中核派・東部ユニオン、動労東京、全部が全部、私の日立製作所等々、私は全部日本政府が関与していると思っているけれども、これらから受ける理不尽な対応に全く興味を示さずに、自分らの労働運動ばかりを主張して、私も動労東京を作ってはみたけれども、正直疲れるなあとは思っていた。
そんなときに、昨年11月の労働者集会で、いつも辛そうにしている、最近お見掛けしていない東部の方に会った。
それで、その方と意気投合して、いろいろと話していると、どうも東部とか中核派の内情が分かってきた。
その方は精神病を患っていて、私も患っているのだけれども、そんな中でどうしても中核派を変えねばならないと思って闘ってきたけれども、東部ユニオンがおかしいのだ、と言った。
それで、改めて私も東部ユニオンについてどこがどうおかしいのか、それが私の生きづらさに繋がっているのかなあ、と思って、考察をした。
そうすると、私が東部ユニオンで普段話すのは片野ばかりで、コイツがまた上から言ってきたことを下に投げるだけで、もう日立製作所でもこんなに仕事ができない上司はいないだろうというくらいのダメダメ上司やねん。
けど、そんなダメダメ上司を逆に利用して、片野の上に、トップに白井というのがいて(いま表立って隠居みたいな身分なのかな)、その下に東部ユニオン事務局長の小泉がおるねん。
それで、白井や小泉に対しては問題が直接行かずに、全部片野のところで一回止まってまうことになっとった。
だから私が昨年夏、1回キレて、片野を通り越して、白井・小泉に直訴したときに、白井や小泉は言うとったけれども、そのときに片野は無言やった。
けど、片野は、白井や小泉がいなくなると威張りだすねん。
それで、じゃあ片野を細胞会議のキャップじゃなくて、違う人間にしてくれと言っても、白井や小泉は、片野がキャップだの一点張りやねん。
さらにや、その精神病の方も、白井・小泉や片野と、別に、3,4人で”細胞会議”なるものをやっとるねん。
”細胞会議”というのは、私が思うに、上から下、というよりも、下から上に対して意識的に上げるような意見を出し合うものやと思うんやけど、東部ユニオンでは、都合悪い者は”分派”とか言い出して、全部分けてしまう、統治機構そのものになってもとった。
私もその権力構造を一生懸命考えていて、それで翌朝、いまの職場の酒気帯び1回目をやってもた。
2回目は片野が裁判傍聴の朝に吉野に入れ知恵して、その後吉野ともう1人で、私に対して一方的にブログを書くなと言い寄った日な。
その2回とも、私は中核派の理不尽なところについて、どうしてそうなってしまうのか?考えたからこそ、翌朝酒気帯びになってもた。
だから、中核派が私が雇い止めされたのにガン無視決めこんどるのって、ガチでハラ立つんやけど。
東部ユニオンが統治機構そのものになっとることを、動労東京とか、いろんなところに訴えたけれども、どこもちゃんと取り合ってくれんかった。
ちょうど北部ユニオンが、”街”弾圧のその後に、委員長が反旗を翻した事件があって、それは中核派的に問題やったんやけど、東部でも、下の意見が聞けんということで同じやろ!と私は騒いだ。
・・・・・けれども中核派はそうは見んねんなあ。
前進社も含めた統治機構に対して反旗を翻すか、いくらおかしいと思っても従うか、で大きく違う。
それは、下から革命を起こす発想ではなくて、上からどう押さえつけるか?の発想やねん。
そこまで思い至って、中核派は核心から全部腐っていると思うに至った。
それで、東部ユニオンの精神病の方と私は、じゃあ同じ細胞で闘ったらええと思うやろ。
それが、白井と小泉がその人夫婦に対して、「大西はAKBの子に殺害予告するほどのキチガイだから、連絡しないように」とか言うねん。
その夫婦も弱いのは、「そんなの知りません」と言うたらええのに、「そういうわけだから、連絡できません」と私に言ってきた。
だからやむなく、いまはその夫婦とも連絡は取ってない。
しかし、私は、連絡を取れんようになったところで、おかしなものはおかしいから、たとえ一人であっても闘っとるんや。
その夫婦は、労働運動路線は認めるけれども、やはり障害者は一般人と同じほどには働けないのだから、障害者は障害者として一緒になって悩みを考えてもいいだろうという発想で、そんな会も運営しとる。
けどそれを、白井や小泉、それだけでなく他の中核派は、「血債主義だ」と言い放った。
動労東京のバカの吉野に対して言っても、「中央が言っているのを知っているけれども、それは血債主義だ」とかしゃあしゃあと言い放った。
その夫婦が「障害者と一般人の間には、越えられない壁がある」とか言い出したのが”血債主義”で、他の差別でも全部一緒なのに障害者だけ特別視なんかできん、とかいうのが吉野とか中核派中央の言い分やねん。
けど、私にだって双極性障害やし、越えられない壁なんてそこらじゅうにあるのは理解しとる。
その越えられない壁を、それでも頑張って頑張って乗り越えられることを主張したくて、私は双極性障害を意地でも乗り越えてきた。
・・・しかし、一般の障害者全員がそこまでして乗り越える必要性は感じん。
乗り越えなくてもいい社会をこそ作ってかなアカンと思う。
違う見方をすると、越えられない壁がそこらじゅうにあるから、たとえば”動労”とか言って戦線を組んで闘うんちゃうんかよ?
ホンマに越えられない壁がないんならば、旧国鉄労働者だけ線引きして”動労”なんて作るなよな、バカ。
もうホンマに中核派は、日本政府以上にいろいろと破綻しとる。
海外の共産主義者に対しても、こんな恥ずかしい活動をしとるなんて言えんやろ。
だから創価学会と違って、海外となかなか共闘できんねやと思う。
だいたい、集会で発言者が決まっとるのも違うと思う。
昨年の11月集会で、ドイツの機関士だかが日本に来て、感動して、台本にはないけれどもと言って、ドイツ語ではなく英語で言い出した(通訳の関係で)。
けど、そのドイツの機関士の台本にはない発言に対して誰も反応できんかった。(私も、発言権がなかったから発言できんかった)
・・・けど、ホンマはそんな、台本にない発言が出て、そこでみんなで「そうだそうだ!」と言い合う、革命組織ってそんなもんやろ。
集会が最後までプログラム通りに終わるなんて、それだけツマランハナシが続くのであって、私なんか途中でヒートアップして紛糾してまう、そんくらいの勢いがあってこそ革命に繋がるのであって、なんでみんなそんなカンタンなこともワカランねん?と思うてまう。
中核派も私のこのブログを読んで、ちったあ反省しろ。
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