東日本大震災の後、すでに二十数兆円の復興費が投じられた。津波被災地では宅地造成や公営住宅の建設が進み、まちの姿が少しずつ見えつつある。

 一方で、公共事業のピークが過ぎるにつれて、震災前からの過疎化に拍車がかかっている厳しい現実が浮き上がる。避難先で新たな生活を始め、故郷に戻らない被災者が少なくない。企業誘致や起業の呼びかけも、人口減を埋めるにはほど遠い。

 もう、定住者を増やすことだけにこだわるのはやめよう。さまざまな体験や知恵、技術の「共有」を通じて、全国各地の人たちの力を借りながら、復興への突破口を開けないか。

 そんな民間人発の試みが、静かに広がりつつある。

 震災での死者・行方不明者が1千人を超え、市内の住宅の3割近く、事業所の5割強が被災した岩手県釜石市。ラグビーのまちとして知られるだけに、東北唯一の会場となる2019年のラグビーW杯を復興の起爆剤にと期待する。

 ■「つながり人口」こそ

 だが、いいことずくめではない。新競技場の建設費は大半が復興事業として国や県から出るが、毎年の維持費は市の負担だ。W杯の観客を受け入れる宿泊施設は大幅に不足するが、民間企業は大会後の厳しさをにらんで二の足を踏む。

 農家や漁師の空き部屋ならたくさんある。4年余り前に都内の大手企業から釜石市職員に転じた石井重成(かずのり)さん(30)に市内外のNPOなどが加わったチームは、国が普及を急ぐ「民泊」に目をつけた。早速、仲介最大手、米エアビーアンドビー社と市の提携が決まった。

 W杯後をどうするか。地元NPOが提案したのは、まち全体をパビリオンに見立てる取り組みだった。市外の人たちが漁場や鉄工所、レストランを訪れ、仕事を手伝う。民泊と合わせて市民の等身大の暮らしを共にしてもらい、ラグビー以外にも釜石ファンを増やすのが狙いだ。

 もともとこのNPOが期間限定で実施してきた試みだが、この週末には市をあげてイベントを催し、いつでも来てもらえる仕組みを考えていく。

 震災で一気に減った市の人口は、2040年にはさらに4分の3に落ち込む見通しだ。ならば、市と何らかの関係を持つ「つながり人口」と、市内で動く「活動人口」を増やす。これが石井さんたちの目標だ。

 請け負ったスマホ用アプリの開発などを手がけながら、各地を転々とするITエンジニアたちがいる。そんな若者が宿泊できる「ギーク(オタク)ハウス」と呼ばれる施設が昨年、空き家の古民家を改装して岩手県大船渡市にお目見えした。

 ■地域外から息長く

 運営するのは、東京の大手IT企業を退職し、市内で支援活動を続ける福山宏さん(53)らが立ち上げたシンクタンクだ。

 地元農家が頭を悩ませるシカの食害対策を考えてもらおうと、エンジニアたちを引き合わせ、センサーでシカの移動パターンを予測するシステムづくりが動き出した。ふらりと大船渡を訪れる人たちと地元の課題を結びながら、新たな事業を探っていく。

 栃木県栃木市に住むデザイナーの青柳徹さん(40)は被災地に赴かない「共同事業者」だ。

 震災の2年後に三陸地方を訪れ、岩手県山田町にある水産加工のベンチャー企業の事業に加わった。販路を失った窮状を救おうと、商品の包装デザイン作りを担っているが、現地を訪れたのは最初の一度きり。打ち合わせはもっぱらインターネットで済ませている。

 無償だが、仕事の幅が広がった。無理せず、息長く。そうした意識からの取り組みが評価され、宮城県女川町での新たな受注につながった。

 ■自らができることを

 被災地の内と外をつなぐ試みとしていち早く広がったのは、ネットで事業資金を集めるクラウドファンディングだ。

 半額寄付・半額出資の形でミュージックセキュリティーズ(東京)が作ったファンドには3万人から11億円が集まり、約40社の再出発を支えた。出資者の大半は一般の会社員だ。

 小松真実(まさみ)社長は、この6年での新たな動きに注目する。例えば、宮城県気仙沼市の製麺業者の再建では、出資した会社員らが地元の食材を生かしたメニューの開発に知恵を絞った。「被災企業との間である種のコミュニティーができ、愛着から支援を強めている」。小松さんはそれを「関係の深化」と呼ぶ。

 被災地は、財政難や少子高齢化に直面する日本の縮図とされ、単なる復旧ではなく「創造的復興」に挑むべきだと指摘されてきた。

 自分のやり方で被災地にかかわり続けていく。一つひとつは小さくても、積み重ねが新たな挑戦につながる。

 被災地以外の地域づくりにも通じる視点である。