日本を占領したマッカーサーは学校と父兄を支配するため、PTA創設を命令した。
子供を通して親を支配する方法は、ナチスやソ連も使った。
IMGP0091
引用:http://fcmfcm.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_d54/fcmfcm/IMGP0091.JPG


PTA退会や廃止の動き

いじめ問題への無責任な対応や運営の不透明さ、一部の人の利権になっているなどPTAへの批判が強まっている。

PTAを退会したり活動を拒否する動きも出ているが、PTAが何なのかもう一つ分かりにくい。

嫌われている理由は「地域パトロール」などの負担、会議が長く出席が義務、強制加入で個人の事情を認めないなどがある。
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父兄としての何らかの義務はあると思うが、PTAは理不尽で非合理的な押し付けが多いと言われている。

PTAは戦後創設されたが、その頃は専業主婦が多かったので、暇な主婦が大勢居るという前提になっている。

見回り、広報誌作成、花壇の手入れのような学校の手伝いなど、TPAの義務は際限なく増やされ続け、減ることは無いとされている。


PTAでは主婦の2分化が進んでいて、専業主婦はPTA活動を押し付けられて、就労主婦に不満を抱いている。

就労主婦は自分たちは「暇な人達」と違って忙しいのに、仕事を休んでPTA活動させられるのに不満を持っている。

少し前に有名な野球選手の息子夫婦と、有名女優の間で「ランドセルをどうするか」を巡って激しく対立し、女優はついに芸能界を辞めてしまった。


対立点は子供のカバンをランドセルにするか、肩掛けタイプにするかという、これ以上無いほどくだらない事だったと言われている。

PTAの主婦達で意見が2分してしまい、野球選手の息子夫婦の意見が通ったが、対立はその後も尾を引いてしまった。

PTAに参加する保護者の多くは母親で、父親は辟易して係わり合いを避けるケースが多い。



PTAを作ったのはGHQだった

PTAは文字を見れば分かるように英語圏で発祥し、日本では1947年(昭和22年)発足しました。

PTAは表向き自主的なボランティア組織だが、実際には1946年(昭和21年)連合軍総司令官マッカーサーの命令で創設された。

当時の日本におけるGHQ(連合軍総司令部)の権力は大変なもので、昭和天皇の方から司令部を訪問し、謝罪したと言われている。(公式記録は無い)


有名な写真ではマッカーサーは両手を腰に当てて見下すような姿勢を取り、昭和天皇は直立不動で写っている。

戦犯裁判の前であり、マッカーサーは昭和天皇を逮捕することも、勝手に処罰することも可能な状況だった。

昭和20年9月以降の日本は無法社会で、ただGHQだけが絶対権力として君臨し、憲法すら米軍の意のままに変更させた。


こうした状況でGHQが問題視したのが戦前の日本教育で、戦前も父兄の活動や隣組のような地域活動があった。

母親達は大日本連合婦人会のような組織に加盟し(加盟させられ)、お国の為の活動として出兵兵士の支援や見送りなどしていた。

いわばGHQ版の大日本連合婦人会としてPTAを創設したのであり、間違っても子供の為や教育のため等ではなかった。


GHQは当時「日本人に罪悪感を植えつける政策」なるものを進めていて、学校教育を通じて子供に戦争の罪悪感を植え付けようとした。

長崎だか広島の平和資料館が以前「日本は戦争でアジアの人々を侵略しました。アメリカに原爆を投下して頂いたお陰で侵略をやめる事ができました」とアメリカにお礼を述べていたが、そういう人間を作る教育をしていた。

PTAが目指したものは謝罪する日本人の大量生産で、そのためには母親達を組織化して子供を教育させる必要があった。


GHQの政策は大成功を収め、1970年代には学生運動で全国的な大暴動が起こり、多くの左翼活動家を生み出した。

またPTAは表向きはボランティアなので、誰にも強要される筋合いはなく、アメリカ軍に指図される筋合いも無い。

PTAは教育のためや子供の為の組織ではないので、むしろ虐めに加担する側に立つのも当然なのでした。

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