03月16日の「今日のダーリン」

・これを書いているのは、3月16日の午前3時だ。
 ほんとうだったら、今日3月16日には、
 「株式会社ほぼ日」が上場するということで、
 そのことを書くのが順当なのだろうけれど、
 そのあたりのことについては、
 あちこちで取材とかもあるみたいだし、
 スタートしたばかりのヒヨコだという気持ちもあるので、
 そのうちまたね、ということにする。

・いま、いちばん書きたかったことは、
 昨日の「早野龍五教授の最終講義」のことだ。
 東京大学理学部の小柴ホールでの、最後の講義は、
 「CERNと20年福島と6年 311号室を去るにあたって」
 と題されていた。
 学生だけでなく、だれでも聴講できるということなので、
 人徳だねー、それはもういろんな人たちがいた。
 前半の話は、原子物理学者としての早野さんが、
 どういう道のりを歩んできたかということと、
 その研究の内容や、周囲の人びととの関係が語られた。
 後半は、主に原発事故後の福島での活動のこと。
 どういうことのために、なにをしてきたかが話された。
 その話のなかには、ぼくもお手伝いした本、
 『知ろうとすること。』のこともあった。
 この本のなかの「もっとも重要な部分は、ここです」
 というスライドもつくられていて、聴衆はそれを読んだ。

 糸井 もし早野先生の前に女の子がやって来て、
    「私は子供を産めるんですか」って、
    質問してきたとしたら、どう答えますか?
 早野 まずは、自信を持って
    「はい、ちゃんと産めます」と答えます。
    躊躇しないで、間髪を入れずに。

 これは、この本を出そうという動機にあたる部分だ。
 なにかを知っている人間が、じぶんにできることを、
 ほんとにしっかりやろうとすると早野さんの活動になる。
 事実を集め、事実を整理して、その事実から考える。
 落ち着いて、それをして、現実の役に立ててきた。
 早野さんがいなかったら、どうなっていたんだろう?
 「そういう過去の仮定の問いは、考えられませんね」
 とか言われそうだけれど、これだけは言っておこう。
 ぼくらは、早野さんに、とても大きな感謝をしてます。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
早野さんには、また「ほぼ日」に登場してもらわなきゃ。