辺見庸

辺見庸

金曜日 2484円

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南京大虐殺の加害責任問う

 78年前のきょう、1937年(昭和12年)12月13日、旧日本軍は中国・南京に侵攻し、おびただしい数の中国人を殺し、略奪し、強姦した。だがその事実は今、歴史修正主義によりなかったことにされようとしている。本書は反骨の作家が南京大虐殺を直視し、日本人の加害責任を問い直した臓腑(ぞうふ)に響く論考である。

 「自分の内側からの、内発的な力に駆られて書いた。ぼく個人の総括です」。父は皇軍兵士として中国で戦った。その記憶は戦後、息子に引き継がれた。「父が中国で経験した痕跡みたいなものをずっと封印してきたが、自分も先は長くない。書くべきことは書いておかなければならないと思った」。筆を執ると、止まらなくなった。

 1937年。札幌―東京間に定期航空路が開設された年。プロ野球のオールスター戦が初めて行われ、横綱双葉山の活躍に国民が熱狂した年。「戦争が始まるなんて誰も思わなかった。総選挙も行われた。民主主義がなかったわけじゃない」。だが、日中戦争が7月に勃発、その後、近衛内閣が国民精神総動員実施要綱を閣議決定し、世の中は急速に変わった。日常の中からふっと戦争が立ち上がり「1937」は「征(い)くみな」という不吉な意味を帯び始めた。

 作家は、南京大虐殺を中国人の視点から描いた堀田善衛の小説「時間」を縦糸に、自身の私的な時間を横糸に考察を進める。「堀田は、やられた方はやった方にどういう視線を向けたかを考えた。いわば『目玉の入れ替え』を行った。日本人には今もできないことだ」。その一方、自らにも問いを突きつけた。もし自分がそこにいたら、中国人を突き刺す訓練を拒めたか。「何もしないで帰って来たとは思えない」。復員した父は人が変わったようだったという。

 1944年、宮城県石巻市に生まれた。共同通信の記者時代、北京特派員を2度、計6年経験した。「南京大虐殺記念館ができるという記事はぼくの特ダネだった。書いた以上、責任の一端はある」。本書に続いて「もう戦争がはじまっている」(河出書房新社)を刊行、きな臭い時代に警鐘を鳴らし続けている。

 欧米のジャーナリストが「人間の想像力の限界が試される」と評した南京大虐殺。その蛮行を引き起こした日本人の心性について、作家は論考の終盤で「一億総懺悔(ざんげ)」という言葉に言及する。

 「敗戦の責任はわれわれ国民にあって、天皇陛下に申し訳ないと土下座する。ドイツやイタリアではありえない」

編集委員 島倉朝雄