星空文庫
ウサギの賢者と新人兵士のアルスくん
マフツ 作
これはこの国にある絵本の物語。
これはこの国にある絵本の物語。
ずうっと昔のお話です。
この世界を、父となる神様から与えられた1人の女神さまがいました。
女神さまには、父となる神様から世界を良くするためにお手伝いとして、男の子の天使が側にいました。
男の子の天使は双子で、弟の方でした。
お兄さんの天使の方は、とても強くて輝いていて、弟の天使にも、どんな生き物にも優しくて、弟の天使は本当にお兄さんが大好きでした。
けれど、弟の天使が世話をする女神さまと、世界が揺らいでしまうような、それは"大きなケンカ"をしてしまいました。
父となる神様は、お兄さんの天使だけを怒って、とてもとても冷たい大地の下にある氷の世界に閉じ込めてしまいました。
弟の天使は、沢山泣きました。
お兄さんと同じ空色の瞳から、ポロポロと沢山の涙を流しました。
弟の天使を心配して、優しい天使や、逞しい天使が慰めましたが、涙を止める事が出来ませんでした。
それほどお兄さんの事が、本当にとても大好きだったからです。
ただ、泣きながらも女神さまのお世話や、お手伝いはキチンとしました。
弟の天使は、《自分がしっかりしていれば、父なる神様が、ケンカをしてしまったお兄さんを許してくれて、いつか会わせてもらえる》と信じていたからです。
長い時間が過ぎました。
女神さまはいつの頃からか、世界に住む人達から『大地の女神』と呼ばれるようになっていました。
ただ、女神さまと、弟の天使の男の子はどれだけ長い時間一緒にいても、仲良しになれていませんでした。
その為かどうなのか、人間同士の諍(いさかい)いや争いが絶えなくて、寧ろ増えていたりしていました。
世界を形造る手伝いをしてくれる精霊達が、騒いだりして、世界は落ち着きませんでした。
そんな落ち着かない時間ばかりの世界に、1人の人間の旅人が、女神さまと天使の前に現れました。
天使は、とても驚きました。
その旅人は髪の色は鳶色ですが、瞳はお兄さんとそっくりな空の色に、お兄さんとそっくりな自信に溢れた「アッハッハッハッ」という笑い声を上げる人だったからです。
女神は、凄く嬉しくなりました。
旅人は明るくて優しくて、少しも押し付けがましくなく、女神に話しかけてくれました。
固く、頑なになっていた女神の気持ちを、ゆっくりと解していってくれました。
旅人は時にウサギのように跳ね回り、共に女神と大地に足をつけて歩いてくれました。
女神は旅人が共に歩いてくれている時、風に靡く旅人の鳶色の髪がフワフワした姿が、一番大好きになりました。
女神も天使も、旅人がいるときは互いに正直になる事が出来ました。
旅人を介して、女神と天使が仲良くなるにつれて、世界は平和に穏やかになっていきました。
けれども、旅人は"人"なのでやがて命はつきます。
旅人は"西の最果て"という場所に向かうと言い残し、旅立ち、辿り着いたかどうか、天使と女神にはわかりません。
けれど、旅人が命の灯を燃やし終え、穏やかに眠りについたのだけは、精霊達の囁きでしりました。
女神は旅人が"眠って"から気がつきました。
旅人を愛している事に。
天使は旅人に教わりました。
兄に会いたいのなら、役目を果たし、待っているだけではダメなのだと。
―――そして、世界の人々は、旅人に感謝しました。
争いが起こる度、旅人が魔法や知恵でもって、世の中を平和になるように尽力を尽くしてくれたから。
そして、この世界から女神は姿を消します。
"――旅人に出逢う為"、と、初めて出逢った場所へ向かうと言った言葉を残して。
天使も姿を消しました。
"――兄に会うために、天使の名前を、一つ捧げて、探す糧とします"と、こちらも不思議な言葉を残して世界から姿を消しました。
そして残った人々は、旅人に『英雄』という称号を捧げました。
そうしてそれから、世を安寧に導かんと活躍する「人」を、人々は英雄と呼び続けるようになりました。
そして、長い長い時間が過ぎて――――。
幾たびか大きな争いが起こり、
数百年安寧の時間が過ぎて、
また戦が起こりを繰り返し
この物語が始まる、『セリサンセウム王国』という国には、4人の英雄がいる事になっていました。
配属先到着
王国歴2018年春の季節。
空色の瞳を持つ少年が配属されたのは、住んでるセリサンセウム王国でも、最高峰に賢いと言われる賢者の「護衛部隊」でした。
「え~っと。ここだな」
王都である城塞都市からそんなに離れてはいないのに、鬱蒼と繁る大きな森の小道を抜けたその先、鄙びた印象を与える田舎風ながらも大きな屋敷があった。
その入り口の前に、新人兵士のアルス・トラッドが必要最低限の荷物を背負い、佇んでいる。
屋敷の周りは、ぐるりと植木で上手い具合に垣根を作り出し、囲まれていた。
垣根の切れている部分が入り口の様ではあるが、呼び鈴らしい道具は見当たらない。
「すみませーん!」
取敢えず、呼び掛けるがアルスの声が木霊するだけで、眼前に広がる屋敷からの返事はなかった。
「勝手に入ったらいけないだろうし。配属時間の連絡がいってないのかな?」
(少し屋敷の中を覗いてみるか)
そんな事も考えていると、植木の根がニョキニョキと大地から姿をだし、アルスの足首に向かって伸び始める。
「―――え?」
そしてアルスが気がついた瞬間、根は"シュルン"と空を切る音と共に足首に素早く巻きつき引っ張った。
「ぬわっ?!」
アルスは間抜けな声を出して、見事に前のめりに、土ぼこりを濛々とあげ、突っ伏す様に転んだ。
自分ながらに随分と間の抜けた格好だと、新人兵士は思う。
(油断したなあ、これって"魔法"だよね)
「あ~あ、魔法解く前にはいるから」
凹んでいると呆れの気持ちを大いに含んだ、鈴が鳴るような可愛らしいくも聞こえる少女の声が、地べたにつっぷすアルスの頭上からかけられた。
転倒したままのアルスが上げる視線の先、恐らく声の主と思われる、少女の細いくるぶしに形の良い脚が、空色の瞳に写った。
「"新人兵士さん"は、女性の脚がお好きなんですか?」
明らかに棘を含んだ言い回しに、アルスは少しだけ怯みながらも急いで顔を上げた。
「ち、違います!うわあっ!」
否定の言葉を言った途端、まだアルスに絡みつく木の根がグイグイと足首を引っ張っぱり上げる。
流石に無抵抗な新人兵士が引き摺られる姿は、鈴のような声の少女の良心を痛めたらしい。
「賢者さま~、魔法といてください!」
可愛らしいながらも良く通る大きな声で、アルスの配属先となる屋敷に向かって少女は呼びかけた。
パチン
弾けるような音が響いたと同時に、アルスの足首に巻きついていた根っこは、再びシュルンと短い風を切る音を出して、漸く外れてくれた。
「やっと外れた」
心の底からほっとしながら、アルスは座り込んだままで、木の根が巻きついていた事で、軽い痛みの残った足首を擦る。
「そろそろ、立っては如何ですか」
座り込んでいたアルスの目の前に、この国の国教である宗教の巫女の衣装を身に着けた少女が、先程見えた華奢な両足を踏ん張るようにして立っていた。
一般的に"美少女"と表現しても全くおかしくない、そんな女の子が腕組みしながら、明らかにアルスを睨んでいる。
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(何か、失礼な事を自分はしてしまったのかな?)
そんな事を冷静に考えながら見上げる巫女の女の子は、柔らかそうな明るい桃色とも薄紅にも見える髪に、気が強そうな緑の瞳が印象的だった。
「あ、スミマセン」
とりあえず謝りながら、気の強そうな様子に少しだけ圧倒され、アルスは軍服についた砂を叩き落とし、立ち上がる。
「お、お見苦しい所を見せました」
慌てながらも慇懃な新人兵士の態度に、巫女の少女は今までの表情を一変させ、ニッコリと笑う。
「新人の軍人は、礼儀正しいってホントね。賢者さまがおっしゃっていたとおりです」
少女は笑ってはいるが、やはり敵意みたいなものをアルスは感じる。
「は、はあ」
「"ぐんれき"を重ねるごとに、勘違いする事がないように、あなたは気をつけてね」
「はい」
明らかに年はアルスの方が上なのだが、鈴がなるような美少女の声には、不思議な威厳があって、素直に返事をしてしまっていた。
「"新人兵士さん"、賢者さまがお屋敷の賢者さまの書斎にて、お待ちです。どうぞ、奥に進んでください」
そう言って美しい巫女の少女は、今までの態度から信じられないくらい恭しく、アルスに小さな頭を下げて礼をする。
「賢者さまの使い魔、金色の"カエル"が、新人兵士殿を賢者さまの書斎へと案内いたします」
「金色の、カエル?」
軍学校ではも聞いた事もない使い魔の種類に驚いていると、空色の瞳の前で空が、波打ち揺れる。
その揺れの中心が、歪んだと思った瞬間に金色のカエルが、水面から飛び出るようにして突如姿を現し、新人兵士と巫女の間を空中で"佇む"。
金色のカエルは、横に長い瞳でアルスをチラリと見てから、水の中を泳いでいるが如く、空を掻いて屋敷の奥へスイスイと進み始めた。
少しだけ呆ける新人兵士に、美少女の巫女が声をかける。
「早くしないと使い魔のカエルさん、見失いますよ。賢者さまのカエルさん、結構気まぐれなんです」
「あ、はい!」
アルスが気がついて、小走りに走り出すのを見てから、更に
「あ、あと、使い魔のカエルさんの側にいないと、またお屋敷を守る魔法が働いて、お婿さんにいけないような事が身におきますって、賢者さまが言っておきなさい、って言うの忘れてました」
と美少女による"忠告"の声がアルスの耳に届く。
「そっちを先に言ってください!」
先程の容赦ない、木の根の巻きつきと、強気な巫女の美少女の態度から、多分冗談ではないと察した新人兵士は、自分の上司の使い魔だという金色のカエルに向かって、全力疾走を始めていた。
上司と初対面 金色のカエルから、離れないようについて行くアルスでした。
「うわぁあ」
金色のカエルがスイスイと空を泳ぎながら進む速度は、アルスが普通に歩く速さであったので難なく追いつくことも、お婿に行く未来も守る事が出来た。
感嘆の声をあげたのは、魔法が全く得意ではないアルスでも分かる程、魔法の力が、賢者の屋敷に張り巡らされていた事からである。
それは勝手に掃除しながらもちょっかいをだしてくる箒だったり、アルスが通りすぎると隠れるように、シャーッと音をたてて畳んでしまうカーテンだったりと、どちらかと言えば幼い子どもにむけた絵本の中にある、御伽噺を連想させるものばかりだった。
「ゲココッ!」
そうこうしてアルスが魔法屋敷に感嘆している内に、金色のカエルが一声高く鳴いて、あるドアの前の空中で止まった。
カエルとアルスの眼前にはドアノブの所に、オタマジャクシの彫り細工が施されている、重厚な木のドアがある。
よくよく見てみれば、ドア全体のが大きな池をモチーフにしたデザインだとアルスは気がついた。
「ゲコ!」
再び一声鳴くと、目の前にある池をデザインされドアにカエルは"飛び込んだ"。
「ええっ?!うわあ」
アルスが驚きの声を後目に、金色のカエルは最初からドアの模様細工であったかのように、溶け込み模様となった。
扉に金の体の色をしたカエルのデザインが、恰も最初から施されていたような状態に、アルスは激しく瞬きを繰り返すばかりだった。
「驚きっぱなしの"新人兵士くん"。ドアは開いてるよ、遠慮しないで入ってきなさい」
扉に越しに穏やかに感じられる男性の声で呼ばれて、アルスは身嗜みを軽く整えた。
(失礼がないようにしないと)
緊張に少しだけ手を震わせて、オタマジャクシのドアノブに手をかけて、アルスは凛々しく声を出した。
「失礼しま―――って、アレ?!」
ガチャっと音がして、開こうとするドアが開かない。
(あれ?押しても……引いても開かない)
アルスが数度ノブを回して、もう一度推しても引いても、やはりドアは動かない。
「あ、そこね、ドアノブ掴んでから回して、横に滑らせる"引き戸"だから」
中々茶目っ気のある様子の"上司の声"が、聞こえた。
「失礼します」
アルスは告げられた通り、ドアノブを回し、スーと横にスライドさせて漸く書斎の入り口を開いた。
引き扉と共に、軍靴の踵をカチリと合わせた音を鳴らし、入室する。
「本日をもって、賢者様の護衛部隊に配属されました、アルス・トラッドです」
敬礼をビシッとして、言ったアルスの視線の先に、人の姿はなかった。
薄暗い部屋。
美少女が言う書斎には、両サイドに大きな本棚があって、その全てが様々な本で埋まっていた。
そして、それでも納まり切らずに、積み上げられている書籍も部屋のあちこちにある。
アルスの視線の先には、部屋の一番奥に設置されている大きな机があって、多分揃えて造られている豪勢な椅子があった。
椅子の正面は、入り口の方を向いている。
その豪勢な椅子の正面の場所に座しているのは、幼児くらいの大きさで緑の洒落たチョッキとコートを着せられた、フワフワな茶色の毛が印象的な小さい丸い眼鏡をかけた、ウサギのぬいぐるみ。
(賢者殿は、隠者の類なのかな)
兵士の基本を叩き込む軍学校では、アルスは敬愛する男の癖に美人と評判の上官が、
『学者・賢者の中には人との接触を極端に嫌がる"隠者"もいます』
と座学で教わったのを思い出す。
どうしても人と話すのが苦手で、わざわざ姿を消す魔法を会得する術者もいるらしい。
『姿を消す魔法を身につける努力をするぐらいなら、対人コミュニケーションを磨く努力をしたらどうなんでしょう。
賢いとされるなら、そんな努力をした方が、理に適っていると気が付かないのでしょうか』
話を聞いた時、思わず魔法が全く不得手なアルスはその意見を、美人な上官に言ってみる。
困った笑顔を浮かべられて、優しく白い手袋を嵌めた手で、頭を軽く撫でられた。
『そこは、君が"剣技は優秀だけれども魔法が苦手"な所と、"魔法が得意だけれど人と話が苦手"という風に考えてみてください。
私は、人との関係や繋がりをどのように築くのかも、一種の才能だと考えています。
だから、その賢い人は自分の才能にあったやり方で、その方法を選んだのだと私は、考えました。
ただ賢いだけでは、受け入れられない事もあると弁えていない人にそこまで気を使うのは如何なものかと思いますけれどね』
優しい言葉でいて、相手に見切りをつけている冷えた言葉に、その時は少しだけ心が寒くもなったが、冷静にもなれた。
「賢者殿、姿を隠す魔法をお使いですか?」
ただ、今はこのままでは埒があかないので、アルスは敬礼したまま尋ねる。
「体、休めていいよ。ワシ、堅苦しいの嫌いなんだ」
声の主はアルスの問いには答えず、敬礼を止めさせた。
敬礼を止めて、アルスは声の発信源を探す。
(確か、あのぬいぐるみの方から聴こえてきたような)
しかし、ぬいぐるみの方からは人の気配らしいものはしない。
「姿を消すなんてそんな面倒くさい事、ワシはしないよ~」
(人はいない、あれ?)
椅子に座っている、丸眼鏡をかけたウサギのぬいぐるみの口元が、ダイナミックに動いたようにアルスには見えた。
ちなみに今は、逆三角形の鼻をヒクヒクとさせているように見える。
(やっぱり昨日、1人で配属先に行くのに緊張して眠れなかったからかな)
「いけない、疲れている?!」
アルスは、自分にしか聞こえないくらいの小さな声量でそんな言葉を思わず口に出していた。
「そんなにお疲れなのかな?」
(うわ、やっぱりダメだ。メガネウサギのぬいぐるみが心配そうな顔しながら、自分の前にたってる、いや、浮いてる!)
「んーっと。さっきから心の声が、顔の表情でだだ漏れだぞ、アルス・トラッド君」
丸眼鏡をかけたウサギのぬいぐるみが、本当に宙に浮いてアルスの目の前にいた。
「うわああああ?!」
アルスは大声を出して、思わず後ろに仰け反ってしまう。
「はい、こんにちは」
ぬいぐるみとばかり思っていたウサギは、余裕綽々といった感じに、ポテっと書斎の床に足を着けて、仰け反っているアルスを見上げた。
そして後ろ手に肉球がついた手を組み、二足歩行で元いた椅子のある場所に戻る。
「よっこらせっ、と」
と、少々年寄りくさい声を出してピョンとジャンプして、最初のように椅子に座った。
「アルス君、配属先へ到着、ご苦労さん。ワシが、君の上司となる"賢者"だ」
ウサギは、つぶらな瞳を細くし、口角を上げて、どうやら微笑んでいるらしい。
「うっ、うさ、ウサギが」
新人兵士が驚き言葉がどもるのも、どこ吹く風とクルリと椅子が廻して、ウサギはアルスに背を向けた。
「ん?ウサギが喋っちゃたら、そんなにショックだったかな?。
こう言っちゃなんだが、姿隠してる"賢者"達よりは、ワシの方がまだマトモとは思うがね~」
アルスは驚きで鼓動の早まるのを体感しつつ、胸元を手で抑えて、仰け反っていた体勢も戻し、やっとの思いで声を出して尋ねる。
「その姿は、魔法なんですか?、えっと、魔術?」
「うん。魔法というよりは魔術~、この国では禁術だよ~」
そう答えたウサギの上司は、何やら書き物を始めたらしい。
椅子に座った後ろ姿しか見えない、アルスの方からでも、長い羽ペンが動いているのが見えた。
(あっ、誰かきた?)
後方に軽い足音を感じて、アルスは機敏に振り返る。
書斎のドアがスライドして開き、巫女の美少女が紅茶や軽食を乗せたトレイを抱えて、慣れた様子で入ってきた。
「新人兵士さん、無事にお部屋につきましたね」
少女はトレイを賢者の巨大な机の上に置き、華麗にポットを持ち上げ金色の紅茶の滝をカップに注ぐ。
「アルス君、その子は私の秘書のようなもので、立場としては教会から派遣してもらっている巫女のリリィだ。
この配属先で唯一の君の"同僚"、よろしく頼むよ」
ウサギの上司は、振り返ることのないままアルスに説明をする。
「よろしくね、アルス"くん"」
再び紅茶をカップに注ぎながらリリィは、可愛い笑顔をニコリと浮かべた後、先ずは最初にカップをウサギ上司の側に置いた。
「唯一の同僚って」
確かアルスは"賢者の護衛部隊"に配属された、ハズである。
「早い話が賢者さまの"お手伝い"ね。そんなに忙しくない"仕事場"だから、安心して」
リリィがバッサリと"護衛部隊"はなく、アルスは"お手伝いが仕事"であると言いながら、丁寧にいれた紅茶を渡してくれた。
「ありがとう」
アルスが素直に礼を言うと、強気な美少女は少しだけ驚いた顔をして、緑色の瞳を丸くする。
どうやら、強気な自分の態度に何か言い返してくるかぐらい構えていたが、アルスが何も返してこないので、罰が悪そうな様子のリリィである。
ウサギの上司は、部下となる少年と少女のやり取りを、長い耳で楽しそうに聞き取りながらも、羽ペンをスムーズに動かすフワフワとした手を、止める事はなかった。
「アルス君には、この屋敷の警護、ワシの出張の荷物持ちや、買い出しの時にリリィの荷物持ちや、何かの時の荷物持ちをしてもらう事になると思う」
明らかに"荷物持ち"を強調した仕事内容をアルスに告げ、ウサギの上司は漸くペンを止めた。
「これでいいだろう。アルス君、仕事中やこの屋敷にいる間はこれを着けなさい」
再び椅子がクルリと回転して、ウサギの上司が手にしていたのは腕章だった。
フワフワの上司の手(前足?)から渡される腕章は、外側は青い布を基調としたこの国の旗印である"向日葵と獅子"と、旗印の側に寄り添うように"楓の中に鎮座する金色のカエル"が刺繍がされてあった。
肩に停める為の紐は、鮮やかな翠に染められていて、内側は白地の布に、細かい文字で魔術で使われる特殊な文字と図形が描かれている。
ただ最後に書いてある文字だけは、"アルス・トラッド"とアルスでも読めた。
「この屋敷は、魔法屋敷だからね。
ワシが実験や何やで家具や道具にかけた魔法が、色々悪さする事があるらしい。この腕章を着けていれば、この屋敷からはイタズラはされないし、アルス君が"賢者に仕える護衛騎士"の証となるから、大事にしてね」
フワフワの指先から出た、細い鋭い小さな爪をチョイチョイと動かして、アルスに早く身につけるようにウサギの上司は促した。
アルスは早速腕章を左腕に通し、肩の釦で紐を止めると、パチパチとウサギの上司が、肉球が満載な両手でアルスに向かって拍手を送り、リリィも上司に倣うように、小さな手で拍手を始めた。
「格好いいし、似合ってますよ」
ついでに極上の可愛らしい微笑みを浮かべ、リリィが新しい"同僚"を誉めた。
「ありがとう」
褒めの言葉に、アルスが素直に照れていると、
「いいえ、気にしないでください。社交辞令ですから」
と、リリィは目元は弛めずにまた笑った。
「あっ、その社交辞令でも、そのどうも」
アルスが何とかそう返すと、ウサギの賢者はポリポリと鼻先を堅い爪で掻き、
「アルス君。まあこんな感じの娘だが、よろしく頼む」
流石に、若干呆れ気味の声を薄暗い書斎に響かせた。
魔法屋敷 3階立ての魔法屋敷、1階の1部屋がアルスの居室となります。
ウサギの上司が案内してくれた部屋は、賢者の書斎となる部屋からそんなに離れていない、南向きの大きな窓がある日当たりの良い一室だった。
「ここがアルス君の部屋。ベッドと机と棚とタンス、軍から言われた通りに"居室"を用意してあるから好きに使ってくれ。
あと洗面所も、部屋の奥についてるから。簡単な洗濯物もそこで出来る。
シーツとかの大物は、3日に一度リリィに朝預けてくれればいい。ああそうだ」
パチリ
ウサギの賢者が、堅い爪をを弾き鳴らす。
「この部屋では魔法は解いておいたから、腕章は外しても大丈夫だよ。
もちろん、休日の外出時も外しておいて構わないけれど、ワシの"護衛部隊"の身分を証明するものは、それしかないからそいつは常に携帯しといてくれるかな」
「わかりました」
アルスが素直に返事をするのに、ウサギの上司はつぶらな瞳をキュッと閉じて満足そうに頷く。
「あと、大まかなこの屋敷での決まりの事は、このノートに書いてあるから」
そんな事を言いながら、ウサギの上司は、ヒョイと身軽にジャンプして机の引き出しを開け、中から一冊のノートを取り出しアルスに渡した。
「読ませていただきます。ところで、あの」
ノートを受け取り、アルスは言葉を慎重に選びながら、上司を見る。
「ん、何だい?」
後ろに手を組み、長い耳を含めて自分より2倍近くは背の高い部下をウサギの上司は見上げる。
「自分は、その"賢者殿"を何とお呼びすればいいのでしょうか?」
長い耳をピピッと動かし、瞑って細長くなっていた瞳を丸く開いた。
「賢者だけじゃ、ダメかね?」
つぶらな可愛らしいばかりの瞳からの視線が、鋭くなったのを感じたアルスは思わず口を噤んだ。
(避けた方がいい話なのかな?。だけど、呼称が決まっていないとこれからが困るし)
「それでは、じゃあリリィちゃんと同じように"賢者様"と呼びましょうか」
少しだけ、意を決した様子でアルスはウサギの上司――賢者に話しかけた。
「ふむう。アルス君から"様"付けされるのもねぇ」
ウサギの賢者は、鋭くした自分の視線から逃げなかった新人兵士を気に入ったのか、声の調子は上機嫌になっていた。
ウサギの賢者は小さな顎に、フワフワの手を当てながら更に喋る。
「あの娘は、リリィはワシに恩義があると感じているらしくて、"様"をつけているんだ。
あとね、ワシ自身が自体があまりガチガチで意味がない軍律は、はっきり言って好きじゃない。"お茶目"なワシの性格にはあわないんだな~」
小さな顎からフワフワの手を外し、ニコリとウサギの顔ながらも穏やかな『大人の笑み』を浮かべた。
「うん、じゃあ"賢者殿"にしようか。
もし誰かに名前なんて聞かれても、"ウサギの賢者"で通しちゃって。
ワシも本当なら、アルス"くん"なんて、"くん"付けで呼んじゃいけないんだろうが、もう年下の男の子を呼ぶ時の癖みたいなもんだから、見逃してくれないかな?」
「そちらが楽なのでしたらどうぞ。自分はどちらでも、本当に構いませんから」
アルスは賢者の笑みにつられるようして微笑み、頷いた。
カチャリと音がして、突如アルスの居室の扉がスムーズに開き、金色のカエル――恐らくアルスを最初案内したのと同じカエルが、空を泳ぎながら入ってくる。
金色のカエルは、新人兵士の頭の上を一回りしてから、次にウサギの賢者の方へ行き、賢者が着ている緑色のコートに飛びつきそのまま固る。
一度円らな瞳を瞬きをすれば、それは最初から装飾品のカエルのブローチのようにしか見えなくなった。
「アルス君、君の荷物が軍から届いたようだ。リリィが、この部屋まで運んでくれるって」
固まったカエルを、肉球の指で労るようになぞりながら、ウサギの賢者が言う。
リリィが荷物を運ぶと言う事に、アルスが驚きの声を上げた。
「ええ?!でも、荷物って、鎧やら重装備時の鎖帷子やスペアの武器まであるんですよ!。リリィちゃんには、無理ですよ!」
「"チャン"付けは止めて下さい」
アルスの唯一の同僚、リリィが腰に両手を当てて、アルスの居室のドアの外にいつの間にか立っていた。
「ちゃんづけされるより、"リリィ"と呼び捨てされる方が、私はいいです」
「何だい、リリィ。もう、運んで来たのかい、仕事が相変わらず早いねぇ」
「ええ?!」
ウサギの賢者は"リリィが重い荷物を運べて当たり前"という風に喋るので、アルスの方が慌てていた。
「明日から魔法倹約ですからね。だから、贅沢に使ってみました」
リリィは、腰に手を当てた姿勢から、まだまっ平らでもおかしくない胸を張って"えっへん"と言った感じである。
アルスにはその仕草が可愛らしく見えたが、リリィから理由は分からないが、軽く敵意を抱かれていたのは理解していたので、何とか微笑みそうになる頬を緩めずにすませた。
「ワシ的には、そういう事に魔法を使う事は、贅沢なつもりはないがなぁ」
ウサギの賢者は、モフリと首を捻るが、リリィは手を振って否定した。
「あら、立派な魔法の無駄遣いだと私は思いますよ。
アルス"くん"、部屋の真ん中に荷物置くね」
ふと気が付いてみれば、リリィの"ちゃん"付けはダメでも、アルスの"くん"付けが、ウサギの賢者の魔法屋敷において定着しているような具合になっていた。
パンっ、パンっ!!。
リリィが2回手を叩くと、アルスの荷物が部屋にゾロゾロと行進して"歩いて"やってきた。
正確に言うなら、荷物にまとわりつくように絡んだ荊の植物が、根を足のように動かしてアルスの居室へと、"えっちらおっちら"と入場してくる。
中々の大荷物がリリィの魔法によって、部屋の中央に到着した。
リリィが"ご苦労様"と一声かけると、荷物に絡んでいた荊の植物は速やかに離れて、互いに絡みあい、やがてリースのように丸い輪となって、アルスの居室の床に落ち着いた。
(あ、リースにも見えるけれど、本当は"鞭"なんだ)
武器にも関して学んでいる少年は、それが本来は女性がよく使う"鞭"だと判った。
(とても綺麗な植物の鞭だなあ)
輪となった荊の鞭をリリィは手にとり、巫女の衣装の腰の辺りにある鈴蘭をモチーフとした金具の飾りに取り着けた。
パチパチとアルスが手を叩いて、小さな同僚は緑色の瞳を丸くする。
感謝の気持ちとリリィの魔法の手際の良さに、アルスは自然に称賛の拍手を起こしてしまっていた。
「リリィ、凄いね。それに、こんな便利な魔法を丁寧に使いこなせるなんて。
自分は魔法がからっきしだから、自分で荷物を運ぶのに、屋敷の入り口から2往復ぐらいしてたよ。
荷物を運んでくれて、本当にありがとう。助かったよ」
アルスが優しくにっこり笑って礼を言うと、勝ち気な美少女の同僚は驚きから、ぽっと頬を紅くして"照れ"の表情を浮かべた。
それから少しだけモジモジとして、ウサギの賢者の顔を見てから、少し赤くした顔を今度は照れを誤魔化す為に、誉めてくれたアルスを見つめ返して尋ねる。
「アルスくんは、屋敷を2往復すれば、この大荷物達を持ち運べるんだ?」
「そうだね、これぐらいの荷物なら、ちょっと無理して重たいかもしれないけれど。自分なら2往復もすれば、運べるかな」
リリィからの照れ隠しの質問ながらも、アルスは丁寧に答えて、運ばれて来た荷物達をポンポンと軽く叩く。
2往復と言う言葉に、リリィは再び驚いて、今度は言葉を漏らした。
「私は2往復じゃ絶対無理だわ。やっぱり、私には贅沢な魔法です」
リリィは荷物を見つめながら深刻そうに考え込んでいる。
しかし、ウサギの賢者はあっけらかんと言う。
「そういう時は"台車"という手押し車の道具を使えば、リリィでも一度で運べるよ。ねぇ、アルス君?」
ウサギの賢者が小さな鼻をヒクヒクとさせながら、相槌をアルスに求めた。
「そうですね」
アルスもウサギの賢者の提案に、得心がいったようにアルスは相づちを返した。
「台車?手押し車?。なんですかそれは?」
リリィは本当にわからないらしく、不思議そうに緑色の目をぱちくりとしてウサギの賢者と、アルスを見比べた。
アルスはリリィが素直に、台車や手押し車というものが不思議に思っているのが分かったので、軍服の胸ポケットからペンを取り出した。
「台車っていうのはね……」
先ほどウサギの賢者から貰ったノートの余白のページに、簡単なイラストを描いて丁寧に説明をする。
リリィはアルスの説明を聞くにつれて、えらく感動し、最後の方には胸の前に小さな手を祈る時のように組み合わせて、強気な瞳は輝く。
「まあ、台車ってとっても便利な道具ですね!。賢者さま、明日、早速市場に買いに行っても良いでしょうか!?」
幾らか興奮して、耳の長い上司に少女は尋ねた。
アルスは"早速買いたい!"という可愛らしい同僚の言葉を聞いて、笑いながらも、先程通ってきた廊下を思い出す。
「出来上がりのを買いにいくのも良いけれど……。
屋内や室内で使うつもりなら、リリィちゃ……リリィに合わせて作った方が、使い勝手は良いかもしれないね」
改めて入り口を振り返り、アルスが屋敷の廊下の幅やアルスの肩にも届かない背の同僚を眺めて言った。
リリィは"ちゃん付け"されそうになった事に、少しばかり"ムッ"としながらも、リリィ専用の手造りという言葉に驚き、
「どんな風に造るんですか!?」
と、アルスを質問攻めにするような形で会話が弾み始めた。
ウサギの賢者はニコニコとその様子を眺めながら、肉球のついた手で胸元の金色のカエルを撫でる。
「これも"便利すぎる魔法の弊害"かな」
ウサギの賢者にしては一段と低い声で呟き、つぶらな瞳が鳶色に輝いた。
そしてその呟きは、台車の話で盛り上がる2人の部下には気がつかれなかった。
いただきます
アルスは、ウサギの賢者屋敷での初めての食事となります。
「さぁ~てと、こんなものかな」
軍服の上着を脱いで、シャツを腕捲りしたアルスが、自分の居室となった部屋を見渡す。
リリィが運んでくれた荷物を解き、まず最初に最もよく使う軍服を、タンスにシワにならぬようにしまう。
軽装の鎧は、護衛する時に身に着ける義務があるので、比較的良く使う事になるだろうから、タンスの手前に。
剣のスペアは、一応部屋の奥の解りづらい所に鍵をかけた箱に隠すようにしまった。
"護衛騎士"の仕事に関しては今すぐにでも支度出来るように、アルスは整え終える。
「後は個人の荷物だけど」
ベッドの上には、アルスの普段着や趣味の"休日大工"で使う工具等が軽く散乱ている。
「衣紋かけや、衣類収納は作るとして。あ、その前に、リリィの台車を作らないとね、うん」
そんな事を顎に指をあてて考え、独り言をアルスが呟いていると、コンコンコン、と部屋の扉を軽くノックされた。
「アルスくん。夕食の支度ができました、どうぞって賢者さまが仰っています」
と、職場で唯一のアルスの同僚である巫女で、美少女でもあるリリィの声が響いた。
「あ、わかりました。今行きます」
腕捲りを直し、軍服の上着を羽織り、指示された通り腕章を身に付け、取りあえず寝台に立てかけておいた剣を、帯剣し、部屋を出る。
そこには長い袖のエプロンに、柔らかい髪を後ろに三編みにし、白い頭巾を被るリリィが立っていた。
「リリィ、凄く大きなエプロンつけているんだね。でも可愛らしいし、似合ってる」
部屋のドアを閉めながら、リリィの姿のエプロン姿の素直な感想を口にする。
「賢者さまが、私の為に作ってくださったんです。『料理する時に、服がよごれたらいけないからね~』って。
それでは、食堂はこちらです」
一緒に歩きながら、リリィは誉められた言葉に、頬を染め、笑顔でエプロンの自慢を少しだけ含ませ、長い裾を持ち上げてアルスに説明をしてくれた。
(リリィ、賢者殿の話をする時は、本当にうれしそうだなぁ)
思わずアルスまで笑顔を浮かべたくなるような、そんな顔でリリィはウサギの賢者について話す。
ウサギの賢者は"リリィが恩を感じている"と言っていたが、恩というよりは"リリィがウサギの賢者を大好き"と、言った方があっているかもしれないと、アルスは思えた。
リリィが身に着けているエプロンには、少しだけ料理に使ったのであろう粉や、調味料がチラホラとついていた。
エプロンの話が終わると何となく無言になったので、アルスが会話を振ってみる。
「そういうエプロン見ると、食事の訓練思い出すよ」
「どんな料理を、作っていたんですか?」
料理に興味があったのか、それとも少しは心を開いてくれたのか、リリィはアルスの話に乗ってくれた。
「料理と言うより、本当に基本の基本だったから。
野生の食べ物はどれが安全に食べれるみたいな、そういったサバイバルだったから、料理と言えるのかどうか、判らないな」
アルスが振った話はそれなりに弾み、横並びに2人で廊下を歩いていくと、魔法屋敷の食堂に直ぐにたどり着いた。
どうやらウサギの賢者の魔法屋敷は、扉によって色んなモチーフがある事にアルスは気がつく。
アルスの居室の扉は星空で、今、リリィ共に立っている前にある食堂の扉は草原をモチーフとして、その場所特有の昆虫や、草花が綺麗に細工され、造られていた。
「リリィ、アルス君。早く2人ともおいで~」
扉の向こうから、ウサギの賢者ののんびりした声が聞こえたと思ったら、パチリと弾ける音がして、自然に開く。
「今日は、賢者さまも手伝って下さったの」
食堂に入りながら、リリィがアルスを見上げながら楽しそうに言う。
「賢者殿、料理出来るの?」
帯剣を外しながら、アルスは驚きながら誰となく尋ねるように呟いた。
「何、アルス君。料理は初級の錬金術みたいなもんだから」
アルスの呟きには、ウサギの賢者殿は明朗に答えた。
続けて"申し訳ない"というニュアンスを含んだ上司の声が、同じ場所から響いてくる。
「ところで悪いんだが、剣の安置場所まで、掃除が行き届いてないかもしれないんだ。リリィはいつも掃除を隅々までしてくれるんだけど、ワシの連絡ミスで出来てないんだ。
ただ、食堂自体は毎日丁寧に掃除はしてくれてるから、精々埃をかぶっている程度だと思うんだけれど」
アルスの視界に入ってきたのは、食堂の丸テーブルに皿を並べ、こちらに長い説明をするウサギの賢者の姿だった。
ウサギの姿ながらに、ちゃんとサイズのあったエプロンと頭には三角巾をしている。
不躾ながらも、そのウサギの賢者の姿が可愛いと思ってしまったが、賢明な新人兵士は口には出さないでおいた。
「フフフ似合うでしょ~、アルス君♪。大好きな親友が、ウサギサイズに作ってくれたんだよ~」
しかし、賢者は少し緩んでいたらしいアルスの表情から、感情を見事に察していた。
「国を代表する、仕立て屋のキングス・スタイナーさまが作ってくださったんですよ」
リリィがこっそりといった様子で、年上の同僚に教えてくれる。
「それは凄いね!」
服飾や流行に疎いアルスでも知っている、国を代表する仕立て屋の名前と、その人物がウサギの賢者の親友だと聞いて、二重に驚かされた。
「まあ、親友とかそれなりに人は遊びにきてくれるんだが、ワシの所に"兵士"が来るなんて久しぶりなんでね。
夕飯を一緒になんてのもそれこそ、ここ数年なかったし、安置場所に荷物引っかけてたりもしてたから」
と、剣の安置場所については、ウサギの賢者が更に申し訳なさそうに説明を加える。
アルスがその場所を見たならば、剣を安置するための2つの留め金には、ウサギの賢者が言う通り、うっすらと埃がかかっている程度だった。
胸ポケットからハンカチを取り出し、埃が飛ばないように留め金を丁寧に拭う。
「全然大丈夫ですよ」
そう答え、剣を安置場所にカチャリと音をたてて安置した。
ウサギの賢者やアルスとリリィが住む国、セリサンセウム王国の習わしで、常に帯剣する職業でも食事の時は外すのが礼儀となっている。
招かれたり、振る舞われたりする食事の席で武器を体から離さない事は、大変な非礼とされた。
使い方の応用で、剣を帯剣したまま食事をすることで
《不満に思っている事がある》
《心を許していない》
《親しくするつもりはない》
と暗に伝える手段もある。
付け加えて説明すると、剣を安置する場所や、留め金の設置や細工の仕方で、家主が帯剣する人物を好ましいと思っているかどうかが伺える。
極端な話では訪れる人によって安置場所や、留め金事変えている家主もいるらしい。
ウサギの賢者の安置場所は、先に言った通り、うっすら埃を被る程度で、本当に帯剣する訪問客が少ないのだろう。
留め金自体は扉のモチーフと一緒で、青銅で野花を形どったセンスが良く感じられる設えだった。
食卓は丸いテーブルに、白のクロスと若葉色のクロスを重ねてかけてあり、椅子は背もたれと座る場所に若葉色のビロードで、その中に詰め物がしてある上等な造り。
リリィはエプロンを外し、安置場所の側にある服かけに、少しだけ背伸びをしてかける。
そして自分の椅子の場所にトコトコと歩いて、やはり少しばかり大きな椅子に腰掛ける為に引こうとするその前に、スッとアルスがやってきてリリィの椅子を引いていた。
「はい、どうぞ」
優しくにっこりと笑って椅子を引かれて、リリィはただ大きめの強気な瞳をパチパチとさせていた。
「あ、ありがと」
何はともあれ"ウサギの賢者の"秘書"として、新しい同僚に失礼があってはいけない"と、リリィは驚きあわてながらも礼を言って椅子に座った。
アルスもアルスで、リリィが本当に慌てて驚いているのに気がついて尋ねる。
「もしかして、リリィはこういうの慣れてないかな?」
直ぐに、コックリとリリィは華奢な首の上にある頭を下に振った。
「はい。私は、された事がありません」
リリィは戸惑った様子で、アルスを見た次に、未だに親友お手製のエプロンを身に付けたウサギの賢者を見て言う。
ウサギの賢者が三角巾を取りながら、人の椅子より高め造られいるウサギ専用(?)に、見事に跳び乗った。
「兵士のマナーと言うより、紳士のマナーだね。それとも、それも基本的訓練の一部かな?」
ウサギの賢者の声は、少しだけ平坦なものとなっている。
「基本訓練の一部に組み込まれていて、学びました。
"近年は国が安定しているから、礼儀正しく無骨な兵士だけではダメだ"
軍部の上の方が、教育担当のロドリー・マインド中将が言ったとかで、マナーも座学に取り込まれる事になりました。
実際に、訓練に組み込まれたのは自分達からが、初めてだそうです」
覚えている範囲で、アルスは幼い同僚とウサギの上司に説明しながら、自分の席に腰掛けた。
ふんふん、と軽く小さな逆三角形の鼻をピクピクとさせ、ウサギの賢者はアルスの話を聞いている。
その様子は人間で言うなれば、軽く眉間にシワを寄せているように、アルスには感じられた。
(ウサギの賢者殿って、堅苦しい事が苦手じゃなくて、嫌いなのかな?)
アルスがそんな事を考えていると、ウサギの賢者は気持ちを切り替えるように夕食の説明を始める。
「まあいいや、せっかくのご飯が冷める前に頂こうか。
今日は、ワシの好みで"ドリア"にしてみたんだが、アルス君、チーズは大丈夫かね?」
芳ばしいチーズが焼ける香りが先ほどから、キッチンから食堂に届いていた。
「はい。チーズは好きなんで嬉しいです。ただ"ドリア"っていうのは初めてですね。名前も初めて自分は聞きました」 素直に分からないというアルスに、料理が担当のリリィが進んで説明を始めてくれる。
「グラタンのマカロニが、ライスになったみたいな感じ。
今日は賢者さまが手伝ってくださってるから、美味しいはずよ。
アルスくん、ライスは知ってるかしら?」
"兵士"にはツンとした態度のリリィだが、この様子をみると、基本的には世話焼きな優しい少女なのだとアルスには伝わってくる。
(もしかしたらリリィは何か、前に兵士に関して嫌な目にでもあったのかもしれないな)
折角説明してくれているので、アルスもライスの会話に真摯に耳を傾ける。
「確か農業で、最近流行ってる穀物だよね。
基本訓練の中でも食べた事あるけど、炊いたライスはさっぱりしてて美味しかった」
リリィとアルスの会話に、ウサギの賢者は笑顔のように目を細めて聞いていた。
「うん、リリィ、アルス君。楽しい会話はワシも大歓迎だけれども、まずは食事の挨拶をしてから、話の続きをしようか」
2人の部下にフワフワな両手を合わせて見せる。
「はい、賢者さま」
「あっ、はい」
と元気の良い返事と、少しだけ恐縮した返事を2つ聞いて、ウサギの満足そうに頷いた。
そして、ウサギの賢者が代表して言葉をかける。
「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」
と1匹と2人の声が食堂に響いたき、食事が進む内に、ウサギの賢者が今回の夕食の制作に関する内訳の説明を、始める。
「ミネストローネとフルーツサラダは、リリィがほとんど作ってくれたんだよ。ワシも味見しているから、不味くはないだろうけれど、アルス君の口にあうかな?」
賢者が新入りである、アルスに味付けについて尋ねる。
「えっと、そうですね」
リリィは無言で食事しながらも、夕食の出来栄えの反応を、気にしているのがアルスにもよくわかった。
(不味くはないけど、ミネストローネは、もう少し濃い方味が美味しく思うって、正直に言った方がいいかな?。
フルーツのサラダはほんのり甘くてとても良いし、自分好み。これからの事もあるし、悪い言葉ではないから、正直に言おう)
アルスほんの少し逡巡して、リリィとウサギの賢者を順に見つめてから素直な感想を述べた。
「やっぱり体を動かしている兵士さんには、もう少し濃い味が良かったのかしら?」
リリィは、自分でもミネストローネを一口含みながら、アルスの意見に、特に不満はないようだった。
「うん、それはあるかもね~」
ウサギの賢者も、そこは同意見らしい。
アルスは、自分の発言に小さな同僚が、嫌な感じを受けなかった事にホッとし、思わず笑ってしまっていた。
「ところでアルス君、食事の量の方は、これくらいで足りてるかい?」
ウサギの賢者が器用に体毛を汚すことなく、ミネストローネを啜った後、尋ねる。
「今日は体をあまり動かしてませんから、大丈夫です」
そう応えるアルスの食事は、八割方終わろうとしていた。
「もっと、ゆっくり噛んで食べないと体に悪くないですか?」
ウサギの賢者からそう教育されている少女は、造りの良い眉を顰めながら、アルスに向かって"注意"した。
「リリィ、"兵士は早飯"なのも仕事のうちなんだよ。
まあよく噛んだ方がいいのは、確かだけれどね」
アルスとリリィの両方の面子を潰さないようにウサギの賢者が、それとなく取りなした。
「とは言っても今は、何より食べ盛りの時期じゃないかなぁ。アルス君は、17才だったかな?」
「はい、夏の季節に入ったなら、直ぐに18になります」
ウサギの賢者の質問に、アルスはドリアの最後の一口を美味しそうに食べ終えた後、明瞭に答えた。
「で、ホントに食事は足りてるかい?」
残り少ないドリアを頬張りながら、もう一度確認されたので、どうやら賢者には、育ち盛りの燃費具合を見抜いているらしく、アルスは観念して正直に答える事にした。
「もし、夜勤とかある時は場合は、夜食を頂けたら有り難いと思います。あと、おかわりをする時もあるかもしれません」
「うむ、了解した。そうしよう」
リリィ、これからは、おかわりがあったり、夜食があったりするかもしれないから、それでお願いするよ」
ウサギの賢者が口角をニュッと上に上げて、笑顔になるのがアルスにもわかった。
リリィは笑顔になった賢者が見れて嬉しいくて、こちらも笑顔で返事をする。
「はーい」
「フフっ、あとはキライな野菜も、残さず食べようね」
少しだけ不貞不貞しい感じの笑みに切り替えて、ウサギの賢者がリリィのミネストローネの器をチラリと見てから、釘をさす。
アルスも思わずリリィの器を見ると、セロリだけが見事にスープの中に浮かんでいて、見詰められて、少女は少しバツが悪そうに頬を膨らませた。
「セ、セロリは香りがキツいから、苦手なんです」
確り者に見える少女の拗ねたような言い方が、可愛らしくて、アルスは思わず妹を見るような気持ちで優しく微笑む。
しかし、"笑われた"と勘違いした、強気な女の子は、セロリばかりが残るミネストローネの器と、スープ用のスプーンをテーブルに置いて、ギュッと目をつぶり
「えいっ!」
とかけ声を上げて残りを飲み干し、残りを全てを平らげてしまった。
同僚が空色の瞳を丸くし、様子を眺めていると、スープを何とか飲み終えた少女は、側にあったコップの水を一気飲みほす。
「何も、そんなやけくそみたいになって、食べなくても」
今度は苦笑いを浮かべながら、飲みほした為に空になったコップに、水を注ぎ足してやった。
「だづで、ばな゛に゛の゛ごる゛に゛お゛い゛だめ゛な゛ん゛だも゛ん゛」
"だって、鼻に残る匂いダメなんだもん"
と鼻声になりながらも、苦手な理由を新しくやってきた同僚に主張する。
「"アレルギーでもない限り、食べ物を粗末にしない"がこの魔法屋敷のモットーだから、アルス君も覚悟するように」
ウサギの賢者は、引き続きちょっと人(ウサギ?)の悪い、不貞不貞しい笑みを浮かべていた。
「自分は余程ゲテモノじゃない限り、大丈夫と思いますが」
アルスは兵士のサバイバル訓練で、蛇やら草やら食べさせられているし、平素の暮らしでもそんなに食わず嫌いがないつもりだった。
しかし、ウサギの賢者の"ゲテモノの好き"具合がわからないので、下手な事は言うまいとアルスは心に決める。
「じゃあ、虫とか」
ウサギの賢者が、早速といった具合に肉球と堅い爪がついた人差し指をピンと伸ばして、良い顔をしながら尋ねた。
「止めて下さい」
「止めて下さい」
アルスとリリィが、見事に調子を合わせて、真顔で"止める"。
「ワシ、イナゴの佃煮とか虫の珍味が大好きなんだけどなぁ」
敢え無く虫料理を拒絶されて、さも残念そうにウサギの賢者が無念を語る。
しかも自分の"ウサギの顔"の使い方がわかっているのか、偉く可愛らしく円らな瞳を潤々とさせる。
如何にも憐れっぽく、長い耳を曲げ、上目遣いが止めにきて、アルスの心は少々揺れた。
「賢者さま、おかしいです。普通虫は、飼って観察して可愛がるものです」
だが"新人兵士"の先輩であり、ウサギの賢者と付き合いの長い、虫料理が心の底から大嫌いなリリィには通用しなかった。
"本当に、食卓にイナゴの佃煮が並べられたらかなわない"と、少女は必死で抵抗する。
「"食べたい程大好き"ってのは、おかしいかなぁ」
リリィから、"絶対イヤ"と言う視線を受けてから、先ほど心が揺らいだのを見抜かれていたのか、ウサギの賢者は、更につぶらな瞳を潤ませながら、アルスを見つめる。
「自分も、訓練や命令でないかぎりは、ご遠慮願います」
"ウサギの可愛さ"というものはどうやら新人兵士には、通用しないらしい。
そして何よりも、出来たばかり年下の同僚から"絶対イヤ!"の強い視線を受けて、板挟みにアルスは苦笑いを浮かべ、無難な断りを言う。
「命令だって、理不尽なら断って良いと仰ったのは賢者さまです!」
食卓に虫の佃煮を並ばせまいと、大変な恩があるであろうウサギの賢者相手にも秘書の少女の抵抗は続く。
ただ悲しそうなウサギの賢者の様子が、元来気の優しいアルスにはやはり気の毒に感じてしまい、つい励ましのような言葉を口に出してしまう。
「賢者殿、明日許可が頂けるなら、市場に行きたいのですが。虫じゃありませんが、海藻の佃煮とライスは一緒に食すのは美味しいと聴きましたから、明日買ってきます」
アルスは思わずそう言ってしまっていた。
「海苔の佃煮で我慢するか」
アルスの提案を聞いてから、ウサギの賢者は"愛らしく見えるウサギの顔"をあっさり引っ込めた。
どうやら、やはりわかっていて"顔"を使っていた様子で、ついでに思い出したようにアルスに向かって話しかける。
「それはそうと、丁度明日リリィと一緒に市場に行って貰おうと思っていたんだ。
正直に言って、アルスくんの勤務体制を示す"日勤表"とやらも、国に提出しなきゃならんのだが、ワシ、ちぃ~とも書いてないんだ。
明日は身辺整備品を買うなり、昼に言っていた台車を造る材料なりを買ってきてくれたらありがたい」
ウサギの賢者の言葉に、アルスが驚き、激しく瞬きを繰り返す。
「日勤表の提出期限とか守らないと、始末書ものでないんですか?!」
厳しい教育期間に叩き込まれた、軍律を守る事の大切さを軽くいなすような上司に、新人兵士は慌てる。
「どうせどこの部隊も、新兵の日勤表をドバドバ送ってるんだ、うちのが一枚遅れても気がつかんよ~」
ウサギの賢者は不貞不貞しく笑いながら、大変不謹慎な事を"しれっ"と述べる。
「気にすることないわ、アルスくん。賢者さまは変なところで、上の人と繋がりがあるみたいだから、そういうの大丈夫みたい」
リリィが呆れながら、小さな肩を竦めながら言った。
「とりあえず誰も困らない、迷惑かけないズルはしちゃうよ、ワシ」
賢者がニヤリと、器用に左側の口だけを上げて見せる。
「はぁ、そうなんですか」
アルスはどう返事をしたらいいか、考えあぐねている。
そんな落ち着かない様子を見て、ウサギの賢者は"気楽に"と声をかけた。
「ちゃんと良心の呵責はウサギの心なりにしているから、アルス君の心配はいらないよ。喉元過ぎれば忘れるさ」
そう言って、ウサギの賢者は食べ終えた食器を片付けながら、話を切り上げてしまった。
「そうですね。とりあえず、明日はそういう"任務"だと考えるようにします」
アルスも"上司の命令"に従い、食器を重ねて片付け始める。
それに確か日勤表の提出期限は、まだ余裕があったを思い出し、ウサギの賢者が期限を破ったわけではないと思い直す。
2人と1匹が、夕食に使った食器をテーブルの上から片付け始める。
片付けながらウサギの賢者の魔法屋敷での、"食事に関するの仕事の分担"がリリィから説明されてもいる。
「朝食や昼食は、私の仕事です。ただ、夕食の食事の準備と、片付けだけは交代制と賢者さまが決められたので、アルスくん、宜しくお願いします」
「はい、わかりました」
アルスは同僚にしても、家事に関してはリリィの方が、スキルや経験は上だと感じるので丁寧に答えた。
丁寧に答えられて、リリィは驚いて思わず瞬きをしてしまいながらも、職場の"先輩"として説明を続けるべく、片付ける食器を抱えて先頭に立ち、台所へと向かう。
台所へと繋がる扉は、小さな滝が沢山流れているデザインで扉を抜けると、優しい光の魔法の照明が自然に灯った。
「最初に流しに使った食器を流しに置いて、ポンプから水を出して簡単に汚れを水で流し落とすの。ヨイショッと」
ポンプ式の水道をガチャリとリリィが慣れた様子で漕ぐと、勢いよく水が出て、食器の表面的な汚れはさっと流れ落ちた。
「じゃあ自分がポンプを押して水を流すからリリィは、食器の汚れを流したらいいよ」
「あっ、ありがとう」
アルスには水道のポンプは、リリィが慣れているにしても、力を使って大変そうに見えたので服を濡らさないように上着を脱いで、手頃な場所にかけて、ポンプの柄を握っていた。
"兵士は嫌な奴"と、どこか思いこんでいる節のある少女は、気が利くし、優しいアルスの対応に調子が狂っている。
ウサギの賢者は何も言わず、円らな目を細め、部下になる2人を後ろから見つめていた。
食器を軽く洗い流す作業を2人でしたなら、素早く終わる。
リリィが布巾で濡れた小さな手を拭いながら、アルスに次の作業を説明を始めた。
「使った食器は、浸しておいて。食事を作った時、出来てしまった野菜の皮や、うちには滅多に出ないけど、残飯を片付けてから、食器を洗うんです」
そう言ってリリィは、勝手口の方を見つめる。
それにつられてアルスも見ると、その先に木の蓋がついたバケツがあった。
「バケツにその日1日の残飯や、野菜くずを入れて、夕食の片付けの時に、中庭に持って行きます」
そう言ってリリィはバケツを手に取り、勝手口から外に出る。
外は、すっかり暗くなっていた。
ポテポテとウサギの賢者が勝手口に向かいながら、軽く爪を弾くと、中庭の足元の方だけにほんのり明かりが灯る。
「これからは、アルス君も指を鳴らせば、夜の灯りはつくようにしとこうね」
「あ、ありがとうございます」
バケツを持ったリリィと、ウサギの賢者に続いて、アルスは最後に勝手口を出る。
小さな灯りながらも、確りと足元は照らし出され、中庭へと2人と1匹は向かった。
中庭に続く道は、細かい砂利を敷き詰められていて、幅もなかなか広い。
砂利道を進むと、アルスからすれば小さな公園の様にも見える中庭がひろがり先には別れ道があり、進まない道の先は、更に大きな芝生の広場と繋がっていた。
暗くてよく見えないが、大木とベンチらしきものも見える。
(凄いなぁ)
ウサギの賢者の魔法屋敷の広さと大きさに、アルスは驚きながら、更について行く。
暫く行くと砂利道が終わり、小さな納屋みたいな小屋が見える。
小屋の側には水道のポンプと畑があって、その少し離れた場所に、大きな穴が掘られていた。
大きな穴には注意するように、明かりは多く灯されている。
そして穴の横には山盛りの土が盛られてあって、移植ゴテが刺さっていた。
「腐葉土を、作って見てるんです」
リリィはそう言うと穴の中央に、うまい具合にバケツの中身を放り投げた。
バケツを置くと、移植ゴテを手にとり土を上からかけた。
「今はまだいいけど、夏場になると腐って匂いやすいから、土は多めにかけてね、アルスくん」
職場の"先輩"として、リリィがアルスに説明する。
「了解。夏場は多めに土をかけるんだね」
確実に意味を理解した事を伝える為に、リリィが言ったままをアルスが復唱してみると、少女は満足そうに頷き笑顔となった。
"同僚"が笑顔になった所で、アルスは1つ疑問に思った事を尋ねてみた。
「ところで、リリィ、訊きたいんだけど、この穴はやっぱり魔法で掘ったの?」
リリィが"当たり前"といった様子で大きく頷いた。
「もちろん。私にはこんな深くまで掘る力はないし、賢者様は―――」
リリィとアルスがタイミングが合ったように、ウサギの賢者を見る。
その賢者殿は、小さな逆三角形の鼻をヒクヒクとさせ、薄目の何ともいえないウサギの顔で
"ウサギですが、何か?"
と表現しながら、2人の部下を見つめ返していた。
「ウサギだから」
一応、声に出してリリィが言う。
「まあ、今度から腐葉土を作る為の穴は力仕事担当のアルス君が、気張って掘ってくれるし、畑も耕してくれる事だろう」
ウサギの賢者が涼しい顔で、アルスを見上げながら"断言"した。
「確かに穴掘りは、訓練で慣れてますけどね」
アルスが苦笑し、大きく掘られている穴を眺めて言うが、リリィは意味がわからずキョトンとしてしまっていた。
「"兵の訓練は、穴掘りに始まり穴掘りに終わる"って、自分には詳しい意味は分からないけれど、そんな格言が軍にはあるんだよ」
意味がわからないリリィの為に、格言の発生した場所からアルスが説明をする。
「本当にくだらない、ブラックジョークを揶揄した言葉だよ。今の時代には関係ない。リリィ、アルス君、さっ、食器を洗いに戻ろうか」
それはアルスにとっては、初めて耳にするウサギの賢者による"圧"のある発言だった。
"有無は言わさない"。
アルスの半分にも満たないウサギの体で、圧のある雰囲気を醸し出しながら、賢者は自分からバケツを手に持つ。
2人の部下を振り返る事なく、勝手口に真っ直ぐ戻って行った。
明日の朝は… …
どうしよう、とアルスとリリィは思っていましたが、やはりウサギの賢者の圧のある言葉と態度に戸惑いを覚えていました。
台所にたどり着くまで、ウサギの賢者は一度も振り返らなかった。
付き合いが始まってまだ数時間のアルスには、どうという事はないのだが―――
「賢者さま」
確実に付き合いは長いだろうし、ウサギの賢者の事を"大好き"な、リリィは圧のある態度に、随分と落ち込んでいるのが伝わってくる。
ウサギの賢者は、バケツを勝手口の側に置く。
「ワシは、日勤表を書いてくるね。じゃあ、リリィ、後をよろしく」
声は穏やかなものながらも、とうとう振り返らず、リリィの返事を聞く前に、2人の前から立ち去ってしまった。
「―――リリィ、じゃあ自分に教えて貰えるかな?」
「うん」
勝ち気だった少女が落ち込む姿は、アルスに切なさを感じながら、言葉少ない説明を受けながら、アルスは一緒に食器を洗う。
「賢者さま、何かね、"軍"って嫌いみたいなの」
アルスと食器を共に洗いながら、ポツリポツリと話始めてくれた。
その喋り方は、確り者の少女からかけ離れていて、幼くて、その分真実を含んでいるように、アルスには感じられる。
「うん、そうだね。軍隊が嫌いってのは、はっきり仰っていたのは自分も聞いたよ」
リリィが洗った食器を受け取り、アルスは丁寧に拭き上げながら応えた。
食器は早々に洗い終わり、小さな同僚も、布巾を手に取り、食器の拭き上げに加わる。
"何か話したい事がある。
だけど、ただ話すより、何か作業をしながらの方が話をしやすい"
リリィから出される雰囲気がそう語っているのを察して、アルスは黙って自分の仕事の一部を少女に譲り、話出すのを待った。
「本当はね、賢者さまは、この魔法屋敷に軍の兵士を配置するのも、嫌だったんだと思うの」
リリィのこの話に、アルスは軽く笑った。
「自分も配置される前に、色々と賢者殿の噂について伺っていた。けれど、そこまで軍隊が嫌いとは思わなかったよ」
アルスの笑いながらの言葉に、食器を拭く布巾の手をリリィは一瞬だけ止めて、また動かす。
「そんな噂話なんて、あったんだ」
リリィは、呟くように口に出した。
「セリサンセウム国では、賢者という方は、本当に貴重な"人材"だからね。賢者殿が望めばには1個小隊の、30人位の兵士の護衛が付けられる事も出来るし、本当なら最低2人は護衛騎士つけないといけないんだ。いけない、んだけど」
ここでアルスは、今まで漂っていた深刻な雰囲気を打ち壊すの如く、下を向いて笑いだす。
リリィが思わずビクリとして、アルスと距離を取る。
「なっ、何?何なの?」
リリィが多少訝しげな視線を送りながら、同僚となった年上の少年とまた少し距離を開けた。
幼い同僚が距離を空けるのも無理はないと、考えつつもアルスは笑い続ける。
「リリィ、君の恩人の賢者殿を笑ってるわけではないんだけど、賢者殿が"ウサギ"って事で、納得出来る話を思い出したんだ」
"思い出したら、止まらない"
そんな様子でアルスは下を向き、笑いに肩を震わせる。
「ちょっと、アルスくん?!。いったい、いきなりどうしたの?」
突然笑い出されるし、当然リリィは驚くし、気持ちは更に引いている。
アルスは笑いながらも、最後の食器をなんとか布巾で拭き上げた。
それをまだ驚いているリリィに渡し、何とか込み上げてくる笑いを押さえ込み、説明を始める。
アルスが言うには、新人兵士達の教育期間中の座学(ざがく、座って行う学習の総称)"賢者の護衛"という内容がある。
その座学の教官の鞭を取ったのが、アルスの恩人で、最も敬愛する人物。
「教官のアルセン様。アルセン・パドリックという方は、男の自分が例える言葉にしたら、変かもしれないかもけれど、とっても綺麗な人、"美人"なんだ」
朴訥なイメージなアルスが、"綺麗"という言葉を使って誉める人物に、突然の同僚の笑いに引いていた状態のリリィも、興味を持った。
「へぇ、そんなに綺麗で、美人の方なんですね」
緑色の瞳をパチパチとしながら、リリィは思わずアルスを見つめて尋ねる。
話も、"ウサギの賢者と美人の軍人"が、これからどうなっていくのか、俄然興味もわいてしまっている。
リリィの興味を持った輝く、緑色の瞳を見て、アルスは今更ながら、あることに気がついて、口を丸く開けた。
「アルスくん、どうしたの?」
「いや、多分偶然なんだろうけれど。アルセン様とリリィは同じ瞳の色だなって、気がついて。緑色なんだね」
「あ、そうなんですね」
小さな符合に互いに驚きつつも、"美人の軍人"の話を続く。
アルセンは"美人"事で軍部の中で確かに有名であったが、他にも彼を有名する原因は沢山ある。
本当は王族の血も引く貴族の1人なのに、軍学校を一般と同じ形で入隊し、叩き上げで戦の功労もあり、中将にまで上り詰めた人であると言うこと。
言葉も柔らかく、判り易い彼の座学は、新人兵士となる訓練生達には人気である。
そして、ある日の座学の時間。
"ウサギの賢者と出逢ったアルスなら、理解出来る"
が
"初めて聞く新兵には《賢者》は、とんでもなく扱いがとても難しい"
という印象を与えるのに充分な、内容の講義をアルセンは語ったという。
『一般的に賢者という方々は、人付き合いが苦手な方が多いです。最初はもしかしたら、姿を隠す方もいるかもしれません。
でもそういう事は、護衛する兵士。
君達の忠誠と誠意を見せれば、時間がかかるのも覚悟して接してください。やがて先方にも通じ、こちらを信用してくれます。先ずは、こちらからが諦めない事ですね』
上品で優しい微笑みを浮かべながら、アルセンからの言葉を、訓練生達は静かに拝聴していた。
しかし次の瞬間、教官のアルセン・パドリックはとても綺麗な笑顔のままなのだが、ある種の緊張感を漲(みなぎ)らせる。
『そう、"人見知り"ならまだいいんです。やっかいなのは』
あの時、あの穏和で美しいアルセンの眉間にくっきりと縦しわが刻まれた理由が今ならわかると、アルスはリリィに語る。
美しい顔にシワを刻みながら、アルセンは座学の講義をこう続けたという。
『いくら無骨で融通が効かない軍が大嫌いだからと言って、"とんでもない方法"で、この国の法から逃げる賢者もいるという事です。
国の大事な人材である、賢者が怪我でもしようもんなら、世論から叩かれるのは"賢者を護る事が仕事"でもある軍部であり、君逹兵士です。
軍としては貴重な人材である賢者を護りたいのに、のらりくらりと"才能の無駄使い"をして護衛の兵士をつける事から逃げるウサ―――じゃなく、賢者もいるのです!!』
「ちょっと、ちょっと待って!アルスくん」
リリィはアルセンが使った"才能の無駄遣い"という言葉が、笑いのツボに入ってしまって、小さな口に手を当てて、踞る。
アルスはアルスで、あの冷静なアルセンが"ウサギ"と言いかけて、急いで打ち消した場面を思い出し、腹を抱えていた。
笑い過ぎて、思わず空色の瞳から溢れた出た涙を指先で拭いながら、アルスは更に話を続ける。
「だから、今年になってやけにあっさり賢者、"ウサギの賢者殿"が護衛の兵士を受け入れるとなって、上の人も慌てたみたいなんだよ。後、アルセン様が、少し何かやったらしいんだけど。
アルセン様とウサギの賢者殿、もしかして知り合いとかなのかなぁ。
リリィ、何か知ってる?」
互いに笑いが漸く治まったところで、元上司と現上司の関係が気になるアルスは、"現上司"に詳しそうな先輩に尋ねてみた。
「ううん、私はアルスくんの教官、アルセンさまについては何も存じ上げないわ」
リリィの年にしては丁寧過ぎる言葉に、アルスは驚きつつ、そうなんだと相槌を打つ。
ただアルスにしてみれば、あの時のアルセンの口振りだと、ウサギの賢者とはかなり親しげで、"悪友"とも窺えるような雰囲気に満ちていたて感じられた。
「ウサギの賢者さまが護衛を急に受け入れたのは、いいけれど、変な注文付きだったでしょ?」
すっかり笑いがおさまった中、リリィが改まった様子でポツリと呟く。
「うん、そうだね。それでアルセン様を除いた教官や軍の上層部の方は、何だかとっても頭を悩ませていたみたいなところもあったみたいだから」
ウサギの賢者から"護衛騎士"の要望が初めてあったこの時、アルスは賢者がウサギの姿をしている事なんて考え及びもしなかった。
だが、賢者の"人柄"はアルセンから軽く聞いている。
そして肝心、要の要望の内容は―――
・剣の腕前は、新兵の中で出来れば強い者
・あまり出世欲がない者
・魔法が得意でない者
と、いうものだった。
配属を決めるに当たって出された要求は、国最高峰の賢者の"ワガママ"と言っても過言ではなく、軍の上層部では要望に応える為、訓練生の吟味が密かにではあるが、盛んに行われていた。
要望が通り易いのは、やはり"賢者"としての実力が勝る準である。
そしてこの賢者は"どの賢者より優先される"位置にいたから、上層部も張り切ってしまっていた。
どうして訓練生の配属先を決める事に、軍の上層部は躍起になっているのか分からないアルスがアルセンに尋ねた所、綺麗な笑顔で答えてくれる。
『簡単な理由です。出世に繋がりそうな優秀な新人兵士を、贔屓にしている幹部の所に配属させて、新人兵士と配属先の幹部にも恩を押し付ける為ですよ。
そして、今回護衛を初めて受け入れると、言ってきた賢者は軍の上層部の皆さんが是が非でも恩を押し付けておきたいというわけです。
私にしてみれば、不貞不貞しいし、逆に利用されそうな方なんですがね』
アルセン曰く、不貞不貞しい軍の上層部の幹部が、恩を押し付けたい"最高峰の賢者"が、やっと恩を押し付けるチャンスを出した。
だから、是非とも出世に繋げる為に要望をこなした兵士を派遣したい。
そしてもう一組、"最高峰の賢者"の配属に関して動いている所があった。
出世に興味はないが、長年軍の規律を重んじてきた、古参の軍人も、この賢者の護衛騎士配属に関して密かに張り切っていた。
国の最高峰の賢者が、長年つっぱねていた護衛を、漸く護衛の兵士派遣配属を、受け入れてくれるのだから、万全を期した部隊を編成して派遣しようとの事らしい。
そういった2組が、賢者の為に護衛小隊をこぞって編成していた時に、"緊急"での追加の要望が、賢者から追加・連絡される。
それは賢者が、軍の為に唯一つくった伝達の魔法具の"紙飛行機"で届けられた。
形はふざけているように見えるが、他のどの通信の魔法具より速いので、この形のまま使われている。
一斉に送られたらしい紙飛行機は、丁度アルスがアルセンの雑務を、執務室で手伝っていた時来たの良く覚えている。
『さて、どんなどんでん返しの要望が書いてあるのやら』
アルセンが綺麗だがやけに冷めた緑の瞳で、紙飛行機を開き、書かれていた文章を確かめる。
┌────────────┐
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│ │
│ │
│ │
│ │
│ ・・・・│
│派遣される兵士は1人だけ│
│じゃないと嫌だ。 │
│ │
│ │
│ │
│ │
│ │
│ 賢者より │
│ │
│ │
└────────────┘
「あの手紙を読んだ時、アルセン様、綺麗な顔して凄く遠い所を眺めてたんだよ」
リリィの手前で言えないが、アルセンは伝達用の紙飛行機を、読み上げと同時に、何時も身に付けている白手袋の掌の中で、グシャリと潰していた。
『イヤだって、私より年上の賢者の言葉じゃないですよね?。これはワガママっていうより、もう駄々っ子ですよね?』
握り潰した手紙は元から無かったように、明後日の方向よりは、季節の変わった90日程先を美しい緑の瞳で見詰め、呟いた。
そんなアルセンの様子(ウサギの賢者の手紙を握り潰した事以外)をリリィに伝えると、
「私、ウサギの賢者さまの為に一生懸命考えてた軍人さん達に、悪い事をしちゃったんですね」
本当に困った顔をして、小さな両手を重ね合わせ、少女は俯く。
「賢者さまがね、軍人を置くことを決めたのは、多分、私が街で変な人にからまれたからなの」
いつも強気に感じられ雰囲気を潜めて、リリィは本当に申し訳なさそうにアルスに言った。
「ああ、その、もしかして、リリィは街で、1人で歩いていたら、変な人に絡まれてしまったみたいな事があったのかな?」
アルスは改めて思い出したように、年下の同僚リリィの幼い可愛らしい横顔を見つめた。
リリィは小さな唇をキュッと結んで、アルスの質問に頷いた。
「それは、災難だったね」
アルセンからかつてされたように、アルスは少女の頭をポンポンと軽く撫でるように叩いて慰めた。
新人兵士の手から伝わってくるのが、純粋な労りだと感じ取れるリリィは、また頷く。
出逢った"災難"が、勝ち気な少女の心に、結構な影を落としていることが窺えた。
ウサギの賢者に仕える幼い巫女は、思わず足を止めて確かめてしまいそうな程、物凄く整った顔立ちをした美少女なのである。
だが本日やってきた新人兵士のアルスにしてみれば、リリィの容姿は確かに美しくて可愛いとは思うが、何をどうこうしようという気持ちは全く起きない。
どちらかと言えば、自然に咲いている可愛らしい花であり、これからも可憐に可愛らしく咲いていてくれていたら嬉しいぐらいの気持ちしか持てない。
だが、こういった"美少女"という"花"を手折り、良からぬ対象に見る"大人"が居るだろうという事は、アルスにも容易に想像がついた。
「良かったで良いから教えて欲しいんだけど、リリィって今何歳なの?」
今まで尋ねた事がなかったので、アルスはリリィの頭に添えていた手を離し、腕を組ながら尋ねる。
「11才」
幼い同僚は、まだ俯き加減のまま応える。
(女の子はしっかりしてるから、多感な時期はもう始まっているのだろうなぁ)
本当の妹が、災難に出くわし、落ち込んでいるような気持ちにもなっている。
「アルスくん、巫女や教会に所属してない、子どもって殆どは、最近国が作った学校に行ってるんですよね?」
今度はリリィが、確認するように尋ね、そこでアルスは一度言葉に詰まる。
実は結構複雑な生い立ちな上、王都育ちではない新人兵士は正確な事は答えられない。
「皆が皆、そうではないと思うけれど」
王都育ちの、軍学校の同期生が言っていた話を思い出しながら、アルスはリリィの質問に答える事にした。
「王都育ちの同期が言っていたけれど、国王のお膝元の場所だから、比較的学校に通う子どもは多いとは思うよ。ただ農業に従事する事を希望する子どもは、基礎だけを勉強するんだって。
最近は必要な分がすんだら、国一番のマクガフィン農場に就職する子どもも、いるそうだよ。
だから皆が皆、学校に行っている訳でもないと思う」
その説明を聞いて、"そうですか"と呟き、リリィは意を決したように話しだす。
「私ね、30日位前に、1人で城下町の市場に行ってたんです。普通に行ってた、王都の市場です。
いつもお世話になっているパン屋さんで、買い物して帰ろうとしたら、急に誰かに腕を掴まれました」
少女にしてみれば、大層力強く腕を掴まれて、思わず小さく、イタッと声を洩らしてしまった程だった。
愛らしい顔を痛みでしかめながら振り返ると、見たことも会ったこともない男が3人いる。
しかも姿をパッと見ただけで分かる職業、"兵士"だった。
『おい、何で巫女の衣装をきた子どもが、法院の学校がある時間に1人で買い物なんぞしている。
巫女の姿のまま学校をサボるとは、良い度胸だな』
高圧的に言われ少し驚きながらも、リリィは腕を掴む兵士を筆頭に3人の兵士を観察する。
服装を見れば確かにこの国の兵士の物であるし、腕章をみれば街を警らを任務とする役目の部隊と分かる。
ただ3人の兵士からやけに、不健康そうな印象をリリィには受けた。
肌の色も悪いし、瞳の白目の部分がやけに濁って見える。
何より彼らが持っている雰囲気が、リリィには不快で仕方なかった。
警らの兵士なら、リリィも顔見知りの兵士が数人いたが、今腕を掴んでいる兵士達は全く知らない顔だった。
明らかな悪漢なら、リリィだってウサギの賢者に教わった魔法で、それなりに対処が出来る。
だが相手はどうやら"兵士"で、この場合下手な態度をリリィがとってしまったのなら、平穏な日常を望む、ウサギの賢者に、迷惑をかけてしまうかもしれない。
ニヤニヤと値踏みするみたいに、自分を見る男の兵士達の視線が嫌らしく感じる。
たが何より、大好きなウサギの賢者に迷惑をかけるのがリリィは最も嫌だった。
(どうしようかしら)
腕を掴まれたまま嫌悪の表情を浮かべ、考えて黙っていると、先程出たばかりのパン屋から老店主のバロータが出てきた。
『兵士さん、その子は、リリィは郊外に住む賢者様の巫女さんだよ。幼いが一応護衛の為の巫女として教会に、登録もされている。身元はしっかりしているから、連れて行っても骨折り損にしかならんですよ』
パン屋の老店主バロータが、店の外で絡まれているリリィを見つけて、急いで店から出てきて少女を救う為に声をかけた。
『ああ?!王都の近辺に、賢者の護衛部隊なんて聞いた事がない!。爺さん、下手にごまかすと上に言って店を閉めさせるぞ!!』
屁理屈と脅しで、3人の兵士は邪魔をするパン屋の店主を追い払おうとする。
だが気骨のあるパン屋の老店主は憤慨の表情を浮かべ、腕を捕まれたままのリリィの側に近付こうとする。
『何だ、爺さん誑しこんでまでサボりか?』
リリィの腕を掴む兵士が気持ち悪く笑いながら、少女の白い顔を顎から乱暴に掴んだ。
それでもリリィが持ち前の負けん気で睨むと、笑っている当人達以外には不快にしか受け取れない笑い声をあげる。
ナマイキー
カワイイー
もっと怒ってー
恐らく成人しているだろうに、まるでリリィより年下か、思春期で落ち着かない子どもみたいに囃(はやし)たてるような言い方をした。
「本当に、馬鹿らしくてアホらしくて、大人のクセにあんな言い方するなんて、信じられなかった!」
軽蔑に満ちた少女の声が、厨房にこだました。
思い出したリリィは、ギュッとフワフワとした造りの巫女の衣装のスカートを掴む。
柔らかい巫女の衣装に、深い皺(しわ)がリリィの細く小さな指によって、刻まれていた。
多分リリィなら、余裕で魔法でやり返せる事も出来ただろうが、やはりいきなり屈強な男の兵士、3人にも囲まれた事は、大変な"恐怖"になっている。
「で、どうやってそこは乗り切ったの?」
今こうやってリリィが、どこも傷付いた様子もなく、話している事で、その場を乗り切った事はわかる。
だがアルスは嫌な記憶なら、これ以上話を止めるのも悪いと、話を進めさせた。
それを尋ねると、少女の緑色の瞳が、明るく輝く。
スカートに刻んでいた指の力を抜き、リリィは両手に拳を作り上下に"ブンブン"とする様子に、アルスは、空色の瞳を丸くした。
「それがね、アルスくん!遠くから馬の鳴き声が聞こえたと思ったらね!」
軽く興奮気味ながらも、顔を紅くして語り始めたので、黙ってアルスは少女の話を聞くことにする。
「全く知らない、とっても綺麗な騎士のお姉さんが、馬に乗って来てくれたの!。女性の騎士さまはね、腕にしている腕章には国旗に"蝶"が刺繍されてあったの!」
リリィからの"腕章"の説明に、アルスはまた驚かされる。
「えっ、確か蝶の模様って」
この国の識別のマークに"蝶"が使われる部隊は1つ。
「はい、賢者さまに教えてもらいました。王族護衛騎士隊の印ですよね。私は、女性の騎士さまを存じ上げなかったんですけど―――」
女性騎士は、馬を飛ばしてリリィとリリィを掴む3人の兵士の前で、馬をわざと嘶(いなな)かせるように鳴かせて、止めた。
『これはこれは、賢者の世話役として登録されている、巫女殿ではないですか。
こんな往来でいかがされたのですか』
リリィに対して、凛としながらも柔らかな声で、馬上から女性騎士が尋ねた。
どうやら、リリィはその騎士を見たこともなかったが、向こうはよく知っている様子に見えた。
女性騎士は白銀の軽装の鎧を身に纏い、艶やかな栗色の肩までの髪を垂らしている。
『そして、卿(けい)等は、賢者殿、恐らくは国最高峰の賢者殿の、世話役の巫女殿に対して、何をしているのかな?』
高潔で美しい女性騎士が冷たく、鋭い射るような視線をリリィの腕を掴む兵士達向けて詰問する。
兵士は3人とも互いに顔を見合わせて、明らかに自分より身分が上の軍人の登場に動揺していた。
『何故答えん!』
怒りの籠った声が辺りに轟き、シャッと剣が素早く抜かれる音も響いた。
『ひいいいい!』
女性の騎士が剣を躊躇いなく抜き、切っ先をリリィの腕を掴む兵士の鼻先に向けていた。
騎士は重く響き渡る声を出して、威嚇を続ける。
『恐れ多くも我が国最高峰に当たる賢者殿が寵愛する巫女殿に、何時まで無礼な振る舞いをしている?。
何もないのなら、さっさっと穢らわしい手を離し、とっとと離れぬかっ!!』
尚一層の凛々しい声で騎士が一喝すると、3人の兵士達は、リリィの腕を乱暴に離し、正に逃げ出すといったふうに走り出していた。
兵士達が逃げ出した後、リリィは思いきり二の腕を振りほどかれたので、よろけて地面に"ペタン"と尻餅をついてしまっていた。
その拍子に、バロータの店で買ったパンも地面に転がってしまう。
女性騎士は剣を納めて、直ぐ様リリィの側に行こうとしたが、パン屋の老店主バロータが駆け出したのを見て動きを止めていた。
リリィが転がるパンを見て、申し訳なさに、正直泣きそうになっていたのを、直ぐに動けなかったバロータが駆け寄り励ました。
『気にしないで良い、怪我がなくて何よりだった。直ぐに代わりのパンを持ってこよう』
年老いたパン屋は地面に落ちたパンを拾い上げて、店に戻ろうとし、その途中、まだ馬上にいる女性騎士とバロータとが目があう。
先に女性騎士の方が目礼して、バロータも小さく頭を下げ、店の中にパンを取る為に戻っていた。
女騎士は老店主が部屋に戻った後、漸く、軽やかに馬から降りた。
リリィは、女性騎士に助けてもらった事は分かるのだが、まだ頭に体が追いつかないでいる。
スラリとした背が高い女性騎士は、身をかがめて、少女の視線の高さを合わせてキリッとした目元に、優しさを満たして語りかける。
『巫女殿、大丈夫ですか?。少し失礼しますね』
そう言いながら、女性騎士は兵士達に掴まれた、リリィの腕や顔の場所を見る。
『―――下衆共が』
凛々しく美しい顔にある眉をひそめ、白銀の鎧の懐からハンカチを出す。
『巫女殿、汚れを拭かせて貰いますね』
優しい笑みを浮かべてリリィの頬についてしまっていた、汚れを女性騎士は優しく拭う。
「何だか、賢者さまに前に本で読んで頂いた、女の子の恋のお話みたいでした。
あの女性の騎士様が男の人だったら、いっぺんに"恋"にっていうものに、落ちてしまいそうなくらい素敵な人だったんですよ。あっ、私は賢者さまが一番なんですけれどね!」
リリィが感慨深く女性騎士について語った後に、確りウサギの賢者の名前を出した。
アルスは神妙に聞いていたが、賢者の名前が出ると思わず笑ってしまった。
何かにつけて名前を出してしまうほど、リリィはウサギの賢者が好きだという事が伝わってくる。
「同性でも、おんなじ性別でも、惚れてしまいそうなぐらい、その女性騎士さん素敵な人だと、話を聞いていて思ったよ」
アルスは話を聞いただけでも、リリィを助けた女性騎士が素敵なのは十分わかった。
リリィの被害が顔の汚れ程度と分かると、女騎士は安心したように息を吐いたという。
『それでは失礼します』
一言そう言って、深々と礼をし、颯爽と再び馬に跨った。
『あの賢者殿にも困ったものだ。いくら彼自身に力があろうとも、この様では。賢者殿が嫌がろうと、けじめをつけて頂かなくてはな』
リリィが"え"と声を出した時には、女騎士は馬の腹に蹴りを入れてその場を去っていた。
女性騎士が去った後、市場の馴染みの住民に、リリィは彼女を知っている人がいないか訪ねたが、誰も名前すら知らなかった。
市場の生き字引の、パン屋のバロータ爺さんが知らないのだから、"余程上の方の護衛騎士だろう"、とその時は王族護衛騎士の事を知らない面々のうちで、話は落ち着いた。
暇があれば城門まで見送ってくれるバロータの弟子も、生憎その日は不在で、老店主自らリリィを城門まで送ってくれた。
いつもは使わない定期便の馬車に、バロータが金を支払いリリィを乗せて、魔法屋敷の最寄りの場所にと、馬車の操縦者に金を多めに渡す。
馬車に相乗りになった人々からも、リリィは散々心配され、最寄りにの街道に降ろして貰った。
何事もなく、屋敷の入り口がリリィの視野に入ると、そこにはウサギの賢者が立っていた。
『賢者さま!』
姿が見えた事だけでも嬉しくて、巫女は駆け出していた。
『リリィ。すまなかった、大事なかったようで何よりだ』
少女は笑顔で顔を横に振り、微笑むがウサギの賢者は本当にすまなそうなだった。
フワフワとした毛の中にある、本当のウサギにはない肉球のついた手で、少女の手を握る。
そしてリリィを見つめたまま、ウサギの賢者は少女の後方に向かって声をかける。
『もう帰って貰っていいよ。忙しいのに、"護衛"本当にありがとう』
「私が気がつかないだけで、王都の城門から魔法屋敷まで、ずーっと、護衛されてたみたいだったの」
ウサギの賢者が礼を言った方向に振り返ると、目深に全身を覆う様コートに、フード被った1人の人物がいた。
目深にフードを被っているが、短い綺麗な金髪と白い整った口元が、遠目から見るリリィからでも判る。
フードの人物は唯一見える唇に笑みを浮かべ、金色のリングが光る左手を軽く1人と1匹に向けて振り、颯爽と街道へと道を引き返していった。
『ウーム、ワガママもここまでかねぇ。リリィ、お疲れ様。夜ご飯は何にしようか』
ウサギの賢者は長い耳をピピッと動かして、リリィと手を繋ぎ、屋敷の中に戻った。
丁度その日の夜、ウサギの賢者はを軍のある友人から連絡があり、色々と手配して、これから買い物は1人で行ってはならないと決め、それをリリィに告げた。
そして、賢者は今まで意地に近い状態で持たなかった、護衛騎士を持つ事も、告る。
新兵の基本訓練を終える頃で、時期も良かった。
「多分それで、アルスくんがその、賢者さまの護衛騎士として、配属されて来たんだと思う。私、"賢者さまの嫌いな軍隊が来た"ってばっかり考えていたから、感じ悪かったでしょ?。
本当に、ごめんなさい。そもそもは、私のせいなのに」
リリィに丁寧に両手を重ね合わせてから頭を下げ、お辞儀をするように謝罪する。
アルスは慌てて、年下の同僚からの謝罪を止めた。
「謝らないで、リリィ。仕方ないよ。恩のある人、じゃないか。
恩のあるウサギの賢者殿が、"軍を好きじゃない"っていうなら、リリィが軍を好きになるはずもないよ。
自分だって、尊敬する人がそんな風に言っていたら、そう考えちゃうかもしれないもの。
配属が決まった時も、アルセン様から"打ち解ける努力もしないで、信頼を得らると思うな"って言われたから。
これから、ウサギの賢者殿やリリィに頼って貰えるように、好かれる軍人になるように頑張る。とりあえず、リリィの"普通に"なれるように努力するよ」
アルスが笑顔をで宣言すると、リリィは嬉しそうに頷いた。
「ありがとう。あ。でも、私は賢者さま、アルスくんの事は気に入ったと思う。だって、優しいし、威張ってないから全く軍人ぽくないもの」
「うーん、それは一応軍の兵士としてどうなんだろ」
アルスが苦笑いを浮かべると、リリィはまた笑った。
街の流行りの店や、王宮の噂、それから
「じゃあ明日はパン屋にも行くから、朝ご飯に残ったパンを食べちゃいましょう」
というリリィの言葉で話は閉められ、2人は食堂を後にした。
魔法鏡からこんばんは
部下が寝静まってから、どうやら『現・上司ウサギの賢者』と『元・上司アルセン・パドリック』は、お話をしているようです。
リリィとアルス、年若い部下達が就寝したのを、魔法屋敷に住み着いている風の精霊達が賢者の長い耳に報告する。
ウサギの耳を、ピピッと動かし精霊に向かって"ありがとう"と小さく呟いたなら次の瞬間にはまるで見計らったかのように、賢者の仕事部屋となる書斎の隅にある、魔法鏡が発光した。
鏡にはアルスをウサギの賢者に配属させた責任者、アルセン・パドリックが映し出されている。
アルスがリリィに説明した通りの、"男なのに美人"の人物で金髪に緑色の瞳、綺麗に整い過ぎている顔立ちの男性だが、軍服姿が威圧感を出している。
『お久しぶりです、"ウサギの賢者殿"。おや、仕事中でしたか?』
部屋の隅にある魔法鏡からは、ウサギの賢者が椅子に座って机に向かって羽ペンを動かしている後ろ姿しか見えない。
「ああ、アルセン。ちょっと、待っててよ、もうすぐ終わるから。無理矢理世話をしてもらった新人君の事は、やっぱりちゃんと話さないといけないしね」
後ろを振り返らずにウサギの賢者が応えるのにも、慣れた様子でアルセンは小さく頷いた。
『ええ。配属先の上司に、配属された兵士の様子を聞くのは、配属を決めた私の仕事で義務ですから』
綺麗な微笑みを浮かべて、アルセンは、鏡の中で頷いた。
ウサギの賢者が、鋭い硬い爪をパチリと弾くと、部屋の隅にある魔法鏡に映っていたアルセンの姿は、賢者の机にある丸い卓上の魔法鏡に移っていた。
賢者は一度だけちらりと鏡に映る"美人"を、丸い眼鏡越しの円らな瞳で確かめてから、またフワフワな毛ので覆われた手で持つペンを走らせる。
『アルスの事は、どうやら気に入ってくれたようですね』
アルセンが声をかけると、ウサギの賢者は口角を上向きにキュッと上げているが、口を開いては応えない。
そんな賢者の顔を見て、アルセンは澄ました顔になり、白い手袋を嵌めた手で、自分も羽ペンを手にとり、何かを筆記し始める。
"キュッ"と音がして、先にウサギの賢者の方の羽ペンの動きは止まった。
それから仕上げとばかりに、引き出しから羽ペンを握ったまま判子を取り出して、ポンと押し、小さく息を吐く。
長い耳のついたウサギの頭をプルプルと横に振って、今まで前のめりだった姿勢を、判子だけ引き出しに戻し、羽ペンを握ったままドカッとウサギの賢者は背を椅子に凭(もた)れかかる。
「さて終わった。確認しておくれ、"アルセン・パドリック中将殿"」
小さな鼻をヒクヒクと動かし、ワザと堅苦しい言い方をしてから羽ペン握ったままだったのに気がつき、ペンを机に放りなげる様に置いて、パチリとまた爪を鳴らした。
爪の弾ける音と同時に、賢者が先程まで何やら懸命に記入していた用紙は、鏡の中にいるアルセンの方へと移動している。
アルセンは自分の手元に届けられた紙を手に取り、緑の瞳をサッと上から下に動かした。
それから用紙に羽ペンで何かを書き込み、自分も書き込んでいた用紙と一緒に束ね、引き出しからウサギの賢者と同じように、判子を取り出して慣れた手付きで押印する。
アルセンもそこで、小さく息をついた。
『"着任証明"、"日勤表の提出ありがとうございます。
どちらも"ウサギの賢者殿"が、どの部隊より1番速いですよ』
アルセンは極上の笑顔で感謝の弁を述べると、ウサギの賢者は短めなフワフワな腕を組みながら照れ臭そうに言う。
「遅くに提出して、あの子に、アルス君に迷惑がかかってはイヤだからね。
軍人には不向きな感じだけれど、リリィと気が合いそうで何より。
ワシにとってはとてもありがたいし、アルス君は良い子だよ、アルセン」
アルセンは教え子が誉められたのが大層嬉しく、引き続き綺麗な笑顔を浮かべている。
『気持ちも優しい、良い"兵士"ですよ。アルスは。
良い意味できっと、貴方の期待を裏切る素質もアルス・トラッドにはあるので、宜しくお願いします』
ウサギの賢者は長い耳を器用に曲げて、目は半眼になり見事に不審そうな顔つきを作る。
「何だい。アルス君はもしかして、運良く性格が曲がらず育った、どっかの落とし胤(たね)だったりするのかい?」
『いえ、そういうわけではありません。寧ろアルスは天涯孤独の、後ろ盾なんてない子ですよ。
身元保証人も、私がしているくらいですから』
慌てたように、アルセンがアルスを擁護する言葉を出し、ウサギの賢者が曲げていた耳を片方伸ばした。
「アルス君を一番気に入っているは、どうやらアルセンのようだね」
不審そうな態度をほどき、話す言葉の雰囲気も軽くし、ウサギの賢者は優しい声を出す。
その賢者の"優しい声"は、アルセンは綺麗な笑みを、苦笑の形にしてしまう。
だが綺麗すぎる笑顔をより、苦笑している方が愛嬌があって取っつき易い印象ともなっていた。
そしてアルセンはあっさりと"アルス君を一番気に入っている事実"を認める。
『ええ。残念ながら普通の軍の部隊となると、アルスの才能は、恐らくは"飼い殺し"になります』
そこで一度言葉切って、綺麗な緑色の目を伏せた。
伏せた瞳を開いた時、初見のものなら思わず見とれてしまうような憂いを帯びてはいるが、美しさを印象づける眼差しで"先輩"でもある賢者を見詰め、形の良い唇を開く。
『そういった面で、アルスの才能を伸ばしてあげられるだろう、どんな"人"より信頼出来る、貴方に託しました。私の手元に置いたとしても、どうしても"人"の目がありますから』
"本当なら、自分の手元に愛弟子をおいておきたかったがおけなかった"
そんな悔しさを、アルセンは吐露していた。
『あの子は多分"国"を護る為には必要な才能を、今期の新兵の中で一番持っています。
ただ今の平和のダガ―・サンフラワーの御世で"才能"を開花させる事が、アルスにとって幸せかどうか分かりません』
そして悲しそうに、アルセンはアルスの本当の保護者の様な表情を浮かべて、不安も述べた。
「やれやれ、そこまで思い入れがあるなんて、もしかしてあの子は、アルセンの弟とかもしれないって、勘ぐってしまうよ」
曲がっていたもう一方の耳を伸ばしながら、呆れたようにウサギの賢者はアルセンを見る。
『おや、何故そんな風に感じられるのですか?。
私の父は20年以上前に亡くなっていますから、17才のアルスを弟にする事は無理ですし、母上、母は、どんな事があっても、父一筋ですから無理ですよ』
アルセンは本当に驚いたらしいが、弟の可能性が全く無いことを立証してから、不思議そうにウサギの賢者に尋ねた。
ただ、アルセンはアルスを"弟"と疑われた事に関しては、不快ではなさそうで、寧ろ血の繋がりがあるように言われた事は嬉しそうな節(ふし)すら感じられる。
「アルセンは本当にたまに、純粋で素直で、こっちを野暮な気持ちさせてくれるなぁ」
と、賢者はボヤくように言いながらも、アルセンの質問に口を開いた。
「アルセンにしてもアルス君にしても、2人とも"A(ア)"の文字が入っているからだよ。一族で"代表の文字(を引き継ぐのは良くある事だ。
確か、アルセンのお父上もついていただろ?」
金髪の美人な軍人は、ウサギの賢者の質問に納得がいった様子で、小さく頷いてから綺麗な微笑を浮かべる。
『成る程、しかし残念な事に全くの偶然です。もしそんな"縁"が本当にあったなら、才能を伸ばすためと言えども、可愛い大切なアルスを、ひねくれた不貞不貞しいウサギの賢者殿の元に、配属なんてさせませんよ』
微笑を極上の笑顔に変えて、アルセンは結構な事をウサギの賢者に向かってサラリと言ってのけた。
「アッハッハッハッ。それなら言わせてもらうけれど、新兵教育の時に"賢者"に関して、ボロクソに言っていたみたいじゃない?。
特にワシ、"ウサギの賢者"に関しては?」
フカフカの椅子にふんぞり返り、ウサギの賢者が鼻をヒクヒクとさせながら、言葉の応戦をする。
何故ウサギの賢者がその場に居なかったのに、アルスとリリィの会話の内容を知っていたかのには、はっきりとした理由がある。
配属された先の上官は、新兵を"監視"をする義務がある。
新兵自身は、監視されている事実を知らない。
ある意味プライバシーも何もないと感じられる事ではあるが、"国の貴重な人材"を護る為と軍上部が機密に作った命令。
そして、それがウサギの賢者が頑なに兵士の配属を嫌がる理由の1つでもある。
"興味が無いものを、見せつけられる事ほど苦痛な事はない"
そんな言葉を吐いて、護衛騎士をつける事を要請した、命令を退けた事もウサギの賢者にはあった。
監視の義務期間は、取り敢えず1ヶ月間設定されており、それが過ぎたなら配属先の上官の裁量で、自由に取り止める事が出来る。
ウサギの賢者は出来るものなら、直ぐ様止めたい。
アルセンに応戦しながらも、ある意味監視を早々に止めたいと、話をもって行こうしていた。
『しかし、アルスとリリィさんの距離を縮める為に、貴方は、わざと悪者になったわけですね。2人は観察させて貰った所、中々馬が合うようで何よりでした』
だがアルセンも賢者からの無理な要求は昔から慣れたものなので、巧みに話をすり替えて話を続ける。
ウサギの賢者は話を変えられた事に、また長い耳を半分に曲げて不機嫌さを表現した。
しかしながら、魔法鏡に映る美人な軍人は、不機嫌なウサギの賢者に構わず話を続ける。
『リリィさんは可愛らしくて強気な面がありますが、素直に頭を下げる事が出来るなんて、とても良い子ですね』
"秘書"の事を誉められ、曲がっているウサギの賢者は長い耳がピクリと動く。
賢者は話をすり替えられているのは分かるが、鏡の中にいる綺麗で話術が巧みな軍人は、上手く話を交わし続けるだろう。
だから、"新人兵士の監視を止めたい"と駄々っ子を続けても無駄だとわかり、早々に引っ込めた。
曲げていた耳も、またピンと伸ばす。
「リリィは本当に可愛い、良い子だからね。軍隊嫌いの私に気を使って、アルス君にキツく接するだろうと予想はしていたから、ちょいと一芝居うたせて貰ったんだ。
まあワシが、今でも"兵士の掘る穴"は、大嫌いなのは本当だけれども」
リリィが誉められた事には、嬉しそうに言っていたが最後の方の言葉には暗い重みがあった。
アルセンには鏡越しでも、ウサギの賢者が"兵士の掘る穴"に、昔から変わらない"憤りと悲しさ"を持ち続けているのが分かる。
正確にいうならば、ウサギの賢者が"兵士の掘る穴"の話を聞いた時、傍らにいた心優しい女性を思い出して、心を沈めている。
『とりあえず本日はここまでにしましょうか。
明日はアルスとリリィさん、城下の街に出るんですよね。
何事もないとは思いますが』
日勤表で早速明日の予定を眺めながら、アルセンは話をまた切り替える。
ウサギの姿をした賢者が、彼女の事で必要以上に、自分の事を責めないように。
賢者も後輩の気遣いの言葉に乗っていた。
「リリィに危害が及ぶ事は、もうないんだろう?」
大切な巫女のに関しては、ウサギの賢者がギョロリと"鳶"の様な瞳で、魔法鏡に映るアルセンを見つめて確認の言葉をかけた。
『アルスが護衛をするなら、襲った方が後悔するような返り討ちにあいますよ。ただ、くだらない事が1つだけある事はありましたね』
獣の瞳も鋭い視線も、"柳に風"と言った具合で、美人の軍人は白手袋を嵌めている右手を、机の上で重ねて答える。
『"つまらない因縁"を、万が一ですが、アルスがつけられるかもしれないという事です』
重ねていた右手をあげて、形の良い唇に、白い手袋を嵌めた指をあてながら、アルセンが本当につまらなそうにそんな事を言う。
「何だいそりゃ?。アルス君がうちに来ることで、何かやっかみを受けるとでもいうのかい?」
ウサギの賢者の言葉には、つまらなそうな顔を一変させて、アルセンは綺麗に、ニッコリと笑う。
"綺麗ではあるのだが、どこか黒いもの含んでいる笑顔"だと、察知して先輩であるウサギは鼻をヒクヒクとさせる。
『ウサギ、流石に察しがいいですね。ええ、一部の貴族様が伏せておいた貴方の居場所や、配属される兵士の名前を執拗に調べていましてね。
勿論、金と権力に物を言わせてですが。
で、更に今回の配属先には、競ってでも恩や繋がりを作っておきたい賢者の屋敷がある事も』
ウサギの賢者とアルセンは阿吽の呼吸に近い仲であるので、自分の状況や自分の立場がどんなものかは知っている。
賢者の核心部分、"本名"と"正体"は何とかまだバレてはいないようだが、"この国最高峰の賢者"である事は知られている。
アルセン・パドリックは美しい容姿も有名であるが、何より過去にあった大戦で若年ながらも活躍したため、国王から特別な称号まで賜った人物である。
平和な治世となった現在は、一線を引いて軍隊の、人材育成で育てる側の重要ポストについていた。
その仕事内容の一部に"新人兵士(親の七光りを含む)を部隊に配置する権限を持つ"もあった。
ただアルセンにとって面倒臭くて仕方ない事は、配置される本人以上に、親や縁戚が配置場所を気にする方々も、特に上級階級に多くいる。
そして今回の配属先には、子どもの出世や家の名前を高める為には"うってつけ"の場所、"国最高峰の賢者"があった。
「失念してたね」
ウサギの賢者が、小さな額にフカフカの自分の手を当てる。
『貴方が、軍と本格的に関わりを持つのも十数年ぶりですからね。仕方ないですよ』
アルセンが優しく労るように言ったが、ウサギの賢者にはあまり効果はない。
「ワシは、"私"は、あんなにも面倒くさい事にも巻き込まれたのに。もう、忘れてしまってるんだなぁ」
軽く自嘲するウサギの賢者の姿に、アルセンは心を痛める。
『失念していたんじゃありません。十数年も経って、"辛かった事を乗り越えた"証拠です。
乗り越えて、貴方に"なんという事なかった"と、受け流してしまえる事だったんですよ。貴方は、"強い人"ですから。
それに貴方も私も、"今"はそれなりに一廉の権限もあるし、嫌な事は避ける事は出来ます。だから、気にすらしていなかった。
些末な事を気にしていたら前に進めない、そうではありませんか?』
重ねて言われる"親友"からの励ましの言葉で、漸くウサギの賢者も落ち込むのを止める。
「アルセンは相変わらず、人を励ますのが上手いし、優しいね」
そう言ってから、小さな額から手を外し、オモチャの様にも見えるウサギの賢者専用のメガネを外し、魔法の鏡の手前に置いた。
モフモフとした毛と肉球が満載の両手で、グリグリと円らな瞳を押さえる。
その姿はかつて"人の姿から逃げ出した、人でいる事が耐えられなかった親友"が、人の姿だった時。
落ち込むのを誤魔化す仕草を、アルセンに思い出させる。
『貴方が、色んなものを護るために"禁術"を使って、その姿になってから十数年も過ぎたんですね』
魔法の鏡の中からのアルセンの視線はウサギの賢者が、"人の姿"の時にも使われていた眼鏡と瓜二つの小さな丸眼鏡に注がれていた。
「今でも、月に1度は用事がある時や仕方がない時は、強制的に"ヒトデナシ"に戻る時はあるんだけどね」
自分という存在を侮蔑しながら、円らな瞳を抑えウサギの賢者が答える。
そして自分の話から逸らすように、話をアルセンの方に振る。
「ワシは優しいアルセンこそ、"戦後"に軍に残るとは思ってなかったよ。
まあおかげ様で、この生活になってからの融通は、大分利かせてもらっているけどね」
そこまで言って、漸くフワフワの両手を瞳から離して、ウサギの賢者はアルセンを真っ正面から見つめる。
アルセンは懐かしくて、そして切なそうに、ウサギの賢者の顔を、優しくて綺麗な緑色の瞳で見つめ返していた。
『貴方が"ウサギの賢者"になる前の姿や声を、私は全く忘れる事が出来ません』
「忘れちゃってよ、アルセン。ワシは―――」
そこでウサギの賢者は、小さく咳をする。
そしてアルセンにとっては、懐かしい、ウサギの賢者が人だった頃の声を出す。
「"人"だった私は、アルセンが私の事を気にしないで、残った大切な人達と幸せに生きてくれたのなら、その方が」
そこでまた小さく咳をして、ウサギの声に戻した。
「ワシは、その方が嬉しい。アルセン」
そう、優しい綺麗な後輩であり、親友に願う。
だがアルセンにとっては、願われても、請われても忘れる事は出来ない。
『すみませんが、私はまだ忘れる事が出来ません。ただ、残った、残された私達はどんな形にしても、生きなければと考えています。
それが、貴方の愛した人の願いです』
闇の中で輝くように咲く真っ白な花畑の中に、4人の人がいる。
花畑の中央に、胸に小刀が貫くように刺さった、優しく美しく、そして何より誰よりも、"強い女性"。
その女性を抱き抱えるのは、鳶色の髪と瞳を持った丸い眼鏡をかけた、"強い女性"を伴侶として誓いあったばかりの青年。
その側には女性と青年と共に、戦い抜いた掛け替えのない2人の仲間。
1人はまだ年若い、少年と言っていい傷だらけのアルセン。
そして、そのアルセンを支え、庇うように抱える、日に焼けた肌を持つ逞しい身体の男。
鳶色の青年は、アルセンと日に焼けた男が見た事がないほど、泣き叫び女性を抱き締めていた。
『――――、私の、最後のお願い、聞いてくれる?』
小刀に胸を貫かれながらも、"強い女性"は赤い唇で、鳶色の青年の名前を呼んで願いを口にする。
『アナタは、私だけの<英雄>でいて』
そう言って、強気にそして、悔しそうに微笑んで、青年の腕の中で逝ってしまった女性。
ウサギの賢者とアルセンは、1人と1匹、2人きりで再会してしまったならば、その"悲しい情景"をどうしても思い出してしまう。
本当ならば、楽しい思い出ばかりを共有できるはずの親友なのに。
花畑の4人の仲間は、先輩後輩から始まった縁は、最初こそぎこちなかったけれど、それが打ち解ける事が出来た時、掛け替えのものとなっていた。
不味いような旨いような軍隊の飯を一緒に食べたり、不可能と言われた作戦を4人でこなしてしまったり。
戦の中で、どうしようもない悲しみや空しさに出逢う事もあったけれど、それを遥かに凌駕する楽しい思いでがあった。
けれど、あの女性を、ウサギの賢者となった"人"の、伴侶を助けられなかった事が、命を救えなかった事が、ウサギの賢者とアルセンの親友として話す《時》に大きな影を落としている。
人の"命"と言うものが、大切で重たいものとわかっているから。
どんな命でも、代えの利く命なんてないと、人の有り難みを知っている仲間だから。
どうしても気持ちの整理が着けきれない、そんな実状だけが残されて、十数年が過ぎた。
『では、他の部隊の方からも連絡がきますので、失礼します』
アルセンは瞳を閉じ、礼をする。
「仕事が済んだら、奴と呑みに行ったらどうだい?」
優しい後輩で親友に、せめてもと言った具合で、ウサギの賢者は、アルセンにとっての掛け替えない親友で、自分の旧友と呑みに行くことを提案した。
仕事であっても、連絡をくれた輩(ともがら)に悲しい思いを抱かせたまま、別れるのは賢者には忍びない。
その提案を聞くと、アルセンは数少ない人しか知らない本当の笑顔を、困ったようにも見えるがとても慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
『呑みにいく約束なら、外出がままならなく3ヶ月前から、確約しています。ご心配なく。貴方も前に進めそうなら、進んで下さいね。
新しい親友も、"ウサギの賢者殿"を大層心配されてましたよ』
少しだけ意味深長な感じでアルセンに言われ、ウサギの賢者は最近親友の契りを結んだ、恥ずかしがり屋の仕立て屋を思い出して、鼻をピクピクと動かした。
『そして、ついでに言わせて貰いますね。
私は、彼女も立ち止まったままの貴方なんて嫌だと思います。それでは』
アルセンは言いたい事は述べたと言った具合で、魔法鏡の通信を切った。
彼女の命が絶えた時から、現実から逃げ出すように"ウサギ"へと姿見を変えた。
必要最低限の連絡を取れるようにして、風の頼りにかつての仲間の事を耳にすることがあっても、決してウサギの賢者から連絡を取ることもなかった。
辛うじてアルセンが、ウサギの賢者と外部との繋がりを保ってくれていた。
「"さびしくない"は、強がりでしかないね」
今日届いた、遠方に仕入れの旅に出ている"新しい"親友からの手紙をフワフワの手に取る。
鏡に映る自分の姿を眺めてから、丸眼鏡をかけて、ウサギの賢者は寝室がある3階の屋根裏部屋へと戻って行った。
『ウサギの賢者と新人兵士のアルスくん』 マフツ 作
新人兵士のアルスがキツい基本訓練をおえて配属されたのは、この国の「賢者」を護衛する、ホントに小規模な部隊だった。 何てたって、直属の上司はその「賢者」ぐらいなものだから。 しかも、賢者は「ウサギ」だった… ついでに賢者には毒舌美少女巫女の秘書がいた。 さて、新人兵士のアルスの明日はどっちだ?。
| 更新日 | |
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| 登録日 | 2017-03-14 |
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