これだけは未だにどうしようもないな、でもどうにかならんのかな?と首を傾げるのだが、原則、人は他人の気持ちを解る訳がないし、自分の気持ちを他人に理解させられる訳がないと思っている。

どう考えても非合理的だし、非科学的だ。
僕は少なくとも、そんなテレパシーみたいな技能は持ってない。

だから僕は筋と道理を大事にする。
もちろん人には感情(情)というものはどうしてもあるのだし、それが言動からにじみ出るのはしょうがないと思う。泣いたり笑ったりするのは自然の生理だ。

しかし、それで議論を突き崩せると思うのは大間違いだ。

僕は自分の「気持ち」が人に理解されなくても当たり前だ、と思っている。
でも僕は、筋と道理を一番大切にするはずの、弁護士やら政治家やらにはならなかった。なぜか?

「感情」があるのはしょうがない、と心のどこかで思っているからだろう。

だから僕は、「感情」を「想い」と変換して表現する、クリエイターの道を選んだ。
この不条理極まりない世界を自分の中で容認するためには、これしかないと思ったのかも知れない。

自分の「感情」をコントロールできる、上手くいなすことができる方法を模索してきたのだ。


でもね、繰り返し繰り返し言ってるけど、これだけはもう一度言っておく。
お前の気分なんか知らん。お前の機嫌なんか知らん。
知る訳がない。