文科省に“激震”走る
このうわさを私が初めて聞いたのは、ことし初めのころでした。その後、文科省の人事課を震源とする「天下り問題」が発覚しました。官僚の天下りを監視する再就職等監視委員会(以下、監視委員会)は、現役の職員が、組織的に天下りのあっせんを続けてきたと指摘し、みずからもあっせんに関わっていた事務方のトップが事実上の更迭となりました。
2月21日時点までに、国家公務員法違反と認定された事案は、合わせて27件。人事課の職員が中心となって、退職者を大学や企業に紹介するなどしていました。
発端は“早稲田事案”
問題の発端となったのが、通称「早稲田事案」です。文科省の元幹部(高等教育局長)が退職後、早稲田大学に、わずか2か月で再就職したことに違和感を抱いた監視委員会が調査を始めたのです。
当初、文科省は、組織的なあっせんがばれないようにするため、人事課の職員が、大学側に口裏合わせを依頼するなど周到な隠蔽工作を行いました。
しかし、早稲田大学が、文科省から元幹部の紹介を受けたことや、人事課の職員と採用面接の日程を調整したことを明かすと、事態は一変しました。
監視委員会は、幹部からも聞き取り調査を行い、人事課の職員が業務で使っていたメールを回収して調査を進め、その結果、疑わしい事案が次々と明らかになったのです。
違反の背景その1 法律に抜け道 人事課OBが仲介
一連の問題のなかで、特に驚かされたのは、10年前、天下りを規制する法律が成立した直後から、違反が続いてきたことです。
なぜ、文科省は違反を続けてきたのか。
背景の1つには、法律の解釈の難しさを悪用し、自分たちに都合よく法律を解釈していたことがあるように思います。
法律では、現役職員があっせんを行うことを禁止しても、OBがあっせんを行うことは禁止していません。
この法律の解釈の難しさを表しているのが、通称「慶応事案」です。
この事案では、仲介役の人事課のOB・嶋貫和男氏が、慶応大学からの要望を受け、知り合いの文科省OBを紹介し、再就職をあっせんしました。
嶋貫氏があっせんをしたこと自体は、違反ではなく、争点となるのは、現役の職員が関わったかどうかです。
監視委員会は、ある現役の職員が、仲介役の嶋貫氏に送ったメールに注目しています。
「文部科学審議官の了解が得られましたので、取り急ぎ御報告いたします」
メールにある「了解」という二文字が事実であれば、現役職員(文部科学審議官)が、部下に指示をして、嶋貫氏に仲介をさせたことになり、違反になる可能性が高まります。
しかし、法律の解釈の難しさから、今も最終的な判断がでていません。
「慶応事案」に関わった全員が、現役職員の関与を否定する証言をしているからです。
調査では、文部科学審議官が「了解する類(たぐい)のものではなく、事実として聞き置いた」と述べ、メールを送信した職員も「了解ではなく、報告だった」とメールの内容を訂正しました。
こうした証言からも、現役職員の関与があいまいになると、違反かどうかの判断が非常に難しくなることが伺えます。
違反の背景その2 法律が目指した姿 お蔵入り
『ここまでの法律違反を、よくも、ぬけぬけとやっていたものだ』
このように話すのは、天下りを規制する国家公務員法の改正に行政改革担当大臣として関わった、渡辺喜美参議院議員です。
10年前の平成19年、与党内や霞が関(=官僚)から強い異論もでる中、なんとか法改正にこぎ着けました。しかし、今回の天下り問題を見ても、運用の面では、本来の目指した姿には至らなかったと振り返ります。
渡辺元行革担当大臣に聞きました。
Q 法律をつくったあとも、天下りあっせんは続くと思いましたか?。
『人生50年の時代ではないので、いくらでも再就職はしていいんですよ。ただ、植民地みたいに、人事ではめ込む再就職は天下りだからダメ。法律は通したけれども、中途半端だったために、今回の問題がおきたんでしょうね』
Q 何が中途半端でしたか?。
『法律では、「官民人材交流センター」という役人版のハローワークをつくって、補助金や交付金が何万円以上のところはダメなどの細かいルールを決めて、ここで、あっせんをしようとしていた。しかし、「官民人材交流センター」が、ボロカスのように言われ、機能しない形でお蔵入りになってしまい、その間に、抜け穴探しが横行したのでしょう』
「官民人材交流センター」を設置することは、当時、政治が見いだした落としどころでした。現役職員のあっせんを全面的に禁止することに、政府・与党内からも「現実にあわない」とか「官僚の士気が下がる」などの反対意見が相次ぐなか、人事の新陳代謝を保つための方策でした。
一時は、法律の成立は困難という見方があるなか、参議院選挙を控えた平成19年6月、自民党政権は、国会の会期を延長したうえで、法律を成立させました。
しかし、「官民人材交流センター」に対しては、野党側からは「(天下りに)政府のお墨付きを与えるようなものだ」などの批判が高まります。
法律の成立から2年後、民主党が政権をとると、当時の鳩山総理大臣は「天下りの根絶を図る」と述べ、「官民人材交流センター」は事実上の休止状態になります。
Q「官民人材交流センター」を含めて、法律に対する官僚の反発は大きかった?。
『霞ヶ関(=官僚)の反対は、陰に陽にすごかった。一度、法律ができちゃったら、天下りバンクだの、もっともらしい理屈を野党の口から言わせて論点をすり替えようとした。(現役職員のあっせん)全面禁止は誰も想像しておらず、せっぱ詰まっていたと思う』
違反の背景その3 断ち切れない慣習
「官民人材交流センター」は、その後、自民党が政権の座に戻ると、対象となる職員を限定したうえで、再就職支援を始めましたが、文科省の職員の利用実績はゼロ。
こうしたことからも、そもそも、文科省は、10年前に法律が成立したときに、それまでは「正当な行為」だったことが「違反行為」に変わったにもかかわらず、慣習を断ち切る発想がなかったのではないかと思います。
文科省のある幹部は「歯車の一部になっていたことに気がつかなった」と振り返ります。
専門家からは、補助金を獲得したい大学などの受け入れ側の思惑と、再就職先を確保したい文科省側の思惑が一致したという指摘がなされますが、大学への文科省OBの再就職は、今に始まったことではなく、文科省の慣習の1つとして綿々と続いてきました。
教育分野の専門誌の記事には「再就職先を積極的に“開拓”」「OBらが全面協力」などの見出しが躍ります。具体的な再就職先として、国立大学や私立大学の教授などのポストも記されていて、法律の成立前には、再就職先を開拓することもまた、人事課の仕事の一つだったことがわかります。
このほかにも、現役職員の人事異動と合わせて退職者人事を考え、退職者には再就職先をセットで伝えるという昔ながらの慣習があったほか、人事課のOB会(光風会)と現役職員の会(花月会)の情報交換も続いていました。
法律の成立という大きな転換があったにもかかわらず、文科省内で、こうした慣習の是非が問われることはなかったのです。
責任の所在 あっせんの仕組み主導したのは?
調査が大詰めを迎え、最終報告書づくりも進んでいます。文科省内においても、もっぱらの注目は、懲戒処分の発表です。
法律に違反した職員だけでなく、歴代の人事課長など、現在中核を担っている幹部も責任を問われる見通しです。しかし、今もなお、「天下り問題」の根源的な疑問は、疑問のままです。
そもそも、違反になるにもかかわらず、あっせんの仕組みづくりを主導したのは、本当のところは、誰なのかという疑問です。
ここで、いわゆるキャリア官僚とノンキャリアの関係に注目したいと思います。
関係者の中には、主導的にあっせんの仕組みをつくったのは、ノンキャリアだと考える人もいます。
文科省のノンキャリアには、全国の国立大学で採用され、優秀さをかわれて、本省に引き上げられた人たちが少なくありません。
キャリアが、数年単位で部署を異動するのに対し、ノンキャリアは、人事や会計など専門的な実務を一手に担うケースが多いのです。
今回、仲介役となった嶋貫氏も、地方大学で採用されたのちに、およそ20年にわたって人事畑を歩み、人事課OB会(光風会)の会長を務めるなど、いわゆるノンキャリアのドンのような存在でした。
また、慶応事案で、嶋貫氏にメールを送信したのもノンキャリアの現役職員。
早稲田事案の発覚を免れようと、大学に口裏あわせを依頼した職員も、ノンキャリアだったといいます。
キャリアに比べれば立場の弱いノンキャリアが、第二の人生の舞台を、守ろうとしたのではないかというものです。
一方で、キャリアに主導権があったと考える関係者もいます。
「ノンキャリアが汚れ役となって、文科省を守っているだけだ。いちばん悪いのはキャリアだ」という見方です。
とりわけ、法律が成立した当時の、キャリアの幹部職員が、何を語り、何を語らないのか。
現役の職員は、先輩やキャリアの関与を仮に知っていたとしても、正直に答えにくいものだといいます。
調査に答えた内容が、自分自身の懲戒処分に直結することや、文科省への批判がこれ以上、強まることにちゅうちょしてしまうというのです。
問われる職員の覚悟
文科省に激震が走ってから、およそ2か月。
教育・科学・文化・スポーツ分野の施策を担ってきた威信が揺らいでいます。
10年前に法律が成立したときに、文科省は、慣習を断ち切る発想がなく、時代の変化に対応することができませんでした。
その結果が、今回の「天下り問題」だとすれば、松野文部科学大臣が強調する「順法意識の徹底」は当然です。そのうえで、今、求められているのは、さまざまな慣習を問い直し、無意識のうちに組織の歯車とならない、職員一人一人の覚悟なのではないかと思います。
- 政治部
- 木村有李 記者