蹴球探訪
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【首都スポ】平成国際大初のアベック日本一! ボクシング部男子・友松&女子・林2017年3月20日 紙面から
1999年創部の平成国際大ボクシング部で昨年、初めて男女部員がそろって日本一に輝いた。ともに4年生で、全日本選手権ライトヘビー級を制した友松藍(熊本・秀岳館)と、全日本女子選手権ライト級の林美涼(富山・上市)だ。故障のため野球を断念、高1の終わりごろにボクシングに転向した友松と、小4からボクシング漬けの日々を送ってきた林。卒業後、それぞれの道を歩む全日本王者に話を聞いた。 (取材・構成=関陽一郎、森合正範) ◆林美涼 実家に戻って親孝行富山の実家にあるサンドバッグで鍛え、育ってきたボクシング三姉妹の長女が林だ。小4で競技を始め、五輪にはロンドン、リオデジャネイロと2度挑戦。昨年、念願だったライト級での日本一に輝き、卒業を機に実家へ戻って薬局の販売員として働くことに決めた。 「父が『続けるなら関東の方が練習環境はある』と言っていたんですが、4年間好きなことをやらせてもらい、今まで出費が多かったので返したいですし、一番下の妹(高2の咲月さん)の練習を見てあげたいというのもあって。(東京五輪は)少し様子を見て、チャンスがあれば狙いたいなとは思います」 2015年12月。リオ五輪国内予選を兼ねた全日本女子選手権ライト級で平成国際大OGの釘宮に判定負けし、アジア予選進出を逃した。第1ラウンドは優勢も、第2ラウンドでダウンを奪われ、流れを失った。 「高2のときもロンドン予選で釘宮先輩と戦い、TKOで負けました。(リオ予選は)欲を言えば勝ちたかったですけど、最後まで戦い切れて自分もちょっと(釘宮に)近づけたのかなとも思いました」 3度目の五輪挑戦をするかどうか、地元に戻って、答えを出そうと考えている。 <林美涼(はやし・みすず)> 1994(平成6)年7月9日生まれ、富山県下新川郡入善町出身の22歳。175センチ、57キロ。4年生部員6人のうち唯一の女子。右ボクサーファイター。高2の2011年、世界女子ジュニア/ユース選手権出場(フェザー級)。全日本女子選手権フェザー級は12年から3連覇。昨年、同ライト級初制覇。家族は父・直樹さん(46)、母・和美さん(46)、妹の彩音さん(20)=平成国際大2年=と咲月さん(17)=上市高2年。 ◆友松藍 次の目標は東京五輪ごつい体とは対照的に、笑うと優しさがにじみ出る。昨年11月、全日本選手権ライト級で頂点に立った友松だ。いつか日本一になる−。ボクシングに転向したときの目標を有言実行で果たした。そして、封印してきた次のターゲットを口にするようになった。 「東京五輪に出たい」 熊本市生まれで、野球少年だった。中学時代は硬球のクラブチームに所属し「投手で4番」。高校は強豪・秀岳館で甲子園出場を目指し、願わくばプロ野球選手にと考えていた。ところが、肩や肘を壊してしまい、野球を断念。そんなとき、元全日本王者で、ロンドン五輪ミドル級金メダリストの村田諒太にも勝ったことがあるという同校ボクシング部の坂田一平監督に出会った。 転向を決めたとき、あまり野球に未練はなかったという。パンチを打つ時の体の回転など、野球の動作が生きることがあった。減量があり、打たれれば痛い。過酷と感じつつ、団体競技とは違った「やればやるほど強くなる楽しさ」を知り、のめり込んでいった。 高校時代の最高成績は九州大会3位(当時ウエルター級)。大学1、2年時は全日本選手権で5位止まりだった。来る日も来る日もサンドバッグをたたいた。練習後に、15ラウンド、20ラウンド−。大学の試合では、4〜6試合分に相当する。 「自信は練習して、努力してつけるもの。目標のためだったら、自分はそういう平凡なことが繰り返せる。それが強みかなと思います」 昨年11月の全日本選手権で頂点に立ち、お世話になった木庭浩介監督の小百合夫人にメダルをかけ、夫妻に恩返しした。 今後は都内のジムに所属し、五輪リングを目指す。友松の新たな挑戦を告げるゴングが鳴った。 <友松藍(ともまつ・らん)> 1994(平成6)年8月25日生まれ、熊本市出身の22歳。176センチ、80キロ。右ファイター。秀岳館高1年の終わりごろに故障で野球を断念、ボクシングに転向。平成国際大では3年時に全日本選手権ライトヘビー級3位、4年時に同初優勝。家族は父・治郎さん、母・里江さん。 ◆祝卒業!!2人に聞く−平成国際大で初めて男女そろって全日本で優勝した 友松「正直、自分のことしか頭になかったと言うとおかしいですが、日本一に取るために専念していました。最終的に、林と日本一になれたのはうれしいです」 林「自分も特に意識してなくて。一昨年は釘宮先輩とやって3位。優勝で終われたのはうれしいです」 −互いに「良かった」とたたえ合ったことは? 友松「こっち(林)は素直に言えないタイプ。照れるというか、強気で『おー』とか」 林「(友松は)学校の食堂で、みんなにメダルをかけさせていたんです。順番が回ってきたので、『自分で取るからいい』と言いました(笑)」 友松「自分も『どうせ、おまえ取るかな。金メダル慣れているだろう』って(笑)。中にはメダルを下げて写真を撮る人もいて、喜んで共感してもらえるなら、自分もうれしいです」 −お互いの第一印象は 友松「歯を食いしばって(男子に)食らいついてくるので、すごい根性しているなと思いました(笑)。同じように目標を持ってやっている人間として、尊敬…何て言うのかな。最高の同期だと思っています」 林「最初に1年の時に見た印象は、すっごく体力がないなと思って、ハハハ。スパーリングでも1ラウンド目の何十秒かで失速していて。でも、いつも1人で練習をやっているところを見ていたので、懸命にやっているのが結果に出て、すごいなと思います」 友松「最初はホントに女子より遅かった。でも、自分は負けるのが嫌いな人間なので、みんなが帰った後に1人で走ったりとか。今は3ラウンド、しっかり大丈夫だと思います」 −もうすぐ卒業。一緒に買い出しや料理もする環境から離れることに寂しさは? 友松「奥さん(小百合夫人)から息子のように優しくしてもらいました。奥さんにも(日本一の)メダルを見せたいというのがあった。達成できて、一番うれしいですね」 林「(ボクシングを始めて)放課後に友達と遊んだりとか1回もできず、高校のころも周りの子たちのように帰りにどこか寄ってとか、そういうことがなかったですが、大学へ来て同じ環境の人がいっぱいいて。その中でも、自分は海外に行ったり、他の人ができない経験もできた。ボクシングをやってきてよかったと思います。妹(大学の後輩、彩音さん)はこっちで1人になるのは少し心細そうでした。高校も大学も自分が先に学校にいて、あとから妹が入ってきたので」 −同期で卒業旅行みたいものは? 東京ディズニーランドとかに行く人たちもいるようだが 友松「自分はこう見えて、高所恐怖症。肩車でバランスを取る練習では、上が怖くて。ディズニーランドに行くなら保護者です」 林「(友松は肩車の上で)ずっと、あーあーって叫んでます。あのメンツでディズニーはつらいなあ(笑)」 <TKOで優勝> 日本一を決める決勝はともにTKO勝ち。友松は栗田琢郎(日大)に1回2分27秒で、林は大学の後輩、山下真成美に2回43秒でそれぞれ勝った。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」。トーチュウ紙面で連日展開中。 PR情報
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