2017年03月18日

2025年国際博覧会検討会のこと

 須藤玲司さんがツイッターで2025年国際博覧会検討会と私のことを書いてくださっていると知ったので、わかる範囲でお答えします。
 すみません、twitterはやっていなくて、ブログで須藤さんのご発言を全文引用するのはひょっとするとルール違反かもしれないので、ここでは引用文を示しません。ご容赦ください。
 長い文章なので1分で読めるように短くまとめろなどのご意見はあると思いますが、長い文章でないと書けないことがございます。ご容赦ください。


 なぜ2025年国際博覧会検討会の委員に入っているかですが、正直なところ、私自身もお声かけをいただいた経緯は知りません。他の委員からご推薦があったとうかがいました。たぶん私が以前にパリ万博を舞台にした『八月の博物館』を書いていたこと、作家であって未来への想像力は大切だよという話をふだんからしていることなどを憶えていてくださったのだと思っています。どこか特定のコミュニティに所属しているわけではないので、完全にフリーな立場で発言させていただいていると思っています。
 検討会には3回とも出席しました。委員の人数が多いので、1回あたりの発言時間はひとり2分くらい。ここに議事録がありますね。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/mono_info_service.html

 1回目の検討会で1度発言して、2回目は挙手したけれどたぶん時間切れで発言の機会がなかった。3回目に1度発言しました。1回出席すると、手当は約1万円です(別途交通費・宿泊費支給)。省庁で取り決められている金額でしょう。私は仙台に住んでいるので、東京や大阪開催だと時間帯によっては到着できない。宿泊すれば2日がかりの仕事となります。
 各検討会の前に、当日の資料(案)がメールで送られてきます。経産省のページに載るのは、この(案)なんです。いろいろいわれている第3回の資料も、当日配布された(案)。つまり当日の委員の議論を反映して修正したものではなくて、あくまでも事前に経産省が用意した資料なんです。これは仕方がないことだと思っていて、役所の会議の流れではよくあることかなと思っています。
 もちろん、多くの人に見せるなら、議論を踏まえた上でちゃんと書き直したものにした方がよいと個人的には思っています。国内の人だけでなく海外の人も見るのですから、少しでも「おおっ」とみんながわくわくしてくださるもの、アイデアが練られたもの、精度の高い文章のものである方がよいと思いますね。

 第2回検討会開催前に、
「【資料3】の万博開催意義、基本理念、テーマ、事業展開についての意見を、事前に文書で送ってほしい。ひとつあたり400字以内で書いてほしい」
 というご依頼がありました。それで半日考えて、それなりの分量を書いて事前に送りました。第2回の事前資料には4つのテーマ案が記されていて(第2回【資料3】p.9)、「未来への想像力」に着目した今回のテーマ案は以前より前進していると思ったので、基本的にはこの方向性に賛同するかたちで文章を書きました。
 それらの文章は第2回の【資料5】に載っています。先方が取捨選択なさいました。これらは検討会の場で実際に発言したわけではなくて、事前に文章として提出したものなんです。
 同じように、第3回検討会の前に、
「2025年やそれ以降の関西、日本、世界の在り方について、委員の考え(案)をお示しいただきたい」
 というご要望があったので(第2回【資料3】p.18)、ひとつだけ書いて送りました。これは万博そのものとは無関係のヴィジョンでよいとのことだったので、そのようなつもりで書きました(第3回【参考1】)。第3回検討会では、この参考資料について言及はなかったです。

 検討会開催の前に、資料内容について各委員へ経産省から事前に説明の時間が設けられます。私は仙台に住んでいるので、充分な時間を取って東京まで出向いて事前に打ち合わせすることができません。ですからたいていは検討会の直前に室長にお目にかかって、30分から1時間ほどの間で先方からのご説明を頂戴しつつ、自分の意見を述べました。 
 ここでは「この記述はどうなのか」「ここはいいと思うが、これは違うと思う」「もっとこうしたらどうか」という発言はしましたが、相手は室長おひとりなので、どこまで伝わったかは心許ないです。

 当初「健康と長寿」だったテーマが、なぜ別のものになったのか。
 これは第1回検討会のまさに当日、アメリカのミネアポリスが2022/23年の認定博覧会に名乗りを上げ、そのテーマが「「Wellness and Well Being for All: Healthy People, Healthy Planet(すべてを健康で幸福に:人の健康、地球の健康)」だとわかったので、重複を避けたい意向があったからだと聞いています。もともと2025年大阪万博は「Well Being」を掲げたかったのですが、テーマがかぶってしまった。だから新しいテーマが必要だったということだと思います。このことは報道されていませんね。
 訴求力のあるテーマが何よりも大事だと私は思うので、「検討会のように大勢が集まる場ではなくて、本当に万博をわかっている人やクリエイターが数人でもいいから集まって合宿形式で集中的にブレインストーミングをやったらどうか。その方がいいテーマ案が出るのでは」と室長には話していました。たぶん実現しなかったのでは。実際には事務局側が、さまざまな意見を集約するかたちでテーマの文言を考えたと聞いています。

 第2回検討会で関西の学生さんたちが主体の「inochi学生プロジェクト」代表者がいらっしゃって、短いプレゼンをなさいました。検討会と「inochi学生プロジェクト」のつながりはわかりませんが、もともと関西で錚々たる研究者の方々、関西の経済団体の支援のもとで進められてきた活動だろうと思います。彼らは昨年12月に「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」をまとめて、それを大阪知事に渡しています。当時は各新聞もこの活動を好意的に紹介していたようです。大阪府庁職員ブログも好意的に紹介していますね。
http://inochi-gakusei.com/forum/
http://www.inochi-gakusei.com
http://www.pref.osaka.lg.jp/kikaku/kokusaihakurankai/
http://blogs.yahoo.co.jp/osakapref_blog/18923438.html

 今回の検討会でも、最初から「若者の意見を取り入れよう」という意見が委員から出ていて、その流れで「inochi学生プロジェクト」の提言書を積極的に取り入れようという動きがあったのではないかなあと思っています。
 最近になって「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」の公開が休止されたことを知って、ちょっと驚きました。議論を喚起することが目的なのだったらそのまま載せておけばよかったのに、と個人的には思います。でも、こちらからはまだダウンロードできるようです。
http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/shoryu/hakurankai/002_haifu.html

 これをご覧になっておわかりのように、第3回検討会資料(案)の【資料3】【資料4】に載っている「2025年国際博覧会の展開事例集」は、多くが「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」をそのまま掲載したものなのです。須藤さんのおっしゃる「素人のおじいちゃん」が考えたアイデアではなくて、いま現在の若者が、自主的に考えた未来像なのだと私は認識しています。


 少なくとも【資料4】(案)p.46以降は、あれをまともに実現しようと思って掲載しているのではないのだと思いますよ。「若者の提言も聞いています」という資料ですよね。
 どうして【資料4】(案)p.46で若者の意見をだらだらと載せてしまったのかはわかりません。どこかに「これは現代の若手が考えた、いまの未来像の一部です」と断り書きを入れておけばよかったのに、と思います。
 でもその断り書きがなくて、あたかも検討会の参加者がブレインストーミングして自信満々に出したアイデアが書かれていると誤解されてしまった。そこはもっとちゃんとした書き方があったはずで、残念だなと思います。「こういう掲載の仕方はどうなんだろう」と私も心のなかでは思っていたのだから、検討会の場で一言いえばよかったと反省します。

 ただ「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」に載っていないアイデアもありますね。申し訳ありません、検討会のときは気づきませんでした。下掲の記事に「事例集は、若手会社員や学生からの意見を紹介しているもので、事務局で取りまとめました」とあるので、どこかの「若手会社員」からアイデアを掬い上げる場があったのかもしれません。これについては説明がなかったのでわからないです。
http://www.j-cast.com/2017/03/17293423.html?p=all

 私は、そのアイデアがよいかどうかを「若者」「女性」「お爺ちゃん」とくくって話すのは好きではありません。サイエンスコミュニケーションの世界では、若者の自由闊達なアイデアを大事に育てようという風潮があるので、若者のアイデアはちょっとヘンでも温かく見守ってあげたい、という気持ちになりがちです。でもそれが「ちょっとヘンでも大目に見よう」では過保護になるし、「若者の意見を積極的に登用するのは望ましい」という気持ちが勝りすぎてアイデアをよく吟味もせずに持ち上げすぎてしまうのでは危険だと思っています。サイエンスコミュニケーションの世界では、そういう罠に陥ってしまうことがときにあるように思います。

 関西の学生さんたちがアイデアを提出なさること自体は素晴らしいと思いますし、そうした活動を否定するものではありません。
 が、そこから出てくるアイデアは、若者の思いつきにすぎないということもまた、充分に理解しておく必要があると私は思ってます。アイデアというのは、いいものもあればそうでないのもある。それだけのことだと思います。
 学生さんたちのアイデアをそのまま万博の目玉企画であるかのように世間へ向けてアピールするのは、やはり危険です。
 招致に関してもこれは致命的ではないでしょうか。何より現役の日本人科学者・技術者からばかにされるでしょう。
 万博招致のイメージダウンに繋がると、私は以前から思っていました。

「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」は、すでに昨年12月にはできていました。ウェブで公開もされていました。関西の専門家・研究者も目を通したのだろうと思います。それでも「一部の提言はセンスがないんじゃないか」という意見は出なかったのだろうと思います。
 しかも「inochi学生プロジェクト」の学生さんたちは、かなりがっつりと専門家の講演も聴き、ワークショップもやって、私が見るとかなり恵まれた環境のもとで、未来を考える作業をやっている。それでも「2025年大阪万博誘致 若者100の提言書」の内容は、ちょっとヘンだったのです。
 私はこの事実の方が難しい問題だなと感じています。サイエンスコミュニケーションの本質が問われる問題だと思います。


「万博婚」と優生思想?についてですが、私個人の考えを述べます。
 第3回検討会では主に【資料3】(案)が検討されました。そこには

 C⽇常にはない出会いが⽣まれる
 例:遺伝⼦データを活⽤したマッチングなど、新しい出会いを応援する

 とあります。
 私はこれについて直接的には発言しませんでした。
 むろん、この例がよいとはまったく思いません。
 ですが私はこの文章だけなら、すぐさま優生思想と結びつくとは感じられなかったです。瞬時に優生思想の危険性に思い至らないようではダメだ、とのご意見も一部にあるようですが、うーん、これは私のサイエンスリテラシーが低いということはないと思いますね、この文章そのものがすぐさま優生思想を示すとはちょっと感じられないです。それがダメな態度だとはちょっと思わないです。
 須藤さんは「遺伝子マッチングによる優生交配とか提案した大阪万博検討会」とツイッターでお書きですが、少なくとも「優生交配」とはいっていない。マッチングも、何をマッチングするかは書いていないです。ちょっと気を回しすぎな読み替え批判のように思いますが、いかがですか。
 もちろん世界には多様な人がいるので、そうした背景や歴史の経緯を考えれば文言の練り方の精度が低い。これはやはり、日本国内にいる人の発想になってしまっていますよね。その点がとてもマイナスです。
「どうせならもっと文章を練ってほしい、あるいは数ある若者意見のなかからわざわざこれを報告書案に書かないでほしい」というお考えなら、まったく賛成です。じっさい、資料を見たときにはそのように思いましたから。
 ただ先にも書いたように、最初から資料(案)はできていたのです。

 そもそもこんなアイデアはきわめて実現性が低いので、「どうしてもこれを削除しろ」という議論の対象にならなかったのだ、と私自身は考えていました(私個人の印象です)。少なくとも私でさえ、できないことはわかりきっていたから。つまり誰だって「これはどうなのだ」といえる。

 この例そのものはよくないですが、これを土台に専門家の人たちが集まって、もっと面白くて実現できそうなことを考える、というなら、それはあってよいと思います。
 そうですね、たとえば私たち人間は、たぶん無意識のうちに何か相手の「匂い」のようなもので直感的に好き嫌いを判断しているかもしれない。そうした匂いや皮膚の感触の相性も、たぶん2025年にはある程度解析が進んでいるだろう。指先をスマホか何かのセンサに当てて、自分の「匂い」や皮膚の触感の特徴がわかるような技術もできるのではないか。いまでも類似の研究はある。もしそれをもとに恋人同士で万博に行って、自分のスマホをお互いにつき合わせて遊べたら? これならちょっと面白いのでは。これでも危険な優生思想になるでしょうか? 2025年の未来なら、これはありかもしれない。たとえそこであなたたちは相性不良だと判断されても、それを乗り越えて一緒になるだけの意思決定力は人間にはありますね。
 これはいまこの文章を書きながら思いついた一例に過ぎません。
 どうせならそんなふうに想像力を羽ばたかせたい、と思っていました。

 【資料4】(案)p.46「2025年国際博覧会の展開事例集」の「万博婚」。
 数千万人が来場する万博で、遺伝子データを活用したマッチングなど、新しい出会いを応援する。また、万博会場で、結婚式をあげることも可能とし、幸せを来場者にお裾分けする。

 とあります。途中に「また」という接続詞が入っている。冷静に読めば、2つの文章は並列的ですよね。べつに過剰に擁護するつもりはありませんが、文章中で「出会い」と「結婚式」は区別されている。と、私は当日見ていました。「万博婚」というひとつの項目内なのだから遺伝子マッチングして出会って結婚まで一続きだ、危険だ、といわれれば、うーん、どうでしょう。この提言者が実際はどのようなお考えだったのかわからないし、これだけだとなんともいえないです。
 繰り返しますが、須藤さんのおっしゃる「遺伝子マッチングによる優生交配とか」は、ちょっと読み替えが入っているように思いますが、いかがですか。
 もちろん、「紛らわしい書き方をするな。もっとちゃんと未来像を描こうよ」というご意見ならまったく賛成です。それに数あるアイデアの中から、わざわざこれを面白いと思ってピックアップしたセンスは、正直なところよくないと思います。後で述べます。


 これまでの検討会や事前の説明打ち合わせの場で私が再三にわたっていってきたのは、「資料に書かれている未来像がちゃんと練られていないように思える、これではとても多くの人に見せられるものではないのでは? もっとみんなが賛同してくれる・面白がってくれるような未来ヴィジョンを思いっきり描いたらどうか」ということでした。
 もちろん経済効果や、本当に安全にできるのか、といった観点の議論は大切なんですが、招致のためには日本ならではのちゃんとした未来ヴィジョンを提示することが何よりも重要なのでは? と思っていました。
 ただ、実際の招致活動では、そうしたことよりもまずは経済的側面の検討の方が大きくて、未来ヴィジョンの作成はどうしても後回しになってしまうようです。そこは私個人が残念に思っているところです。

 私が第3回検討会や、それまでの説明打ち合わせの場で発言したのは、おおむね次のようなことです。そのままではなくて、言葉足らずだったところは少し説明を加えてあります。
 第3回検討会【資料3】(案)p.8以降。「常識を越えた万博」というスローガンはいいと思う。だが、そこに書かれている文章自体が、いまの常識=i妙な固定観念)にとらわれているのではないか。
 いまあちこちでいわれているような、新味のない未来像に留まってしまっている。「おっ、こんな未来像なら見てみたい」と思えるようなものではないし、一部はいまでもできそうなものをそのまま書いてしまっている。
 たとえば、
 B「メイン会場」の空間制約を越える
 で「仮想現実等を活⽤しながら」とあるが、どうせなら会場に実際にいらっしゃったかたとはまったく違う視点で楽しんでいただけるよう、VRでは空からアプローチできるようなものはどうだろう。VRなんだから空にパビリオンがあってもいい。実際の来場者とは違った景色が見えたら面白いのでは。(夢洲は人工島で平地だから、歩いていると景色も変化しないし、きっと疲れてしまうだろう。そこに描くヴィジョンもうっかりすると2次元的になってしまいそうだから、もっと3次元的に考えたい)
 A疲れない・元気になる
 に「ロボットが来場者に空いているパビリオンを紹介したり、パビリオンごとに事前観覧予約を受け付けることで「待たない博覧会」を実現」
 とあるが、パビリオンの紹介なんて2025年でもロボットよりボランティアスタッフの方がたぶん臨機応変にうまくできるし、来場者もありがたいのでは。それよりも万博会場は特区になるだろうから、ご高齢者や障がい者の方に歩行アシストロボットを無償で貸し出してあげる。ベビーカーをお持ちの方にはそこにアタッチメントをつけるとベビーカーがガイドロボットになる。そんなふうに考えた方が楽しいのでは。このくらいのことはいまぱっと資料を見ていえるし、2025年には実現できているはずだ。
(それ以前の説明打ち合わせの場でも、第2回【資料3】p.14に若者の意見の代表的事例として、
「【AI・ロボット】人⺠の、ロボットによる、人⺠のための街:昼は人間のスタッフが来場者をもてなすが、夜は会場案内、各種サービス提供を完全にAI・ロボットのみが行う。ロ ボットは日本のアニメ等のキャラクターを模したものを積極的に用いる。また、全てAI・ロボットなので、失敗して も良いことを前提にした時間や空間とする。」
 とあったので、こういう考え方は違うと思う、こんなふうにロボットと人間を分けてはダメだ、という話はした)
 どうせなら中途半端に現状の未来像を盛り込むのではなくて、もっと突拍子もないことをいっていいはず(突拍子もない、というのは、いまに縛られるのではなく、もっと鮮やかでセンスのよい、本当に2025年をつくるしなやかで強い未来像、ということ)。2025年に本当に流行を生み出せるような若手の開発者や科学者、クリエイターはきっとたくさんいるはずなので、そうした人たちに思い切りヴィジョンを語らせて、いまの更地にもっと面白いマップを描かせてはどうだろうか。そうした機会の場を今後は検討してほしい。


 私もまだ40代なので若いつもりです。だから「いまの若者は……」などというつもりはありません。
 アイデアの善し悪しに若いも年寄りもない。ですが万博のような場で、いいアイデアを実現するのは、一定の年齢以上の人なのだとも思っています。
 若者から提言が出るのはいい。ただ、その中にはセンスのいいものも、そうでないものもある。いいかどうかは虚心で判断するのが未来にとってはいちばんよいと思いますが、どうしても私たちにはしがらみがあって、未来は決して自由に選択されるわけではない。
 でもヴィジョンくらいは自由であってほしい。という気持ちは私にもあります。小松左京さんもそのようにお考えだったことでしょう。
 若者のアイデアは実際のところ、玉石混淆だと思います。それがふつう。
 ワークショップで勉強してもいまのトップクラスの学生がいい未来像を想像できないなら、それはかなり根深い問題で、サイエンスコミュニケーションの重要課題。未来を考える本当の強さ、しなやかさとはどういうことなのだろうか、と考えさせられます。ただ、少しずつ勉強を重ねればいい、とは思いますよ。未来というのは一度考えたら終わりではなくて、持続してずっと考え続けるものなのだから。
 ただ、せっかく万博検討会の資料に載せるなら、そこから少しでもよいものを掬い上げて厳選すればよいのにと私自身は思います。とくに【資料3】(案)のようなまとめ資料には、もっといいアイデアを載せればいいのに、と。

 だから事前説明の場では、少なくともロボットとAIのことに関しては、その場で気づいたことをいうように努めました。というのも、「ロボットがパビリオンを紹介」とかは、へたをすると本当にやってしまいそうなので、そっちの方がセンスがないと思ったのです。こういうところの方をもっと練り上げた方がいいと感じていました。
 人間とロボットの労働時間を完全に分ける、というアイデアにも反対しました。ロボットとの共存社会を考える上で、それはよくないと思ったからです。「待たない博覧会」というのも不可能な未来像だと思ったので、それも異論を述べました。もし完全事前予約制ができたとしても、何だか人間性が失われるかのようです。その時間にその場所に行かなければならないのですから。お子さんやご高齢者がいるご家族ではたぶん難しいでしょう。「万博婚」の騒ぎに隠れてしまったかもしれませんが、こういうのも大切だと思ったからです。まあ、個々の話ですが。
 医療については他に専門家の委員も複数いらっしゃるので、私があえていわなくても、という気持ちが先立ってしまいましたが、たぶんロボット・AI分野は私しかいえない。時間も限られているのでそちらをいうだけで精いっぱいでしたね。
 他の委員の方々が事前の説明打ち合わせでどのようなことをおっしゃっていたのかはわからないです。

 これでお答えになりましたでしょうか。
 どうか個々の文章というよりも、全体で読み取っていただければと思います。
 私はいま、なんとか作家としての活動を回復したくて、日々努力している最中です。以前のようにのびのびと、面白い小説を、もっとたくさん今後も書いていきたいのです。
 検討内容については第3回検討会の最後に「今後議長に一任する」と決まったので、いまはそのように受け止めています。
 どうぞよろしくお願いいたします。

 ブログで文章をメンテナンスするのはとても大変なので、未来永劫残すつもりはございません。
 一度発表したらずっと残しておくべきだ、それが道徳的な態度だ、という一部のご意見もあるのは存じておりますが、私は決して何か都合が悪くなって消すのではないです。内容に後ろめたいところはありません。もちろんウェブだからといって適当なことを書いているわけではございません。
 最近の私にはメンテナンスする気力と体力が大変なので、どうかご理解をいただければ幸いです。それにいまは、ウェブアーカイブのようなもので、後でも読めるのだと思います。
 書籍や雑誌は一度活字になって自分の手を離れるので、充実して、気力を保って次の仕事に取り組めます。そのような媒体がいまの私には合っているようです。

瀬名秀明
posted by Hideaki Sena at 16:03| 仕事