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サッカー少年マニュアル 作者:よたか
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第一部 セカンドチーム

息子が高校を卒業する時、どうしてサッカーをやって来れたのかを知りました。とっても単純で、簡単な事を私は忘れていました。 この作品はサッカーについて書いてますけど、子どもの“やる気”について考えるつもりで書きます。
 初めての公式戦。6年生の真司シンジがゴールめがけてボールを蹴る。真司はシュートのつもりで蹴ったが、蹴りそこねたボールに想いは届かず、相手チームのゴールキーパーの足元に向かって転々と転がって行った。
 ゴールキーパーは子犬の相手をするように、左ひざをついてボールをしっかり抱えこみ、ゆっくりと立ち上がりながら「マーク外せ!」と指示を出して、5月の青空に向かってボールを大きく蹴り上げる。
 ベンチの後ろで応援していた大人たちは『ゴールまでは遠すぎる』と思っていた。ピッチの選手たちも『真司の実力では届かない』と感じてた。そんな雰囲気の中で真司が少ししょんぼりし始めた時「シンジ、ナイスシュート」と声が上がった。
 照付けられて熱くなった青いプラスティックのベンチから、中田コーチが「いいぞ。続けて狙え!」と大きく叫んだ。
 ベンチの後ろで試合を見ていた富士原美晴ふじわらみはるは『相変わらず、誉める限界を超えてる』と、少し愉快な気持ちになった。つくづくこのチームに来て良かったと思いながら、周りの大人たちと一緒に応援していた。
「シンジ君。ナイスシュート!」
 37歳の美晴を含めて、ほとんどの親たちが30代も折返しを過ぎてるのに、試合を見ながら大声を出して子どもたちを応援する。父親や、母親たちの声援が大きくなる程、子どもたちの動きがどんどん良くなっていく。
 少年サッカークラブ地域リーグ初戦、県大会常連の『FCテンペスト』と、2年前にできて初参戦する『グリュックSC』の公式試合。
 6年生だけでも30人以上の選手が居るテンペストは、中途半端に芝が残こっている凸凹のグラウンドでも、プロの選手のように綺麗にパスをしながら試合をしていた。
 一方グリュックは、4〜6年生まで合わせても20人もいない。しかもほとんどが初心者か、他のチームで試合に出られなかった子どもたちばかり。5年生でサッカーを始めた女の子も居る。
 グリュックは実力では及ばないので、中田コーチはずっと「足を止めるな! とにかく追いかけろ!」と叫びつづけた。まだ28歳の若いコーチの声にはハリがある。子どもたちの動きを見てると、ピッチの隅々まで指示が届いているのが良くわかる。
 中田コーチが声を出すと、ベンチのすぐ後ろから「走れ!」「追え!」と、親たちもそれぞれに叫び声をあげる。
 乾いたグラウンドで土ぼこりを上げて走る子どもたち。
 全然スマートではないサッカー。
 大人たちの必死な応援。
 テンペストの長いパスを、真ん中の少し後ろにいる6年生の翼斗ヨクトが横取りしてそのまま、前にドリブルしてから「シンジー」と声を出して、前にパスを蹴り出した。
 中田コーチが大声で「ヨクト! ナイスカット。ナイスパス」と叫ぶと、その声に合わせて、ベンチの後ろの親たちも「ヨクトいいぞ」「シンジ走れ!」と声を上げて盛り上げた。
 美晴も「ヨクト! いいわよ!」と声を上げて、必死に自分の子どもを応援した。美晴は声を出して試合を応援できるのが、とても気持ちよかった。
 テンペストベンチのずっと向こうには、テンペストの選手の親たちがいくつかのグループに分かれて、静かに試合を見守っていた。
 昨年の夏まで翼斗はテンペストにいたので、試合の時は美晴もあのグループの中で黙って試合を見てた。
 だから美晴は、テンペストの選手に見覚えがあったし、向こう側には知っている母親たちが何人もいた。何人も知ってはいたけど、テンペストの金元監督の目を意識しているせいか、誰も美晴に声を掛けなかった。テンペストの選手たちも翼斗の事を意識しないようにしている。それが美晴にはよくわかる。テンペストはそんなチームだった。


  ── 13ヶ月前 ──
 翼斗が5年生にあがった時、美晴はトップチームの金元監督に呼び止められた。
 45歳で、スマートとは言えない体型。二重顎にじゅうあごで一回り太くなった喉から、絞り出されたダミ声で「来週から翼斗くんは、6年生の練習に参加してください」と言われた。
 テンペストでは、毎年5年生のうち何人かが、6年生のチームに呼ばれる。呼ばれた5年生は、次の年の中心選手になっていた。今年のキャプテンもそうだった。
 美晴は、翼斗がトップチームに選ばれたのが嬉しかった。来年はレギュラー、もしかしてキャプテンかもしれない。そう思うと誇らしかった。
「おめでとう。よかったわね」他の母親たちからそう言われるのが心地よくて、思わず頬が緩む。
「いえいえ、どういたしまして」言う度に声が弾んだ。
 本当に翼斗は親孝行で、自慢の息子だと美晴は思った。
 翼斗は2年生からサッカーを始めた。練習は週3回。夕方6時〜9時まで。バスに乗って練習グラウンドに1人で行って、8時には美晴が車で迎えに行った。楽ではなかったけど、頑張って続けてきて良かった。
 それまでは早く迎えに行っても、他のお母さんたちと当たり障りのない話しをするだけだった。翼斗が5年生でトップチームに呼ばれてからは、トップチームの母親グループに入る事が許された。
 グループに入っても会員カードや、値引きの特典がある訳ではない。そのうえ子供の学年が違うと微妙に話しも食い違ってくる。だけど、ちょっと特別な所にいるみたいで、それだけで美晴は優越感に浸れて気持ちよかった。
「試合の邪魔になるから絶対に『声』を出さないでくださいね。試合に勝つ為には必要なんです」
 トップチームに合流した最初の試合の時に、金元監督にそう言われた。よく解らないけど、金元監督が言うならそんなモノなんだと美晴は思った。
 試合は土日に行く事が多くて、練習試合とか公式戦とかイロイロあるみたいだけど、美晴には全く区別がつかなかった。ただ翼斗は後半の途中から出て来て、相手のゴールの近くでドリブルしてる事だけは美晴でもわかった。
 美晴には翼斗が活躍してるようにみえるのだけど、「もっとパスを出せ」とか「1人でプレイするな」とか金元監督が翼斗に言っているのをたまに聞いた。
『活躍してるんだからそんなに怒らなくてもいいじゃない。変なの』とは思ったけど、サッカーを知らない美晴は、チームプレイだとそんなモノかもしれないと思った。
 試合から帰る車の中で翼斗にその事を聞くのだけど、あまりハッキリ答えてくれなかった。
「今日もドリブルたくさんできて良かったわね」
「うん。そうだね……」
「シュートも惜しかったじゃない」
「まあね……」
「それでも監督に怒られるの?」
「うるさいなぁ。もういいじゃん」
「……今度は怒られないように頑張らないとね」
「……」
「今度はもっと長く出て、活躍できるといいわね」
「……」
 だいたいこんな感じで、美晴はひとりで喋ってた。
 去年までは、もっと色んな事をたくさん話してくれたのに、トップチームでやるのはよほど大変なんだと美晴は思った。
 ある日の試合、6年生のレギュラー選手が怪我をしていたので、翼斗が初めてスタメンで出場した。その時の試合は前半から翼斗が大活躍。何度もドリブルで相手を抜いたし、トップチームで初ゴールも決めた。本当は大声で喜びたかったけど『声を出すな』と言われていたので、美晴は口を両手で抑えて声を出すのを我慢した。
 だけど後半、翼斗は試合に出ていなかった。他の選手と代わっていた。美晴がベンチを見ると翼斗は悔しそうに俯いていた。
 活躍して得点したのに、どうして代えられたの。交代して出てきた子は6年生なのに、翼斗より下手じゃない。もっと翼斗を出してくれればいいのに。試合だって翼斗が1点取ったから、1対0で勝てたんじゃない。
 さすがに美晴でも納得できなかった。話しを聞いてみようと監督のところまで行くと、監督が翼斗に代わって試合に出た選手を叱りつけていた。
「5年の翼斗でも、ちゃんとボール蹴れるのに、なんでお前は蹴れないの? もっと練習しないと試合に出さないよ!」怒られている子供は俯いて泣きそうにしてる。少し離れた場所からお母さんが心配そうに見てた。
 監督の説教が一通り終わった時に、監督が振り向いたのでソコにいた美晴と目が合った。
 一瞬の間。
 お互い、なんとかく気まずかった。
 美晴は、文句の言葉を飲み込んだ。あの親子には悪いけど、翼斗は今度からも試合に出られそうだと思って「今日はありがとうございました」と、とりあえず挨拶だけした。
 金元監督も、挨拶もソコソコにスグに他のコーチの所へ行ってしまった。
 翼斗が試合に出られるなら、それでいい事にして美晴は車へ戻った。車の後部座席には、すでに着替えた翼斗が寝転がって天井を睨みつけていた。美晴はどうしても翼斗と話しをしたかったので、後部座席から引っぱり出して、無理に助手席に座らせて家路についた。
「得点できて良かったわね」まだふてくされ気味の翼斗に気を使うつもりで、美晴は話しかけた。
「……あぁ……」翼斗の返事はそれだけだった。
 やっぱり交代がショックだったんだと思った美晴は「交代した子より、翼斗の方が上手だったのにね。代わらなかったらもっと点取れたのに残念だったね」と続けた。
 だけど翼斗は今度は返事さえしない。これまでで最悪だった。それで美晴は試合後に監督が交代した選手を叱っていた事を翼斗に言った。
 翼斗は一度だけ美晴の方を見て、睨みつけるような表情をしたあと「もういいよ。試合の事は」と言って、助手席のシートを一杯に倒して、会話を拒否した。
 信号待ちの間に翼斗の顔を見ると、目を真っ赤に腫らしてた。『上を向いて涙がこぼれない様に』したのかもしれないと美晴は感じた。
 狭い軽自動車の車内。
 辛そうな息子の泣き顔。
 美晴は、切なすぎてキツかった。
 だけど、次の試合からはもっとキツかった。翼斗はトップチームの試合に呼ばれなかった。美晴は何かの間違いかと思ったけど、金元監督にそんなこと聞けない。かといって、翼斗にも聞ける感じがしない。
 結局、翼斗は次の練習試合から、セカンドチームに落とされた。翼斗もだけど美晴もかなりショックだった。でもこれで終わりじゃない。子どもたちだって『気持ちを切り替えよう』と試合中に何度も言ってる。美晴は自分に言い聞かせた。
 だけど、セカンドチームの親たちは何となくテンションが低くかった。美晴が話しかけても避けられている気がしたので、仕方なく1人で後ろの方から様子を見てた。
 試合は練習試合ばかりらしいけど、翼斗はいつも試合に出て、活躍しているみたいに美晴には見えた。
 そして、周りの親たちの囁き声も美晴の耳に届いた。
「あんなに上手い子でもトップチームに残れないんじゃ、ウチの子は上がれそうにないね」「仕方ないですよ。まぁ、子どもが楽しくやれたらそれで良いじゃない」
 セカンドチームの親たちの間には、諦めた空気が充満してた。試合に勝てても特に喜んでいる親も居なかった。
 翼斗が活躍しても、誉めてくれる人も一緒に喜べる相手もいない。美晴はいつも遠巻きにされてるだけだった。美晴はそんなセカンドチームの空気が、苦手で仕方なかった。
 セカンドチームで試合を何度か繰り返して、翼斗がやっと落ち着いた頃に、市立の体育館で『少年フットサル大会』が開催された。公式戦が近いトップチームは他の練習試合を組んでいたので、セカンドチームが参加する事になった。
 5人制のフットサルは自由に交代できるので、全員に出場チャンスがあった。そのせいか、セカンドチームの親たちも割とテンションが高かかった。
 美晴にもその気持ちがわからないでもなかった。練習試合では活躍しても何も変わらなかったけど、今回は『大会』なので、結果も残るし雰囲気も違う。うまくいけばトップチームに行けるかもしれないと思った。
 親たちの気合いが違うから……というより、セカンドチームと言っても十分な技術があるテンペストは予選リーグの3試合と、決勝トーナメント2試合を無敗、無失点で終えて優勝した。
 体育館の照明はナイターよりも明るく、太陽ほどキツくない。そのせいかプレイしてた子どもたちも、いつもより楽しそうだった。まぁ優勝したからそんな風に思うのかもしれないと美晴は思った。
 セカンドチームのコーチは「とにかく優勝できてよかった」と安堵するように本音を漏らし、他の親たちは、子どもたちと一緒になって喜んでいた。
 翼斗も全試合で得点して活躍していたので、美晴も気持ちよかった。こんな感じ久しぶりだった。
 試合の片付けが終わり、美晴と翼斗が客席のベンチに座っていると、珍しく他の母親が「せっかくだからファミレスのランチで、祝勝会しませんか?」と声を掛けてくれた。
 美晴は行きたかった。行って活躍した翼斗の事を、みんなに誉めて貰いたかった。羨ましいと言ってもらいたかった。だけど、隣に座っていた翼斗が、美晴の服の裾を軽く引っぱって、目を伏せて震える様に小さく首を横に振っていた。
 さすがに美晴も、ちょっとイヤな感じがしたので「すいません。この子ちょっと調子悪いみたいなので、今日は遠慮させていただきます」と言って断った。
 誘った母親は、丁寧に笑顔を作って「残念ね。またね」と言って、そのまま客席のひな壇を上がって、一番後ろの通路を通り、他の母親たちと合流した。そのまま少し重い両開きのドアを押し開けて、体育館から出て行った。
 子どもの大会が終わった体育館では、グリーンネットで分割していたフロアを繋げて、幅広の白いビニールテープでラインを引き直し、大人の試合の準備をしてた。
 チームの人たちと顔を会わすのが気まずかったので、美晴と翼斗はフロアで忙しく準備する係の人たちを何となく見ていた。
 しばらくすると、大会に参加していた子どもたちや、同伴した親たちと入れ替わる様に、20代、30代の男の人たちが客席に入って来た。
 いつも翼斗のサッカーを見ているので、美晴は慣れているつもりだったけど、スポーツをやっている男性の汗の臭いとか、体臭にちょっと圧倒された。
 自分たちは場違いだと感じた美晴は「翼斗。そろそろ帰ろうか?」と言ってベンチを立つ為に腰をうかしたけど、翼斗は座ったままだった。
 やはり、翼斗の様子がおかしかった。
「すこしだけ試合見ててもいい?」翼斗が口にした。
 久しぶりにちゃんと話しをしてくれそうだったので、美晴は思い直してベンチに座った。
 フロアはすっかり準備が整い、試合に参加する大人たちがチラホラ練習をはじめていた。
 靴底の生ゴムとフロアが擦れる音や、ボールを蹴ったときの低音の振動が、心地よく体育館に響いた。
 美晴たちのすぐ後ろにいる数名の男性が、バッグをベンチに置いて着替えはじめた。その場でシャツを脱ぎ捨てて、上半身裸になった。
 こんなモノなの?
 美晴はちょっと戸惑った。
 年齢は1回り違っていても、ちょと恥ずかしい。
 直視できなかった美晴は、気をそらす為に翼斗に話しかけた。
「どうして祝勝会に行きたくなかったの?」
「もうサッカーはいいかなって思ったから……。お母さん。もうサッカー辞めていいかなぁ」翼斗は一度美晴の方を見て、返事を待たずにフロアに目を戻した。
 美晴は翼斗が何を言ってるのか、解らなかった。
「なに? どうしたの? 今日もあんなにガンバってたじゃない」
「だけどね、今日だってコーチから『作戦守れ』って怒られた。だけど今日は最後にしようと思ってたから、好きにプレイしたんだ」
 思いもよらない翼斗の言葉に、美晴は返す言葉がなかった。
 だって、監督やコーチの指示通りにやるのは、あたり前じゃないの?
 でも、翼斗は『イヤだ』と言ってる。
 何かおかしい気がする。
 だけど、美晴には解らなかった。
「もしかして、セカンドチームになったから、辞めたくなったの?」
「そうじゃないと思う。もっと前、トップチームに入ってからだんだん面白くなくなったんだ。だって、なんで怒られるのか解んないんだもん」
「サッカーが嫌いな訳じゃないのよね?」
「多分嫌いじゃないと思う」
 どう返事していいのか、美晴には解らなかった。サッカーは嫌いじゃないけど、翼斗は辞めたいと言った。翼斗はどうしたいの?
 その時ホイッスルが鳴って、フロアでは大人の試合が始まった。翼斗はなんとなく試合を見てた。
 子どものフットサルとは違って、ボールのスピードも、走るスピードも速い。でもボールを扱うのは翼斗の方がずっと上手いと美晴は思った。
「大人の人のサッカーって楽しそうだよね」
 ふいに翼斗が呟くように言った。
 なんでだろう?
 子どもよりも大人の方が楽しそうなんて、美晴はすごく変な感じがした。
「大人の人たちは、真剣にやってないんじゃない?」
「そんな事ないよ。あの人たちすごく真剣にやってる。それくらい解る」
 遠目からのシュートが決まって、フロアから長いホイッスルが聞こえた。
 得点した選手は、思いっきり叫びながら喜んだ。失点したチームのキーパーは、大声で守備の指示をして、仲間を励ますように怒鳴った。
「すごいシュートだったね。今の。さすが大人の人は違うね」話しを合わせるつもりで、美晴はそう言った。
「失点しても怒られなくて、いいなぁ」
「いま、キーパーの人が怒鳴ってたじゃない。あれは怒ったんじゃないの?」
「違うよ。気持ちを入れたんだよ。キーパーの元気がなくなると、チームがしぼんじゃうから」
 翼斗のコメントは、実際にプレイしている選手のコメントだ。美晴には、受け答えできる言葉なんてなかった。
「だけどね、僕らは失点したら怒られるし、ミスすれば代えられる。口にはしないけど、金元監督やコーチの事が恐いから、みんな言う事を聞いてるだけだもん。そんなのが楽しいと思う?」
 消えてしまいそうな翼斗の声。
 そんなの聞いたら、何とかしたい。
 だけど、何も言えない。
 美晴は翼斗に掛ける言葉が、見つからない。
「もし良かったら、息子さんを貸してもらえませんか?」
 その時、後ろから誰かが声を掛けて来た。それが中田コーチとの出会いだった。
 中田コーチのチームは、5人でエントリーしてたけど、ひとり遅刻して人が足りなかった。仕方なく4人で参加するつもりだったんだと、中田コーチは事情を説明した。
 そんな時、少年フットサル大会で活躍していた少年が目の前に居たので、ダメもとで翼斗たちに声を掛けて見たらしかった。
「4チームの合同練習試合だから、3試合なんだけどダメかなぁ?」と言う中田コーチに翼斗は「ドリブルして、シュートしても怒りませんか?」と聞き返した。
 中田コーチは大笑いして「そのプレイで誰が何を怒るの? 本当にやれたら、手を叩いて誉めてあげるよ。ゴールできたら誰も文句言わないよ」
「じゃ、やってみたい」翼斗はあっさりOKをした。中田コーチは「次の試合は20分後だからよろしく」と言ってひな壇のベンチをすり抜けて、チームメイトの所へ歩いて行った。
 その時、晴美と翼斗は初めて気がついた。
 中田コーチは右手にアルミ製の杖を持っていた。歩くたびに金属音がするので、どうやら左足は義足のようだった。
 練習試合の結果は1勝2敗。中田コーチはキーパーとして、左足のハンデを感じさせないプレイをし、終始声を上げてチームメイトを励ましていた。
 翼斗は何とか1得点できたけど、ドリブルしてのシュートじゃなく、長いパスをチョッと触ったシュートだった。
 何度もドリブルで仕掛ける。失敗しても仕掛ける。たまにそのままシュートしたり、意表をついたパスを出したりしてた。そんなプレイをする度に、大人たちから歓声が上がる。翼斗の動きがどんどんよくなった。
 3試合目にやっと感じがつかめたのか、ドリブルで突破できるようになって、やっと得点もできた。翼斗はチームメイトの大人達に手荒く祝福されるけど、得点を決めてあれだけ嬉しそうにしている翼斗を見るのは、美晴にとっても久しぶりだった。
 試合終了のホイッスルまで、楽しそうにプレイする翼斗を見て、美晴は翼斗の事を中田コーチに相談する事に決めた。
「あの、中田さんご相談に乗っていただけますか?」
 全部の試合が終って、中田コーチが翼斗を連れて来た時にそう切り出した。
「今のチームの事ですか?」中田コーチはそう言って、美晴と翼斗の話しを聞いてしまった事を謝罪した。
 美晴は、一回小さく笑ったあと「気にしないでください」と言い、どこか座れる場所で話しをしようと中田コーチを誘った。
 その時はあまり考えなかったけど、子連れとはいえ一回りも若い男性を誘うなんて、軽卒すぎたと後から美晴は思った。
 もう夕方の7時。昼過ぎに帰るつもりだった美晴と翼斗は、昼食も摂っていなかったので、体育館からさほど遠くないファミレスで夕食を摂りながら、話す事になった。
 中田コーチはスパゲティーとスープ。翼斗はハンバーグセット。美晴はサンドイッチのセットを頼んだ。
「今日は手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
 注文を取ったウエイトレスが席を離れると、中田コーチが翼斗に声を掛けた。
 翼斗は得意そうに、中田コーチに笑顔で返事をした。
「サッカーは楽しいんだろ。でもサッカーを辞めたいんだって? どうして?」
 中田コーチは、翼斗に問いかけた。
「もう怒られるのが嫌なんだ」
「俺も子どもたちにサッカーを教えてるけど、叱る事はあるよ」
「でもね……」翼斗はそう言い出して、ウィングで出る事が多くて、インターセプトしてマイボールにしても、サイドバックのオバーラップが遅い時、ドリブルして持ち込むと、インサイドフォワードみたいな事するなって言われる。ボールキープする為にエラシコやマルセイユルーレットを練習したのに、そんなのやるなって言われる。アイコンタクトしてボランチに一度ボールをさげろとか……。
 晴美には理解できないサッカー用語の呪文を使って、翼斗は堰を切ったように中田コーチに愚痴り……話しはじめた。中田コーチはただ黙って聞いていた。
 翼斗の話しが一段落した時に、合わせるように3人分の料理が運ばれて来た。
 ナイフやフォークが入ったカゴを置くときの金属音や、テーブルの上に皿を置く音がする。手際のいいウエイトレスの仕事を、3人は静かに見守っていた。
 ウエイトレスが注文の確認をし、一礼をしてから厨房に向かうと、やっと中田コーチが口を開いた。
「多分ね、監督やコーチの方が正しいんだよ」それを聞いた翼斗は、いくらかショックを受けた。
「それがねサッカー、というか団体競技だから、仕方ないと思うよ」中田コーチはそう言うと、スープに口を付けた。
「やっぱりそうなんですか。でもそれがサッカーならもう辞めちゃいたい」翼斗がそう言った。
「まぁ先に食べなよ。食べながら話しを聞いてくれるかな?」中田コーチがそう言うと、翼斗は目の前のハンバーグに手をつけ始めた。
「団体競技はね、チームによってイロイロな事情があるんだ……」中田コーチは話しはじめた。
 いま翼斗くんのいるチーム、テンペストは選手を確保する為に、絶対に勝つ必要があるようだ。もし、県大会に出られないと選手が集まらない。そしてグラウンドも借りにくくなって、運営ができなくなると思ってるチームじゃないかな?
 そして小学生の世代で勝つには、選手の個性を組み合わせるより、監督の型にはめた方が強いチームを作りやすい。
 だから、作戦やチームプレイで、選手を縛りがちになってしまうんだ。
「指示が細かいよね。『2m下がれ』とか『ワイドに使え』とか」中田コーチがそう言うと、翼斗が苦笑した。
 だけど、それが子どもたちに取って、良いのかどうかは全く別だ。
 小学校の時に一生懸命サッカーをやってても、中学校でサッカーをやっている選手は意外と少ない。高校になるともっと減る。いわゆる『燃え尽きちゃう』んだよね。
「今の翼斗くんは、それかも知れない」
 中田コーチはそう言って、話しを一区切りさせた。翼斗は食べる手を止めて、何も言わずに中田コーチの方を見た。
「じゃあ、翼斗はサッカーやめた方がいいんですか?」それまで口を挟めずにいた美晴は、我慢できずに中田コーチに聞いた。
「選択肢はいくつかありますよ」そう言って中田コーチは説明を続けた。
 まず、もっと自由にやれるチームに移籍する事。サッカーは続けられるけど、移籍しても思った通りにやれるかどうか解らない。それにリスクもある。今の時期に移籍すると4月まで公式戦には出られないし、元のチームとは仲良くは出来ない。
 次にサッカーを休んで、中学校から部活ではじめる選択。小学生の時にしか出来ない事だって沢山あるから見直すのも悪くない。翼斗くんなら中学の部活からやり直してもそれなりに楽しめると思う。
 最後にサッカーを辞めちゃう選択。最後までヤリきれなかった後悔が残るけど、気にならなければ悪い選択じゃないと思う。
「クラブチームは、イロイロと面倒なんだよ」
 中田コーチがソコまで言ったところで、それぞれに思う事があって3人とも黙った。そして翼斗が思い切って中田コーチの方を向き直して、質問した。
「中田さんも小学生に教えてるんですよね」
「教えてるけど、俺の足はこの通りだし、チームも去年出来たばかりでレベルも低い。4年生から6年生まで合わせても20人しかいない。だから当然弱い。翼斗くんには物足りないよ」
「でも1回、見学に言っても良いですか?」
「もし移籍しても、5年生の間は公式戦には出られないよ」
「公式戦なんて構いません」
 中田コーチの事が気に入ったのか、翼斗は美晴の想像以上に食い下がった。
 そこまで言われた中田コーチは少し困った顔をして、仕方なさそうに「他の子が気にするから、ガッカリしても顔に出すなよ」と翼斗に言いながら、連絡先を美晴に教えた。
「もし移籍する事になったら、今のチームには正直に言ってくださいね」
 中田コーチは、釘を刺す様にそう付け加えた。
Kindleセレクトに登録する為、二部以降を非公開とさせていただきました。ご了解ください。
Kindle版 https://www.amazon.co.jp/dp/B00NSG56BG

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