- 1月某日
平日の深夜2時過ぎの住宅街ど真ん中にも関わらず、友人に自宅まで送迎してもらっている。別れを惜しんでいるのか、家の前でずっと会話をしている。辛い。どうせすぐに会えるじゃないか。私は明日も仕事なのに、物音で目が覚めてしまった。
1年のうちに何度か、2時間に1度同じ時間に目が覚めてしまうという規則正しすぎる睡眠不足に悩まされることがある。この時がまさにそのタイミングだった。
お願いだ、勘弁してくれ。朝も朝で、私はあなたが6時にかけた目覚まし時計の音で目を覚ますんだ。
というか、車で送ってくれる友人がいるのか、すごい。マイルドヤンキーじゃないか。なんで横浜市内に住んでいるのに車移動なんだ。窓からのぞくと、もちろん友人はグレーのスウェットだった。キティちゃんのサンダルは確認できず。
- 1月某日
目と鼻の先の、彼女の部屋で小一時間ほど男性と電話をしている。1時間も、しかも電話越しに人と話すことなんてあるんだろうか。声がMy Bloody Valentineくらい大きい。
私は、電話越しの男性の低い声はどうしても聞き取りづらく感じてしまう。Skypeなんて最悪だ。少しでも笑いながら話したり、早口になったりすると何を言っているのかわからなくなる。低い声の聞き取り辛さを彼女は感じたりしないのだろうか。そして性別で人を分類してみた時、「女性」と話をしたいことはあっても、「男性」と話をしたいことってあまり見当たらないな、なんて思う。
そもそも、電話がどうも苦手だ。高校生の頃は月額1000円程度を払えば通話し放題を売りにしていたウィルコムが流行し、友人たちは電話をしよう、という意味合いで「今日の夜コムしよ!」とかなんとか言っていた。けれど、毎日毎日顔を合わせ、そして皆同じような変化のない日々を送っているのに、わざわざ電話で話さなくてはならないことなんてあるんだろうか。
更に友人たちは、「昨日あの子と3時間もコムしちゃったから寝不足でさあ~」と言いつつ、現代文の授業を始めから終わりまで、ぐっすり眠っていた。私はすべての授業を寝ていたんだけれど。寝不足になるまで、3時間も一体何を話すんだろう。端末が熱くなり、話の内容も落としどころがなくて、イライラしたりしないのだろうか。
高校生だった当時、そんなことを考えていたことを思い出す。
長電話が好きな女性は今まで沢山見てきたし、結論のない電話に付き合わされたこともあったけど、電話が好きな男性は珍しい。絶滅危惧種なんじゃないかな。
- 1月某日
私服が絶望的にダサい。
- 2月13日
バレンタイン用のお菓子を作っていた。どうやら、チョコレートケーキらしい。彼女は料理やお菓子作りが好きなようで、たまに作っているところをよく見る。しかし、自分で食べる訳ではなく、大量生産をして友達に配布している模様。バレンタインでなく、なんでもない日であっても。ふーん。凄い。他人のためによくそこまでするな、と姉は思う。
因みに姉である私もお菓子作りが好きで、自分で作っては食べ、作っては食べ、を繰り返していた。しかし、お酒を飲むようになってから甘いものを食べたいという欲求がなくなった。酒を飲むようになると、食の趣味も変わるというのは本当らしい。
料理もそこそこできるけれど、究極のバカ舌なのとどうしても片づけができない人間なので、夜ご飯は大体豆腐と納豆と味海苔と甘酒にビール。たまにキムチや生ハム、卵を落とした雑なスープなどを食べる。なんだ、この食生活は。どんな料理でも、醤油かマヨネーズがかかっていれば美味しく感じる。更に卵でとじればパーフェクト。因みに今日は、ビールに甘酒、生ハムと納豆という夜ご飯。美味しい……。
前から疑問だったが、「料理が上手い」の定義って何なんだろう。レシピ通りに料理が作れること?冷蔵庫の余りもので美味しいご飯が作れること?それとも、自分の満足できる料理ができること?
中身が適当そしてがさつであるため、「料理もお菓子作りもたまにするよ」というだけで驚かれる。是非ともギャップにときめいてくれ。
- 2月某日
私服がダサかった。
- 2月某日
LINEの着信音がうるさい。以前から何度も「マナーモードにして」とお願いをするも、改善されず。もう諦めている。
- 2月某日
帰宅後すぐ、母親に今日あったことをすべて報告している。話に起承転結がなく、起承起承起承転承承で、「え?今の話、人に言う必要あった!??しかもお前が話してるの、母親だけど…?」と毎度のことながら心の中で突っ込みを入れつつ、驚いている。
「この時に友人がこんなことを言った」「中学のあの子、今あそこでバイトしているらしい」「大学で友達がうざかった」「あれがどうでむかついた」「大学の友達がこんな人と付き合っててやばい」云々……というクソどうでもいい話が矢継ぎ早に飛び出してくる。凄い。
なぜ、自分で落としどころを見つけられない話を、全く関係のない人にできるんだ。どうして自分のどうでもいい話を人が普通に聞いてくれると思うんだ。その自分の中で整理しきれていない話は、どこから出てくるんだ。「お前の話、本当につまらないな」と言われたことはないのか?ないな。ないよな。ないから、こんな死ぬほどどうでもいい話を人にできるんだ。頭の構造が違い過ぎる。血がつながっているはずなのに、ここまで思考回路が異なるのかと心底感動している。
しかし、家族にほとんど自分の話をしない姉に対して、この妹なんだから、きっと親としては妹の方が可愛いんだろうな、なんて思う。そりゃつまらない話も聞くよね……。
母親は、私がどこで何の仕事をしているのかすら知らない。多分、友達の名前も誰一人として知らない。母親との関係性は、これくらいがちょうどいいのかな、と私自身は思っている。通常の親子ってどうなんだろう。お互いに、どこまで知っていて、どんな会話をするんだろう。
- 2月某日
服がダサい。履いているスニーカーもなんだかイマイチだった。でも、肌がきれいなのでめちゃくちゃむかつく。
- 3月某日
月9を見ていた。視聴率約5%の貴重な視聴者が、我が家にはいる。
大人になってからというものの、本当にテレビを見るという習慣が自分の中からすっぽりと抜けてしまった。仕事が終わってからまっすぐ帰ることもあるけれど、友人と飲んだりライブに行ったりと、スケジュールがまちまちであるため、毎週同じ時間に同じ番組を見るということができなくなってしまった。さらに我が家の録画機能付きDVDーは故障し、放置……多分誰も買わないんだろうな。
前のテレビが壊れてしまった際、「うちの家、誰もテレビ見ないし、なくてもいいのでは?」という話になったのだが、私と弟は家にいる際ほとんど話をしないため、無音がキツい。リビングにいると、ほんの10分で心がジリジリと何かに追い詰められていくような感じがする。個人的には朝の時間にぼーっとしていてもなんとなく世の中の情報を知ることのできるものがないのもダメなんだな~……と思っていた。ので、今のテレビを購入。逃げるが恥だが役に立つも、東京タラレバ娘も、う~~~っすら記憶にあるが、きちんと見た記憶がない。すみません、ただのテレビ見ない自慢です。
- 先ほど
やはり私服がダサい。お洒落なんてそれぞれの界隈になんとなくのドレスコードがあるから、お洒落/ダサいの評価は、その界隈や時代によって変化していく。今の大学生の間では、あのようなダサいファッションが流行っているのかもしれない。私にはわからないだけで。
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私には大学生になる妹がいる。そして、横浜市内の住宅街にある小さな一戸建てに、母、私、弟、妹という4人で一緒に暮らしている。でかい犬も3匹ほどおり、リビングを圧迫している。
我が家は、恐らく他の家庭と比較してそれほど仲が良くない。弟と妹の連絡先を知らない。ここ最近、一緒に食事をした記憶もない。でも、人間関係が希薄な私にとってはそれくらいがいいし、少し気に入っていたりする。
もういい年齢だし、一人暮らしはしたい。でも、私が家を出てしまうと犬の散歩に行ける人がいなくなってしまうため、どうしたもんかと真剣に悩んでいる。私は犬が大好きだ。愛している。いなくなったらきっと精神を病んで死ぬ。
我が家には父親がいないのだが、父親との離婚調停の結果、今の家にいられるのは妹が社会人になるまで。家族が分裂するのも、それからでいいんじゃないかな。「家族は離れてから仲が良くなるよ」ともいうけれど、うちの家庭もきっとそうで、多分5年後10年後くらいにお互いがお互いを思い遣れるようになっている…はず、だと信じたい。
私は、妹が昔からあまり好きではなかった。馬が合わないなあとも思うし、すべてが気に食わないなあとも思う。私の方が随分と年上で、妹に対して大人になり切れていないと言えばそれまでの話だけれど、まるで別の生き物みたいに感じている。
まともに会話をした覚えが本当にない。母親曰く、「あんたが毛嫌いしているからでしょ」「関係を悪化させるのは全てあんたのせいじゃないか」らしい。そうか、そうなのか。でも、当人同士じゃないと分からない関係というものが必ずある。他の人が全く理解できないとしても。
同じ両親から生まれ、同じ環境で暮らし、同じ教育の中で育ち、そして毎晩同じものを食べてきたはずだった。それなのに、妹と私は顔も性格も価値観も、全てが異なっている。気がつけば、他人よりもずっと近づくことが難しい、未確認生命体みたいな存在になっていた。
妹は、常に誰かと一緒にいること、コミュニケーションを続けることが趣味であるようだった。
だから、私にはどうでもいいと思える他人の話をするのは、私が友人と「あの映画、よかったよね」「あのバンドのCD買った?」と話をするのと同じだ。そして、常に人と連絡を取り合うのも時間を埋めるために私が小説を読むのと同じだ、きっと。
月9のドラマを見たり流行の音楽を聴いたりするのも、自分の周囲の人と話をする話題として適していたから。お菓子を作って配るのも、さらに趣味を突き詰めるための一歩に過ぎないんだと思う。
それに引き換え私は、人ときちんと関われるようになったのもお酒を覚えてからだった。
一人でいることに随分と慣れてしまったし、お酒がない時に他人とどう接していいのかがわからない。時間があれば本を読んだり、映画を読んだり、文章を書いたりして過ごしている。旅行も、ライブも、美術館に行くのも、一人だ。
人と、誰かといることは楽しい。一人でいるうちは知らなかった沢山のことが分かってくる。友人といると、笑ってばかりいる。とても楽しい。大人になってから、心の底からそう思えるようになってきた。しかし不思議なことに、一人でいる時間をきちんと作らないとどうしても心の調子がくるってしまう。どこかできちんと帳尻を合わせないと、ダメになってしまう。
人といる自分や友達と笑っている自分を、どこか客観視して「馬鹿じゃないの?」と嘲笑っている自分がどこかにいるし、楽しい瞬間の直後に来る冷静さや悲しみの波みたいなものが襲うとき、私の中の楽しさみたいなプラスの感情が無理矢理抑え込まれる。そんな気がする。
部屋はその人の頭の中や性格を表す、という。妹の部屋は、友達との写真や色紙が壁一面に貼り付けられ、そして今でも続けている部活の思い出で満ち溢れている。私の部屋はどうだろう。おびただしいほどの本とCD、そして洋服。物にあふれている。その代わりに、写真や色紙は1枚もない。学生時代の忌々しい思い出はすべてごみ箱に捨てた。
この部屋の差が、妹と私の個性を上手く表現していると思う。
私は、自分で自分を幸せにすることができるのだから、それでいいと思っていた。人にどんなことを言われようが、自分の好きなことを自分の力で見つけて、躊躇することも怯えることもなく近づくことができる。自分ひとりだけで、もっと知りたいことややってみたいことがまだまだ沢山ある。それでいいと思っていた。
そんな中、他人と一緒の時間を過ごすことでしか個を見いだせない妹を「可哀想だ」という感覚で見ていたことも多少はあった。私がそう思うのと同じくらい、多分妹も私のことを恋人も友達もいない可哀想な人間だと思っているのだろう。
しかし最近は、妹の方がきっとずっと幸せに近いところにいるんだろうと思う。
幸せが、個人によって違うことは知っている。私はたまたま、自分の好きなことに囲まれた生活を好み、妹は誰かと一緒にいることが楽しくて好きなように生活をしているだけだ。私はそんな妹を、ほんの少しだけ羨ましく感じるのだった。人を羨んだところで何にもならないのもわかっているけれど。
私は私だけにしか満足の行く生活ができない。大人になればなるほど、自分だけの幸せだけじゃだめで、両親や友人、周囲の人に自分の幸せの断片を少しずつ切り取って分け与えなければいけないことがなんとなくわかってきたのに、私にはそれがどうしてもできない。「ひとりで生きていけたらいいのに」なんて、本気で思ったし、今でもそう思う。でも悲しいことに、ひとりで生きてはいけないことが年を重ねるごとに分かってくる。この前祖母に「ひ孫が見たい」「友達にはみんなひ孫がいる」と言われた時、なんとなくそう思った。
私の母親は離婚、いとこはDINKSと独身を貫いている人が上にいるため、誰かに口うるさく「結婚しろ」と言われることはないけれど、多分普通の環境ならもっと強く感じていたはずだった。
母親は「生きていればそれでいいよ」というけれど、多分それだけじゃ心配なんだろうと思う。「もしも自分に何かあったときのために」と、自分がいなくなった日のことを想定し、少ないながらも貯金をしていることを私は知っている。離婚してしまったことやとんでもない父親だったことを負い目に感じているからこそ、結婚や私の価値観に関して口うるさく言えないことも、なんとなくわかっている。
今はいいんだ。不満を抱えつつも仕事がある。少ないながらも、ちょっとだけ贅沢できるくらいのお給料をもらっている。好きな音楽を聴いて、本を読んで、映画も見て。友達とお酒を飲んで、つまらないことにゲラゲラ笑って、ごくたまに真剣な話をして。小さな世界で、満足に生活している。このままが続けばいいのに、と思う。けれどもずっと同じ状態が続くことはないだろう。ひとりを好み、ひとりの慣れてきたのに、いつかそのうち孤独に殺されそうな気がしている。
少し前に、友人から「あんたの将来、結婚しているよりも、30代になってから性欲が爆発してありとあらゆる男とヤリまくっている方が想像できるね」と冗談交じりに言われたことがあった。私もそう思う。自分のしたいことをする「人としての幸せ」。男の人と結婚して家庭を築く「女の幸せ」。どうやってバランスを取って、どちらを優先させたらいいのか、ごくたまに考えることがある。私は、自分が誰かと同じ時間を過ごすこと、誰かを受け入れていることすら想像ができない。自分の好きなことをして生きていくこと、そして誰かと幸せに暮らすこと。両方が叶えばそれでいいんだろうけれど、贅沢なんじゃなかろうか。きっと私には到底叶わない。
MONO NO AWARE - 井戸育ち(OFFICIAL VIDEO)
今は、これを聴いている。
篠山紀信展にも行った、ひとりで。
シーシャも吸った、ひとりで。
これは友達と。