「っ、はぁ……っ」
ビクビクと蠕動する内壁の気持ちよさに、詰めていた息とともに精液を吐き出すと、僕に跨がった央田先生の白い裸体がしなやかに仰け反る。鼻にかかるような甘い声で笑いながら内臓で僕を味わうセンセイはゾッとするほど綺麗で、こんな綺麗なひとはどこにもいないと、何度も思ったことをまた繰り返し僕は思う。
荒い呼吸に上下する臍に光るピアスは、僕がプレゼントしたものだ。僕の耳にあるのとお揃いの、シャフトの先にシンプルなスワロフスキーがついたそれを身につけてもらえて、少しだけ独占欲が満たされる。腰を抱き、臍に口づけピアスを前歯で弄ぶと、くすぐったいと彼はまた笑った。
そのまま、身体を捩るようにして僕から逃れると、崩れるようにベッドに俯せる。だけど逃がしたくなくて背中から横抱きにしたら、ごろりと僕の腕に頭を乗せてきた。
汗ばんだ細い髪に鼻を埋めると、煙草とテレピン油の匂いがする。今日はきっと絵を描いてたんだろう。
創作に集中した後のセンセイは、いつもよりも興奮して少しだけ無防備になる。
「六甲、もう一回……」
「それより少し、話をしましょうよ」
だからチャンスとばかりにそのままピアスごと耳朶を噛んで囁くと、センセイは不愉快そうに顔を顰めた。
「だって僕が卒業してから、あんまり会えないじゃないですか」
「なに言ってんの。毎日毎日、暇さえあれば遊びに来るくせに。大学で友達作れよ」
「困らない程度にはいますよ。それより、今週は三日しか会えなかったじゃないですか。ねえ、一緒に暮らしません?」
「ほんっと、懲りないねえ、お前。い、や、だ、よ」
この話はこれでおしまい、とばかりに言い切ると、センセイはベッドサイドの煙草に手を伸ばした。
つれないことばかりを言うけど、ここは僕の部屋だし、僕が訪ねていかない日の殆どはセンセイが僕の部屋に来てくれる。高校を卒業したら、それを言い訳に縁遠くしようと思ってるんじゃないかと不安になっていたけれど、今のところは以前よりも僕らは親密だ。
それでも、絶対にセンセイは一緒に暮らそうとはしてくれない。
だってアーティストだもんと嘯くセンセイの本意がどこにあるのか、僕はまだ知ることができない。けれど、今はこれ以上踏み込めないと判断し、おとなしく撤退することにする。
僕が退いた気配を察したのか、センセイは満足そうに僕の顔に煙を吹きかけてきた。
「で。お喋りだっけ?」
「そう。僕たち、もうちょっと言葉によるコミュニケーションが必要だと思うんですよね。セックスだけじゃなくて」
「コミュニケーション」
面白い言葉を聞いたという顔で、センセイが再び煙を吐き出す。シーツを蹴るように伸びをすると、半身を起こして肘をついた。
「いいぜ、乗ってやるよ。じゃあ、六甲。お前、はじめてセックスしたのはいつよ」
「え。センセイが最初ですよ」
「あ?」
ポロとマンガのようにセンセイの口から煙草が落ちた。慌てて拾い上げたけれど、シーツに小さなコゲが出来てしまった。あーあ。このシーツ、気に入ってたのに。
「なに。あれ、お前、童貞だったの? マジで? うっわ、怖っ」
「なんですか、それ。高3の秋に童貞でも普通だと思いますけど」
「いや、妄想の限りをぶつけられてたのかと思うと、なんか……気持ち悪い」
ひどい。それじゃ、僕が童貞だと知っていたら、誘いに乗ってくれなかったんだろうか。
……まあ、いいや。最終的にはこういう関係になれたんだから。でも、これ以上この話題を続けると僕にとって都合が悪いことになりそうだと、話を逸らす。
「僕が答えたんですから、センセイも答えてよ」
「なに? 初体験の年齢? 俺は早いよ」
「……やめておきます」
おそらく法に引っかかりそうな年齢を告げられた挙げ句、他の人との思い出を語られたりしたら堪らない。センセイのことは知りたいけれど、あまりに強烈な地雷は踏みたくない。
少し考えて、一番無難そうな問いを選んでみる。
「一番長くつきあった人とは、どのくらい?」
「………」
その瞬間、センセイは黙った。セックスをした後の甘い空気が一瞬で吹き飛んだのがわかった。
リラックスした表情を浮かべていた顔からは感情が消えている。じっと僕を見返す瞳はガラス玉のようだ。
軽い気持ちで言ったのに。まあ、もって三ヶ月くらいだったよとか誤魔化されると思ったのに。これはきっとクリティカルな質問だった。
しまったと思っても、もう遅い。
誤魔化すことはできるだろうけど、口に出した言葉は戻らない。だから僕は腹をくくる。
「教えてよ、センセイ」
見渡す限りのナイフの上を綱渡りするような気持ちで見つめ返すと、密やかな闇に緊張が満ちる。
しばらくの沈黙の後、いつもの奇妙な表情を浮かべて、投げ出すようにセンセイは言った。
「……八年ちょっとだよ」
八年。思った以上に長い。
噴き上げてきたのはドス黒い嫉妬だ。この人に選ばれた他人がいる。そんなにも長く共にいることを許された人間が。そのことに思わず殺意を覚えたけれど、奥歯を噛み締めぐっと耐える。
狂暴な感情を必死に押さえ込んで、次に言うべき言葉を探す。激情に惑わされず、丁寧にそっと上手くやらなければ。
センセイの声。表情のない顔。傷つけたくない。だけど知りたい。今を逃したら、きっと次はない。よく見て考えろ。
どうしたらいい? 正しい問いはなんだ? かけるべき言葉は。選ぶべき表情は。態度は。
「……どうして?」
だけど考えても何ひとつわからなくて、迷って迷って、結局零れてしまったのは本当の気持ちだった。
どうして、今はその人といないの? どうして、今は僕といてくれるの? もしかして、いま高校の教師なんかしてるのはそれと関係あるの? どうして、そんな冷たい目をしているの?
すべてを含んだ短い言葉に、センセイが簡潔に答える。
「死んだから」
笑っているようにも見えるセンセイの目からは、何の表情も読み取れない。
ただ暗い穴のように光がない。
でも、知ってる。索漠としたこの匂いを。空気の色を。見える視界を。
「そう」
だから僕はセンセイを抱きしめた。
強くもなく弱くもなく、ただかつて僕が欲しかったものを与えるように。
体温を、存在を、生きているものがすぐそばにあるということを。どんなことがあっても、僕はあなたの味方だということを。伝えたい。
――センセイも大切な誰かを亡くしている。
なんとなく、そうじゃないかと思っていた。もしそうだったら、僕になにができるのか、ずっと考えていた。
僕はあなたを、取り戻すことのできない喪失のヒヤリとした虚無から、ほんの僅かでも守りたい。
あなたのことだけを考えている。あなたを一番に思ってる。あなたを求めている。あなただけを求めている。それが伝わるように、ゆっくりと、しっかりと、薄い身体に腕を回す。
センセイはなにも言わなかった。ただ小さく僕の腕の中で呼吸を繰り返す。
どんな顔をしているのだろうと思ったけれど、それは見てはいけないと知っていた。
センセイの孤独はセンセイだけのもので、たぶん僕はまだそこに踏み込みことを許されていない。まだ。
でも、こうやって寄り添って、殻の外から温めるように熱を与えることはできる。できるはずだ。それを疑わないだけの勇気が僕にはある。大丈夫。だから安心して。お願い。センセイ。大丈夫だから、少しでいい、僕を巻き込んでください。
少しだけ腕の力を緩めると、硬い身体からわずかに力が抜けた。もたれてくる柔らかい体温に、そうっとくちづける。
「……小賢しいんだよ、お前は」
長い長い沈黙のあと、ふうっとひとつ息を吐き、センセイが呟く。
「ごめんね」
「そういうところ」
「ごめんなさい」
逆らわない僕に、センセイは苛立たしげに噛みついた。薄い前歯がめり込んで、上腕にじわりと血が滲む。それでも腕を解かないでいると、諦めたように口を離す。
「なんか喋れよ」
僕の胸に顔を埋めたセンセイがくぐもった声でそう言った。だから僕は切れ切れに、思い浮かぶ記憶を紡ぐ。
「さっきの話」
「ん?」
「センセイが初めてだって言ったけど、本当は一回そういう機会があって」
「………」
「僕のこと、好きになってくれた女の子がいたんです」
それは僕が高校に入ってすぐのことだった。彼女は同じクラスの、色が白くて眼鏡をかけた、黒く真っ直ぐな長い髪をしたとても無口な女の子だった。
誘われて、君のこと好きかどうかわからないと僕は言った。それはわかってるよと彼女は言った。それでもいいんだよ。だって私が君のこと好きなんだから。
「でも、できなかった」
「勃たなかったの?」
「吐いちゃって。……惨めだったな」
僕も彼女も。あんなに惨めなことはなかった。狭いホテルの一室で、重く饐えた沈黙のなか黙って服を着直した彼女は、一度も目を合わせずにじゃあねと小さく呟いて消えた。僕は謝ることさえできなかった。
「それでどうしたの」
「それっきりです」
彼女はとても賢いひとだった。
週が明けて教室で再会したけれど、まるで何事もなかったように、彼女は僕を無視した。それきり、誰にも気づかれないくらい見事に華麗に、僕の存在は彼女のなかから消された。僕なんか、最初からいなかった。そう扱われたことに、僕は正直ほっとした。とても卑怯なことに、僕を好きな女の子がいなくなったことに安堵したのだ。
「ふーん」
センセイはやっと顔をあげてくれた。
じっと見てくるその瞳に、僕はどう映っているんだろう。こうやって無様なハラワタを晒してみせてでも、関心を乞おうとする僕は。
みっともなく情けないと、いっそ嘲笑ってくれればいい。それで少しでも気が紛れれば。
センセイの孤独に無理矢理にでも身体をねじ込みたかった。僕がいるよと叫びたかった。
誰がいてもいなくても、一度知ってしまった孤独はたぶん消えない。それは自分だけが抱え続けていく痛みだとわかってる。失ったとわかっていても、「それ」は今でもそこにあるような気がする。愛情の残り香は、悪意のそれより僕らを苛む。
でも、だからこそ、僕はそこに留まりたくない。
僕は選んだ。センセイを選んだんだ。
鬱陶しがられても、邪険にあしらわれても、そばにいたい。誰よりもセンセイのそばにいたい。
だからお願い、僕を見て。
「お前ってさ、ほんと、犬みたい」
不意にセンセイが笑い出した。そのまま、乱暴に僕の髪に両手を突っ込みかき乱す。
「そんなに俺に腹見せて、踏みにじられても知らないよ」
「その時は噛みついて嫌がります」
「ははっ、この駄犬」
言いながら、センセイは僕の髪をかきまぜ続ける。
「あーや」
そして優しい声で僕を呼んだ。
「あーやよーしよしよし」
わしゃわしゃと、犬を可愛がるようにぐしゃぐしゃと、僕の頭を挟み込むように撫でる手からセンセイのさびしさが伝わってくるような気がして、鼻の奥がツンと痛む。
だから何も言わずに舌を伸ばして顔を舐めた。黒い目でじっと見つめてくれる忠実な友だちみたいに、千切れるほどに尻尾を振って愛を伝えてくれる裏切らない動物みたいに。できる限りの力で彼のさびしさに寄り添いたい。
汗で少ししょっぱい額を、薄い瞼を、細い鼻梁を、乾いた唇を、硬い歯を、熱く濡れた口内を、僕は無心に舐め続ける。
その舌をセンセイが絡めとった。強く吸って吸われて、唾液を飲みあう。伏せた眼差しがついと上がり、僕を見ると誘い込むように細められた。
「なあ、犯せよ。犬みたいにさあ」
そう言って背を向けるセンセイの腰を掴み、高く上げさせる。薄い尻肉を割り開き、その狭間にあるアナルへと舌を伸ばした。親指でぐっと孔を開くと、ローション混じりの精液がドロリと零れてくる。それを舐め取るように舌先を押し込んで、ひくつく孔をこじ開けた。
「あ、は…っ、はは……、ははは……っ」
グチョグチョに孔を舐めまくられながら、センセイが笑う。物足りないようにきゅうっと舌先を締めつける内壁は、誘い込むように蠢く。
あの時、僕はなんでもいいと思っていた。僕を求めてくれるなら。僕を必要としてくれるなら。この空白を少しでも埋められるなら。温度と柔らかさと優しい声と手と。僕が喪ったものを少しでも補ってほしかった。だけど。
なにかを求めて貪欲に蠕動する孔に何の遠慮もなくペニスを突き立てる。絡みついてくる内壁はひどく熱くて、気を抜いたらそのまま持っていかれそうだ。快楽に低く呻きながら、力を込めて根元まで一気に押し込む。
「んっ、あっ、あっ! あっ、い、いっ、六甲……っ」
僕の名前を呼ぶ声に、胸の奥が引き攣れる。
結局、僕は央田先生じゃなければダメだった。だから、あなたにとっても、そうなりたい。他の誰でもなく、僕が、僕だけが、センセイと一緒に生きる人間になりたい。
荒い息を吐きながら、強く腰を掴み上げ、激しく何度も何度も何度も、抉るように突き入れる。センセイがなにも考えなくてもいいように、前立腺をカリで擦りたてた。不規則に収縮する内壁は、与えられる快楽を素直に貪り、もっともっとと奥へと誘う。
互いが吐き出す荒い息とベッドが軋む音が狭い室内に充満する。それを切り裂くように嬌声をあげ、センセイが射精した。快楽に震える背中をひっくり返し、噛みつくようにキスをする。荒れた呼吸を繰り返す顎を思い切り掴んで、縮めた舌を飲み込むように吸い上げた。
ビクンッと跳ね上がった手が、もがくように空を切る。窒息寸前の肉体が、身体の下で不自然に痙攣する。
それでもセンセイは笑っていた。絡み合った眼差しは間違いなく愉悦を浮かべて、互いの狂気を楽しんでいた。炯々と光る瞳は残酷で底知れない。
引き攣れた胸の奥がパチンと弾け、腹の底から塊が喉元へとせり上がる。嘔吐感にも似たそれをゴボリと吐き出すと、自分の物かと疑うような笑いが溢れた。
「は……ははっ……はは…あはははははははっ」
なにもかもがどうしようもなく痛くて苦しくて、でも気持ちがいい。
止まらない哄笑に仰け反りながら、センセイのなかに精を吐き出す。身体の下でセンセイも咳き込みながら笑っている。
労るような優しさを、寄り添うような慰めを、僕の思い上がりを、センセイの虚ろを、ぶちまけるようにして僕らは笑う。
柔らかい安寧に安住できないセンセイを僕は愛している。
「もっと……」
囁いたのはどちらだったか。
留まることができない衝動に急きたてられて、これ以上喪うことができない空白を道連れに、僕らは夜の底へと潜っていく。
その果てになにがあるのか、僕はいつかきっと知る。