ある女性の印象的だった言葉
先日、歳上女性と話したときに、印象的だった言葉があります。
初対面だけど、屈託のない雰囲気を醸し出す方で、私はすぐに打ち解けて、将来のことなどを話した時、彼女はこう言いました。
「この不完全な世界で安定を求めるなんてバカげてるって、カーペンターズも言ってたじゃない?」
その時には、どの曲の歌詞か思い浮かばなかったけど、後から『青春の輝き』の中に見つけました。有名な歌なので皆さんも聞いたことあるハズ。
青春の輝き / I Need To Be In Love [日本語訳付き] カーペンターズ
I know I ask perfection of a quite imperfect world.
And fool enough to think that's what I'll find.
こんな不完全な世界で完璧を求めようとしてたの
そしてバカな私は、いつか見つけられると思っていた
この不完全な世界
この歌詞を読んで、いろんなことを考えました。
足元が不安定で不完全な世の中で、私たちは知らぬ間に「完璧や安定」を強く求め過ぎているのかもしれないと。
正しい生活習慣、美しい所作、安定した仕事、きちんとした暮らし、よりよい人間関係、人並みの生き方…
初めはただ、できる限り「良く生きたい」というささやかな願望が、気付けばどんどん「もっと上へ、もっと高く」と自分を奮い立たせていることは、誰にでも経験があると思います。
「完ぺきなんてナイよね」と頭ではわかっていても、仕事や恋愛、結婚や自分自身さえも、「あわよくば完ぺきでありたい」と心のどこかで思い、無意識により安定した方へ向かってしまう。時に、そこにたどり着けない自分に劣等感を抱き、誰かを妬んだり、落ち込んだり…そういうことが私は、今までたくさんありました。
「青春の輝き」に似たタイトルで、椎名林檎さんの「青春の瞬き」という歌の中にも、こんな歌詞が出てきます。
美しさと正しさは等しくあると
疑わないで居られるのは若さ故なんだ
美しいことは正しいこと。そこになんの疑いも持たない。それは若さ故だ。
美しく正しくあろうとして、気づかずに完璧を求めてしまう…カーペンターズの曲と通じるものを感じます。
不完全な自分を受け入れる
「この世は不完全である」
だから完全ではない自分を許す。完全になろうと頑張りすぎない。
むしろ「不完全な世界」の「揺れ」に波長をあわせ、わざと揺れやすく建てられた耐震ビルの如く、しなやかに、ときに人から見たら不安定に生きることが、「揺らぐ現代」の中では、かえって「自然」なことかもしれないなぁと思いました。
完全であろうとしすぎず、自分の力量以上に自分を大きく見せようとしない。
頑張るのをやめるわけではないけれど、少し肩の力を抜いてみる。
「この不完全な世界で、不完全に不安定に生きることも悪くないよね」そう言えたなら生きるのがラクになる気がします。
それ以来ときおり聞いている「青春の輝き」。胸にスーッと染み込む名曲ですね。