ココでいろんな議論が入り乱れとる。
首都圏青年ユニオン11 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1486650050/l50
そして、私を騙っとるこのコメントの意見は、私は違うと思う。
925 : おーにっちゃん ◆bscjNhQdeEPS 2017/03/21(火) 01:30:25.02
>>906>>912
東部労組は組合員数700名程度やろ。
首都圏青年ユニオンや全労連のローカルユニオンよりは、はるかに多いはずやなあ。
この組合の場合、加入して職場組織を拡大するのが前提やから、個別の案件は基本的に受けへん。
門前で断られるよなあ。
専従に面会して質問攻めとか馬鹿なことを言っているヤツは論外や。
そういうのはまず相手にされへん。弁護士へどうぞ、ということになる。
この板では労働相談に言って断られる、ということを理解できないヤツが多そうやけど、昔の合同労組はそういう組合が多かったねん。
組合は慈善団体とちゃうから、組織拡大につながらない個別の案件はやらへんというのはむしろ合理的といえるんとちゃうか?
示談屋としてユニオンか弁護士かどちらが優れているのかにこだわっているようでは、労働組合の未来はあらへんぞ。
安い組合費で自己犠牲を強いるような活動は長続きはせん。
個別の案件を山のように抱えて苦労するだけの活動に何の魅力があるの?
それで、この板のように専従がどうだのこうだの文句や要求ばかりつけるような
ヤツらばかりいたら運動的に破たんするのはわかりきった話やなあ。
個別の案件を解決する過程で当該が組合活動に開眼し、解決後も継続して活動に取り組んでくれるケースもないわけではないがそれはごく少数やなあ。
”組合は慈善団体とちゃう”とか、”安い組合費で自己犠牲を強いるような活動は長続きはせん”とか、一面ではそうなんやけれども、そして全員でそんな苦しみを受けようという態度でいては未来がないのは事実やけれども、誰かは慈善活動と思って、自己犠牲をせなアカン。
ヒーローってみんなそうやん。
誰よりも何倍も自己犠牲するからヒーローになるねん。
物語のハナシとはいえ、ウルトラマンだってそうやろ。
ウルトラマンは誰かから報酬を得ているから地球を守っているのではなくて、それが正義やから地球を守っとる。
けど、共産主義というのは、このヒーローというのをやたら毛嫌いする。
”みんなで”という発想とは相容れんからや。
けれども、”みんなで”という発想をしながら、けっきょくはあらゆる共産主義が、ヒーローを作り出しとる。
マルクスにしろレーニンにしろ、不破哲三にしろ清水丈夫にしても、全部ヒーローになってもとるやろ。
だから、”みんなで”という発想は、実は、いまのヒーローを超える存在を出さんための屁理屈でしかない。
いくらみんなでとは言ったって、いくら共産主義者の中にだって、正義を求める意思の温度差があってアタリマエやし、正義を求める意思が高い人間、纏め上げる意思がある人間がヒーローになったって、コレは別になんらおかしなことではない。
その上で、ヒーローが頑張って、”安い組合費で自己犠牲を強いるような活動”をして慈善活動をしていく。
最初はそういうところでしか取っ掛かりがない。
そもそも、じゃあ「組織拡大につながる案件」なんてあるの?という疑問があるよなあ。
日本共産党にしても中核派にしても、実態としてジリ貧なんやから、案件を選り好みなんてしとってええはずがないやん。
しかし、またおかしなハナシなんやけど、”安い組合費で自己犠牲を強いるような活動”をして慈善活動をしていくというのは、従前の街宣とかビラ配りとかでもダメ。
そんな、どこにいるかワカランヒトに向かって訴えを投げかけているのではなくて、ちゃんと目の前のヒトに対して訴えかけなアカン。
昨日私は最近懇意にしている創価学会の人の家に招かれて飲んどったけれども、創価学会の人が割りと自由に生活しとったのに唖然とした。
創価学会だから、創価学会関係の本とかはあるんやけど、それとは別に、自分の好きなミュージシャンのCDは買うし、それでツアーとかも行くと言うとったし、他の趣味もやっとるし、アイドルとか、試しにAKBのCDまで買うとる。
私が、コレが中核派だと、
「そんなことはやめて、自分らの活動をしろ!」
って見向きもされない、と言って嘆いたら、創価学会はそんなことは言われないと言うとった。
だってたとえば、ある労働者が何に悩むかというと、AKBの握手会だとかツアーとかに行きたいけれども、カネがなくて苦しい、ということから始まるわけやろ。
そんなヒトに対して、
「AKBなんてやってる場合じゃない、労働運動に加わって賃上げ闘争に協力しろ」
なんて言ったって、ハナシが合わんやろ。
けれども、
「確かにAKBの握手会商法はおかしいと思うけれども、とにかくあなたは余暇を楽しむためのお金が欲しいんだよね。その悩みをどう解決したらいいか考えよう。」
と言って話すことは可能やし、もっと言うと、
「AKBの握手会商法で、彼女らが低賃金に喘いでいる、こういうのも実は問題としてあるよね。
なかなか自分の戦いとして自分の職場で声を上げることはできないけれども、AKBの子たちのために、労働環境を改善してあげて欲しいと言うのならばできるんじゃないかな?
そんな活動をすると、単に握手会で話すよりも、何倍も感謝してもらえるよね?」
というような会話だってできるんちゃう?
事実AKBのメンバーが薄給というのはヲタは知っとる。けど行動はなんも起こしてない。
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/akb/1490054530/l50
まあ私はこういうことを問題にする、世界で唯一の人間やからこそ、AKBから煙たがられて出入禁止にされとるんやけど。
だから、組合活動ったって、自分が働いとるところだけではなくて、消費者として、購入する相手の労働運動と引っ付くことだってできる。
逆を言えば当然のように、自分らの労働運動だって誰か購入してくれる相手を見つけて、そのヒトからなにか言ってもらう、ということだって可能やろ。
バスの運転手が重労働だ!と言うのはよく聞くけど、バスのユーザから、運転手が居眠りしてフラフラで、乗っとる側から危ないと感じるからなんとかしてください、と共闘することだってできるはずや。
これまでの労働運動って、ユーザを巻き込んで考えてこんかったからアカンのちゃうの?
私はどっちかというと中核派系ばっか見てきたからそう思うのかもやけれども、ストライキをめちゃくちゃ叫んどるけれども、ストライキが認められるって、
バスのユーザが、「運転手が居眠りしてフラフラで、乗っとる側から危ないと感じるからなんとかしてください」
と自主的に言いだす、こういうところまで行き着いてこそ、バスの運転手がストライキを起こして当たり前だ、という発想に行くと思う。
バスのユーザが、「運転手が居眠りしてフラフラで、ちゃんと教育しているのか!昔の国鉄みたいに怠けているんじゃないのか!」
と、言うとるようでは、そこでストライキなんか起こしたって、余計にユーザは怒ってまうよなあ。
まずはそんなところまで考えてみなアカンねん。
それと、私は自分でできる限り、いろんなヒトの意見を聞いとるけれども、確かに労働者は薄給で休みも取れずに喘いではいるけれども、だから資本と戦えばいいと思っているわけではなくて、だから何とか友達とか小さな幸せを見つけて生きてければそれでいいとも思っている。
これは、創価学会の発想と同じやねん。学会員でなくても大勢がそう思っている。
けれども、私だって共産主義者の端くれとして、創価学会の方に対して、
「創価学会は、自分を変えてこうという発想はありますが、社会のほうを変えてこうという発想がありませんよね。私はそこは違うと思います。」
とは言っている。
けど、社会を変えるためにはまずもって自分が率先して変わらなアカンのは自明で、それには創価学会の”人間革命”の発想もやっぱ必要やねん。
マルクス主義を知った、とか、ビラ配りに参加した、なんてのは、自分が変わったうちには入らん。
労働を究極に突き詰めたら、左翼とか右翼とか、政治上の党派闘争とか全部が関係なくなって、そこにはいまの政治の「与野党相乗り」とは根本的に違うような、労働者の総意を汲んだ思想というのを作り上げることは可能で、それが為し遂げられたときに、革命が起きるともいえると思う。
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