 川島隆太 氏
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まず私自身は、脳科学の中でも特に脳機能イメージングということの研究をしている基礎の学者だというふうに思っています。
実際に私の研究チームでは、大学院生やそれからスタッフたちは、脳に関する基礎研究を毎日毎日脈々と行なっています。
これが私の本職であって、本来大学人として、私はそれだけしていればいいというのが、今までの大学人の在り方だというふうに私自身も認識していましたし、そう教育されてきました。
ただ、これは私個人の本当に思い入れ、思い込みなんですけれども、私たちの研究というのは、例えば競争的資金をもらったと言っても、その原資というのは全て国民の税金からきている、という事実を私は研究者として忘れてはいけない、というふうに考えています。
国民の税金を使って、私たちは日々楽しい研究をさせてもらっている。
いつか言ったことがあるかもしれませんが、私の趣味は何か?研究しに大学に来ることなんですね。
その趣味をしに来ているのに、それで私たちは給料をもらっている。果たしてそれだけでいいのか、ということです。
私は良くない、と思います。ですからそこで私は、私たちが行なっている研究の技術や成果から社会に還元できるものはどこかに無いか、ということを強く考えたわけです。
私の感覚では、社会貢献の先はどこに持っていくか。税金というのはすごく多くの方々が払ってくださっている。だったら多くの方々の幸せにつながるような方向に、是非我々の研究を還元していきたい、というふうに考えました。
ただし、これは実は国から見ても非常に弱いところです。
すなわち、物を言わずに、淡々と毎日毎日一生懸命生きていらっしゃる健康な人たちに対して、実は世の中は何もしてくれない。
例えば、病気を持ってしまった人たち、これはもう医学の領域が一生懸命税金とお金を使いながら、どう病気を治すかということの研究をたくさんたくさんしてくれる。でも、病気を持っている人たち、確かに大変で皆だって助けないといけないんだけれども、人数は多いか、っていうと少ないんですね。
それから社会的な弱者と言われている方々、これも確かに福祉で救わなきゃいけない、そこにお金をいっぱいかけなきゃいけない。
でも全体として見ると少ない。
誰が社会を支えているか、その9割の何も物を言わない人たちが社会を支えているんだ、という事実を私はどうしても気にかかっていました。 ですから私はその9割の何も言わずに頑張っている人たちに、なんとか私たちの研究成果を還せないか、ということを意識したわけです。
そこで私自身は今から8年程前に、特に子どもの教育という点に関して、私たちの知識を還元できないかということを考えて、教育心理学者や認知心理学者、発達心理学者、そして教育実践の研究者たちに集まってもらって、脳科学の研究成果を社会還元するためのチームというのを私的に作りました。そこで活動をずっと行なってくる中で、当然最初の2年間ぐらいは、言葉が通じなくて非常に苦労したんですけれども、チームとして機能していく中で、何らかの方向性が一つ見えてきました。
それは、前頭前野と呼ばれている脳を如何に健全に育むかということの情報が、健康な子どもたちをより健康に育てていくために非常に有効な方法なんではないかということ。それから、発達心理学者や教育心理学者の先生方の目からは、前頭前野の機能ということに注目をすると、今の子どもたちというのは、前頭前野を健全に育めるような家庭のシステム、社会のシステムではどうも無いかもしれない、という疑問が呈されてきた。
例えば、コミュニケーションが脳をたくさん働かせる、という話をしました。
でも今、家庭の中でも親子のコミュニケーションというのが疎遠になってきている。
これは子どもが大きくなる前でも、例えば新生児、乳幼児の段階でも、親がどう子どもに関わっていいかわからない、という親が増えてきているという情報がたくさん挙がってきます。それで本当に子どもが健全に育むことができるんだろうか、ということの疑問が起こってきたわけです。
そこで私たちは、直接子どもたちを対象に我々の仮説をぶつけるわけにいきませんから、例えば「読み書き・計算」が前頭前野をたくさん活発に活性化する、そのことによって、前頭前野の様々な能力が上がるだろうという仮説をまず持った。
ではその仮説をどこにぶつけるかというと、まず大人にぶつけようと。
特に認知症の方や高齢者の方がたに対して、まず我々の仮説をぶつけてみて、その仮説が正しければ、その先ゆっくりと時間をかけながら、コンセンサスを得ながら、子どもたちに私たちの情報を還元できるんではないか、というふうに考えたわけです。
ですから、今「脳を鍛える」ブームということで、様々なムーブメントが起こり始めてきていて、このこと自体は喜ばしいことだと思っていますが、私たちは実はこれは単なる通過点に過ぎない、というふうに考えています。
こうした中で、例えば今、様々な商品群が私の監修の名前の元で商品として出ています。
勿論、私が今まで所属していた東北大学の未来科学技術共同研究センターという所は、新しい産業を創るということが研究の大きな目標の一つになっていましたから、私は「脳を鍛える」ということをキーワードにした、「新しい産業」というと言葉がちょっと行き過ぎかもしれませんけれども、新しいジャンルの産業界を創る、ということに成功してきたと思います。
私だけが突出しても仕方がないので、いろんな人が付いてきてくれて初めて、市場が拡がって産業として成立するわけですが、今は思った方向に向かってきました。
でも実は私たち、闇雲に、例えば「脳を鍛える」という商品群を民間企業との共同研究の中で、世の中に投入しているだけではありません。
私の中には、私の社会還元の方向性というのは、「健康な子どもたちをより健全に育む」ということにあります。
ですから例えば、私たちが監修して出している「ドリル」といったような物、大人が使うための「ドリル」。これは、何のために世の中に出しているかというと、家庭の環境を変えるために出しています。
今例えば大人の方々は家庭で何をしていらっしゃるか。
おそらく多くの暇な時間は、テレビを見たり、ビデオを見たり、漫画を読んだりしながら、リラックスして過ごしていると思います。
そういった家庭に子どもたちが学校から帰ってきて、彼らはやっぱり学校での勉強の他に家庭での勉強もしないと、学ぶものがたくさんあるから、勉強しないといけない。
でも帰ってきたら、家族はテレビを見て遊んでいる。自分だけ勉強しないといけない。こんなに悲しいことはないわけです。
そうした中で私は、こうしたドリルを世の中に投入して、大人の方々が自分の脳を鍛えたいという一心でドリルを机に向かってやってもらう。 その姿を子どもが見ることによって、ものすごい勇気が湧くだろう。
あっ、自分のお父さんもお母さんも家で勉強しているんだ。だったら自分も頑張れるぞ。そういうふうに思えるようになってもらいたい、という思いでこれらの商品群を積極的に出しています。
また、いろいろなゲームの監修ということでも、私の名前をご存知の方、いっぱいいらっしゃると思います。
じゃああのゲームは一体何なんだ、と。
あれは私たちの思想からすると、親子のコミュニケーションを助けるためのツールでしかありません。
ですからそのゲームの装置としては、大人も子どもも等しく扱えるような、なるべく直感的な単純な装置が必要だった、ということです。
現在のテレビゲーム機というのは、子どもたちは複雑にボタンを押したりできますけれども、大人は上手に遊べない。
でも大人も子どもと一緒に遊べるようなプラットフォームが必要だと。
かつ、やってもらう内容の中に、勿論脳を鍛えなくてはいけないですから、我々の脳科学の知識のエッセンスは入れないといけないんですけれども、それ以上に、大人も子どもも等しく自分たちの成績を比べることができるようなアイテムを中心に入れました。
これをやることによって、例えばゲーム、それもこれらのゲームの中の工夫としては、複数の人が同時に遊べてそれぞれの人の成績を見比べることができる、というような工夫まで入れてあります。
こうすることによって、例えば子どもがゲームをやるつもりでやってみる、そしてある評価が出てくる。
それに対して、お父さんが例えば夜にこっそりやってみる、そしてお父さんの成績が出てくる。
その翌日子どもが見た時に、「なんだ、お父さん、やってたんじゃない。あっ、自分よりやっぱりできるな。ちょっと頑張ろう」というようなことをきっかけにして、親子でたくさんコミュニケーションができないか、家族の中でたくさん話ができないか、ということを目的に作って出しています。
実際にあれらのゲーム部分というのは、私の思ったとおりの使い方をしてくれている家庭が世の中にたくさんあって、例えば、ずっと話をしていなかったお父さんと子どもが、あのゲームをきっかけに話ができたとか、それから、祖父母の、おじいさん、おばあさんがあのゲームを買っておいて、子ども達が帰省してきた時に一緒に遊んで、そこで初めて子どもたちと同じ目線でたくさん遊ぶことができた、というようなコメントや手紙をもらったりしています。
私たちはやはり大学人ですから、物を売ることは仕事でも何でもありません。
でも社会還元はしないといけない。
社会還元をすると言っても、闇雲にしたんじゃ意味が無い。私は社会還元というのは、例えば受け取る側がわかるように、まず出さないといけない。
これが第一原則。
ですから、学者が学者の言葉で世の中に問いかけても無意味だと思います。
世の中の人が受け取ることができなければ、それは学者の社会還元とは言えません。
子どもがわかるような言葉でわかるように伝える。
伝えた上で、やはり大きなメッセージを持っていないと大学人としてやる意義はないと思います。
私のメッセージというのは、子どもたちの家庭の環境を良くするための物を脳科学、産学連携の中から出していきたい、というメッセージで、我々はそのトラックから一つもブレていないものを世の中に問うて出しているだけだ、というふうに考えています。
勿論、世の中からパっと見れば、「ああ、あいつはゲーム作ったり、ドリル作ったりして、金を儲けているんだ」というふうに見えるかもしれませんが、私たち大学人はそんな低いレベルで、実は物を考えていない。
ただこれは、使い方を間違うと、例えば「洗脳」とか「社会操作」ということにつながりかねませんが、そこは自分たちで十分ブレーキを考え、かつ、いろんな方々の批判を聞いた上で、やっていかなくてはいけないことだとは思いますけれども、私たちはきちんとした考えを持って、こういう社会貢献活動、社会との接点を求める、ということをこれからも行なっていこうと、そんなふうに考えています。
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