上京して最初に住んだ街が西荻窪だった。交通の便から中央線沿線でいくつか内見した末、最終的に西荻南の1Rを即決。それは部屋がどうというより、そこに面する「西荻東銀座商店街」ってトンチキな名前が面白いとか、「逆に地元じゃ見ないな」って風情の八百屋、おもちゃ屋が健在だったところを魅力に感じたことが大きかった。
引越した初日はなんと手違いで家財道具が届かず、カーテンも布団もない部屋で独り床寝するハメに。翌朝、商店街では朝市が開かれていて、お惣菜か何かを手に「今日からこの街にお世話になります」的なことを話し、上京後初めて心を満たした。
東京の一人暮らしなんて、それこそ「ズートピア」みたいな孤独で殴られるはずだろうに、西荻は独特の垢抜けなさでもって私にずいぶん優しくしてくれた。登亭のチキンサラダ、戎ズボンズ遭遇事件、サブカル劇団員の声かけ事案など、私は数々の思い出をしっかり作って1年後に引越し、さらにその10年後に「やっぱり」と戻ってきて今日に至る。
今も西荻窪はいい街だと思っていた。しかし、実はそうじゃないのかもしれない。
駅のすぐ南に小さなアーケードがあり、そこにはピンク色の象が上から吊り下がっている。目の位置は変だしハリボテ製でボロボロなんだけど、そんなものを西荻のシンボルだと捉えてる在住者は少なくなかった。不格好ながらも手作りのぬくもりがあって、それがこの街をいい具合に表していて。
そんな象が、先日代替わりした。ハリボテからツルッとした不気味な質感にグレードアップし、媚びたかわいさを前面に打ち出した、1ミリもときめかないデザインへの大進化だ。いや、それは我慢しても、象には地元不動産屋の非公式キャラクター(それもよりによって象だぜ)がしがみついていて…一体どうした。昨日この目で見てきたけど、あまりに醜くて、怒りや悲しみの気持ちがなかなか整理できずに立ち尽くしてしまった。
少し前、住みたい街ナンバーワンでおなじみ吉祥寺で、無印良品の入ってたビルがまるごとドン・キホーテに変わるというショッキングな出来事があった。駅と井の頭公園の間の通り沿いという場所なので、確かに出店先としていい場所だとは思う。だがしかし、ドンキかよ…!そして今も吉祥寺からは調和よりも立地の良さを優先したと思われるチェーン店のオープン情報がコンスタントに届き、その都度私にいい感じの切なさをくれる。
まあこれは違う類の話だけれど、隣駅の西荻窪もダメかもわからん。私は長崎亭の閉店も受け入れ、BRUTUSで「スローミュージックの街・西荻窪」とラベル付けられたときもCD屋(雨と休日)があるからってだけでは」と思いながらも言いたいことはわかった。最近ワインバルやクラフトビール屋がニョキニョキ生えてくるが、それも大歓迎。「西荻ラバーズフェス」という直球すぎるタイトルの無料フェスが行われたのも素晴らしいことだ。時代の波や新陳代謝を、私も楽しんでいると思ってた。
でも、違うんだろうな。だって、そうじゃないと街のシンボル1つ変わったくらいでこんなに気落ちしないもの。当たり障りのない無個性な造形で、広告媒体に堕ちた街の象徴。そんなもの無視すりゃいいだけなのに、もう街全体の魅力が色あせたような気持ちになっている。
よく男性ファッション誌は「使い込むごとに味が出てくる」という口説き文句で男性陣にレザーアイテムの購入をそそのかす(皮なんてほとんどの日本人かむってるのにさ!)。それと同じ道理で、私にとって愛着はあまりにも大事なものなんだと知った。こと私生活においては、効率性やコスパなんかより、愛着はずっと大切にしたいものだったんだなと。さあ春だ、引越し先の検討に入ろう。