改めてまとめると、弾劾訴追の事由として挙げられた5点の憲法違反について、1から4まではシロ、5はシロとクロの中間くらいなのである。朴槿恵大統領にしてみれば、4勝0敗1分け、もしくは4勝1敗といったところだ。
だがその結果、李貞美憲法裁判所長代行が下した結論とは、いかなるものだったか。
「朴槿恵氏の行為は国民の信任を裏切ったもので、憲法を守る観点から、容認できない重大な違法行為である。憲法の秩序に与えるマイナスの影響と、その波及効果は重大であり、朴槿恵氏を罷免することで得られる、憲法を保護する利益は圧倒的に大きいと言える。
したがって、裁判官全員の一致した意見として、主文を言い渡す。『主文 被請求人である大統領・朴槿恵氏を罷免する』」
何と8人の憲法裁判所裁判官が全員、「罷免すべきだ」との判定をくだしたというのだ。
私はこの「決定」の最後のくだりを聞いていて、耳を疑ってしまった。憲法裁判所は、「憲法を守る観点から容認できない」などと結論づけていながら、実際には憲法よりも「情緒」によって、大統領を罷免してしまったのである。
こうして主文が読み上げられた瞬間、朴槿恵氏は、大統領からただの人に成り下がってしまった。そればかりか今後は「一般人」として、刑事及び民事の訴訟が待ち受けている。
私が今回の裁判を見ていて思い起こしたのは、2013年12月12日に処刑された北朝鮮のナンバー2、張成沢党行政部長の裁判である。あの時の張成沢党行政部長も、メチャクチャな罪状をてんこ盛りにされた判決を言い渡されて、処刑された。
こういうのを「人民裁判」と言う。今後、韓国は北朝鮮を、非法治国家などと言って嗤えないだろう。それどころか、誰もが独裁国家と認識している北朝鮮と違って、法治国家の仮面をかぶりながら「人民裁判」を行ってしまう韓国の方が、ある意味、歪んでいるとも言える。
実は日本人でも数年前、この韓国の「人民裁判」の被告になった人物がいる。「セウォル号事故」に関する記事を巡って、2014年から2015年にかけて、500日あまりにわたって韓国で法廷闘争を行った加藤達也・元産経新聞ソウル支局長である。
その加藤氏は、朴槿恵大統領の罷免を受けて、『産経新聞』(3月11日付)で、いみじくもこう記した。
〈 韓国では、よく自嘲的に「憲法の上に国民情緒法がある」と語られる。一度、情緒の流れができてしまうと“力”を持つ主体が次々とわれ先に世論にひれ伏し、国民情緒の前で“正義の味方”を演じ政治・社会的地位を上げようとする。
それまで大統領に忠誠を誓っていたものが手のひらを返して「民心」の下僕となる。
朴氏と記者(加藤氏)は、実は同じように「国民情緒」に翻弄されたのだった 〉
本当に、この「情緒判決」には驚いた。おそらく一番納得がいかないのは、朴槿恵氏ご本人だろう。父親は部下に、母親は市民に暗殺され、今度は自分が国民から抹殺されてしまったのだから。
ただ、韓国のために一つ弁護すると、韓国はいまだ戦時体制にある国だということだ。
朝鮮戦争は1953年に「休戦」しただけであって、64年経った現在でも、「終戦」はしていないのだ。そのため、日本のような完全な平和国家の常識から判断すると、見誤ることがままある。
実際、今回改めて「大韓民国憲法」の全文を読み返してみたが、日本国憲法とは根本から、作りが異なっている。一言で言えば、日本国憲法が「平和憲法」なら、韓国憲法はいわば「臨戦態勢憲法」なのである。ちなみに韓国は1948年に建国して以降、憲法をすでに9回も改正している。