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翼をなくした少女たち 作者:斉藤なめたけ
2/2

後編

かなり際どい描写があります。ご留意を。
 だが、そんな平和も長くは続かなかった。
 ケルシーが「アムシアさんの服をもらってきますね」と言って、人間の街へ出かけたきり戻ってこないのだ。
 アムシアが森の小屋に住んで一週間になる。悪魔の力は戻らなかったが、体力のほうは順調に回復し、森での生活も苦にならなくなった。
 ケルシーともすっかり打ち解けたが、最近では少しでも離れると心細さを感じるようになっていた。
 彼女を探そうとも考えたが、彼女の服装では開いた背中のせいで人前に出ることができない。魔族の少女とわかれば、たちまち袋叩きにされてしまう。
 人間の年端の少女らしく、時には部屋の隅で膝を抱えて涙したりしたものだ。同胞が効いたら腹を抱えて笑うに違いない。
 でも、それでも構わなかった。
 一刻早くケルシーに会いたい。それだけが望みだった。

 ケルシーが森を出て五日目の夜、アムシアの願いは叶った。
 その時刻はあいにくの雨であった。夕食を済まし、後は寝るだけといったときに、静かに扉を叩く音が聞こえたのだ。
 扉を開けたアムシアの瞳が極限まで見開かれる。
「ケルシー……?」
 再会を喜ぶどころではない。雨にぐっしょり濡れた天使は今まで見たことのないような雰囲気を漂わせていた。胸騒ぎが押さえきれないほどの。
 ケルシーは出たときとは違う格好をしていた。モスグリーンのゆったりとしたワンピースは可愛らしいが、雨に濡れてしまっては台無しである。
 しかし、ケルシーをみすぼらしく感じたのは雨のせいだけではない。
 彼女の背中に、翼がなかった。

「ごめんなさい、お待たせしてしまって。その代わり、可愛い服をたくさん持ってきましたから……。全部濡れてしまいましたけど」
 濡れた包みを置きながら、明らかに無理をした笑みを浮かべる天使に、アムシアははっきりと顔をしかめた。
「服のことなんざどうでもいい。それより、今まで何をしてた? それに背中の羽根はどうした?」
 威圧的な口調に、ケルシーの作り笑顔が早くも崩れそうになる。
「羽根は……その、野生の狼に襲われて付け根からちぎられたのです。中途半端に残すのもあれだと思って、町の人に綺麗になくしてもらって……」
「下手な嘘だな。魔族は嘘を吐くのも見抜くのも得意なんだ。そんな顔でアタシを騙せると思ってるのか」
 その言葉に、雨に濡れたケルシーの頬がさらに濡れることになった。悲痛な顔をくしゃくしゃにさせて、濡れ鼠もお構いなしに黒髪の少女に抱きつく。アムシアも構わなかった。背中をなぞると、その背中は布地に包まれていて、悪魔の少女は今度は固く天使の少女を抱きしめた。
 嗚咽に混じって、ケルシーの口から真実が漏れる。
「わたしっ、神族の皆さんに魔族の手に堕ちたと罵られてっ、天界で処罰を受けてたのです……っ。父さんに羽根を切り落とされて、母さんから永久追放の刑を言い渡されて……ぐすっ……でも、父さんも母さんも辛かったんだと思います。もっと偉い人にそう言われて……」
「もういい、ケルシー。悪かった。辛かったんだね」
 優しく言ってやったが、アムシアの中では暗紫色の炎が揺らめいていた。
 できるものなら神族の連中を全員殺してやりたかったが、今のアムシアは神族一人でさえ負けるだろうし、戦いに身を落とすのはケルシーも望んでいないような気がした。
 涙が涸れるまで泣き続け、ようやく落ち着きを取り戻したケルシーは、アムシアの提案を受けて全身を拭いてもらうことにした。
 椅子にちょこんと腰を下ろしたケルシーの前に、拭き布を持ったアムシアが立つ。最初は濡れた金の髪を拭き、前面を拭き終えると、後ろ髪を拭くために背面を向かせた。
 かつては翼が存在していた事実を隠すかのように分厚い布地に覆われた背中。
 髪を拭くのも忘れてアムシアは泣きそうな顔でその背中を見つめていると、怪訝そうなケルシーの呼び声がかかる。
 ほとんど無意識にアムシアは尋ねていた。
「背中のボタン……外していい?」
 緊張に張りつめた空気が流れたが、しばらくして、ケルシーは小さく頷いてくれた。
 アムシアは震える手でボタンをすべて外し、肌着を腰まで下ろす。
 濡れた背中があらわになった。
 すべすべとした白い背中は、翼の存在を見事に消していた。悪魔の少女と違い、痣の一つも残っていない。誤魔化さずとも、まず間違いなく人間として生きられるだろう。
 だが、逆に言えば過去に天使だった証はすべて失われたということだ。志の高い天使が人間なんかと同レベルに落とされたことがアムシアは気に入らなかった。
「アムシアさん、早くお願いします。私、風邪引いちゃいます……」
 弱々しい声に触発されたせいもあったかもしれない。アムシアはケルシーの願いを叶えなかった。羽根のあった場所を思い起こしながら、寒さと緊張に震えた背中に指を這わせたのである。
「ひゃあ……ぁう……ッ!」
 背筋がピンと張り、顎を突き出すケルシー。少女の放つ声の艶美さよ。アムシアはとても興奮を押し殺せそうになかった。
 いや、もともと押し殺す必要はない。相手を快楽に引きずり下ろすのも魔族の役目であるし、彼女の苦しみを軽くしてやる必要は確かにあった。
 ケルシーが涙目になって、おそるおそる振り返る。
「ううっ……アムシアさん、何を……はぅッ!」
 天使が再び身悶える。悪魔の少女が翼のあった箇所に吐息を吹きかけたからである。冷え切った身体に熱い吐息はさぞ利くだろう。
 アムシアは静かに呟いた。
「このままだとアンタの心は壊れちまう。元魔族のアタシがその苦しみを和らげるにはこうするしかなかったんだ」
「そんなっ……こんなことで……」
「そう。こんなもんじゃ終わらせない。もっと気持ちよくさせてやるよ」
「やぁっ、やめ……、はあぁぅッ!? はぁ、な、なに、なにこれ……っ!?」
 口の端によだれを垂らしながらケルシーは驚いて振り返る。そして、見てしまった。悪魔の少女が自分の背中に舌を這わせているところを。
 未知の感覚に元神族の少女は不如意に上半身をくねらされ、きつく閉ざしたはずの口から色っぽい息や声が漏れ続ける。
「ふっ、ン、ああっ! そんなとこ、なめちゃ、ッ、ダメえ……っ!」
「ひゃにがっ、らめなんらよ。ひょんないいこえでにゃいて……」
 悪魔の少女は舌足らずな言葉で言い返す。舐めながら喋っているためだ。
 ケルシーは答えなかった。顔をうつむかせ、両手で自分の口を塞いだからである。自分が声を上げるたびに悪魔の少女が嬉々として舌をうごめかせているのを知ったのだ。
 だが、それがかえってアムシアの興奮をあおった。
 耐えられると思うならご自由にと得意げになったのである。
 悪魔の少女は舌の動きを激しくさせた。肩から背中にかけて唾液を塗りたくり、わざとらしく水音を立てながら濡れた背中を吸い上げる。
(むっ、ケルシーのくせにやるな……)
 身悶えはしても、天使はなんとか声を抑えることに成功していたのであった。もっとも、それでアムシアは諦めたわけでもなく、この程度の行為で満足するつもりはなかった。
 天使の意識が背面に向けられているのをいいことに、アムシアは空いた手を正面に回り込ませて少女の胸をさすったのであった。
 予想外の反撃にケルシーは口を押さえながら飛び上がりそうになった。
「んーっ、んふぅう! んぐうぅう……ッ!?」
 くぐもった悲鳴からは早くも陥落の二文字があった。アムシアは天使の胸を陵辱し続け、なおかつ背後からの攻撃もやめない。
 官能のあまり、ケルシーは自分の口を塞ぐこともかなわなくなっていた。手をだらりと下げて、波の赴くままに身体を痙攣させる。
「うああっ、ダメえっ! そんな……そんなのおッ! わたしのからだ、おかしいよぉ!! はぁう、やあッ、はぅ、はあぁあッ!!」
 喉を突き上げ、天井に嬌声を反響させる。上半身だけで達した少女は、一糸纏わぬそれをかしがせて、そのまま椅子から転げ落ちる。
 床に横たわったケルシーは呼吸を乱しながら水色の瞳から新たな涙を流していた。
「うっ、ぐすっ、ひどい、あんまりですっ、こんなの……。ばかっ、アムシアさんのばかぁ……っ!」
 恨み言を吐いてから、ケルシーは号泣する。やがて、それが落ち着いたとき、天使の首筋に雨粒が落ちた。
 ここは室内のはずなのに。おそるおそる目を開けたとき、ケルシーはそれが雨ではなく暗紫色の瞳がもたらしたものだと知った。
 悪魔の少女が四つん這いになって、泣きながら天使の顔を覗き込んでいたのである。
 ケルシーは恨むのも忘れて呆然と尋ねていた。
「アムシアさん……?」
「ごめん。調子に乗りすぎた」
 アムシアは幼子のように泣いていた。目頭を手で押さえるが、その手も瞬く間に濡れていく。
「でもさあ、ケルシーだってひどいだろ。アタシをこんな心細い思いにさせて。アタシ、ほんとに怖かったんだ。ケルシーが二度と戻ってこなくて、ずっと一人でここに残らなきゃならないと思ってさ。そうなるくらいならもう一度拷問にかかって餓死でもしたほうがマシだ」
 ケルシーは何とも言えぬ気持ちで顔をくしゃくしゃにさせる悪魔の少女を見つめていた。
 その何とも言えぬ気持ちはしだいに暖かい気持ちに変わっていた。今まで罵られ続けた中で、彼女だけは自分のことを気にかけてくれているのだ。
「アムシアさん……。うん、ごめんなさい。さみしい思いをさせて」
 天使はゆっくりと上半身を起こして悪魔の少女の上半身に腕を回した。
 アムシアは引き続き、すすり泣きを上げていたが、悲しみの波が引くと、静かだが面白そうな口調で問いかけた。
「……それで、どうだった、さっきのは。気持ちよかったか?」
 先ほどの痴態を思い出して、ケルシーの顔がまたしても発火しそうになる。
「ええっ!? そんな、気持ちいいかって言われましても……」
「身構えなくても、ここにはアタシしかいない。このことを他の誰かに言いふらしたりはしない。この二人きりの秘密を、誰に言ったりするもんか」
 悪魔に優しくさとされて、天使の少女は赤い顔のまま逡巡し、しばらくして、蚊の鳴くような声で答えた。
「あのう、本当を言えば……ちょっとだけ、気持ちよかったです……」
「そうか。じゃあ、さっきの気持ちいいこと、アタシにやってくれと言われたらできるか?」
 驚くケルシーは次のアムシアの行動にさらに目を剥くことになった。アムシアは立ち上がると、身につけていたすべてのものを脱ぎ捨てて、三つの痣のついた背中を水色の視線に向けさせていたのである。
「もうアタシ、身体のうずきを抑えきれないよ……」
 声が背中同様、何かを求めるように切なく震えている。
 純情なケルシーにはそれに応えることは難しかった。今まで、そのような行為は忌むべきものとして教えられてきたからである。
 だが、自分はもう神族ではない。目の前の彼女が魔族ではなくなったのと同じように。
 それに、本当はやはり恥ずかしいのだが、これだけのことをしてくれたのに、自分が彼女の要求を退けるのは失礼のような気がした。
 そう思うと、不思議と抵抗がなくなってくる。
 彼女と共に生きる。そう心に決めると、天使の少女は自然な笑顔を浮かべて「喜んで」と応じた。

 元魔族のアムシアと元神族のケルシー。二人の生活はしばらく続いた。
 だが、ある日のこと、二人は荷物をまとめ小屋を飛び出した。
 目的はない。ただ、旅に出たいという双方の意見が一致し、森を歩く二人の笑みは実に晴れやかだった。
 木漏れ日を受けながら、アムシアは天使の少女に問いかける。
「一応訊いておくけど、忘れ物なんかしてないよな? 今ならまだ取りに行けるけど」
「大丈夫。あなたさえいてくれれば何を失っても平気です」
「アンタなあ……」
 呆れ半分、むず痒さ半分の顔になり、それを見たケルシーは心から楽しそうに微笑んだ。
 やっぱり彼女は天使だ、とアムシアは思う。たとえ翼が失われようとも、ケルシーはアタシだけの天使なんだ。
 思わず同じくらい幸せそうな笑みを返したくなってしまう。
 やがて森が開け、二人の前に広大な世界が広がる。
 二種族の少女はそれぞれ視線を交わした。
「行こうか、ケルシー」
「はい、アムシア」
 一緒なら、何でも乗り越えられる。語らずとも二人は確信していた。

 神族と魔族がそれぞれ覇権を求めて争う中、どこの種族にも属さず、気ままに旅をしていた二人組がいた。
 後に旅先で二人は様々な出来事に出会い、人でも神でも魔でもない少女は、神魔戦争において、とある大国の危機を救い、史実に名を残すまでとなった。
 少女の名はアムシア。
 彼女の傍らには常に天使のような姿の少女がいたという。

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