>「なぜ、なろうでポイントを取ると、そのまま店頭でも売れるのか」
まず、なろうのポイントの入り方を説明します。
ポイントの内訳は、「ブクマがほとんど8割以上を占めて支配的」というお話は、前にしました。残り2割の評価要素もありますが、ここは、「無視」して、ブクマの入りかただけに注目します。
ブクマというのは、非常に簡単につけられる「印」なのですね。心理的に敷居が低い。
日間なり、週間なりのランキングを眺めていて、「あ、これちょっと面白そう」と思ったとすると、その読者は、まずリンクを踏んで、「目次」を見に行きます。
ここでそれなりの話数が並んでいて、更新頻度もそこそこで、なおかつ、各話タイトルなんかに書かれている見出しの内容も、期待を外さなかったのであれば、「とりあえずメモっとこ」という、軽い気持ちで、ブクマします。
もちろん、「きちんと熟読した上で、永久購読確定となるまでブクマなんてしない」という慎重な層も、少数派ではありますが、それなりの割合として存在します。
でも、こういう人たちの産出する「ブクマ数」=「ポイント数」って、異様に少なくなるんですよね。作品を、吟味するので、そもそも、ブクマ数が少ない。
「ちょっと気になった」だけでブクマするようなカジュアル層は、慎重派の10倍も20倍もブクマを生み、ポイントを産出するので、仮に慎重派数が半分程度いたとしても、トータル産出ポイント数では、圧倒して、少数派へと押しやります。
よって、気軽に「ちょっと気になる」程度で、ブクマをする方が、ポイント産出において支配的である、となります。
ここで、ブクマするために必要な「クリック回数」が、たったの「2手」であることがポイントです。
ランキングからURLのクリックで、1回。
画面上部の「ブクマする」をクリックして、1回。
合計、たったの2回で、ブクマできます。そして2ポイントが発生します。
さて、つぎに、書店での購買行動をみてみます。
書店では、平置きされていない本は、まず、「まったく」売れません。
平置きというのは、表紙が見える形で、何冊も平積みされている状態のことです。
棚の中において、背表紙ではなく、表紙を見えるようにおいてあることもありますが、こちらは「面だし」といいます。面だしは、「棚差し(背表紙しか見えない)」よりも効果は高いのですが、やはり、皆がいちばん注目するのは、平置きです。
この平置き以外の本は、「まったく売れない」とします。まあ極論ではありますが、「絶対に売れない」ぐらいに考えてしまっても、よいかと思います。
さて、読者は平置きの本をどうやって、レジまで持って行くのか。
まず、平台全体を全体を視野に入れます。
20~30冊の本が、一度に視野に入ります。
すべての本の表紙をつぶさに見てゆく人なんて、まずいませんので――。
ええ。はい。20人に一人か二人はいるかと思います。しかし、「大多数」は、一冊一冊なんて、見やしません。
WEB小説のランキングを見るときに、タイトルとあらすじを、全部読んでく人なんていないのと同じです。
なので、数十冊あるうちから、ぱっと目を引き寄せた、何冊かだけを、注視することになります。
さらに、一歩近づき、手を伸ばし――。どれか1冊か2冊ぐらいを手に取ります。
手に取ったあとは、「あらすじ」を読んだり、カラーページをみたり、冒頭部分を試し読みしたりするでしょう。
そして、最初に感じた「おもしろそう」という「予感」が「確信」に至れば、レジまで持っていって、見事、お買い上げとなります。
本が「手に取られる」まででも、このように、かなりの競争があるわけです。
さらに手に取られた本のうち、レジまで持って行かれるケースは、もっと少なくなります。
書店の店頭に行って、一日張り付いて、観察していれば、誰でもわかることなのですが……。
まあ、だいたい、20回手に取られて、1回、レジまで持って行かれて買われるとか、そんな、ごくごく低い割合ですね。
ただし、ここで一つポイントがあるのですが。
ある本が手に取られた回数と、レジに持って行かれた数との間には、あきからに比例関係があります。
まったく手に取られもしなかった本は、まったく売れず。
少し手に取られた本は、すこしだけ売れて。
たくさん手に取られた本は、たくさん売れます。
つまり、手に取られる率は、本の売れ行きとイコールである、といえます。
ちなみにこのとき、シリーズ続刊は例外とします。
あくまで新シリーズの第1巻を、買うかどうか吟味している場合の話をしています。
既刊シリーズの続刊の場合には、前巻が面白ければ、すでに買うことが「確定」していますので、手に取る=レジ、となりますので。ほぼ1:1となります。
ここまでは、WEBと店頭での、両方の「選ばれ方」の話をしてきました。
僕が着目したのは、この両者の相関性です。
ブクマをするために必要な動作は、2手でした。
本を手に止るまでに必要な動作も、一歩近づく、手を伸ばす、で、ちょうど2手です。
また、マウスを動かしてクリックするなり、スマホの上で画面をタッチするなりという動作と――。
近づいて手を伸ばす、という動作もまた、ちょうどおなじぐらいの、心理的な重さであるのですね。
よって、「書店の店頭で手に取る」ことと――。「クリックしてからブクマする」は、ほぼ等価であると。
ちょっと気になったから、手に取ってみる。ちょっと気になったから、ブクマする。
――と、両者は、等価な消費行動なわけです。
さて、前述しました通り、「手に取られた率」と「レジに持って行かれた率」とのあいだには、比例関係があります。
すると、つまり、ブクマされる率と、レジに持って行かれる率も、比例関係にある、ということになります。
もちろん、「パッケージングの違い」という問題はあります。
WEB小説の「パッケージ」は、「タイトル」と「あらすじ」と「もくじ」と、この3つがすべてです。文字情報ばかりです。
対して、書籍のパッケージは「絵」「タイトル(ロゴデザイン含む)」「帯の売り文句」「裏側のあらすじ」となります。
表紙絵があるかないかが、大きな違いですが……。
表紙絵については、「内容を上手く表現しているもの」であるなら、つまり、「タイトルとあらすじ」から得る印象と同じベクトルの魅力を発生するわけです。
絵のついていない状態でさえ、タイトルとあらすじ(ともくじ)のみで測られるような、そんな激戦区を勝ち抜いてきた良質の企画(コンテンツ)が、絵がついたことで、さらに希求力を増しこそすれ、不利になるはずがありません。
>まとめ
・WEB小説でブクマをする行為と、書店の店頭で手に取って眺める、という行為とは、等価である。
・書店の店頭で手に取られる率と、レジに持っていって買われる率=売り上げは、比例している。
・よって、ブクマ率と、売り上げとは、比例する。
>補足、例外について
たまに例外もあります。
高ポイント作品なのに、ぜんぜん売れないとか。
あんまり高くないポイントなのに、めっちゃ売れてるとか。
文庫で出すか大判で出すか、どこのレーベルで出たのか(販売力がレーベルで違う)。なんて要素が複雑に絡み合いますし。
書籍のパッケは「絵」や「デザイン」という、なろうの連載時にはない要素が大きいので、そこで間違うと、ポテンシャルのある作品を殺してしまうことになったり……。
ちょうど、WEB連載時の「中身か同じでもタイトル変えたら、ポイント取れない/取れる、が、まったく変わる」というのと同じです。
でもだいたいにおいて、書籍化作品は、「ポイントなり」に実売の数字が出ることが、「観測された事実」として、成立しています。
全体数の8割ぐらいは、ポイント通りの売り上げ推移となります。
残りの1割、2割をみて、「例外があるじゃん! 正しくないぞ!」とか言われるなら、どうぞご自由に、という感じです。
8割も相関していれば、僕は「現実」とみなして、プロとして自分の生存をかけて、行動しますので。