4月18日月曜日、早朝4時11分、ハルがなくなりました。月齢6か月。今月の20日で生まれてから7か月になるはずでした。とっても静かな最期でした。
■4月11日火曜日
4月10日、先週の月曜日、なんとなく元気がないなという程度でしたが、少し心配なのでハルを動物病院でみてもらおうと、次の日の火曜日に近くのあかまつ犬猫病院さんでみてもらいました。獣医の先生はいつもニコニコと笑顔なのに、ハルを見たとたんにしぶい顔をしました。ちょっと重めの猫風邪なのかな、と思ったのですが、先生の口からでたのはFIPという言葉でした。
FIPとは猫伝染性腹膜炎のことで発症したらまず98パーセントは助からないという病気です。治療法はなく、症状を緩和するための対処療法しかないといわれました。血液検査の結果ではほぼFIPで間違いないとのことでしたが、一応念のために遺伝子検査もしてもらいました。遺伝子検査は、血液検査とは異なりすぐに結果が出てくるものではなく、3、4日ほどまってくださいと言われました。
先生は「もし腹膜炎ならだいたい三週間程度でほとんどの猫ちゃんが亡くなってしまう」と、ぽつりともらしました。
診察がおわり、動物病院の待合室で呆然となりました。もし本当にFIPなら助からない。待合室の椅子ですわっている間、周りでは元気そうなわんちゃんが飼い主になでてもらっていたり、キャリーの中で「出せ」と暴れている元気な猫ちゃんがいました。飼い主さん同士がおしゃべりをしているのが耳にはいってくるのですが、「うちの子はもうすっかりげんきになって」というようなことをうれしそうに話していました。
血液検査や遺伝子検査、処方された薬などでこの日は2万円以上の診察料でしたが、それでハルがFIPでないとわかるのなら値段はどうでもいいと思いました。
ぼろぼろと泣きながら家に帰りました。家に着いて、ハルを可愛がってくれた家族や友人に連絡を取りました。もしかしたらハルが死んでしまうかもしれない。ブログにも更新停止の記事を載せ、この日は仕事を休んで一日中ハルと一緒にいました。
このときはまだ呼吸の仕方もいつもどおりで、自分の力で歩くこともできていました。少し元気がない、ぐらいでしたが、あんなに大好きだったおもちゃで遊ぼうとせず、また、ご飯をまったく食べなくなっていました。
■4月12日水曜日
次の日から強制給仕が始まりました。シリンジ(注射器のようなもの)を使って、子猫用のミルクを無理やりのませました。ご飯はいやだと、もうあまり残っていない力で抵抗していました。
一度にあまり多く飲ませると、ミルクを飲みこむ力がなくなってくるようで、あまり長い時間をかけてしまうと後半はミルクが口からあふれ、あごや胸あたりを汚してしまいました。ばい菌が繁殖するといけないので、ミルクをあげるたびに、めちゃめちゃにこぼれちったミルクをきれいに拭いてあげました。
しかしどうしても取れないところもあって、ふわふわだった毛並みは、次第に乾いたミルクで固くなっていきました。診断をうけたこの次の日は、仕事にはいったのですが顔色が真っ青だということで、同僚が気遣ってくれ、会社に行って2時間ほど仕事をした後早退しました。急いで帰宅し、家の中に入ると、ハルはよろよろと玄関まで迎えに来てくれました。FIPは、神経症状もでるそうで、後ろ脚などの麻痺がおこってくるそうです。いつもならダッシュで「おかえり」と来てくれるのに、歩いてはよろけ、歩いてはよろけ、といった感じでした。
■4月14日木曜日
この日は、心配をしてくれた家族の提案で、セカンドオピニオンをききに別の動物病院へいきました。京都中央動物病院といってかなり大きな動物病院です。わらにもすがる気持ちで、朝の9時に、嫌がるハルを無理やり連れていきました。担当してくれた先生も、おそらくFIPだろうということを言っていました。
血液検査の結果で、FIPだということは「推測」はできるが、「断定」するには遺伝子検査が必要であるとのことでした。遺伝子検査は動物病院で行うのではなく、外部の検査機関に委託するそうです。ですから、この動物病院で検査を頼んだところで、あかまつ先生のところででてくる検査と同じものですから意味がないとのことでした。仕方なく、この病院では点滴だけうってもらいました。この先生に「FIPっていたいんですか」と聞くと、鋭利な痛みではないが、重い鈍痛はあるとのことでした。
この日はきちんと仕事をしなければならないので、フルで働きました。仕事をしていても、ハルのことばかり考えてしまいます。寒くないだろうか、さみしがっていないだろうか、お水を自分でのめるだろうか。接客業ですので、お客さんの前ではきちんと笑顔でいなければいけません。
ですがこんな状況です。どうしても笑顔でいられなくなったらトイレに行ってたまった涙を流しました。自宅へ帰る時も、電車の中でしたが泣くことを我慢するのはできませんでした。家のドアをそっとあけるとハルは迎えに来てくれませんでした。まさかと思って部屋中を探しました。ハルはベッドの下に隠れていました。この日から眼に症状がではじめ、右目がうまくあかなくなってきていました。残された左目も、瞳孔が開きっぱなしの状態でした。
■4月15日金曜日
金曜日は仕事が休みの日なので、一日中ハルの看病をしました。診断を下されてから3日目、私が体調をくずしてはいけないとわかってはいたのですが、どうしても固形物を食べることができず、3日間水しか飲んでいませんでした。でもハルにだけはご飯は食べてもらわなければと、嫌がるハルの口をこじ開け、ミルクを飲ませ続けました。ミルクだけでは心配だったので、もっと栄養が取れるものはないかとネットで情報を探したところ、猫用の流動食があることを知り速達で送ってもらうよう10缶ほど注文しました。
朝からずっと2時間おきにミルクをあげ続けました。夕方の5時ごろ、あかまつ先生から電話が入りました。遺伝子結果の報告ということでした。結果はなぜか陰性。しかし、症状も当てはまるし、血液中の成分値も当てはまるし、しかも症状が進行し、(ドライタイプとウェットタイプの二種類のFIPがあるのですが)タイプがどちらかからどちらかへ移行しているときは、たとえFIPを発症していても結果が陽性とでてこない場合がある。あかまつ先生は、検査機関の先生と直に相談をし、総合的な判断としてFIPが発症しているとの診断結果を教えてくださいました。少しでもご飯をたべさせてくださいといわれました。延命の措置しかできないが、また来週の火曜日、病院に来てくださいとのことでした。(月曜日にもらっていたお薬がきれるため)。
「陰性」という検査結果は少しだけ気持ちを落ち着ける効果はありました。が、やはりハルの様子を見ているとFIPの症状とすべてが一致しますし、本人も日に日に弱っていくのが目に見えてわかりました。
夕方、猫トイレの砂が少なくなっていたのと、猫用のミルクが残りわずかだったので近くのジャスコへ買いに行きました。ペットコーナーでその二つをレジに持っていくと、レジ打ちを担当してくれた気の良さそうなおじちゃんに「猫がいるの?いいねぇ~」と声をかけられました。
もうすぐ死んじゃうんです、今買っているこのミルクも全部は飲めないかもしれないんです、とはいえませんでした。
家に帰ると、ハルは眠っていました。ピンクだった鼻や肉球は真っ白になり、口からこぼれたミルクで毛は黄色くなり、右目はもう開かなくなっていて、後ろ脚は動かなくなりました。
FIPは致死率があまりに高い病気ですが、生存例がないわけではありません。さいごまであきらめないと思っていました。でもそんなハルの様子を見ると、少しだけくじけそうになりました。夜、明日もまた仕事なのでしっかり寝ておかなければ、と布団へ潜りました。心配なのでハルも枕の横にのせて、眠らせました。でも起きて冷たくなっていたらどうしようと、30分おきぐらいに自然と目が覚めてしまい、眼を覚ますごとにハルがまだ生きているか確認していました。
■4月16日土曜日
この日は朝から夕方まで仕事でした。しっかりミルクを多めに与えて、私が留守の間でも大丈夫なように、ハルが寝ているすぐ横にふやかしたカリカリとみずを置いておきました。どうしても仕事を休むわけにはいかず、もしかしたら会うのはこれが最後になるかもしれないと、泣きながらハルに「いってきます」といいました。いつもならハルは玄関まで追いかけてきて、「いかないで」とドアのむこうで爪をカリカリとならすのですが、もうあるけないのか、ハルは毛布の中で出かけていく私の姿をずうっと見ていました。
仕事は案外早く終わり、夕方スムーズにもどってくることができました。この日もハルは玄関まで迎えにきてはくれませんでした。同じくベッドの下でうずくまっていました。暗くて狭くて安心するのか、FIPを発症してからはそこにいることが多くなりました。しかしミルクをあげなければいけないため、無理やりハルをそこから抱っこして連れ出しました。もう抵抗する力も残っていないようでした。
先日注文した流動食が届き、5000円を代引きで払って試しにハルに食べさせてみました。そこまで嫌がる様子はなく、明日からはこの流動食もミルクと一緒にあげていこうと思いました。しかしこの日も症状は良くならず、夜も寝ては起き、寝ては起きてハルの様子をみたり、ミルクを上げたりしました。
■4月17日日曜日
同じくこの日も仕事でした。仕事なんていかずにずっとそばにいてあげたかったですが、なくなく出勤しました。朝はやめにおきて、ミルクを3度ほどあげ、会社へいきました。帰ってくると、ハルはまたベッドの下へ潜り込んでいました。私が「ハル」と呼ぶと、ハルは5回ほど苦しそうになきました。「いたいよ」と聞こえました。もうここ数日声を出すこともなかったので、久しぶりに聞いたハルのかわいらしい声をなつかしく思いましたが、苦しそうにしゃべるハルをみるのはつらかったです。
このとき、はじめて「もうだめかもしれない」と思いました。呼吸がかなり速くなっていて、体温も低下してきていました。必死に薬をあげましたが、もう飲んでくれませんでした。病院も、入院させて治るならいくらでも入院させますが・・・最期は飼い主さんの膝の上で、ということでした。会社から帰ってきて、服も着替えず、ご飯も食べず、お風呂にも入らず、ずっとハルのそばにいました。1時間ほどにミルクをあげるのですが、くしゃみをしたり、顔をふったりされて私の髪や服はミルクだらけになりました。それでもご飯をあげなければ、と嫌がるハルにミルクをあげつづけました。
ハルは膝の上でうずくまったまま、動こうとはしませんでした。浅く速い呼吸を繰り返し、目はあけたままどこも見ていませんでした。耳だけは聞こえているようで、「ハル」と名前を呼ぶとしっぽをぶんぶんとふりました。「大丈夫、きっとなおるよ」「むりやりミルク飲ませてごめんね」「いたいよね、しんどいよね」「一生けん命生きようとしててえらいね」「死んじゃやだよ」「ハル、大好きだよ」とずっと言い続けました。
家に帰ってきたのが夕方の6時、真夜中までずっと看病を続けました。ときどきハルは苦しそうに「ウー」と小さくなきました。ハルが「いたいよ」といって私に助けを求めるたびに、「助けてあげられなくてごめんね」と心の中で詫びました。深夜になり、うとうととしてしまいました。半分眠っていて、半分起きているような状態だったのですが、ハルの「ウー」という声がきこえました。あわてて目を覚まし、ハルをみました。ハルは大きくひとつ息を吸い、ふうっとはくと、それっきり息をしなくなりました。明け方の4時11分のことでした。
まだ温かいハルの体をなでてあげました。「よくがんばったね、お疲れ様」。そういうとハルの開かなくなっていた右目からツーと水が出てきました。炎症を起こしているため涙がしょっちゅう出てきていたのですが、ハルが最期にこたえてくれたようで少しうれしかったです。
朝までずっと、ハルの亡骸をなでてあげました。午前中のうちに葬儀屋さんに連絡を取り、11時に御迎えに来てくれました。ハルを火葬するときに何か一緒にもっていてもらおうと、ピンクのバラをかい、手紙をかきました。バラは元気だったころのハルのお鼻の色にそっくりで、体の色にもとてもよく似合っていました。あいにくおしゃれな便せんなどなかったので、白い紙にハルへのメッセージを書きました。一緒にいたのはたったの5ヶ月間だったけど、うちへ来てくれてありがとう。ずっと忘れないよ、とつらつらと文章を書きました。
葬儀屋さんは若い30歳くらいの男の人で、とても丁寧にハルを扱ってくれました。その人に「穏やかな顔ですね、とっても長生きされたんでしょう」といわれました。思わず言葉に詰まってしまい、「まだ6か月の子猫だったんです」と返事をするのに時間がかかりました。火葬するのに必要な書類にも、猫の名前と年齢を書く欄があったのですが、年齢の欄は【 歳】となっていました。1歳の誕生日すら迎えることができなかったんだ、と書類を書く手がとまりました。
棺の中にハルが好きだった毛布を入れ、そのうえに亡骸をのせ、バラの花と手紙を添えました。ハルの体はもうすっかり固くなっていました。
棺は車に乗せられ、ハルはもう家のなかからいなくなってしまいました。ハルを乗せた車が遠くへ見えなくなるまで見送りました。
そうして夕方の5時30分、ハルは小さな骨壺の中に入って帰ってきました。本当に小さな骨壺でした。
そのあと、お供えする花を買いに近所の花屋さんへ足を運び、10分ほどで家に戻りました。やっぱりいつもと違うなと思いました。
玄関を開けても何もいない。あぐらをかいて座っても、膝に何も乗ってこない。野菜炒めを作ってご飯をたべていてもおかずはとられない。お風呂にお湯をためていても何も見にこない。部屋の掃除をしていても何もほうきを追いかけない。そろそろ寝ようと布団にはいっても何ももぐりこんでこない。ハルはもういないんだ、とわかりました。
FIPの診断からわずか6日の出来事でした。診断がされた日、もしかしたらハルは死んでしまうのかもしれないと思いました。先生のお話によると残された日数はたったの3週間。これから15年、20年と一緒にいるつもりだったのに。たったの3週間。
最期まであきらめない、とはもちろん思っていましたが、ハルの様子を見ているとときどきくじけそうになりました。だから、これから一緒にいるはずだった15、20年分の愛情を注ぎました。「ハル、大好き」と何度も何度も言いました。
前に実家で飼っていた犬を亡くしたとき、もう二度と犬なんか飼わないと思いました。こんなにつらい思いをするなんて、と。ハルを迎える決心をしたとき、この子が亡くなったときのショックを受け入れる覚悟は勿論していました。でもそれはもっとずっと先のことだと思っていたんですけどね。
ハルがうちにきたのが2010年の11月19日でした。ハルを迎える前、ずっと考えていました。この子が自分にとってなくてはならない存在になるのはいつなんだろうと。11月19日の段階で、たとえば何かの理由でハルがなくなってしまって、よく似た別の猫と入れ替わったとしたら、たぶん自分はあまり悲しまないだろうといったことを考えていました。ああ、可哀そうだな、という程度。実家の犬が亡くなったときのあまりのショックに、そんなへんなことを考えていました。もし亡くなった場合、愛情が大きすぎて嘆き悲しむようになるのは、その子を迎えてからどれくらいの時間がいるんだろうと。でも、うちに来たその日から、ハルは「うちの子」になりました。もうその日から、世界中のどの猫よりも長生きしてほしいと思いました。
残念ながらその願いはかなえられなかったですが、でもワンコが亡くなったときとは違って、いつかまた、ハルの弟か妹かを家族として迎えたいと思っています。犬はもう二度と飼いたくないし、他人が買っている犬に軽い愛着を持つことすらいやです。でも、今回ハルをなくし、もう猫は二度とかいたくないという気持ちにはなぜかなりませんでした。
またいつか、私の膝の上で、かわいらしい小さな毛玉がのんびりとお昼寝していることを願ってやみません。そして、ハルの弟・妹として迎えたその子に、「あなたにはこんなかっこいいお兄ちゃんがいたんだよ」と教えてあげたいです。
犬と猫でなんでこんな違いがでてくるかちょっと不思議でした。どちらも、本当に大好きでしたし、今も大好きです。そういえば、こんな文章を思い出したのですが、もしかしたらこのようなことが理由かもしれませんね。
↓
子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供がおとなになった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。
子供が生まれなければ猫を飼いなさい。
猫が赤ん坊の時、あなたは猫の良きしもべとなるでしょう。
猫が幼年期の時、あなたは猫の良きしもべであるでしょう。
猫が少年期の時、あなたは猫の良きしもべでいるでしょう。
猫がおとなになった時、あなたはやはり猫の良きしもべのままでしょう。
そして、いつかそのとき、猫は自らの死をもって
あなたのこころに猫型の穴を開けるでしょう。
その穴を埋めるには、また猫を飼うしかありません。
↑
なんかしっくりきました。ハルも、ハルの形をした猫型の穴をあけてこの家から去りました。私にとっての犬は、あのこしかいないけど、私にとっての猫は、ハルとまだみぬハルの弟や妹なんですね。
長々とよんでくださってありがとうございました。
もうこのブログを更新することは絶対ありません。でも、このブログ自体は残しておこうと思います。絶対に忘れないってハルと約束しましたから。たった6か月しか生きられなかったけど、幸せだったかな、と思える写真ばかりだから。
ハル、うちに来てくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。たくさんの幸せをありがとう。いろんな人を笑顔にしてくれてありがとう。ずっと、大好きだよ。
また、いつか。
■4月11日火曜日
4月10日、先週の月曜日、なんとなく元気がないなという程度でしたが、少し心配なのでハルを動物病院でみてもらおうと、次の日の火曜日に近くのあかまつ犬猫病院さんでみてもらいました。獣医の先生はいつもニコニコと笑顔なのに、ハルを見たとたんにしぶい顔をしました。ちょっと重めの猫風邪なのかな、と思ったのですが、先生の口からでたのはFIPという言葉でした。
FIPとは猫伝染性腹膜炎のことで発症したらまず98パーセントは助からないという病気です。治療法はなく、症状を緩和するための対処療法しかないといわれました。血液検査の結果ではほぼFIPで間違いないとのことでしたが、一応念のために遺伝子検査もしてもらいました。遺伝子検査は、血液検査とは異なりすぐに結果が出てくるものではなく、3、4日ほどまってくださいと言われました。
先生は「もし腹膜炎ならだいたい三週間程度でほとんどの猫ちゃんが亡くなってしまう」と、ぽつりともらしました。
診察がおわり、動物病院の待合室で呆然となりました。もし本当にFIPなら助からない。待合室の椅子ですわっている間、周りでは元気そうなわんちゃんが飼い主になでてもらっていたり、キャリーの中で「出せ」と暴れている元気な猫ちゃんがいました。飼い主さん同士がおしゃべりをしているのが耳にはいってくるのですが、「うちの子はもうすっかりげんきになって」というようなことをうれしそうに話していました。
血液検査や遺伝子検査、処方された薬などでこの日は2万円以上の診察料でしたが、それでハルがFIPでないとわかるのなら値段はどうでもいいと思いました。
ぼろぼろと泣きながら家に帰りました。家に着いて、ハルを可愛がってくれた家族や友人に連絡を取りました。もしかしたらハルが死んでしまうかもしれない。ブログにも更新停止の記事を載せ、この日は仕事を休んで一日中ハルと一緒にいました。
このときはまだ呼吸の仕方もいつもどおりで、自分の力で歩くこともできていました。少し元気がない、ぐらいでしたが、あんなに大好きだったおもちゃで遊ぼうとせず、また、ご飯をまったく食べなくなっていました。
■4月12日水曜日
次の日から強制給仕が始まりました。シリンジ(注射器のようなもの)を使って、子猫用のミルクを無理やりのませました。ご飯はいやだと、もうあまり残っていない力で抵抗していました。
一度にあまり多く飲ませると、ミルクを飲みこむ力がなくなってくるようで、あまり長い時間をかけてしまうと後半はミルクが口からあふれ、あごや胸あたりを汚してしまいました。ばい菌が繁殖するといけないので、ミルクをあげるたびに、めちゃめちゃにこぼれちったミルクをきれいに拭いてあげました。
しかしどうしても取れないところもあって、ふわふわだった毛並みは、次第に乾いたミルクで固くなっていきました。診断をうけたこの次の日は、仕事にはいったのですが顔色が真っ青だということで、同僚が気遣ってくれ、会社に行って2時間ほど仕事をした後早退しました。急いで帰宅し、家の中に入ると、ハルはよろよろと玄関まで迎えに来てくれました。FIPは、神経症状もでるそうで、後ろ脚などの麻痺がおこってくるそうです。いつもならダッシュで「おかえり」と来てくれるのに、歩いてはよろけ、歩いてはよろけ、といった感じでした。
■4月14日木曜日
この日は、心配をしてくれた家族の提案で、セカンドオピニオンをききに別の動物病院へいきました。京都中央動物病院といってかなり大きな動物病院です。わらにもすがる気持ちで、朝の9時に、嫌がるハルを無理やり連れていきました。担当してくれた先生も、おそらくFIPだろうということを言っていました。
血液検査の結果で、FIPだということは「推測」はできるが、「断定」するには遺伝子検査が必要であるとのことでした。遺伝子検査は動物病院で行うのではなく、外部の検査機関に委託するそうです。ですから、この動物病院で検査を頼んだところで、あかまつ先生のところででてくる検査と同じものですから意味がないとのことでした。仕方なく、この病院では点滴だけうってもらいました。この先生に「FIPっていたいんですか」と聞くと、鋭利な痛みではないが、重い鈍痛はあるとのことでした。
この日はきちんと仕事をしなければならないので、フルで働きました。仕事をしていても、ハルのことばかり考えてしまいます。寒くないだろうか、さみしがっていないだろうか、お水を自分でのめるだろうか。接客業ですので、お客さんの前ではきちんと笑顔でいなければいけません。
ですがこんな状況です。どうしても笑顔でいられなくなったらトイレに行ってたまった涙を流しました。自宅へ帰る時も、電車の中でしたが泣くことを我慢するのはできませんでした。家のドアをそっとあけるとハルは迎えに来てくれませんでした。まさかと思って部屋中を探しました。ハルはベッドの下に隠れていました。この日から眼に症状がではじめ、右目がうまくあかなくなってきていました。残された左目も、瞳孔が開きっぱなしの状態でした。
■4月15日金曜日
金曜日は仕事が休みの日なので、一日中ハルの看病をしました。診断を下されてから3日目、私が体調をくずしてはいけないとわかってはいたのですが、どうしても固形物を食べることができず、3日間水しか飲んでいませんでした。でもハルにだけはご飯は食べてもらわなければと、嫌がるハルの口をこじ開け、ミルクを飲ませ続けました。ミルクだけでは心配だったので、もっと栄養が取れるものはないかとネットで情報を探したところ、猫用の流動食があることを知り速達で送ってもらうよう10缶ほど注文しました。
朝からずっと2時間おきにミルクをあげ続けました。夕方の5時ごろ、あかまつ先生から電話が入りました。遺伝子結果の報告ということでした。結果はなぜか陰性。しかし、症状も当てはまるし、血液中の成分値も当てはまるし、しかも症状が進行し、(ドライタイプとウェットタイプの二種類のFIPがあるのですが)タイプがどちらかからどちらかへ移行しているときは、たとえFIPを発症していても結果が陽性とでてこない場合がある。あかまつ先生は、検査機関の先生と直に相談をし、総合的な判断としてFIPが発症しているとの診断結果を教えてくださいました。少しでもご飯をたべさせてくださいといわれました。延命の措置しかできないが、また来週の火曜日、病院に来てくださいとのことでした。(月曜日にもらっていたお薬がきれるため)。
「陰性」という検査結果は少しだけ気持ちを落ち着ける効果はありました。が、やはりハルの様子を見ているとFIPの症状とすべてが一致しますし、本人も日に日に弱っていくのが目に見えてわかりました。
夕方、猫トイレの砂が少なくなっていたのと、猫用のミルクが残りわずかだったので近くのジャスコへ買いに行きました。ペットコーナーでその二つをレジに持っていくと、レジ打ちを担当してくれた気の良さそうなおじちゃんに「猫がいるの?いいねぇ~」と声をかけられました。
もうすぐ死んじゃうんです、今買っているこのミルクも全部は飲めないかもしれないんです、とはいえませんでした。
家に帰ると、ハルは眠っていました。ピンクだった鼻や肉球は真っ白になり、口からこぼれたミルクで毛は黄色くなり、右目はもう開かなくなっていて、後ろ脚は動かなくなりました。
FIPは致死率があまりに高い病気ですが、生存例がないわけではありません。さいごまであきらめないと思っていました。でもそんなハルの様子を見ると、少しだけくじけそうになりました。夜、明日もまた仕事なのでしっかり寝ておかなければ、と布団へ潜りました。心配なのでハルも枕の横にのせて、眠らせました。でも起きて冷たくなっていたらどうしようと、30分おきぐらいに自然と目が覚めてしまい、眼を覚ますごとにハルがまだ生きているか確認していました。
■4月16日土曜日
この日は朝から夕方まで仕事でした。しっかりミルクを多めに与えて、私が留守の間でも大丈夫なように、ハルが寝ているすぐ横にふやかしたカリカリとみずを置いておきました。どうしても仕事を休むわけにはいかず、もしかしたら会うのはこれが最後になるかもしれないと、泣きながらハルに「いってきます」といいました。いつもならハルは玄関まで追いかけてきて、「いかないで」とドアのむこうで爪をカリカリとならすのですが、もうあるけないのか、ハルは毛布の中で出かけていく私の姿をずうっと見ていました。
仕事は案外早く終わり、夕方スムーズにもどってくることができました。この日もハルは玄関まで迎えにきてはくれませんでした。同じくベッドの下でうずくまっていました。暗くて狭くて安心するのか、FIPを発症してからはそこにいることが多くなりました。しかしミルクをあげなければいけないため、無理やりハルをそこから抱っこして連れ出しました。もう抵抗する力も残っていないようでした。
先日注文した流動食が届き、5000円を代引きで払って試しにハルに食べさせてみました。そこまで嫌がる様子はなく、明日からはこの流動食もミルクと一緒にあげていこうと思いました。しかしこの日も症状は良くならず、夜も寝ては起き、寝ては起きてハルの様子をみたり、ミルクを上げたりしました。
■4月17日日曜日
同じくこの日も仕事でした。仕事なんていかずにずっとそばにいてあげたかったですが、なくなく出勤しました。朝はやめにおきて、ミルクを3度ほどあげ、会社へいきました。帰ってくると、ハルはまたベッドの下へ潜り込んでいました。私が「ハル」と呼ぶと、ハルは5回ほど苦しそうになきました。「いたいよ」と聞こえました。もうここ数日声を出すこともなかったので、久しぶりに聞いたハルのかわいらしい声をなつかしく思いましたが、苦しそうにしゃべるハルをみるのはつらかったです。
このとき、はじめて「もうだめかもしれない」と思いました。呼吸がかなり速くなっていて、体温も低下してきていました。必死に薬をあげましたが、もう飲んでくれませんでした。病院も、入院させて治るならいくらでも入院させますが・・・最期は飼い主さんの膝の上で、ということでした。会社から帰ってきて、服も着替えず、ご飯も食べず、お風呂にも入らず、ずっとハルのそばにいました。1時間ほどにミルクをあげるのですが、くしゃみをしたり、顔をふったりされて私の髪や服はミルクだらけになりました。それでもご飯をあげなければ、と嫌がるハルにミルクをあげつづけました。
ハルは膝の上でうずくまったまま、動こうとはしませんでした。浅く速い呼吸を繰り返し、目はあけたままどこも見ていませんでした。耳だけは聞こえているようで、「ハル」と名前を呼ぶとしっぽをぶんぶんとふりました。「大丈夫、きっとなおるよ」「むりやりミルク飲ませてごめんね」「いたいよね、しんどいよね」「一生けん命生きようとしててえらいね」「死んじゃやだよ」「ハル、大好きだよ」とずっと言い続けました。
家に帰ってきたのが夕方の6時、真夜中までずっと看病を続けました。ときどきハルは苦しそうに「ウー」と小さくなきました。ハルが「いたいよ」といって私に助けを求めるたびに、「助けてあげられなくてごめんね」と心の中で詫びました。深夜になり、うとうととしてしまいました。半分眠っていて、半分起きているような状態だったのですが、ハルの「ウー」という声がきこえました。あわてて目を覚まし、ハルをみました。ハルは大きくひとつ息を吸い、ふうっとはくと、それっきり息をしなくなりました。明け方の4時11分のことでした。
まだ温かいハルの体をなでてあげました。「よくがんばったね、お疲れ様」。そういうとハルの開かなくなっていた右目からツーと水が出てきました。炎症を起こしているため涙がしょっちゅう出てきていたのですが、ハルが最期にこたえてくれたようで少しうれしかったです。
朝までずっと、ハルの亡骸をなでてあげました。午前中のうちに葬儀屋さんに連絡を取り、11時に御迎えに来てくれました。ハルを火葬するときに何か一緒にもっていてもらおうと、ピンクのバラをかい、手紙をかきました。バラは元気だったころのハルのお鼻の色にそっくりで、体の色にもとてもよく似合っていました。あいにくおしゃれな便せんなどなかったので、白い紙にハルへのメッセージを書きました。一緒にいたのはたったの5ヶ月間だったけど、うちへ来てくれてありがとう。ずっと忘れないよ、とつらつらと文章を書きました。
葬儀屋さんは若い30歳くらいの男の人で、とても丁寧にハルを扱ってくれました。その人に「穏やかな顔ですね、とっても長生きされたんでしょう」といわれました。思わず言葉に詰まってしまい、「まだ6か月の子猫だったんです」と返事をするのに時間がかかりました。火葬するのに必要な書類にも、猫の名前と年齢を書く欄があったのですが、年齢の欄は【 歳】となっていました。1歳の誕生日すら迎えることができなかったんだ、と書類を書く手がとまりました。
棺の中にハルが好きだった毛布を入れ、そのうえに亡骸をのせ、バラの花と手紙を添えました。ハルの体はもうすっかり固くなっていました。
棺は車に乗せられ、ハルはもう家のなかからいなくなってしまいました。ハルを乗せた車が遠くへ見えなくなるまで見送りました。
そうして夕方の5時30分、ハルは小さな骨壺の中に入って帰ってきました。本当に小さな骨壺でした。
そのあと、お供えする花を買いに近所の花屋さんへ足を運び、10分ほどで家に戻りました。やっぱりいつもと違うなと思いました。
玄関を開けても何もいない。あぐらをかいて座っても、膝に何も乗ってこない。野菜炒めを作ってご飯をたべていてもおかずはとられない。お風呂にお湯をためていても何も見にこない。部屋の掃除をしていても何もほうきを追いかけない。そろそろ寝ようと布団にはいっても何ももぐりこんでこない。ハルはもういないんだ、とわかりました。
FIPの診断からわずか6日の出来事でした。診断がされた日、もしかしたらハルは死んでしまうのかもしれないと思いました。先生のお話によると残された日数はたったの3週間。これから15年、20年と一緒にいるつもりだったのに。たったの3週間。
最期まであきらめない、とはもちろん思っていましたが、ハルの様子を見ているとときどきくじけそうになりました。だから、これから一緒にいるはずだった15、20年分の愛情を注ぎました。「ハル、大好き」と何度も何度も言いました。
前に実家で飼っていた犬を亡くしたとき、もう二度と犬なんか飼わないと思いました。こんなにつらい思いをするなんて、と。ハルを迎える決心をしたとき、この子が亡くなったときのショックを受け入れる覚悟は勿論していました。でもそれはもっとずっと先のことだと思っていたんですけどね。
ハルがうちにきたのが2010年の11月19日でした。ハルを迎える前、ずっと考えていました。この子が自分にとってなくてはならない存在になるのはいつなんだろうと。11月19日の段階で、たとえば何かの理由でハルがなくなってしまって、よく似た別の猫と入れ替わったとしたら、たぶん自分はあまり悲しまないだろうといったことを考えていました。ああ、可哀そうだな、という程度。実家の犬が亡くなったときのあまりのショックに、そんなへんなことを考えていました。もし亡くなった場合、愛情が大きすぎて嘆き悲しむようになるのは、その子を迎えてからどれくらいの時間がいるんだろうと。でも、うちに来たその日から、ハルは「うちの子」になりました。もうその日から、世界中のどの猫よりも長生きしてほしいと思いました。
残念ながらその願いはかなえられなかったですが、でもワンコが亡くなったときとは違って、いつかまた、ハルの弟か妹かを家族として迎えたいと思っています。犬はもう二度と飼いたくないし、他人が買っている犬に軽い愛着を持つことすらいやです。でも、今回ハルをなくし、もう猫は二度とかいたくないという気持ちにはなぜかなりませんでした。
またいつか、私の膝の上で、かわいらしい小さな毛玉がのんびりとお昼寝していることを願ってやみません。そして、ハルの弟・妹として迎えたその子に、「あなたにはこんなかっこいいお兄ちゃんがいたんだよ」と教えてあげたいです。
犬と猫でなんでこんな違いがでてくるかちょっと不思議でした。どちらも、本当に大好きでしたし、今も大好きです。そういえば、こんな文章を思い出したのですが、もしかしたらこのようなことが理由かもしれませんね。
↓
子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年期の時、子供の良き理解者となるでしょう。
そして子供がおとなになった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。
子供が生まれなければ猫を飼いなさい。
猫が赤ん坊の時、あなたは猫の良きしもべとなるでしょう。
猫が幼年期の時、あなたは猫の良きしもべであるでしょう。
猫が少年期の時、あなたは猫の良きしもべでいるでしょう。
猫がおとなになった時、あなたはやはり猫の良きしもべのままでしょう。
そして、いつかそのとき、猫は自らの死をもって
あなたのこころに猫型の穴を開けるでしょう。
その穴を埋めるには、また猫を飼うしかありません。
↑
なんかしっくりきました。ハルも、ハルの形をした猫型の穴をあけてこの家から去りました。私にとっての犬は、あのこしかいないけど、私にとっての猫は、ハルとまだみぬハルの弟や妹なんですね。
長々とよんでくださってありがとうございました。
もうこのブログを更新することは絶対ありません。でも、このブログ自体は残しておこうと思います。絶対に忘れないってハルと約束しましたから。たった6か月しか生きられなかったけど、幸せだったかな、と思える写真ばかりだから。
ハル、うちに来てくれてありがとう。一緒にいてくれてありがとう。たくさんの幸せをありがとう。いろんな人を笑顔にしてくれてありがとう。ずっと、大好きだよ。
また、いつか。