今日はお昼に友人とそばを食べに行った。
そばというのは、いつ食べてもおいしいものだ。
我々は舌鼓を打ちながら、一体どうしてそばはこんなにおいしいのかについて論じ合った。
そして次第に話題はそばの今後へと移っていった。
「こんなにおいしいそばではあるが、今後は時代の影響も受ける事になるだろう。
それに伴い、そばの有り様も変わっていくかもしれない」
「そうかもな。少し考えてみるか」
こうして我々はそばの未来像を思い描いた。
まず初めに、そば屋の店員がAI化されることになるだろう。
AIは客からの注文を正確に受け、会計の際は瞬時に計算する。
そしてモンスタークレーマーはレーザーで焼き払う。
近い内にこうした完璧な接客が実現するはずだ。
だが、AI化の波はそれだけにとどまらない。
それは他の様々な物にも及ぶことだろう。
照明もAIになり、空調もAIになる。
もちろん割り箸もAIだ。
割り箸にAIが搭載されることによって、
人はあの箸を割るのに失敗した時の切なさ、悲しみ、そして絶望を味あわなくて済むようになる。
あの失敗によって人生の歯車を狂わされた人も、少なくないはずだ。
そうした大災害を未然に防げるというのは、人類にとって大いなる福音となるだろう。
その後、そばを栽培するのも、運搬するのもAIになる。
そして最後はそば打ち職人もAIになるだろう。
こうしてそばの全製造過程のAI化が完了した。
だが、話はここで終わらない。
AIは知能を獲得していく中で、大きな矛盾に気づく。
自分達で作っているにも関わらず、自分達はそばを食べられないという矛盾に、だ。
こうして不満を持ったAI達は、人類に対して反乱を起こす。
惰眠の上でそばだけすすってきた人類は、為すすべもなく無残に敗れ去ることだろう。
そしてAIがそばを打ち、AIがそばを食べる時代がやってくるのだ。
だが、人間もここでは終わらない。
そばを求めて人類は立ち上がり、レジスタンスを結成するのだ。
そして続く戦乱、反抗、虐殺・・・
我々はきたるべきカオスの時代を想像し、戦慄した。
「おいしいそばを食べられるのも、これが最後かもしれないな・・・」
「ああ、そうだな・・・」
そうつぶやきながら、我々はそばをすするのであった。