スパイダースのベスト・アルバムを手に入れて聴きまくったのは高校1年生のときだった。カッコいい曲はどれも「かまやつひろし」の名前があった。

 最初にご挨拶(あいさつ)したのは伊藤銀次さん主催のコンサート楽屋。同じ楽屋にいた山口冨士夫さんと談笑していて、山口さんに対して「ユーは」と話しかけていたのが印象的だった。

 1992年の春、『ガリバー』という旅行雑誌でムッシュが案内するロンドンの特集をやることになり、編集長だった岡本仁さんと共に六本木の裏通りにあった「隠れ家」を訪ねた。約束の午後1時、ムッシュは目覚めのシャンパンはいかがですか、と勧めてくる。そのときカッコよくてお茶目(ちゃめ)な人、というイメージが出来上がってしまった。

 3週間のロンドン滞在の間、ムッシュはとにかく自分をはじめ若いスタッフ全員に細やかな神経を使ってくださる。ロケバスの中で、ロバート・アルトマンの映画『マッシュ』の話になって、あの中でラジオ東京の音楽として流れる日本語の「私の青空」はぼくの親父(おやじ)が歌ってるんです、と教えてくれた。その映画が大好きだった自分は、東京に戻ったらサントラ盤のCDをお持ちします、と話し、そのときからムッシュと距離が近づいたように思う。

 帰国便の中で、いつか一緒にアルバムを作らせてください、とお願いすると、ぜひ、と微笑(ほほえ)み返してくれた。自分はそのことをすっかり忘れて、10年後にようやく『我が名はムッシュ』という作品で約束を果たした。

 そのアルバムを制作していたある日、スタジオのロビーでは『名探偵コナン』というテレビドラマの再放送が流れていて、その中でムッシュは逆さ吊(づ)りにされて叫んでいた。どうしてこんなお仕事までなさるんですか、と尋ねると、たまにテレビに出ないと忘れられてしまうので、と笑う。いまの時代、他の職業を持ちながら、妥協せず自分の音楽を追求するミュージシャンは当たり前になっているが、ムッシュはそんな音楽家の先駆け、芸能人が副業だった。

 ラジオ番組やコンサートにゲスト出演していただいたことも数限りない。セッションとか、乱入とか、ムッシュは得意だった。いっぽう、同じミュージシャンでもぼくはそういうことを好まない。不器用だし、苦手だし、何より自意識過剰だから。けれども、そういうタイプの音楽家に対して、誰よりも気を遣ってくれるのがムッシュだった。だから偏狭でうぬぼれの強いミュージシャンもみんなムッシュには甘えてしまう。本当に優しい人だった。

 1960年代、当時の若者たちの間で「愛と平和」を尊ぶ風潮が生まれた。戦争や暴力を嫌い、男女平等を当然と考え、弱者に手を差し伸べる。そんな「優しい時代」の空気を誰よりも巧みに表現したのがビートルズの音楽だと考えているが、ジョンやポールの人柄を間近に知るわけではないぼくにとって、ムッシュこそは「優しい時代」の体現者だった。

 ムッシュに優しくしてもらったぼくたちは、後輩にも優しくしなくてはいけない。誰に対しても。(ミュージシャン)

 ムッシュかまやつさんは3月1日死去、78歳。

 <略歴> こにし・やすはる 1959年札幌出身。85年にピチカート・ファイヴとしてデビュー。2001年の解散後は作詞・作曲家、アレンジャー、プロデューサー、DJなどで活躍。映画評論やコラムなども執筆する。