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【社会】

被爆医師・肥田舜太郎さん死去、100歳 国内外で反核訴え

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 広島で自ら被爆し、被爆者の治療を続けてきた医師で、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問の肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)氏が二十日、肺炎のため死去した。百歳。岐阜県出身。葬儀・告別式は二十六日午前十時半からさいたま市浦和区瀬ケ崎三の一六の一〇、さがみ典礼北浦和葬斎センターで。喪主は長男泰(ゆたか)氏。

 一九四五年八月六日の原爆投下当時、軍医として広島に赴任しており、爆心地の北約六キロ地点にいた。その直後に市内へ入り、焼けただれさまよう人らを救助するとともに、治療に当たった。その後も、白血病などの後遺症に苦しむ被爆者らにも寄り添い続けたほか、内部被ばくによって体がだるくなる症状を「ぶらぶら病」と呼んで危険性を指摘した。

 「広島と長崎は今も生き地獄を見せて世界に警告している。真実を伝えるのが被爆者の使命だ」として、七五年に初めて原爆を投下した米国を訪問。八九年までの十五年間で三十カ国以上、百五十都市以上を「草の根の反核語り部」として駆け巡り、原爆の悲惨さを訴えた。

 原爆症認定訴訟では原爆投下後に広島、長崎市内に入った被爆者について、ほこりなどを吸い、体内に入る放射性物質による内部被ばくの影響について証言をした。

 二〇一一年に発生した東日本大震災による東京電力福島第一原発事故でも、内部被ばくの脅威を訴えた。一三年にも都内で脱原発を求める集会に参加するなど、被爆者治療の傍ら、核廃絶を求める発言を続けた。

 

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