はくけい なお みがくべし
完全無欠の玉でも、さらに磨くべし。
中国の五経のひとつ『詩経』の中に
「白圭之玷、尚可磨也、斯言之玷、不可為也」
(白圭の玷(か)けたるは、なお磨くべし、この言の玷(か)けたるは、為(おさ)むべからず。)
という詩がある。
意味は
白圭(古代中国で尊ばれた美しい玉)はたとえ欠けても磨けば美しさを取り戻すが、言葉は間違えればもう直せない
つまりは「言葉は慎んで使いなさい」という教えだ。
それが禅語として取り入れられ、最初は同じ意味で使われていたが、「禅に完成はない」という考え方から、冒頭の意味のようになったという。
もちろん、自分磨きも、言葉を慎むことも、どちらも大事なこと。
人の心は、どんなに修行を積んで鍛えられたとしても、ちょっとしたきっかけで曇ったり傷ついたりするものだ。
悩みも苦しみも、尽きることはないから。
だから、いつも自分の心を見つめ、心を磨く姿勢を保つ事が大切なのだ。
心を意識して、常日頃から磨いておけば、
きっと言葉も磨かれているはず。
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