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【コラム】

筆洗

 一九四五年八月六日の夕刻、二十八歳の軍医・肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)さんは、無数の瞳に見つめられていた。そこは広島市街から六キロ離れた村で、原爆に遭った人々がたどり着き、身を横たえていた▼肥田さんは、必死に助けを求める視線から目をそむけた。目が合えば、話し掛け、治療しなくてはならぬが、手の施しようがないと一目で分かる人ばかりだったのだ▼だが、獣のような目をした男性と目が合ってしまった。上半身は皮膚がむけ、血みどろだった。肥田さんが頬に手を当てると、目から恐ろしい光が消えて、優しい人間の目になった。その瞬間、男性は事切れた▼肥田さんは自伝『被爆医師のヒロシマ』に書いている。<地獄のようにおそろしい状況で、私が手をふれたのが慰めになったのでしょうか。安心したように、人間らしく死んでいった−。私にはそう思えました>▼それが、肥田さんの原爆との長い長い闘いの始まりだった。米国、そして日本政府が封じ込めようとした被爆者の姿から目をそむけずに、医師として、その体と心の傷に手をふれ続けた。助けを求める人々の視線から医師が目をそらさざるをえない状況が、いかに非人間的か。自らの体験を国内外で語り、核廃絶を訴え続けた▼肥田さんは先日、百歳で逝った。「優しい人間の目」を取り戻して逝った男性の夢を、繰り返し見続けた人生だったという。

 

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