琴と青年
ポロン、
ポロン、
琴が音を生み出す。
ポロン、
ポロン、
それは途切れることなく永遠に。
誰に捧げるためでもなく、ただ、琴は待ち続けているのだ。
自らを友としてくれる者を。
・・・バチッ!
琴の弦が切れると同時に、酒場のあちこちからバカにしたような笑いが飛び交った。
「お前、その琴とやらと相性が悪いんじゃねぇのかぁ?」
また、ドッと笑いが起きる。
「・・・・・・そんなことない。これは、祖父から父へ、父から僕へと受け継がれてきた琴なんだ」
「琴もガタがきてるんじゃねぇのかぁ!?」
完全に酔っ払ったひげ面の男が青年を嘲笑う。
その嘲笑に便乗して、酒場はあちこちで青年をバカにし始めた。
「・・・・・・・」
青年は、口を真一文字に結び、弦の切れた琴と楽譜を鞄に突っ込み、酒場を後にした。
青年の背後の酒場は、いつもより賑やかに感じられた。
「・・・っくそ!」
酒場から出てきた青年は、足元に転がっていた石を思い切り蹴飛ばした。
そしてそのまま、こんな小さな町では珍しい、噴水広場にやってきて、噴水の側のベンチに腰掛けた。
「・・・・・・・どうせ僕には、父さんたちみたいな才能なんて無いんだ・・・」
はぁ、と思い切り肩を落として落胆した。
彼の家は、代々琴の弾き手として有名であった。
もう随分と前になくなった祖父をはじめ、青年の父も、噂に違わぬ琴の弾き手として有名であった。
だが、その父が病に倒れ、琴は青年の手に渡った。
「・・・何で、僕だけ・・・」
青年は、先ほど弦の切れてしまった琴をそっと手に取り、一つため息をついて琴を背負い鞄にしまった。
何が足りないんだろう。
なぜ上手くいかないのだろう。
・・・・・やはり、才能が無いからなのだろうか。
青年は、再び、今度は深く肩を落とした。
「こんなんじゃ・・・ダメだ・・・・・ん?」
ポロン、
ポロン、
ポロン、
青年の耳は、その音をしっかりと捉えた。
「琴!?・・・・・ま、まさか!こんな夜に琴を弾くやつなんて、僕しか・・・」
ポロン、
ポロン、
「何だ・・・この感じは・・・実に不思議だ」
ポロン、
ポロン、
ポロン、
「琴に・・・呼ばれているのか・・・?」
疑う気持ちとは裏腹に、青年の足は、確実に音へ向かっていた。
青年がたどり着いたのは、美しい満月をその水面に映す湖であった。
ポロン、ポロン、ポロン・・・
「琴・・・一体何処に・・・」
青年は何かに憑かれたように琴を探し始めた。
「どこだ・・・?どこから・・・このような美しい音色が・・・」
ポロン、
ポロン、
ポロン、
「今、確かに湖の方から音が・・・」
湖の方へ振り返った青年は、その光景に息を呑んだ。
「琴が、浮いている・・・」
美しい音色を奏でる琴は、湖の、ちょうど満月の映っている場所に浮かんでいた。
青年は、高鳴る心臓の音を耳に聞きながら、琴へと手を伸ばした。
その瞬間、湖がざわめき、琴の音色が止まった。
『そなたこそ、私を爪弾くのに相応しき者。さあ、この身を受け取るがいい』
神がかった声に導かれるように、琴は青年の腕の中へ納まった。
『さあ、私を爪弾くが良い。そなたには、大衆の心を惹く才能がある』
青年は、黄金造りの、まさに神が持つような美しい琴が自分の腕の中にあることに息を呑んだ。
彼は、この時点で、何も言葉を発することができていなかった。
いや、できなかった。
あまりのことに、唖然としていたのである。
『・・・・・・・・そなたは、心から琴を弾いたことがあるかね?』
「・・・え!?あ・・・あ・・・」
青年は、ここでやっと我に返ることが出来た。
琴が問う。
『美しき音色を奏でることに必要なのは、技術だと思うかね?』
「・・・・・」
この問いに、青年は小さく頷いた。
『・・・それは違う』
琴は続ける。
『心で弾き、心で聴衆に聴いてもらうのだ』
「・・・・・・心、で」
青年は思い返していた。
過去の自分はどうだったのかを。
いつでも、どんなときでも、技術ばかりを重視し、音楽に心を込めるなど、微塵もしていなかった。ただ楽譜どおりに弾けること、それが正しいことだと思ってきた。
『音楽に、心は欠かせない。音に心を込め、心で音楽を受け止めることこそ、素晴らしいことだと思わんかね?』
青年は、言葉を失った。
返す言葉が無かった。
『心で弾くのだ。心のままに、私を弾いてみよ』
「・・・・・」
青年は、湖のほとりに腰を下ろし、今、感じるままに琴を爪弾き始めた。
楽譜などない。
いや、いらなかった。
僕は、僕の感じるままに・・・。
「・・・・・・・ふぅ」
・・・わぁっ!
琴を弾き終わった青年の目に、驚くべき光景が広がっていた。
彼の周りに、街中の人々が集まっていたのである。
そして、誰も彼もが、青年に拍手と賞賛の言葉を送っていた。
あぁ、何て気持ちいいんだろう。何て素晴らしいんだろう。
これが、音楽に宿る心なのか。
青年の目からは、涙が伝っていた。
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