新卒で入った今の会社は、入社してもう10年以上経つ。
割と大きな会社なので、20代で役職者になるようなことはないのだが、同期の中でも優秀な人間は、あと5年くらいで役職が付く者も出てくる。
年に一度の人事面談で、上司からは、「この先、どういう道を歩んでいきたいのか」というような趣旨の質問を、毎年聞かれている。要するに、「出世したいのかどうか」という質問だ。その度に私はお茶を濁している。
私は出世なんてしたくない。
入社当時は忘れたが、入社して3年目くらいから出世なんてしたくないと思うようになって、その考えは今も変わらずそのままだ。
私は、出世するまにかかる労力やストレス、あるいは出世することによって得られるメリットを考えたときに、どうしても「出世したい」という気持ちを持つことができない。
出世しても大して変わらない給料
私の今の年収は約600万だ。ちなみに、今は主任クラスである。
例えば、この給与が出世して700万や800万になったらどうだろうか。正直、生活は大して変わらないと思う。
年収が800万あったとしても、郊外に家を買って、子供を二人大学に行かせたら、定年まで住宅ローンを払って終わりの人生だ。家を買わないにしても、余裕のある生活などできやしないだろう。
私の会社は、おそらくすごく頑張って部長クラスになっても、年収900万くらいが関の山だ。多くの会社で、役職者が年収1,000万を超えるということは、なかなか珍しいのではないだろうか。
役員になれば多少違うのかもしれないが、私の能力で役員まで上り詰めようなど、夢物語でしかない。(ベンチャー企業の場合は役員になって大きく跳ね上がる可能性もあるが)
給与で年収900万では、生活を劇的に変えるほどの効果はない。
もっと言えば、出世なんかしなくたって、今の会社に勤続し続ければ、おそらく定期昇給で年収700万~800万は届くだろう。
下手をすると、役職者になると残業手当がつかないので、残業手当がつく平社員の方が給与が多い、なんてこともありうる。
出世しても、報酬面でのメリットはそこまで感じられない。
注がなければいけない労働時間
私の会社は割と古い会社で、よく言えば歴史のある安定的な会社なのだが、そうであるがゆえに旧態依然の色が濃く、「遅くまで残っている奴が頑張っている」と見られる風潮が強い。
個人的には本当に反吐が出るほど愚かな風潮だと思っているが、やはり出世していく人は遅くまで残って仕事をしているし、出世しない人は、割と早めに帰っている。
そして、役職者は、基本的に遅くまで残って仕事をしている。
「出世をしたら長く仕事をしなければいけない」というわけではないだろうが、やはり役職者で毎日定時上がりの人は、ほぼ皆無と言っていい。
残業手当もつかないのに、よくやるものだ、と思う。私には出来ない。
私は基本的に残業はしないし、サービス残業は死んでもやらない。残業手当がつかないのに残業をしている人たちのことは全く理解できない。
手当の件はともかく、出世するために規定労働時間を積極的に超えて労働する、という気にはなれない。
魅力的だとは思えない仕事内容
お金と時間も重要だが、一番の問題は今の上司を見ていて、「自分もあの椅子に座りたい」と思えないことだ。
私の上司はいつも忙しそうにしている。いつも遅くまで残業をしている。
上司には、さらに上の上司がいて、その上司からかなりきつく詰められている場面をたまに見かける。
そして部下からは、細かい不満や愚痴が漏れている。私は、気に入らないことはストレートに言うので、上司と論争になることもしばしばある。
上からの抑圧、下からの突き上げ。これが中間管理職というものだ。
傍から見ていても、相当なプレッシャーだと思う。あの仕事をやって、それに見合った報酬がもらえないとなると、私には全くメリットを感じられない。
管理職と言えども、自由裁量できる範囲は限られている。本当に好きなようにやりたいのなら、さらに上に行くしかない。
出世しても、仕事が劇的にやりやすくなるとは到底思えない。今よりも魅力的な仕事ができる、とは思えない。むしろ、今よりも束縛される可能性さえある。
なぜ人は「出世」を目指すのか
そうやって考えていくと、「出世」というのは、時間や労力、ストレスなどのコストに比べて、報酬や仕事の質などのパフォーマンス(見返り)に乏しいと感じる。
私にとって、出世はコスパが悪い。
それでもなぜ、出世を目指す人がいるのだろうか。
ひとつ考えられるのは、「周囲に対する自己顕示」である。
同期よりも早く出世すれば、「すごいね」と言われる。そういった自己のプライドを満たすことが、お金や時間よりも大事だという人がいても何ら不思議はない。そういう人にとっては、「コスパ」なんておそらく考える余地もないのだろう。
しかし、我々の世代では、そういったマインドを持つ人間は少なくなってきているように感じる。
企業に対する献身性
それからもうひとつは、「自分の会社に対する献身」という視点である。
自分の会社に愛着を持ち、時間やお金にとらわれず、企業の利益を第一に考える。その結果が、出世へとつながっていく。そういう道もあるだろう。
しかし私の場合、自社に対する献身性というのは皆無と言っていい。愛着はある。しかし、それこそまさにビジネスライクな関係だと思っている。
私が組織人として動く場合で、企業の取引であるならば、私は最も自社の利益になるように考え、行動する。
しかし、企業活動としてではなく、私と企業との関係で言うならば、私は私の不利益になるようなことはしない。例えば、サービス残業などその最たるものだ。労働というサービスを提供しているのに、その報酬がもらえない。これほど、自己に不利益なことはない。
私は、会社とは対等な関係でいたいと思っている。
企業に属する上で受けるストレスやプレッシャーを受容する代わりに、勤め人としての安定性を得て、企業でしかできない仕事で自己のスキルアップにつなげる。
会社に行って言われたことをやっていれば、生活できるだけのお金はもらえる。これほど楽なことはない。
私は、1日の自分の保有パワーが100だとすると、100すべてを会社のために使うことはありえない。100のうち、使ってもせいぜい60だ。あとの40は自分のプライベートに使いたい。
まだ新卒で入社してすぐの頃、先輩社員から「若いうちは自分の時間はないと思え!」と言われたが、心の中で「(この人は何を言っているんだ)」と思った。頭のおかしい人なんだと思った。
だから、出世して「会社のために」とか、「会社の成長を」とかそういう献身性はないのである。
どうしても論理性を求めてしまうし、効率やコスパ、という考えのもとで判断してしまう。
「出世ムード」が廃れてきた日本企業の問題点
おそらく私が生まれる前は、「会社に入ったら出世を目指すのが当たり前」という風潮があったように思う。
それこそ、「課長 島耕作」に代表されるように、「出世こそ男のロマン」という時代の印象だ。
しかし、今の私たちの世代では、「出世だけが人生じゃない」というムードが大いに広まってきているように感じる。
実際、私の同期の中でも、「出世したい」と言う人間はほとんどおらず、「出世したくないよね」という人間の方が多い(真意はわかりかねるが)。
年に何度か流れてくるニュースでも、若者の半数以上が出世に興味がない、というアンケート結果が報道されている。
出世欲のない若者が半数以上になった哀しい事情 | データで読み解くニッポン | ダイヤモンド・オンライン
こういうムードになってしまっていることは、はっきり言って日本企業にとっては損失だと思う。
プロ野球を目指す子供が少なくなれば、野球界全体のレベル低下につながることと同義だ。
日本の企業は、この現状をしっかりと受け止めて、「出世したくなるような会社」づくりに注力する必要があるのではないだろうか。
その打開策が何なのかはわからない。報酬を上げろと一口に言っても無理な話だし、残業をなくせ、というのも役職者だけの問題ではない。
この問題点の解決策については、私はもうこの記事を書くことで疲れてしまったので、誰か頭の良い人に託したいと思う。
今の日本は出世しやすい?
私のような「出世欲」のない人間が増えれば、逆に「出世したい人」にとっては出世しやすい環境になったと言えるだろう。
野心のある若者は、是非、出世してほしい。
そして最後に、この話は飽くまで私の経験と考えに基づいて書かれている。どうしたって、“役職者になったことのない”人間が書いたものでしかない。
出世する前は私と同じような考えだったけれど、出世してみたら景色や考え方が変わった、という人がいれば教えてほしいと思う。
登る前は嫌だった山も、登ってみたら意外と良かった、ということは往々にしてある。
ちなみに、「そもそもお前が出世できるわけがないだろ」という指摘があるかもしれないが、この記事の趣旨は、「出世できるかどうか」ではなく、「出世を希望するか否か」なので、出世できるかどうかは関係ない。
山に登れるかどうか、ではなく、山に登るかどうか、の話である。