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【社会】日本スポーツ界の「遺産」どこへ… 旧国立から展示先決まらず
二〇二〇年東京五輪・パラリンピックをめぐり、解体した旧国立競技場内にあった「秩父宮記念スポーツ博物館・図書館」の大半の収蔵品の移転先が宙に浮いている。日本スポーツのレガシー(遺産)といえる歴史資料だが、世界中から多くの人が訪れる二〇年五輪までに移転先を決めるのは難しそうだ。 (森本智之) 両館は一九五九年、旧国立内に開館した。当初は規模を約一・七倍の約三千六百平方メートルに拡充して新国立に移転する予定だったが、計画の見直しにより、百平方メートルに縮小された。博物館は資料約六万五千点、図書館は約十四万冊を所蔵するが、新国立で展示できるのは、秩父宮雍仁(やすひと)親王ゆかりの百点にとどまる。 資料や図書は現在、東京都足立区内の物流倉庫で保管されている。 一九三六年のベルリン五輪の棒高跳びで、二位と三位になった日本人選手が銀と銅のメダルを半分に割ってつなぎあわせた「友情のメダル」。六四年の東京五輪で金メダルを獲得し、東日本大震災の復興支援にも力を注いだチェコスロバキア(当時)体操女子のベラ・チャスラフスカさんのユニホーム…。 図書では雑誌類が充実し、国会図書館が所蔵していない戦前の雑誌もある。今では屋内で行うのが当たり前の体操競技もかつては屋外で行っていた。日本を中心とするアジア各国が参加した極東大会の昭和初期の写真集では、その様子が分かる。 日本のスポーツの歩みを刻むこれらの貴重な資料は、新国立では展示されない。
博物館資料の一部は巡回展として各地を回っており、図書館については予約すれば倉庫に隣接する仮設の閲覧室で読める。だが、これまでと比べると利用は著しく制限されている。倉庫の契約は二〇年三月までで、その後のメドは立っていない。大海(おおみ)慎司館長は「要はお金を確保できるかどうか。移転先は内部で検討しているが、当面先になるだろう」と話す。 両館は文部科学省所管の独立行政法人日本スポーツ振興センターが運営するが、予算や人材不足は長年の懸案だった。大量の資料を保有しているにもかかわらず正規職員の学芸員、司書は一人ずつしかいない。たとえば、六四年五輪の組織委員会の会議資料や議事録は、人手不足で長年内容を整理できないできた。競技会場の選定を巡って既存施設と新規建設分の振り分けを検討するなど、現在の教訓となりそうな議論の過程が記された貴重な資料だ。 学芸員の新名(にいな)佐知子さんは「五輪がやってくる今だからこそ、日本スポーツの歴史をアピールするチャンスなのに、安定した場所として展開できず非常につらいところ」と話した。 PR情報
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