塾講師として受験指導をするようになって、もう25年が過ぎたが、この仕事をしていて一番嫌なこと。
それは、合格発表があっても、何の報告もしない生徒がいることだ。
何度経験させられても、これは嫌なことだ。
私の場合は、生徒に恵まれているのだろうと思う。
そんな生徒は数年に一度、いるかいないかだったが、いわき平校で指導をするようになってからは、よく目にするようになった。ほかの校舎には、今でもほとんどいないのだが。
入試までは、決められた授業日以外にも、教室に来て勉強する。
わざわざ学校から電話をくれて、勉強したいから教室を開けて欲しいとお願いしてくる。
入試への不安や疑問は、何でも相談してくる。
そんなひたむきな受験生たちの姿を見て、こちらも必死にそれに応えようとする。
受験生たちの夢を追う姿に、私は心を動かされるからだ。
できる限りのことはしてあげたい。
特に入試直前期は、スケジュールを無理やり調整し、生徒たちの要望には、最大限応えることができるように準備しておく。
このように、生徒たちが塾を頼ってくるのは、もしかしたら、そこには、たとえ小さなものかもしれないが、少しばかりの信頼関係が築けているのではないか。
そう思い、またそれを信じて、全力で指導に取り組む。
しかし、入試が終わった途端に、まるで、それまで何の関わりもなかった人間どうしであるかのような関係になってしまう。
合格発表の日、いつ連絡がくるかと、朝早くから落ち着かない時間を過ごし、報告を待つ。
合格していればそれでいいが、私には、もし不合格になってしまった生徒がいたら、その生徒を慰め、励まし、元気づけ、これからの対策をいっしょに考え、そして何よりも不合格にさせてしまったことを謝らなければならないからだ。
合格できなかった生徒がいたら、それはすべて私の責任である。
昨日は、合格発表から2週間が過ぎても、何の報告もなかった生徒が、塾にやって来た。
所用で出かけていて、教室に戻ってみると、その子からの電話が2件入っていた。
いつもの机に座り、折り返し、電話をしてみようかと思っていたら、タイミングよく、生徒が母親とともにやって来て、「ダメでした」と言う。
この子の合格発表は、2週間遅れで行われたのだろうか。
話をしようとすると、別の電話が入って、話が遮られ、電話が終わると、もう二人の姿はなかった。
重ねて無礼だ。そんなことをするなら、来る必要はない。
おそらく、いっしょに通っていた別の男子生徒とホワイトデーにでも会い、あるいはラインで連絡を取り合い、「先生が結果を知りたがっているよ」などと言われて、2週間も過ぎてしまった今になっては、一人では来れないから、母親を連れて、仕方なく、イヤイヤ来たのだろう。
そして話の途中で電話がきたことを、これ幸いとして、「これで一応報告したからいいよね。もうあんな人と関わる必要もないから」などと言いながら、逃げ帰っていったのだろうと思う。
ティズーニーランドに行ってましたなどと言っていたが、ディズニーランドに行くのと結果の報告をするのとでは、どちらが大事なのか。高校を卒業した人間ならわかることだろう。
塾講師は、ネズミ以下の存在か。
高校入試、そして大学入試と、その子の人生の試練の時に同じ時を過ごし、その子の夢をかなえるために懸命に指導してきた一人の人間として、何とも情けない結末である。
これまでの指導に不満があるのか。
それにしても、人と人との関係というのは、こんなにも軽いものなのだろうか。
自分が困っている時だけ人を利用し、目的を果たし、また果たせなかったら、「用済み」とばかりに、簡単に人を切り捨てる。
そう言えば、何の連絡もなく塾を辞めっていった生徒も、この親子の知り合いだった。
類は友を呼ぶ、である。
毎年、たくさんの生徒たちと出会うが、中には、ごく少数だが、こんな人たちとの出会いもある。
それでも私は、一人ひとりの思いに心を寄せて、たとえ結果の報告をしない生徒がいようが、たとえ目的を果たした直後に、すぐに切り捨てられたとしても、これからもひたむきに指導に取り組んでいこうと思う。
塾講師という仕事をしていると、こんな嫌な場面に出会うよりも、一人ひとりの可能性を大きくのばしていく、もっとたくさんの感動の場面に出会えるからだ。
不愉快な一日の出来事は早く忘れて、さわやかな一日を迎えよう。
教室にはもう、新しい生徒が待っている。
さぁ、またがんばろう!
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