色んな事件を見ていると、思います。
ああ、ネットに顔と名前を出している以上、暴漢やストーカーに襲われるリスクからは逃れられないんだな


タレントから一般人まで関係なく、ストーカーの憎悪や暴力に巻き込まれることは、あるんだなと。
昨年、ある有名な方が私をネットで強く批判したこと、
それに対して私があまりに弱腰だったことから、私はネットの世界で完全に「負けて」しまいました。
それ以降、殺害予告や、死ねという言葉は日常的に私の隣にあります。
あの頃は、ただ自分のイメージが日に日に悪くなっていくのを見ているしかなくて、本当に辛くて、何度も死のうと思いました。
今はもう、そんなことは絶対に考えません。
この1年、身近な人の愛情にたくさん触れて、祖父のこともあって、とても強くなったので。
信じない人もいるでしょうが、きちんと自分に向き合った結果です。
あのとき、一方的に私を「死んでも良いヤツ」と定義した匿名の暴漢たちのことは、やっぱり許すことができません。
今、仕事復帰して、おだやかに健康を取り戻したからこそ、ふつふつと
「当たり前の怒り」が湧いてきたんだと思います。
当たり前の怒り。
炎上してからは、プライバシーなんて何もないと怯える日が続きました。
今まで私は、人を傷つけたくないと願って穏やかに生きてきたのに、
なぜ、ある日を境に住所を書き込まれたり、脅迫されたり、親のことまでボロカス言われて、
殺害予告までされたりしなきゃいけないんだろう。
1年かかって、きちんと文章であの時のことを考えられるようになり、
数は少ないけど、理解してくれる方々のおかげで、反論も含めた本を出せることになりましたが、
殺害予告や、死ねなど言葉の暴力、誹謗中傷を浴びるのはもうごめんです。
元気になった今だからこそ、当たり前の怒りが湧いてきたのです。
いちばん辛かった時は、炎上したんだから、私は、嫌われて憎まれて殺されても仕方ないとすら思っていました。
(そんな風に辛かった経験があるので、今日のブログに書いたように、
ライターの先輩から「北条かやは嫌われたがっているのかしら」みたいなことを書かれると本当に、怒りと悔しさで一杯になります。
嫌われたいわけ、ないでしょうが。その結果、殺害予告がきたり、死ねと罵られたりして、
どれだけ恐怖を感じて生きてきたか、
「嫌われた」結果なにがあったか、あなたに分かるの? という気持ちになるからです)
それでも、今の私はとても強くなりました。嫌なことは嫌だと表明するし、本を出して、反論することもできる。
1年前の自分に、
大丈夫だよ、たくさん辛いことがあったけど
ちゃんと立ち直って元気にやっているからね。
嫌なことには、涙じゃなくて怒りを表明できるようになったよ
と言ってあげたい。
ブログでは、親しい(と勝手に思っている)読者の方に向けて、心中を書き出せるので、力が湧いてきます。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました
ヒモさんに電話して寝よう
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