私は作詞家である。なぜ作家は作詞家をイジメるのか。歌詞の無断使用、無断替え歌は作詞家差別です。やめて下さい
私は作詞家である。なぜ一部の作家は作詞家を虐めたがるのか。歌詞の無断使用、無断替え歌は作詞家差別です。やめて下さい。
最近、とても悲しい思いをした。
小説家になろうでは歌詞の無断使用が横行しており、運営が対応に苦慮している。それに対して一部から「不当である」という根強い反発や激しい怒りの声があがっているという。
まるで歌詞が自分たちのものであると声高に主張せんばかり。
私は言いたい。
「歌詞って誰の物ですか?
私は作詞家です。歌詞を書きます。それは私の著作権でなく、小説家様に献上しなければならないものなのですか?
つまり、私たちは小説家様の家畜なのですか?
作詞家が紡いだ言葉は小説家様の作品をうるおす素材でしかないのですか?
作詞家の紡いだ言葉と、小説家様のお言葉には優劣があるのですか。
それ以前に同じ人間では無いのですか?」
私は小説家であるが、詩人、作詞家でもある。実際、ミュージシャンに歌詞を提供しているし、歌手を雇って制作した楽曲もある。
ボーカロイドではない。肉声で私の歌詞が歌われているのだ。
契約上、私が制作に関わった歌は営利目的でない限り、独占的に使用できることになっている。
歌詞は私の思いが凝縮した大切な血肉だ。分身であるとすら言える。
だから、私は他人の歌詞を使用しない。著作権が切れたもの以外は。
それゆえに、自身の小説の中で登場人物たちが歌う歌詞はすべてオリジナルである。
作詞なんてそうそう出来るものではない。特定のタイミングで高揚して、とりつかれたように書き上げるのだ。
いつもいつも、命を削っている。
ちょっとぐらい使ってもいいじゃないか、とかいう前に
ちょっと一言、「使わせて下さい」となぜ言えないのか?
答えは簡単だ。
作詞家は小説家よりも格下の存在。虫けら同然という認識があるからだ。
作詞家なんて、差別されて当たり前。
「俺たち小説家に比べて長文も書けない癖に。
細切れみたいな言葉を並べてるんじゃねーよ。
でも、まぁ、使えそうな部分は俺たち小説家様の立派な作品の中に組み込んでやるよ。ありがたく思え」
こういう差別感情が無意識にあるのだろう。
だから、平気で歌詞を盗用し、改変できる。
作詞家は迫害されて当然の存在なのだ。
お願いします。作詞家をいじめないで!
私たちと小説家と何処に違いがあるというのでしょう。
歌詞を書き上げるときは、身震いするような感覚が背筋を駆けあがり、
喜怒哀楽が爆発し、渦巻くイメージに飲み込まれ
走馬灯で脳細胞を染めながら、一行一行に言葉を当てはめていく。
まるで液晶テレビに顔をはりつけてスポーツ中継を観るような。
そんな架空の臨場感をもりあげて、仮のメロディーをフンフンと口ずさみながら、文字を当てはめていく。
こうして出来た歌詞を紙に書き綴って、俯瞰してみると
大宇宙が開闢する。
そんな喜びに浸りながら詩を書いている。
しかし、小説家になろうの作家たちによれば、作詞家に人格などないらしい。そればかりか……、
まるで自分の所有物のように歌詞を切り貼りし、面白おかしく変形する。
はなから、作詞家の労苦など最初からなかったかのように。
そんな弱い作詞家を護ってくれる機関はわずかしかありません。
なろうでいえば、頼れるのは運営。
それなのに、
少しぐらいは見逃せだの、事前に警告しろだのまるで王様気取り。
どうして、そんなに作詞家を虐めぬくんだろう。
悩んで悩んで、苦しみぬいて、ようやく気付いた。
作詞家は小説家の下に置かれているからだ。
歌詞を使われて、身を切られるような思いは誰もわかってくれない。
お願いだから、もういじめるのはやめて。
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