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慈姑小町とTS少年兵
いつの間に居眠りをしてしまったのだろう。
唐突に意識が回復すると見たことも無い世界に投げ出されていた。
夢や幻覚でないことは確かだ。
遼平は自慢するくらいに寝起きが良いし、REM睡眠を極限にまで圧縮する恒常性覚醒処置を受けている。
通常人の三分の一の睡眠時間で足りるし、脅威と安全性を天秤にかけながら小刻みに寝ることができる。
今は、戦闘中だ。
そうだ。吸血鬼どもはどうなった?
量子手榴弾が首尾よく炸裂しているなら、奴らは一匹残らず虚構の世界へ吹き飛ばされているだろう。
この兵器は虚構と現実の境界を希薄にして、こちら側の現実に属していたものとそうでないものを的確に峻別する。
幸い、観測者である遼平が消えてしまうことは無い。なぜなら、物語の登場人物に筋書きを書き換える能力はないからだ。それは作家の役目だ。いま、虚構と格闘している遼平こそか語り部だ。
語り部は、終幕を宣言すべく、空を見上げた。
本日のご静聴、ありがとうございました。どちらさまも暗い中、足元に気をつけてお帰りください。めでたし、めでたし。
……と、いうわけにはいかなかった。
漆黒の闇にひびが入った。
空間がウロコの様に波打っている。
いくつかの割れ目から、まぶしい光が溢れた。
一条の光が尾を引いて遼平の眼を刺す。
目の前に広がる光景は、どうということはない。遼平がさっきまでいた場所だ。問題は、ここが現実か異世界かだ。
彼は、ユズハのセーラー服のスカートでくるんでいた物質波レーダースコープを取り出した。
これはとても貴重なものだ。物質を局在する波として捕らえて、構成する波長をスペクトルに分解する機能がある。
得られた結果から物質を構成する元素がわかる。
足元の土に含まれている炭素14を年代測定すれば、それが虚構の産物か現存のものか判明するしくみだ。
たった今、作られた「嘘」ならすぐわかる。虚像は歴史を――炭素年代をもたない。
カウンターの桁が上から下へくるくる回る。こいつの今は、いつだ?
頬の骨が痛くなるほどにスコープの縁を押し付けて、結果を待った。早く、早く、早くとまれ。自分はいまどこに居るんだ。
カウンターは0を通り越しても、回り続けた。むしろ、加速する。一桁、二桁……五桁。マイナス4万5千年前を指して止まった。
4万5千年後だと?!
論理的に考えてありえない。
この世に存在する物は、時間軸に忠実に従っていく。虚構の産物であろうとなんであろうと、たった、今、この世界に出現した瞬間から風化していく。既存のものならなおのこと。マイナスを示すはずは無い。
多少の時差はあるだろう。地球は丸い。それでもマイナス何万年というのは腑に落ちない。ひとつ考えられるのは、測定対象が未来の世界から来訪した可能性だ。遼平は地面をスコープで覗いた。
カウンタはぴくりともしない。
「現代よりマイナス4万5千年前……だと? マイナス〇年まえって、未来じゃねーか! ポンコツめ、とうとう壊れやがったか」
遼平はその様に解釈した。まともな思考能力の持ち主なら、そう理解するのが普通だ。
常識にとらわれない発想をするSF作家なら、観測基準であるスコープの方が4万5千年後にタイムスリップしたと考えて、格好の題材にするだろう。遼平は作家になるつもりは無かった。
じっくり考えている暇は無い。量子空爆まで時間が残り少ない。彼は、避難場所に指定されている量子壕を探した。
そこは、|量子化された彼我絶縁体に満たされたシェルターで、避難者を安全確実に確率変動の嵐から保護してくれる。
見回すと、塹壕のハッチが前方の小高い盛り土に覗いている。
彼はその中に入るため、そそくさと服を脱ぎ始めた。
どうもズボンという奴は脱ぎにくくてしょうがない。
靴を履いていると長ズボンの裾が足首に引っかかってしまう。靴を脱いで、履きなおす動作が無駄でいやだ。
ユズハもズボンを嫌って、スカートが大好きだと主張していたほどだ。ヘルパーにいちいち手取り脚とりで履かせてもらうと気を遣って疲れてしまうという。スカートなら自分ではけるから。
車椅子に乗り降りするのではスカートは不便だろうという周囲の反対にも耳を貸さなかった。
最初の頃、ユズハは、ぱんちらを気にしないよう我慢していたが、羞恥心が耐え切れず、スカートの下に男物のトランクスを履くようになった。
彼女は「これで、わたしも男心がわかるようになるのかなあ。」と冗談めかしていた。やはり、脚に引っかかるのと、気に入らなかったらしく、ブルーマーに履き替えた。
下着も、リハビリの水泳の時間にワンピースタイプのスクール水着に着替えるのが面倒で、ローライズのビキニにした。そっちの方が恥ずかしいと思うのだが
「下着とほとんど同じ形をしているし、下着と水着をわざわざ取り替えるのなら、初めっからビキニの方がいい」とユズハは言った。
女の子の合理主義とはそういうものか、と遼平は思った。
遼平はズボンを脱ぎ終えて、トランクス一枚になる。
さすがにパンツ一丁というわけではない。股間と裾の間がスカスカで、大事な「ブツ」が見えるかも知れない。
そこで、安全策として下にもう一枚、ぴったりしたビキニタイプの競泳パンツとサポーターをつけている。
遼平は彼我絶縁体に、どぼんと飛び込む前に準備体操をする。
屈伸すると自分の下腹部が目に入る。贅肉の無い、引き締まった腹筋。膨らんだ股間……
「あれ?」
遼平は自分の目を疑った。
心なしか、トランクスに張りがない。それに下半身を運動すると、かならず肌に触れる例の物体の柔らかい接触も感じない。
遼平は単に感覚が疲労しているのだろうと割り切った。さっさと避難しなければ。
競泳パンツとサポーターの間にIDカードを挟んで、シェルターの扉を開ける。なみなみとした彼我絶縁体の波高が内部の照明をてらて
らと反射している。後ろ手にがくんと扉を閉めると、そこは……
桜吹雪が舞い散る世界だった!!
「な?!」
遼平はあっけに取られた。
彼我絶縁体は常温超伝導の液体である。水面に入射する光を逆励起させることによって、純粋状態へ導く。
純粋な光は波動関数が拡散している為、何物の干渉も無効にしてしまう。「現象」そのものを、あったことでもあり、無かったことで
もあるという、曖昧な状態にする。理論上は直撃をふくむ物理的な核攻撃も、量子空爆も無力化する一種のバリアーとなる。
遼平は女の子のようにほっそりとした脚を、あるはずの水面に漬けてみた。
もともと、体毛が薄い方だったが、それでも肌の色はもっと濃かったはずだ。いまは透き通るほどの色白になっている。
とぷん、と波紋が広がる……
――こともなく、脚は空気を掻いた.
見渡す限り雲ひとつ無い澄んだ青空。頭上から足元まで桜がひしめいている。
桜の花びらが一枚、遼平の目の前に静止する。
それは少女へと変化した。背格好は小学校4年生くらい。
赤ん坊のような幼い顔だちに三つ網み、クリーム色のセーターに赤いチェック柄のミニスカートを着ている。スカートの前はかわいらしいピンで止めてある。
少女は膝をかかえて空中に体操座りしている。巻きスカートから見える未成熟なヒップはサイズが大きめのオムツのような紺色ブルマ
に包まれて桜の花びらや細かい砂が付いている。
一瞥して彼女が人間ではないと判る。量子兵器を纏った重歩兵を目の当たりにして臆するどころか、薄ら笑いすら浮べている。
【初めまして。わたしは慈姑小町と申します】
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