2017/03/13
真田丸の舞台になった古戦場紹介記事・第2弾です。
今回は、大河ドラマ「真田丸」でメインの舞台となった、真田丸のあったとされる場所を案内します!
真田幸村の大阪の陣における活躍は、あまりにも有名ですよね!徳川軍を圧倒的に蹴散らします。
大河ドラマを見逃してしまった方は、司馬遼太郎の歴史小説「城塞」で詳細に触れていますので、良かったらご覧ください。こちらの記事で真田丸での戦いを紹介しています。
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真田丸はどこに?
真田丸のあった場所は、諸説あって確定したものではないようですが、大阪市天王寺区にある明星中学・明星高校付近という説が一番有力だそうです。
また、ある真田丸の地図には、寺を含んだ砦のように描かれているものもあります。この付近を実際に歩いてみると、確かに回りよりもやけに高い場所に、寺や神社がいくつもあります。
この高台を利用して、寺や神社ごと要塞化したのが真田丸だったとも考えられているそうです。
これから史跡とそのアクセスを紹介していきます。興味のある方は、ぜひ一度行ってみてくださいね!
真田丸周辺
三光神社
最寄り駅は、JR・地下鉄ともに玉造駅という駅になります。地下鉄の玉造駅からが近いのでおすすめ。徒歩5分ほどです。
JRからだと、徒歩10分程度で行くことができます。
真田丸の跡地と呼ばれている神社で、六文銭に囲まれた幸村の銅像を見ることができます。
その後ろには「真田の抜け穴」と呼ばれる穴があります。
この穴は大阪城に通じていて、幸村の軍勢の通路だったという伝説が残っているそうです。
現実的にはその可能性は低く、実際には真田丸を攻めていた東軍の前田軍が、真田丸を攻めるときに掘っていた地下通路ではないかとの説が強いそうです。
いずれにしても大阪の陣のときに作られた坑道のようですね。中に入れないのが残念ですが、この場所が戦場だったことを感じられる場所です。
この区画は、回りよりボコっと突き出たように高くなっています。本拠地であっただろう部分は宰相山公園となっており、自由に入ることはできますが、その上の部分は陸軍の墓地になっています。
この辺りも、真田丸だったのでしょう。
心眼寺
宰相山公園の西側には寺がいくつか並んでいます。その中の一つが心眼寺。
ここにも真田丸出城跡という碑があります。
さらにその向かいにある学校が、明星学園です。心眼時をはさんで向かいの学園側に、真田丸の合戦を紹介した案内板と碑がありました。
この周辺は、宰相山公園を中心に、高低差が非常にあり、真田丸があったと思われる周辺をぐるっと回ってみると、息が切れるほどでした。
この場所で、幸村が「真田日本一」と言われる所以になる戦を繰り広げたと思うと、ワクワクしますね!
空堀町
坂を北へ下って、地下鉄の玉造駅方面へ向かうと、長堀通りに出ます。この周辺は空堀町という地名が残っていて、この通りがちょうど谷底のように低くなっています。
長堀通りから北面の大阪城へ向かう道はまた登り坂になっているため、ちょうどこの通りが堀のようになっていることが分かります。地名といい地形といい、ここが当時の大阪城の外堀だったことが想像できますね。
アクセス
今まで紹介した場所は、以下の地図で確認できます。赤枠で囲ってある部分です。全部ゆっくり回ると、1時間~1時間半くらいでしょうか。
↓画像クリックで拡大します。
天王寺周辺
電車で移動し、JR・地下鉄、どちらでも構いませんが天王寺へ向かいます。
ここは、大阪冬の陣では徳川家康の本陣があった場所であり、大阪夏の陣では最大の激戦地になった、天王寺・岡山の戦いの場所になります。
この戦いは、豊臣方の誤算が山積してしまった戦いでもありました。当初の作戦では、家康軍を地の利のある四天王寺付近に誘い込んで順次撃破し、陣形が伸びきったところで、騎馬隊による突撃で家康本陣を衝く。さらに、秀頼自身も出馬して味方の士気を高めて敵の士気を削ぐ、というものでした。しかし、何一つ実行できないままになってしまいます。
作戦は破綻しても、豊臣方の将兵はすさまじい勢いで一時優位に立ちます。文字通りの「背水の陣」という状況がそうさせたのでしょう。大阪城に引いたところで防御力はなく、この場所で勝敗を決するしか彼らには道が残されていなかったのです。
茶臼山
まずは、冬の陣の際は徳川家康の、夏の陣の際は真田幸村の本陣となった茶臼山へ。
天王寺動物園へ向かう出口を抜けて、あべの筋を北へ向かうと、すぐに茶臼山町という地名になります。
左手にファミリーマートが見えたら、左に曲がり、まっすぐ行くと見えてくるのが茶臼山です。
ド派手に「冬の陣 徳川家康本陣、夏の陣 真田幸村本陣」と書かれてあるので、すぐに分かります。
どのくらい広い山なんだろうと、ワクワクしながら左手の階段を登ると・・・すぐに頂上到達(笑)山というよりは丘のような感じです。
そんなに広くもないので、昔とはだいぶ地形が違うのでしょう。しかしここで幸村も家康も采配を振るったことに間違いないようです。
特に幸村の最後の戦場となった場所でもあるので、感慨深いものがあります。
茶臼山から少し北に行くとあるのが、幸村終焉の地になる安居神社です。
安居神社
茶臼山から徒歩15分程度で到着します。
幸村が本陣を構えたわずかな先に、彼の終焉の地がありました。家康の本陣に3度突撃を加え、家康に切腹を口走らせたまでの彼ですが、数の力には勝てずに押し返され、この地にたどり着きます。
疲れのあまりに腰を下ろしていたところを、越前松平家鉄砲組頭の西尾宗次という武士に見つかり、「儂の首を手柄にされよ」という言葉を残して討ち取られました。
神社の境内には、銅像と碑があります。
彼は、最後はどんな思いで死を迎えたのでしょうか?
四天王寺
今回は回れませんでしたが、毛利勝永の陣があった四天王寺もすぐそばにあります。時間があれば、こちらも回ってみてはいかがでしょうか?
天王寺・岡山の戦いは、正午頃から始まり、15時頃には勝敗がついていたといいます。わずか3時間の間に、どれだけのドラマが生まれたのか分かりません。合戦が終わった16時頃には大阪城が燃え出し、翌日には秀頼・淀殿も没し、戦国時代は華々しく終わりを迎えます。
アクセス
↓クリックで拡大します。
こちらも、紹介した場所は赤枠で示してあります。四天王寺も含めて徒歩で全部回ると、半日くらいはかかるかもしれません。真田丸の跡地を含めて一日あればゆっくり回れます。
天王寺駅の近くには、日本最大のあべのハルカスもありますし、地図で言うと左の真ん中辺に通天閣もあります。観光するにはもってこいの場所ですよ!
歴史も含めた大阪観光、ぜひ考えてみてください^^