ともあれ、「韓国大統領劇場」は、未練たらたらのままに第1幕が終了し、第2幕の大統領選挙に移った。5月9日の投開票日まで2ヵ月を切っているため、いま選挙運動中の候補者によって争われるものと思われる。
現在、「先行馬」は、左派本流で「強硬左派」と言われる文在寅「共に民主党」前代表(64歳)である。
文在寅氏は1953年1月、慶尚南道巨済郡の貧困家庭に、2男3女の長男として生まれた。慶煕大学法学部にトップの成績で入学するが、学生会長を代行し学生運動にのめり込んだため、国家保安法違反容疑で逮捕され、監獄生活を送った。それによって大学を除籍となり、強制的に軍に送り込まれる。軍を除隊後、大学に復帰し、卒業後に司法試験に合格した。
だが、前科があることで判事や検事には就けず、釜山で弁護士となった。そこで7歳年上の廬武鉉と出会って意気投合し、二人で弁護士事務所を立ち上げ、人権派弁護士として活動した。
2003年2月、廬武鉉政権発足に伴い、大統領秘書室民政主席秘書に就任。廬武鉉が大統領退任後1年経った2009年5月に自殺すると、「親廬グループ」を継承して政界に上った。2012年4月の総選挙で釜山から出馬し、当選。同年12月の大統領選挙で、朴槿恵候補と一騎打ちを演じ、約100万票の僅差で敗れた。
2013年以降、朴槿恵政権のことを、「親日政権」「独裁政権」などと非難してきた。反日、反米、親北朝鮮、親中国の傾向が強い。その辺りは、先輩の廬武鉉元大統領と瓜二つだ。
2015年12月の日韓慰安婦合意に対しては、「基本合意は無効であり、再交渉が必要」「日本側の法的な責任認定と公式謝罪がないと正当な合意とは言えない」などと発言している。
2016年11月の日韓GSOMIA(軍事情報包括保護協定)締結に対しても、「日本が再び軍事大国化の道を歩み、独島(竹島)の領有権を主張している中で、日本とGSOMIAを締結するのは適切ではない」と主張している。逆に、日本に対して好意的な発言は、これまで聞いたことがない。
現在、焦点の一つとなっているTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)の韓国配備に関しては、「私の次の政権の判断に委ねたい」としている。つまりは反対だということだ。
昨年10月、韓国で初めてとなる「文在寅スキャンダル」が勃発した。宋旻淳元外相が出版した回顧録で、2007年11月に国連で北朝鮮の人権問題に対する非難決議を行った際、廬武鉉政権の重鎮だった文氏が、その内容を事前に北朝鮮側に照会したと暴露したのだ。この一件で文氏は窮地に立たされたが、直後に「朴槿恵スキャンダル」が勃発したことで、「文在寅スキャンダル」は、いつのまにかどこかへ吹っ飛んでしまった。
文在寅候補は、「廬武鉉の同志」だけあり、基本的に「北朝鮮は敵ではなく同胞」という意識である。そのため、「大統領になったらアメリカよりも先に北朝鮮を訪問する」「(現在ストップ中の)開城公団の規模を2000万坪に拡大して再開する」「北朝鮮が主張する『連邦制』を考えてみる必要がある」などと発言している。
文在寅候補が考える外交は、廬武鉉時代に一世を風靡した「バランサー外交」の復活だろう。これは、「米日韓vs朝中ロ」という対立構造は、20世紀の冷戦時代の産物であって、21世紀には合わないという考え方だ。
「バランサー外交」では、「米日-韓-朝中ロ」もしくは「米日-韓=朝-中ロ」という図式を取る。すなわち、韓国が米中2大国の間に入って、バランサー(均衡者)の役割を果たすというものだ。
「バランサー外交」のポイントは二つある。一つは米中を等距離に見ること、もう一つは北朝鮮を敵視しないことだ。
廬武鉉政権が2005年3月に初めて打ち出した「バランサー外交」は、当時のブッシュJr.政権にとっては受け入れがたく、「青瓦台タリバン」と揶揄していた。文在寅政権が発足すれば、その亡霊のような「バランサー外交」が復活するというわけだ。
実は、「バランサー外交」の変形は、朴槿恵政権も採用していた。朴槿恵大統領は、米中を等距離に考えるという「バランサー外交」の前半部分を踏襲していたからだ。だがそのバランスを崩して、失速してしまった。そのことは後述する。