時27分16秒
編集済
  >『新・人間革命』の内容が昭和53年6月から54年の4月まで来るのになぜ3年もかかるのか?と言う素朴な疑問です。<

虹も同様に、新・人間革命の進行の遅さに疑問をもっています。
多くの方のご意見を参考にして出た個人的な結論は「時間稼ぎ」です。

執行部として54年問題に触れたくない。
54年問題を話題にすればするほど、現場会員の目覚めのきっかけとなるからです。

3年前の2014年と言えば、11月8日に会則改定の発表がありました。
また、2015年9月19日の安保法制の採決は、永遠に忘れられません。
厳しく言えば、創価学会と公明党が池田先生を裏切った日です。

この時期は多くの会員が「おかしい」と声を上げました。
また、声を上げた会員の中には、会則改定や安保法制をきっかけに54年問題を深く学び『嵐の4・24』を再読される方も多くいました。
54年問題を学ぶ事により、内部権力に潜む魔を見破る会員が増えました。
ゆえに『嵐の4・24』の再読や啓蒙は、執行部にとって都合が悪いと思います。

事実として54年当時の執行部であった、原田会長と秋谷元会長が信心を魔に食い破られた事が明らかになる。
それは、原田執行部が権威を失うきっかけにもなります。

秋谷元会長は、聖教新聞でこのように謝罪しています。

【今もって本当に申しわけなく、また情けなく、悔しくてならないのは、あの昭和54年4月24日の第三代会長御勇退である。
嫉妬に狂った坊主どもの暴圧があった。
それと結託した裏切り者どもの謀略があった。
だが、その虜と成り果て、魔に食い破られ、悔やんでも悔やみきれない事態を招いてしまったのは、すべて私ども執行部の罪である。
あの時の、全国、全世界の同志の叱責! 池田先生を求める悲痛な叫び!
いったい最高幹部たちは、何をしていたのか。
戸田先生の「第三代会長を守れば、広宣流布はできる」との遺言を忘れたのか!
私は、一言もなかった。
(「五月三日へ私の誓い」会長 秋谷栄之助)より】

ゆえに新・人間革命の進行を、意図的に遅らせたいと考えるのが自然ではないでしょうか。

教学部レポート公開時期から、大山の章に入るまでの新・人間革命の進行状況は明らかに遅い。
この進行の遅さに、今も強い違和感を感じています。

 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、新滝山寮の完成、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 3月25日(土)07時16分24秒
  おはようございます。原田怪鳥様、滝山国際寮・万葉国際寮の完成、誠におめでとうございま~す(笑)

創大生も、充実した学園生活を送られるコトでしょう、楽しみなコトでぇ~す(笑)

しかしながら原田怪鳥様、どこがどうスバラシイかを語るだけでなく、旧滝山寮の伝統や歴史がどの様に継承されているか? を、

論じてほしいもので~す、例えば、旧滝山寮のこれこれは、このように残して、創立者の想いをこのように残している、とかで~す(笑)

もしかして、全部、ブッ壊して、捨て去って、新しく建てたんデスかぁ~(笑)

どこかの宗派の前法主が、師匠や会員が宗門への外護の想いを込めて建てた、大客殿も正本堂も全部ブッ壊してましたケド・・・

「直弟子」の原田怪鳥様や、執行部の皆様方が、違う想いであろうことを、心から祈るものデスよぉ~(爆)


さて、本日の「新・人間革命」雌伏二、 まったく、お笑いデスねぇ~(笑)

>山本伸一は、学会本部に行くことを、なるべく控えるようにしていた。会長となった十条潔たちに、思う存分、指揮を執ってほしかったし、自分が本部にいることによって、ついつい皆が頼ってしまうようになることを避けたかったのである<
(新・人間革命、雌伏二より引用)

全部、ウソでぇ~す(爆) 師匠には、部屋もなく、椅子もなく、机もありませんでしたよぉ~(笑)

行きたくても、行けなかったのであり、宗門の要求をすべて呑んだ情けない弟子等によって、行動全てを制限されていたのが真実でぇ~す(笑)

また、師匠の心を推し量れば、情けない弟子等の手によって、自分の声が、会員に届かなくなるのを恐れてのことであったのかもしれませ~ん(怒)

だから、タイトル通り「雌伏」なので~す(笑) タイトルは正解でも、内容は矛盾する。

だから「珍・人間革命」だの「世紀の駄作」と評されるのでぇ~す(笑)

明日からも、どんな風に捻じ曲げて54年が描かれるか? 期待しないで待ってまぁ~す(爆)
 

わが友に贈る 2017年3月25日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 3月25日(土)07時06分29秒
  さあ 対話の春だ!
相手の幸福を祈り
情熱を込めて語ろう!
「声も惜しまず」
隋力弘通の実践を!
 

『うるし千ばいに蟹の足一つ』

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月25日(土)05時52分45秒
  《飛翔こそ蘇生》様、おはようございます。
御書の中の短い御文ですが、的確に要点を捉えられた言葉で…教学に疎い私は、昔に学んだ御文を思い出しチョッと感動しました。
【曾谷殿御返事】を初めて学んだのは、宗門から学会員達が破門された(1991)数年後だったと思います。

『うるし千ばいに蟹の足一つ』
樹皮にキズを付け時間をかけて少しずつ採取した器1000杯分の漆液の中に、僅か蟹の足1本を入れるだけで、蟹の成分によって漆の効力がなくなる。
清らかな水の中に一滴の毒を入れても、飲む事は出来ない。
正法に違背し誹謗する謗法は、信心する上での猛毒で、妙法の清らかな水を毒水に変えてしまう怖さがある。

だから謗法の悪は、厳しく攻めなければいけない。
末法の時代は、正しい事に違背する心を起こさせる悪知識に満ちている時代。
しかも宗教的権威をもった僧(者)が、悪知識になる時代。
だから妙法の智水を正しく通わせるためには、権威*権力を恐れず勇気の心で悪を呵責していく事が大切。

「悪と戦う」事が重要な理由は、戦わなければ自身が悪にまみれてしまうから。
悪を容認してしまえば、多くの人々が苦しみ悩む事になる。
悪を滅しなければ(真の)善の行為とならない。
仏法上の悪と戦わなければ、自身の成仏も有り得ない。
「悪との戦い」は、決して中途半端ではいけない。

涅槃経に云く【若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり】
『法を破壊する者を見て於いて』この中の『見て』の字と『置いて』の字を“よくよく心に刻むべきである”と仰せです。
「法華経の敵」を見てながら、放置して責めなければ、師も弟子もともに無間地獄は疑いない。
また、謗法呵責の実践がなければ、成仏を願っても無益であるどころか、どんなに法華経を信じても必ず地獄に堕ちるとも仰せです。

牧口先生
『善いことをしないのは悪いことをするのと同じ』
戸田先生
『悪とは完膚なきまで戦うのだ』
池田先生
『勝つか、負けるかである。最後まで、悪にはとどめを刺さなければいけない』

 

(無題)

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 3月25日(土)03時26分22秒
  『うるし千ばいに蟹の足一つ』
怖いですねー。
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 3月25日(土)02時33分29秒
  だれでも自分一人の力で大きくなった人はいない。多くの人に守られ、支えられて生きている。よき環境はよき人間をつくる。自ら、そうしたよき環境、よき人間のつながりを求めていく人は、かぎりなく伸びていけるのである。  

「凡夫即身成仏論」カスタマーレビュー

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 3月25日(土)01時57分48秒
  5つ星のうち 4.0    21世紀の日蓮本仏論
投稿者 amazon reviewer 投稿日 2017/3/23
人間主義の日蓮本仏論を求めて、という著者の姿勢に1990年代から共感を持っている学会員です。
2014年の学会の教義変更とそれに続く解説は納得感が無かったが、この書の論であれば誇りを持って続けて闘える、と思いました。
著者もこの書で指摘している「師弟不二論を悪用した組織防衛論」に大きな違和感を持っており、人間主義の師弟不二論を展開できないものか、そのヒントがないか、も考えつつ読ませていただいています。まだ少々読み残していますが、末法万年の広宣流布に向けて欠けてはならない取り組みと評価させていただいています。
----- 今は、様々な想いを持つ一人ひとりにとって大きな転換期ですね。「この書の論であれば誇りを持って続けて闘える」という言葉に感動しました。ぜひ頑張ってください。
 

再掲します。【人間の為の宗教を目指して】52年路線から54年問題へ

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月25日(土)01時06分44秒
  大御本尊は偽物である。で有名になった河辺メモ。
実は学会が非公開にしている部分に
会長辞任以降の池田先生の動向をつぶさに宗門に報告している
学会本部職員、幹部の姿が記録されています。
会長辞任の54年問題と第一次宗門問題、第二次宗門問題は繋がっていた事件なのです。(追記しました)

***********************
イケディアンの住人様の問い

(空き家が宗門の悪侶に『在家も供養が受けれると池田が言っている』と通報、これまた第一次宗門問題の火種になった事)

に対して、ダメ様が挙げてくれた貴重な資料です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

>>これは昭和52年1月15日の当時の関西戸田記念講堂で開催された第9回教学部大会での記念講演だと思います。

後に第一次宗門問題において問題にされた御講演です。

しかし、今読み返しても第一次第二次宗門問題。又現在の創価学会の状況と照らし合わせるならば先生の仰る事。一つ一つが正論であり、的を得た御講演です。<<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/44076
http://6027.teacup.com/situation/bbs/44077

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

時間が経過してしまっていますが、54年問題がどのようにして起きてきたのかを知るうえで
大変に貴重な資料です。再度、挙げておきたいと思います。

対宗門との関係では在家の供養問題が大きく影響しました。

しかし、この52年講演は、もっと深い次元で、宗教はそもそも何のためにあるのか。
誰の為の宗教なのか。という池田哲学の根本を提示しているのです。

この点において、池田先生のお考えは当時から一貫しているのですが
当時の執行部や学会員の中では、これが理解できなかったのです。
(今も本質は理解できていないのかも)

以前に宗門残機という論点で、グリグリ様の講義もあったかと思いますが
どうしても、長いものに巻かれていたい日本人的な体質が根底にあるのだと思います。

人間革命、宗教革命、発迹顕本など、いろいろな表現はありますが
学会員がこの殻を破っていかない限り、学会の発迹顕本はないのだと確信します。

============================

【維摩詰について】
投稿者:イケディアンの住人?? 投稿日:2016年 4月14日(木)13時55分24秒??   通報

?? 昭和53~54年の本部幹部会か、講演で先生が維摩詰の生活と意見を言及されて、空き家が宗門の悪侶に『在家も供養が受けれると池田が言っている』と通報、これまた第一次宗門問題の火種になった事は、有名な話だったとのお話を伺いました。どなたか、詳細なスピーチ持っていますか?
この話も、新・人間革命に描かれることは、無いのでしょうね(-_-)
先般の松下幸之助氏との交友・書簡など多数あっても描かれない新・人間革命、スタッフは、全く読んでいないのか?当時の関西女子のメンバーも年老いて師弟の道を全員踏み外して退転しているのか、危惧しています(-_-)
 

所論の着地点が…

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 3月25日(土)00時35分46秒
  コモンセンスさん自身にも見えてこないまま、くどくどと同じ主旨の話を引きずるから読み手が苛立つ結果になる。
主張そのものには一理あるとしても、いったい誰に向けて語りかけ、誰にとって益する議論なのかが彼の中では漠然としているので、まとまりのない繰り言と受け止められかねない。不特定多数が目に留めるネット掲示板とはいえ、自分の存念をしっかりと伝える対告衆をある程度は明確にしたほうがいい。

随筆と小説、いちいち対比してあれやこれやと詮索するのがそもそもナンセンスとも言える。
そもそも論で突き詰めるならば、個人全集に収録されないライフワーク、あるいはライフワークの完結を待たずに打ち止めとなる個人全集の意義と価値は何ぞや、という話になる。。

4.24の後に生まれてきた若い世代に、年老いた者がどのような視座を据えて、借り物でない自分の言葉で歴史を語り、師弟の精神を伝えていくかが問われている。
だからこそ『嵐の4.24』に限らず如何なる文言も金科玉条の如く無条件に絶対視する方向性は避けるべきであって、『大山の章』の“欺瞞”や記述内容の“いたらなさ”をも奇貨として各人が歴史の教訓を導き出す材料に変えていくことが肝要なのである。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 3月24日(金)23時49分58秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

「再び違和感です」も~良いですよ

 投稿者:mission  投稿日:2017年 3月24日(金)23時27分31秒
編集済
  師匠である池田先生の言動を、どう受け止めるか?どう感じ取るかは、会員一人一人の人生に於いて、各々の信心の姿勢で微妙に違ってくると思いますよ。
『皆が同じ受け止め方*同じ感じ方はしないんだぁ』って、幼少の頃からの信心で色々な人達を見てきました。

だから「数多くの不信感に対して、私は強い“違和感”を覚えている」と主張されてきたコモンセンス氏にも『そうなんやぁ』だけです。

「【嵐の4・24】も真逆な“積極的”な勇退も、共に紛れもなく先生ご自身の“選択”である」とコモンセンス氏が判断されてるのであれば、それで良いじゃないですか?

この宿坊の掲示板は、ご存知の様に
【巧妙に結託、師匠である池田先生を追放した最高幹部、54年問題総括の場】
なんです。

「現実には納得しない方が少なくないかも知れません」と言われながら、「何度も言いますが」…と此処の掲示板で繰り返されても同感する人は少ないのでは?
何故ここで何度も、御教示されるのか… もぉ お腹いっぱい。

なので「もう少し考えを進めてみましょうか」なんて事を続けずに、コモンセンス氏の「懸念」を十分に理解して貰える掲示板で、主張を再掲される事を御進言 申し上げます。

 

大山の章の違和感Ⅱ

 投稿者:あの時と同じ  投稿日:2017年 3月24日(金)22時55分1秒
  コモンセンス様
  中学生から読み始めた人間革命と、1979年刊行の「随筆人間革命」の間に「違和感」は感じませんでした。どうして、新人間革命と「嵐の4・24」はこんなに「違和感」があるのでしょうか。そして、そもそも「全体を把握しつつ一か所を深く読みとらなくてはならない」などどいう屁理屈をつけなければ読めないモノが、先生のお心と言えるのでしょうか。あの54年に八王子にいた者の一人として、貴殿の詭弁(いや危弁だ!)は、全く受け入れがたいものである。貴殿の姿勢は、真実を隠蔽し責任逃れの誠実さのない執行部の姿そのものではないか。早々に退散されたし。
 

同盟題目は23時!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 3月24日(金)22時52分50秒
  時間になりましたら開始します。よろしくお願い致します。
今日も同志が眼を開くように、びんびんと祈りましょう。
 

Twitterより。弟子が師匠を裏切ったという暗黒の歴史。今が学会に巣食う宿命の鉄鎖を打ち破る本懐の時。信心の眼で。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月24日(金)22時19分23秒
  七つの鐘の総仕上げは宗門問題で
師匠が会長辞任という、弟子が師匠を裏切ったという暗黒の歴史。

今の師匠の人生の総仕上げの時には
弟子が立ち上がり師匠を裏切った輩、心根、学会に巣食う宿命の鉄鎖を打ち破ることこそが本懐である。と思う。

信心の眼で本質を見極めていく。
 

Twitterより。辞めさせた執行部を美談に。大山の章はアウト、阿呆らしいわ。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 3月24日(金)22時15分40秒
  今日の新・人間革命「大山67」は、ダメ。奥様との有名なやり取りさえないです。海外へ行くことを考えられた池田名誉会長に、奥様が学園生の話をするエピソード。立川文化のボイラー室は明日出るの?いずれにせよ、仏法史に悪行として残る池田会長を辞めさせた昭和54年が、美談になってます。アウト  

大山の章の違和感

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月24日(金)22時00分18秒
  コモンセンス様

女子部の幹部の方の話、言わんとされるところは、
賢くない私でも理解できますよ。
問題は、1999年の随筆『忘れまじ嵐の4・24』の衝撃、そしてそれに続く2010年までの先生のスピーチ。

以前に無冠様が挙げてくださったように、
先生は繰返し、繰返し何度も4・24の無念さと
最高幹部の臆病、ずるさ、裏切りを断じてこられています。
本幹部会同中を聞いて来た全国の会員は、その時の先生の声、お心を直に聞いて命に焼き付けています。
それと『新・人間革命』との落差、違和感だと思います。
その間に何があったのだろう?
『新・人間革命』の内容が昭和53年6月から54年の4月まで来るのになぜ3年もかかるのか?と言う素朴な疑問です。私の場合は。
 

共謀罪を認める事は、自らを虫ケラと認める事

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 3月24日(金)21時52分21秒
  自らを虫ケラであるとする者は

踏み潰された後に文句は言えない

自公政権は、共謀罪の6月成立を狙っている。

成立してしまえば、平和主義勢力の敗北は必至。

戦前、治安維持法の弾圧によって、学会最高幹部全員が

退転したことを忘れるべきではない。

もう、それほど時間は無い。
 

再び、違和感です。(9)

 投稿者:コモンセンス  投稿日:2017年 3月24日(金)21時15分28秒
  仕事が多忙なため、投稿を中断しているうちに、「大山」の章が終わり、新たに「雌伏」の章が始まりました。

先生の会長辞任を巡って、これまで教えられ、学んで来たことと、「大山」の章で書かれていることが、まるで違うではないか、という数多くの不信感に対して、私は、強い“違和感”を覚えている、と主張してきました。

確かに、随筆「嵐の4・24」に象徴される怒りと、「学会の会長辞任も、もはや未来のための積極的な選択」(「大山」34)とは、まるで正反対の捉え方ですから、歴史の改竄なのではないか、と疑心暗鬼となる人が出ることは無理からぬことです。

そう考える人からすれば、会長“追放”に深く関わった人々が、自分たちの負い目を隠蔽しようとして、史実を捻じ曲げさせているのではないか、と疑いの目で見始めたとしても、それも理解出来ぬことでは決してありません。

しかし、私は、むろん「嵐の4・24」も、それと真逆な“積極的”な勇退も、共に、紛れもなく先生ご自身の“選択”である、と判断しております。

仮に“執筆グループ”の存在があったとしても、先生のご意思に背いて、他の人物が内容を改変出来るようなものではありますまい。

何度も言いますが、「嵐の4・24」も「大山」の章も、共に、当然のことながら、「池田大作」著であることに異論の挟みようがありません。

そのために、もう一度、私の主張を再掲したいと思います。

「歴史上の偉大な人物の場合をみても、遺された言葉には相反するものがある」という中国の理論家の言葉を巡って、『池田大作 思想と行動』(三天書房刊)の著者が、次のよう女子部幹部の証言を取り上げていることに注目いたしました。

「よく御書…を読む場合、全体を把握しつつ一か所を深く読みとらなくてはならない。また、一か所の意味を深くくみとりつつ、全体をトータルに理解していかなくてはならない、といわれる。
なぜならば、一遍の題目でも成仏できるという意味の御書もある。更にいくら長い間、信心していても『うるし千ばいに蟹の足一つ』で地獄におちてしまうこともある。これらは相矛盾するような御金言のように思えるが、この点を間違えてしまうと、教条主義の弊に陥り、御書を正しく拝読したことにはならない。重大なあやまちをおかす場合が多いのです――と。会長はよく言われますね」

この先生の考え方を素直に読めば、「嵐の4・24」は正しく、一方の「大山」の章は、疑いの目で見るということ自体、全体を把握せず、“教条主義の弊に陥”っていることになりはしないか。そのことを懸念するばかりなのです。

それでも、現実には、なお、納得しない方が少なくないかも知れません。

もう少し、考えを進めてみましょうか。
 

善悪を峻別せよ

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 3月24日(金)20時57分21秒
編集済
  …………………………【悪人を許すな!】…………………………


悪人を断じて許すな!(戸田先生)
今は本当に大事な時である。このご指導をもう一度、命に刻み、その通りの実践をしていかねばならない。
悪に対して、変な遠慮や躊躇があってはならない。

大切なのは、皆がしっかりすることだ。
どうしたら同志が晴れ晴れと勝利していけるか。
そのために祈り、知慧を出すのだ。

重要な責任のある大幹部に対して、
どんどん下から意見を言い、
正すべきことは正していくことだ。

言うべき時に黙っていてはいけない。
婦人部の皆さんも、遠慮する必要はない。
女性は強い。
まじめで、正義感がある。
不正を許さない。

男性は、どうしても威張る。見栄を張る。
そうした傾向が強い。
だからこそ、正義の女性の存在が大事になってくる。
建設は死闘、破壊は一瞬である。


(中略)

どんなに表面を繕っても、その人物が本心で何を考えているかは、手に取るようにわかる。
まず最高幹部が、広布の最前線に飛び込み、
一兵卒として、泥まみれになって戦うのだ。
自分が中心なのか。師匠が根本なのか。
この一点が狂うと、すべてが狂ってくる。
厳しいようだが、皆のため、学会の未来のために、
私は厳然と言い残しておきたい。


(提婆達多・五老僧の本性は「嫉妬」と前置き)
創価の拡大の歴史は、一面から見れば、
卑劣な「嫉妬」との戦いであったとも言えよう。

師弟の真実を、誰が本当に守ったのか。
創価の師弟が攻撃された時、だれが陰で笑っているのか。
だれが悪党で、だれが臆病なのか。
善は善として讃え、悪とは戦う。
正邪を皆の前で証明するのが仏法である。



…………………………2006/12/24全国最高協議会……………

こんなご指導は、最高幹部にとっては、
『不都合な真実』に違いない。

2006年からの先生のご指導を
今一度、一字一句を丁寧に読んでます。
グリグリ様の「女性と教学」を楽しみに待ちながら。

 

(無題)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 3月24日(金)19時46分50秒
編集済
  これですね・・アッキーの携帯水没事件 (心臓(シンゾー)ちゃんが言った・・)
http://www.asyura2.com/17/senkyo222/msg/814.html

知らなかったんだな~(かわいうっそ~)
https://www.nttdocomo.co.jp/support/trouble/repair/soaked/data_recovery/index.html

日露平和条約成立あやうし・・心配
 

共謀罪は日本共産党撲滅の法門

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 3月24日(金)19時29分1秒
  仏敵日本共産党撲滅のための共謀罪立法です。と、地区部長。現代の治安維持法で何が悪い!と逆ギレされました。頭につける薬の無い方々ですね。  

「夢」と「仮想」!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 3月24日(金)18時56分45秒
編集済
   「夢」は“仮想”といっていいでしょうから、いついつまでに、こういう形に、と具体的にしないと実現することはない。 「夢」をつくるのも自身(心)、それを形にするのも自身(身)ということです。つまり自身の「心身」です。その推進力が「一念」であって、「一念」は「三千」でもあるわけだから、人それぞれに「夢」があって当然です。その総体がきっと“広宣流布”なのでしょう。

 自身でつくるからこそ「夢」であり、助言や参考はあっても、誰に与えられるものでもありません。自身の「一念」で推進するからこそ、思いっきりの力が発揮できるものです。つまり、「理」を重ねた理想論や、甘酸っぱい「お伽噺」では、ひとかどのものはできないということです。命を賭けた、否、もはや捨てた命を「一念」でしか、人の心を巻き上げる“上昇気運”とは成りたり得ないということです。

 「言葉」もひとつの“仮想”の世界にあります。「言葉」は、規則に則って、「意」を伝える手段です。伝える人、見聞きする人によって、発し方も、受け取り方も違う。「体感」や「実感」そのものとは違うということです。表現される、あるいは受け取るものも、やはりその人の「法」、つまり「一念三千」によって異なります。「論理」や「論議」も「法」の上の解析のものです。

 「実感」や「体感」が「事」だとすると、それが「言葉」は「理」とならざるを得ない理由でしょうか。もし「人法」で分けるとすると、「事」は「人」ということになるのでしょう。人の上に表れた「事実」や「実体」だというわけです。「師匠によって法は伝わる」というのも、きっと、ここにあるのでしょう。

 「法」や「法門」の解析の基本に、「経」「論」「釈」「抄」があります。「経」は仏説、「論」は菩薩造、その経や論に注釈を加えるのが「釈」、釈を註するのが「抄」とされます。
 私たちにとって、御書や池田先生の話は「経」といっていいでしょう。何も付け加える必要がありません。人の言葉のどれを「論」とするかは悩ましいところです。何しろ、菩薩の「造」なのですから、利他が必須です。釈、抄となると、これはもう、無尽ともいえますから、めぐり合うことが「三千」の実体なのかも知れません。取捨選択は必要で、その取捨選択の中にも「三千」があるのでしょう。

 ということは、「経」「論」「釈」「抄」のどれを読み開くにも、その人の「一念三千」が反映するわけで、むしろその読み開く中身が、見聞きする側の共有や反論を生み出すものです。自身がどう読み開くかを披露しないことには、その人の「意」はわかるものではありません。「経」「論」「釈」「抄」のどれを引用するのも自由ですが、その一次情報だけでは“不親切”の謗(そし)りは免れないでしょう。

 ※ぐりぐりさん、また論考の投稿ですって! 楽しみです。



 

TBSニュースより

 投稿者:JACK  投稿日:2017年 3月24日(金)18時44分47秒
  籠池氏の発言を聞いた後の感想

「あぶり出したかったのは大うそつきだってことですよ。総理や昭恵夫人に対してああいう無礼なことを言ってくるわけだから」(公明党 富田茂之衆院議員)

あぶり出されているのは、公明党各議員の本性。
そして、それを支持する者の本性。
 

/1231