Gesanmedo ――Tibetan Highlands Elementary School Construction Fund NPO

 

 

チベツト語の興亡と出版物の現状

八巻佳子

 チベットといえば当然チベット人が居住する地域であるが、行政上からみると、その大部分は中国領土に属している。だがインド、ネバール、ブータン、東南アジア諸地域内にも古来からチベット人社会は存在するし、インドには亡命チベット人社会という特殊な地域もある。ここでは、中国内のチベットを対象として言語、出版、民族社会をめぐる現状と変化について取り上げてみたい。

 

●広範な地域で多種の方言が存在

 人民共和国成立以前、チベットはウ、ツァン、カム、アムドゥ、アリの広い地域にわたっていた。そこは、中国からいえば、唐宋時期は吐蕃、元明時期は吐蕃、西番、清代初期は図伯特、唐古特、清末民国時期には西蔵(前蔵)、後蔵、西康等と呼ばれていた。人民共和国成立後は前蔵、後蔵、阿里を合わせて西蔵自治区とされ、北部、東部は青海、四川、甘粛、雲南各省下に分割され、青海省は海北、海南、果洛、玉樹等六つの蔵族自治州、甘粛省は甘南蔵族自治州、天祝蔵族自治県、四川省はアバ蔵旅先族自治州、甘孜蔵族自治州、木里蔵族自治県、雲南省は迫慶蔵族自治州に統治されている。したがって西蔵とか蔵族という言葉はチベット語ではなく、彼らは自分たちのことをプバ、チベットをプー、プーユーと呼んでもらいたいのである。また西蔵自治区に住む人だけが蔵族ではないし、他省に住む人は四川人、青海人ではないと思っている。青海、甘粛、四川に住む人はアムドゥワ、四川西南の人はカムバと従来の呼称を使っている。さらに自治区南部に住むロッパ、メンバ、シャルパはその言葉のようにチベット語を話す人々だが、民族としては門巴族、塔巴族と識別されている。

 言語については大別して古来からラサ語、カム語、アムドゥ語が三大方言とされるが、その中でも地域別の方言があり、地方性、歴史性を備えた言語が現在も使われている。例えば四川省西北部のジェーロン語、マルカム語、ミニャク語、ゲシツァ語等々には古代チベット語の要素が色濃く伝えられている。中国以外の土語となると、インド、ネパール、ビルマ、ラオス等の山間部に多種類のチベット系方言が存在する。従来、言語学上ではチベット・ビルマ語系とされてきたが、現在では漢・チベット語系と変化している。中国内での民族語調査は一九五六年以後、中国科学院語言調査隊が各地に入って調査を進め、既に多くの成果が発表・刊行されている。

 人民共和国後、漢語は北京官話を基礎とする普通話が標準語とされたように、チベットではラサ語が標準語となっているが、実情としては各地方の方言が変わりなく使われている。ただし、口語としてはかなり庶民化していて、旧時代の敬語や謙譲語がラサで通じなかったのは私の経験である。

 チベット語の形成は紀元前であるが、文字は七世紀半ばに創成された。インドに派遣留学したトンミ・サンポダは帰国後、サンスクリット文字を手本としてチベット文字を創り、インドから高僧を招き仏典を移入して、チベット文字に翻訳する作業が進められた。一方、唐王朝とも交流し、文成公主を妃に迎え、唐代文化を吸収するとともに、チベット人師弟を唐の部長安に送り、中央国学、儒学を学ばせ、漢語を習得させた。彼らはチベット王宮の中で漢学を講義したり、漢文の医薬学、天文暦算の翻訳にあたった。このように吐蕃王朝以来、インド、ネパール、中国との交流が続き、サンスクリット語、漢語を翻訳する学識者として訳師が多くの訳書、著書を残した。モンゴル王朝以後、チベットは中国の版図に入り、一層関係が強くなった。清代には満州族の高官が駐蔵大臣として赴任する等、漢蒙満語の他、ウィグル語、アラビア語も流入したが、公用語は漢語であり、チベットから漢族地区への留学、学術交流は民国時期まで引き続いていた。清末民初からチベット各地にチベット語教育の学堂が設立され、近代教育が始まると、チベット文語、口語、漢語漢文教育の他、ロシア語、英語、日本語の教科も現れた。

 

●文革後の民族語に対する積極的取組み

 チベットに社会的文化的大変動をもたらしたのは、一九四九年の中華人民共和国の成立であり、五〇年の中国人民解放軍のチベット進軍である。翌五一年、中国とチベット地方政府との間に締結された『一七条協定の第九条には「チベットの実際の状況に基づいて、チベット民族の言語、文学、学校教育を一歩一歩発展させる」とある。実際の状況とは教育の立ち遅れ、農民、婦女の九割が文字が読めないという現状であった。チベット語文の発展のため、まずチベット語新聞が発行された。もちろん、旧制度でもチベット語新聞は発行されていたが少部数であった。『西蔵日報』チベット語版一漢語版も)は五六年四月創刊された。小中学校、民族学院が設立され、チベット語学習課程が置かれたし、一方ではチベットで任務を行う漢族幹部のためのチベット語学習や教材の作成も着手された。また一般チベット人を対象とする漢語学習班も組織されたと聞いている。六〇年にはチベット語の放送局も開設された。

 しかし、一九六七年、文化大革命の嵐がチベットにも及び、自治区の民族尊重の政策は大きく後退し、経済上、宗教上重大な打撃を受けた。やがて八一年自治区第三次人民代表大会で対チベット工作実施に関する諸法令が可決され、再び新しい現代化に向けての努力が始まった。

 改革開放政策下のチベット自治区では、文革期の誤りを厳しく糾す立場から、共産党機関の文書類はまずチベット語で作成され、小中学校の教育ではチベット語による授業、チベット語文の教育による識字率向上に力点が置かれている。もちろん、青海、四川等の各自治州でも民族語文の教育と民族語教師の養成も大きく取り組まれている。チベット語教育によって、識字率向上、民族文化の特質の発揚、漢語で表現されている文化科学技術を吸収して民族文字を豊かにし、漢・チベット双方の文化文明のレベルを高める、というのが理想であるが、しかし現実には、民族史、民族文学、チベット医学の面では有効であるが、日進月歩の現代科学技術の教育となるとチベット語は対応しにくいという難題がある。これを解決するには、第一に漢・チベット二語学習を強化すること。第二にチベット語の活用範囲を拡大する。小・中・専門学校で自然科学や科技方面の知識をチベット語で表現する。第三にチベット語に精通した人材を高等教育や幹部養成、実務工作に迎え入れ培養していく。農牧区で働く人々のためにチベット語文学習講座を開設するなどが、当面の対策となるだろう。私の収集した小中学チベット語教科書にも前記の努力は現れている。それは自治区、各省ごと、あるいは五省協作の様々な教科書で一九九〇年から九四年にかけて作成されたものだが、なかには漢語教科書のチベット語訳もあり、いずれも「試用水」となっていて、教科書編纂は今後の研究課題だ。

 

●出版状況と今も残る版木印刷

 次にチベット地域の出版社の活動について簡単に紹介したい。

 チベット自治区では、一九七二年西蔵人民出版社が設立され、マルクス・レーニン、毛沢東らの著作集のチベット語訳、古典文学、科学技術図書を刊行し、全出版点数の六三%がチベット文である。出版社内のチベット文編集者と漢文編集者は五対一の割合である。小中学校教材を含め年間出版能力は五〇余タイトルである。これまでの主な出版物は『ケサル王伝』『チベット天文暦算書』『四部医典』『ミラレパ伝』等、哲学、歴史、文学芸術、科技医薬学のチベット文一四〇、漢文一九四タイトルであり、九六年における出版予定はチベット文二四点、漢文一五点である。

 青海省では青海民族出版社が一九五四年から九四年までに二二三五タイトルを発行した。チベット語図書の主なものに『才旦夏茸文集』『ダライラマ伝』『チベット族歴史年鑑』『ケサル王伝奇』『吐蕃伝』等々がある。九三年現在のチベット語図書刊行数は五三タイトル、二九万六〇〇〇冊となる。

 四川省では四川民族出版社が一九五三年に設立された。一時、四川人民出版社に編入されたが、文革後再び四川民族出版社となり、八四年からチベット語、イ語、漢語の三種の図書と小中学校教材の編集出版を担ってきた。八○年から九〇年までの当社のチベット語図書発行は二二二タイトルであり『チベット暦書』(八一年から年刊)『ケサル王伝』、チベット語文法、著名チベット人の伝記、歴史、詞典、総合類(因明学、医薬学、宗教、芸術等)である。北京では民族出版社が少数民族を対象と。する図書を刊行してきたが、その他、チベット研究を重視する中央の意向もあり、中国蔵学研究中心の下に中国蔵学出版社が一九八六年に設立された。当初仮事務所の時、私も訪問し『アジア経済資料月報』一一九九〇年六月号一に紹介した。当社のチベット文図書発行数は八八タイトル、二六万四〇〇〇冊である。内訳は『中華大蔵経・丹珠尓』対勘本、『五明精選叢書』『チベット文相案史料巨編』『チベット語学者文集』等々チベット学に寄与する大部な図書が多い。今後は『チベット文大辞典』『金本ケサル王伝』『青蔵高原環境と発展系列叢書』等が刊行予定である。

 また『中国蔵学書目』(北京外文出版社、一九九四年三月)によると、一九四九年一〇月から九一年二一月までに中国全国二〇〇社から刊行されたチベット語図書は六六三タイトルとなる。本書目は西蔵自治区、各省蔵族自治州・県の概況、哲学、宗教、政治、法律、経済、教育、語言、文字、文学、芸術、歴史、考古、地理、天文、医薬衛生等に分類され内容の提要もつけられ有益である。

 各種期刊誌、新聞についてみると、チベット自治区ではチベット語期刊は『中国西蔵』『西蔵研究−『雪域文化』『西蔵仏教』『西蔵芸術研究』等二二タイトルがあり、それらのほとんどは漢語版もある。青海省では,青海社会科学』『青海群衆芸術』『章恰尓』等六タイトル、四川省では『雪域文史』『貢喝山』、北京から『中国.蔵学』が発行されている。

 新聞は、自治区では一九五一年『新華電訊』が翌五二年,新聞簡訊』として発行。五六年四月『西蔵日報』(チベット語・漢語二種)が創刊され、八四年時の発行部数五万部に拡大した。その他『西蔵青年報』『西蔵科技報』『シガツェ報』『西蔵広播電視報』、青海省では,青海蔵文報』『剛堅少年報』(三二万六五〇〇部)他、四川省では『阿蟻報』『甘孜報』(いずれもタブロイド版四ページ)がある。

 以上は人民共和国成立後の出版状況で、図書の形態は洋装本がほとんどであるが、なかには古来からの版木印刷のものもある。現在、ラサの寺院内でも手刷りが行われている。また特に有名なのは四川省甘孜自治州の徳格印経院で一八世紀に建立、現在二一万七〇〇〇個の版木が収蔵され、大蔵経、医学、暦算、文法、声明にわたる世界的にも貴重な文献がある。文革時にチベット族最高幹部が断固として防護したため無事に今日に伝えられたと聞いている。

 総じて漢・チベット両語の二重構造のなかで、バランスをとりながら使用する以外に途はないが、民族幹部や大学レベル以上の教育を受けた青年知識層のなかにはチベット語を全く知らず、母語より英語学習に懸命になり、将来への期待を寄せている傾向がみられる。開放政策とアメリカ文化の流入という新しい動きのなかで、現代化と伝統文化をどう考えるか、大きな課題である。

                    (やまきよしこ/チベット現代史研究家)

・アジ研ワールド・トレンドNo.18(1996.12)による

 
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――――BBC世界の屋根探険会 烏里 烏沙 制作・2003年3月8日――――